サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

カップ焼きそばはやっぱりソース味で食べるべきという感想

こんにちは。

 世間はもう年の瀬。これからクリスマスやお正月など楽しい行事も目白押しですけど、この時期になって僕の脳裏にふとよぎったものは昨年、今年初旬あたりにかけて発売された「キワモノ味」カップ焼きそば。インスタント麺業界における「味のイノベーション」というか、他社商品との差別化を進めていくなかで作られた一般的なニーズに逆走するかのような尖った商品の数々。皆さん覚えていますでしょうか。

 

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明星食品の「一平ちゃんチョコソース味」

 

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ペヤング「チョコレート味焼きそば

 

 基本的に食物はみんな旨いというのが僕のスタンスだけど、コレについては論外。思いきり「まずい」と叫びたくなる味でした。両者を食べ比べどちらうまいかを判定しようと思ったものの、どちらもマズイという、ある意味想像できた結果には両メーカーに対して「ふざけるな!」と憤ったもんでした。ちなみに下の写真は一平ちゃん。

 

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 ご覧の画像からはわかりづらいかもしれませんけど、この時点で麺が焦げ茶色。そして左からチョコ味のソースに普通のソース、そしてかやくのチョコ。「チョコ×チョコ+焼きそばソース」の公式を見て食べる気が失せてきました。

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 それでもめげずに作って実食。意外なことに妻は「甘じょっぱいけども、コレはまぁ美味しいかな?」との感想だったけど僕はダメ。チョコの甘さと酸味の効いたソースの塩辛さは合うとは思えない。作った責任で全部食べたけど、正直いってお金を払って食べたい商品ではありません。あとパッケージにでかでかと「謎チョコキューブ入り」とあり、その具材が商品のウリでした。焼きそばの中央部にある具材ですけれど、お湯で熱くなった麺の上にあってもまったく溶けませんでした。食べてみたらサクッとする歯ざわりだったことから、おそらくチョコを練り込んで作ったコーンスナックだったんではないかな。

 

 お次に食べるはペヤング

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 こちらは麺に最初から味はついていないオーソドックスな麺と、チョコソースのみ。ソース独特の塩辛さと酸味がないだけおいしく食べられるかも、と考えながら食べてみました。

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 ソースの酸味を感じないので純粋にチョコ味。だけど麺類とチョコ好きの娘に食べさせてみたところ、吐き出しました。色合いから焼きそばの味を想像していたんだろうけど、いざ食べてみたら純粋なチョコの味だったため驚いたのかも。僕も麺の色合いからどうしてもソース味が頭をよぎるため口に広がるチョコの味と先入観で作られたソース味のギャップに戸惑いました。確かに食べられるんだけどもこれだったらふつーにチョコを買って食べたほうがおいしい。「チョコ食べてる?」というCMでちょっぴり注目されたフルタマンはコレを見たら何を思うだろう。

 

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 でも。まぁこの2つはまだ食べられたからイイ。もっともヒドいのはこの商品。

 

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 誰がどんなニーズがあって作られたのか全く理解できない、このカップ焼きそば。普通の感覚だったらビジュアル的にまったく食欲を喚起しないため、買おうとおもわないでしょう。だけども、僕は買っちゃった。常識で考えたら、美味しいとは思えない。だけどこの意外性の先に未知なる領域の美味があるんじゃないか?少なくても食えたもんじゃない「食い物に非ず」みたいな商品はメーカーの良心として出さないだろう、と明星食品を信じてたのでした。

 ってなことでさっそく開封。中身はフツーのカップ焼きそばだけど付属品がクセもの。

 

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甘辛い味のソース(左)
ケーキの材料を意識したチョコスプレー入りのかやく(中央)
バニラ風味のマヨネーズ(右)

パッケージを開けたことを後悔しながらもお湯を注ぎ・・・いざ、試食。


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 ・・・・・・責任者、出てこい!

 麺をひと口含んだ瞬間に甘くて塩辛い味が口に広がり、ミルクとバニラの香り、ソースの酸味が鼻をおかしくさせるふざけた味。八名信夫だって「もう一杯!」とはいいたくないだろうと想像できるほどまずい!誰よ、こんなの作ったの?

www.youtube.com

 ひと口食べた後、妻もコワイもの見たさというか味わいたさ?で興味深々そうだったので、僕は「コレ食べてみる?」と箸を手渡しました。妻はそれを口にしてひと言「まずい」と呟きました。そして僕の側にいた麺類好きな娘にも「食べてみるか?」と面を箸で摘んで口に持って行ったら、複雑そうに娘は顔を背けました(コレは僕と妻で『まずい』を連発していたせいかも)。食物をムダにするのはキライな僕は責任をとってショートケーキ味焼きそばを作業のように食べ続けました。それはなにかの罰ゲームのようで、僕はとても悲しくなりました。

 

 ところが。食べ続けているとアラ不思議。

だんだん美味しく感じるようになってきたのでした。

 コレはいったいどういうわけなのか。苦痛レベルのまずさから逃れるため脳が現実逃避したのか?その辺は僕もよく分かりませんけど、食べ続けていたら意外に「食える」と感じていて、全部食べるのはそれほど苦痛でもありませんでした。ただ、次回も積極的にこの商品を買って食べたいか?といったら否。カップ焼きそばはやっぱりソースが最も美味しいという当たり前の結論にたどり着きました。

nlab.itmedia.co.jp

 商品の開発者インタビューによると「めんスイーツ」なるジャンルを作りたかったからだそうな。

そんなもん、作らなくたっていい!ただまぁ、そういう獣道を突き進むというスタンスはキライじゃない。この明星食品の企画が語る「めんスイーツ」というジャンルを育てたいという情熱が本物だったら「おしるこ味」あたりが作られそう。で、それを食べて「ふざけるな」と僕はまた大声で叫ぶだろう。

 

 

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サブカルとは何かをわかりやすく語ってみる

こんにちは。

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 日常のマイナー商品やマイナーアニメ、ネット右翼への批判などを書いてきたこのブログ。「サブカル 語る」。といいながらそもそも「サブカルチャー」とは何かについてまったく触れていないことに気づきました。そこで本日は僕の考える「サブカルチャー」とは何かについて語ろうと思います。

 

 

サブカルとは何か?をわかりやすく説明

サブカルとはいったい何か?三省堂の広辞林はこのように述べています。


サブカルチャーとは - Weblio辞書

 

 社会の中心となる支配的な文化に対して、その社会の内部にある集団のもつ独立した文化のことで「下位文化」「部分文化」ともいう。(以下略)フリー百科のウィキペディアでもだいたい似たような意味で説明されています。

 

サブカルチャー - Wikipedia

 

カルチャーとサブカルの違い

 「社会の中心となる支配的な文化」とは日常生活に根付いている振る舞い=風習や習慣だと言い換えられます。僕らの生活の中で具体的に言うと「日本語」「米食」などが日本独自の風習として挙げることができるのではないかと考えます。そしてその支配的な文化の対局にあるものこそがサブカルチャーサブカルであると定義します。

 

 文化の対義語である「サブカルチャー」とは「社会生活に根付いていない風習や習慣」を意味するものであり、エヴァガンダムに代表されるアニメやゲーム、マンガなどは本来、僕らの現実生活から遠く離れたクリエーターの荒唐無稽な想像力により生み出された単なる「物語」でしかありません。だけど現在の日本においては、この物語がヘンな所で現実にリンクさせられている。以前ブログで紹介したシャアのビジネス書などは、この典型ではないでしょうか。

シャア・アズナブルの語る仕事 - サブカル 語る。

 

サブカルとカルチャーが入れ替わった?

 メインカルチャー、文化というものはその社会に生きる人たちの言葉や思考、生活習慣などに深く関わる役を担っていました。ところが現在、サブカルチャーが僕らの行動や言動、さらには思考において大きな影響を持つようになってきており「サブ」がサブとして機能しておらず、サブカルチャーメインカルチャーに成り代わっているといった逆転現象が起こっているのが実態だろうと僕は見ております。そこで次に考えたいのは、過去の日本史においてメインカルチャーとされていた風習や習慣、具体的にいうとよく「日本の伝統」などとされている日本の古典芸能や武道などのシンボリックな日本の文化はどうなったか?という疑問です。

 

メインカルチャーなんてそもそもなかった! 

 あくまでこれは私見ですが、戦後の日本に上記のようなメインカルチャーというものは存在していない。もっとキツいことをいわせてもらうと本来日本にあったメインカルチャーは、以前から消滅していたんじゃないかと考えています。僕のこの意見に「そんなことない!」といって日本の伝統とされているステレオタイプな文化や芸能を列挙する人もいることでしょう。「歌舞伎」「落語」「柔道」「相撲」「日本食」「剣道」「過去の日本を美化する日本史」など、他にもあるけどキリがないのでこの辺で。上述したこれらは日本人の生活や習慣とかつては密接でした。だけど今はどうでしょう?

生で歌舞伎を観にいく人たちはどれだけいるのか?
生の落語を聴きに寄席に通う人はどれだけいるのか?
相撲の観戦を趣味とする人はどれほどいるのか?
柔道着を実際に着たことある人はどれほどいるのか?
竹刀を実際に握ったことある人はどれほどいるのか?
日本食の正確な作法を知る人はどれほどいるのか?
毎年、節分に豆を撒く人はどれほどいるのか?
冬至にゆず湯に入る人はどれほどいるのか?
お正月におせち料理をちゃんと食べた人はどれほどいるのか?
おせちの献立ひとつひとつの意味を知る人はどれほどいるのか?

 これらはみんな昔の日本人の生活と密接につながりを持ち、当たり前のものとして存在していましたが、現代の僕たちは見事にこれらとの接点を失っています。地域や学校などの催しでこの接点を復活させようという動きもあるけど、そういった働きかけがなかったら、たぶんこれらは跡形も残らないでしょう。この「日本人の生活習慣と密接に繋がっている文化」という点については「機動戦士ガンダム」でおなじみの富野由悠季監督が対談本「戦争と平和」で興味深い発言をしています。

 

"富野:たとえば今、時代劇を撮ろうとすると、まず役者の歩き方から直さなければなりません。現代人はもはや、体の中心軸を失った運動性しか持ち合わせていないのです。これは生やさしい問題ではありません。「腹が据わっている」という日本語がありましたがこれは単なるレトリックではなくて、日本人はそういうリアリティの中で暮らしていたはずなんです。しかしもはや、エキストラを訓練しても、本当に使えるような姿勢になるかどうか分かりません。"

出典:戦争と平和 富野由悠季徳間書店

 

 

 ふだん僕たちが伝統と考える文化は実際には日常との接点をすでに喪失しており、ただ単純に「昔からあるものだから伝統」という観念でしかない。先ほど僕は「社会の中心となる支配的な文化」を日常生活に根付いた振る舞い=風習や習慣と定義しました。この定義に当てはめると観念的な日本の伝統こそ僕らにとってはサブカルであり、逆にクリエーターの想像の産物であるサブカルチャーがいつのまにか生活のに根付く「疑似文化」になっており、日本人にとっての言葉や思考の根源を担っているという逆説的な現象に今、日本はあるとおいえます。それを何より雄弁に語っていたのはこの国の首相でした。皆さん、リオデジャネイロオリンピックでのこの光景、まだ覚えていますか?

 

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www.sponichi.co.jp

 

メインカルチャーがないことに無自覚なこの国

 リンク先記事の見出しには「笑った」とか書いてあるけど、コレは笑い事じゃありません。マンガやアニメ、ゲームなどのサブカルが持つ記号的なわかりやすさは人々から思考を奪うことにも繋がりかねないため「政治」などのパブリックな分野がサブカル的な表現に擦り寄りがちな傾向が僕は大っキライです。こんなのポピュリズム以外の何物でもない。

 

 映像を所狭しと走り回るアニメキャラ。国際舞台でお披露目された首相のコスプレ。 これらは「日本を国際的にPRできるものってこんなサブカル以外にないんだ。僕らの思考や生活の根幹にあるのは長いこの国の歴史や風習などに育まれた『文化』ではなく、瞬間的で継続性のない情報や記号などを寄せ集めて生み出した『サブカル』以外にこの国を表現できるものがない。緑と水に囲まれた豊か自然を持ちながら、そこに根ざした風習や文化から培われた思考。そういった生活を支える『根っこ』みたいなものを僕らは持ってないんだ」と、この国のリーダーが自ら露呈させたということに他なりません。根無し草な僕たちはこの配管工のおっさんゲームキャラにコスプレをした首相にただ、賞賛と拍手。演じる役者も観客も全部ニセモノで固めた予定調和、やらせみたいで苛立ちます。 

  

 安倍首相のコスプレは「マリオは世界的に人気あるから盛り上がっていい」とかそういう話ではありません。メディアなどが「日本スゴイ!」「日本の伝統的な文化って世界に自慢できるものだぞ!」と偉そうにほざいているくせしてその実態はTVゲームのキャラクターを通じて日本が伝統を喪失した国であるかを世界に向けて発信している。そういった行為のバカバカしさに多くの「オタク」たちが気づいていないという現状に、僕は頭を抱えたくなるのです。そういう意味でも自称「オタク」たちの知的レベルの低下も本当に笑えない。少なくても70〜80年代のオタクたちは、サブカルの胡散臭さにはある程度自覚的で、わかっててそれらに踊っているようなところがありました。ところが現在のオタクたちは本気で「サブカルは日本の誇る文化」だと思っている。これももう時代の流れなのでしょう。

 

 10年前に堂高しげるが述べた適切なオタク評

 僕にとって「オタク」の理想像とは、ある分野における専門知識のスペシャリストであり、同時に「茶人」でもあった1970〜80年代前後にあります。その頃のオタク像を適切に言い表したのは漫画家の堂高しげるさん。堂高さんは「全日本妹選手権!!」という作品の中で、柳沢きみおの独特な説教くささがイヤミな「大市民」のパロディーを描き、オタクについてこう述べていました。

 

「かつてオタクに愛されたキャラは最初からオタク向けに作られてはいなかった。世間的な一般の標準的な嗜好を持つ人たち向けの作品にこそ萌えはあり、オタクはそのキャラのプライベートやサイドストーリーを考え、そこからキャラの持っている潜在的な魅力を見つけていた。その魅力を『萌え」と読んでいたのである」と。

 

 本来のオタクとは最初から「お前らオタクが大好きな女の子ってこういうのだろ?」といいたげに大きく描いた瞳、ツインテールの髪など出来合いのデザインを集めて作ったキャラたちにではなく、自らの価値観を頼りにキャラの持っている潜在的なエロスを見つけることのできる茶人みたいな人たちであった。というのです。

 

 この意見を読んだ時、なるほど!と納得できました。これは何もキャラに限った話ではありません。ガンダムエヴァも物語はもともと本編だけの世界に留まっていました。だけど、多くのファンが物語を深く楽しむために設定の空白や矛盾を自らの想像力で補い、クリエイターたちもそのフィードバックを受けて続編や外伝などのスピンオフを作っていくことで世界観を増築していく。 オタクは物語の受用者でありながら、間接的なクリエイターの役割を担っていた。そんな時代は確かにあり、その時代こそが現在のサブカル隆盛の礎になっています。上述したクリエイターとユーザーたちの想像力の握手は減り、ユーザーは受け手に回っている印象を受けます。この漫画の指摘通り「萌え」の女の子のイラストや量産される物語が似たり寄ったりになっているのも結局の所ユーザー側の怠慢であり、その怠慢はマンネリを招きます。妹選手権は西暦2000年前半の作品であり、このオタク=茶人説にしてももう10年以上前のものですが、現在でもその風潮は続いているのではないでしょうか。この先10年後、20年後も現在のオタクたちは変わらずにあり続けるのか。茶人の心意気を取り戻せるのか。現在オタクたちはその分岐点にいるといっても過言ではないでしょう。

 

 このオタク論と現在の日本スゴイ論!や日本のネトウヨ歴史観は「誰かの作った物語」に対して批評精神を働かせず、安易に同調しているという点で共通します。他人の物語に自分自身のプライドやアイデンティティーを相乗りさせようとする人の根性がつくづく情けない。

 

追記:このブログを書いた数日後に、こんな話題。

news.tv-asahi.co.jp

以下リンクの記事引用

安倍総理は最近、自らも始めたインスタグラムを引き合いに出し、地方にインスタ映えする風景を増やすことで観光客を増やしたいと強調しました。また「お寺でミュージカル、遺跡のパワースポットでヨガ。アイデア次第で観光客を集めるキラーコンテンツに生まれ変わる」として文化財保護法の改正案を来年の通常国会に提出する方針を明らかにしました。」

 

 この人には自分にとって言語化出来る文化、つまり自分の根っこというものがまったくありません。だからリンクの記事のようなバカなことがいえるのであり、そんなバカがこの国のトップであるということを僕は憂いているのです。

 

 

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「人生逆転バトル カイジ」をおもしろがる奴は、人間のクズだと思っていい

こんにちは。

 通勤中にスマホでニュースを読んでいて、こんな番組が年末に放映されることを知りました。

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www.tbs.co.jp

 コレはなにかっていうと、週刊ヤングマガジンで連載中の人気賭博漫画「カイジ」シリーズとテレビ番組のコラボ。借金を背負った出場者たちが賞金200万円を賭けて、多くのゲームで競い合うという企画だそうな。このカイジという漫画は単純にいうと、フリーターとして気楽に暮らしていた青年「伊藤カイジ」のギャンブル譚。友人の借金の保証人になっため大金が必要になったカイジは、借金の取り立てにやって来たサラ金業者の遠藤から「背負わされた数百万円もの借金をチャラにできる程の法外な大金を手にするギャンブル」の情報を聞きつけ、金を求めてそのギャンブルに挑むことを決意。カイジは自らと同じ境遇の者たちや、その金に群がる者らをあざ笑う違法金融業者「帝愛グループ」総裁の兵藤和尊たちと文字どおり「生命をチップにしたギャンブル」で洞察力に裏付けられた戦略や、時にはギャンブルのルールや戦っている会場の環境を利用したイカサマを武器に戦いに挑む。という雰囲気の物語です。マンガ自体は持たざる者「カイジ」が知略を駆使して自らを特別と思いあがる兵頭たちを荒唐無稽なギャンブルで勝利する姿が爽快かつ痛快なんだけども全編に漂う「金!」「金!」「金!」な世界観にゲンナリさせられることも多い独特な作品。

 

賭博黙示録カイジ - Wikipedia

 

 番組には原作でカイジたちが体験したおなじみのゲームや、漫画原作の世界観をリアルに再現しているオリジナルのゲームを通じて原作ファンをも楽しませるっていうのがウリみたいだけど、そうはいってもさすがに地上数10メートルもの高さのビルづたいに設置した鉄骨の上を歩かせて競わせる「人間競馬」みたいなハードなものはやらないのでしょう。

 

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出典:賭博黙示録カイジ福本伸行_講談社) 

 

 ただね。この番組を楽しむってことは、このマンガでカイジたちの金を巡る戦いを遠巻きに楽しんでいる下卑た富裕者の観客たちと同類っていうことじゃないか?と思うんですよ。

 

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出典:賭博黙示録カイジ福本伸行_講談社)  

 

 今年を振り返りながら気持ちを新たに新年を迎えるっていう時期に、困窮して大金に群がり合う人たちの姿やドラマ仕立てのドキュメントを見て楽しもうって発想、なんとなく悪趣味だなと僕は思うんだけどね。昔から高額、豪華賞品を謳う視聴者参加番組はあったけど、この企画はそのどれとも異なっているような雰囲気。

 

「人生を逆転したい…
とにかく金が欲しい…」

 

 番組紹介ホームページにはそこら中に「金が欲しい」「金が欲しい」と書きまくり、出場者らを「借キング」だの「クズ」だのといった汚い言葉で囲む。いくら演出とは分かっていてもそれらは僕をひどく不快な気分にさせてくれる。ヤラセだか本気だかしらないけれども、こういう番組をわざわざ年末年始に持ってくる制作も、それを観るだろう視聴者らのセンスを疑いたくなる。たぶんだけども、この番組の企画書は 「自分が報われてないと考えている人が自分より不幸な境遇の人たちの争いを見て、自分はコイツラよりまだマシだろうと溜飲を下げさせることを企画の目的としている」とかいうことが書かれているんだろうなぁと僕は思う。

 

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 ※漫画っていうフィクションを現実に持ち込もうとする発想がそもそもキライ

 

 

やっぱり高級な食事には分相応、不相応があると思った

 

こんにちは。

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 本日は11月29日で「いい肉の日」だそうで。「いい肉」というといつも思い出す話があります。12年ほど前かな。社会人になり、給料を稼げるようになったある日。意中女の子を誘ってちょっとお高めの店へ二人で食事に出かけた時のことでした。そのお店の名前を具体的に書くことは控えさせてもらいますけど、ドレスコードで「スーツ着用」とされている、それなりに名店とされるお店でした。

 僕とその子も多少緊張気味ではあったけれどもその独特の雰囲気や、出されてくる料理の美味しさを味わっていた時、ふとナナメ向かいの家族連れのテーブルが目に入ったのです。子どももその両親と思しき男女も大人しく静かに座ってはいたけど、その醸しだされている雰囲気からいかにもこういった場所での食事に慣れてなさそうな異質感がめちゃくちゃ漂っていました。そうはいってもウチらも同類みたいなもんだったんですけどね。その家族の子ども(男の子)が肉料理を食べている時にギャルソンが、食べ終えた男女の皿を下げに来たのです。男の子はたぶんだけど、そのギャルソンに気を使っていたのでしょう。お店の料理をこう褒めたのです。

「おじさん、このお店のナイフすごくよく切れるね!」

 その瞬間、隣にいた女性が男の子の頭をパーンと叩いて

「お肉が柔らかいといいなさい!!」と怒鳴ってお説教。僕も思わず、飲んでいたお酒を吹き出しました。結局のところ良くキレたのはお店のナイフではなく、その女性の方だったっていうちょっぴり盛っているけれどほぼ実話のエピソードでした。

 

 


 

 

※いやべつに、人生まで変えたいとは思わないけども、ある程度のマナーは僕も身につけるべきだな。

結婚は難しい?いや、簡単!彼女いない歴=年齢の僕も結婚できたから。

こんにちは。

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    本日のテーマは「結婚」。彼女いない歴=年齢(38)の僕の友人が、めでたく結婚となったことを人づてで知ったためです。結婚を決めて調子こいている彼曰く「結婚って思ったよりハードルの高いもんじゃなかった」ということだけども、同じく彼女いない歴=年齢だった自分も実を言うとそう思ったりしています。

 

konkatsu-seed.com

 

 世間にゃこんな結婚への不安を煽る記事も多いけど、結婚って男女を問わずそんなにハードルの高いものではありません。彼女なし歴36年だった僕も胸を張っていいます。運やタイミングなどという要素もあったとは思う。だけどこれらの要素もきちんとコツを抑えればいくらでも結婚に有利な環境でを作れますよ。



 そのコツとは「結婚したいのか、モテたいのかを切り分けること」だと僕は考えます。これ重要。

異性にモテる。
結婚できる。

 この両者は似て非なるものです。僕は長い間、このことに気づかなかった。異性にモテないから結婚ができないと思い込んでいたためにモテるようにならなきゃいけないと思い込んでいた。さらにいうと好みのルックスだけど結婚願望のない娘を好きになり、その子に好かれるため「自分磨き」にハマるという不毛なループにハマり込んでいた。このループにハマったことにより結婚のために必要なモノがわからなくなっている人も少なくないだろうと思われます。実際にまだ巷には「自分に磨きをかけて、好きな人に好きといわれて結婚を目指そう」というテーマのブログが多くあったりしますから。

 

 このブログを読んでいて結婚を考えているけれどご縁がない。という人に問いかけます。「あなたはモテたいのか?結婚したいのか?」コレ、マジで重要な点。僕のことも含めて語らせて貰うと「モテない男」ってのはすごく自尊心が低くて卑屈な性格になりがち。だからこそ、異性にモテたい。モテる自分に変身してから、意中の人を狙ってゲット!!みたいなことを考えるんだけど、それ遅ぇよ。自分自身の経験になりますが、上記の理由で「男磨き」のため2ヶ月で10kg減量した事があります。じゃあ、それで自信ついたのかというとNO。自分が変わったことが楽しくなってきて、自分磨きにどハマリしたため、どこまで続けたらいいか分からなくなりました。さらにいうと意中の娘を振り向かせるにはまだ努力が足りないという妄想にハマった挙句、その娘を振り向かせることなどはできず、自己嫌悪に陥るといったオチになりました。

 20代の頃だったらまだフラれても別な人を見つける時間はあるけど、30代でそんなことをしてたら時間だけを浪費していく結果にもなりかねません。さらにいうと新しく好きになる人を見つける事も精神的にしんどい。キツいけど現実的に男も女も35歳を越えたら、結婚市場で買い手の減りが目立つようになります。

 意中の相手とお付き合いできて結婚する。これは確かに、ベストな展開です。だけど人生、そうそう思い通りにはいかないのが常。ある程度の年齢になったら好きな相手を振り向かせるのではなく、出会いを通じて相手を多くの角度で分析したうえで好きになれるか?結婚してやっていけるか?を見極めていき、2人で意識をすり合わせをしていくほうが結婚に近づけると僕は思っています。別に結婚を考えずにただ、モテたいというのでしたらモテる男の情報商材をどうぞ。30~40代でモテたい男の商材とかそういうのもあるみたいだけどただ、いい年こいた大人になって「モテたい」ってどうなの?とは思いますけどね。

 

 「好きな相手を振り向かせる」より「好きになれそうな相手を探して出会い、お互いに意識合わせし合う」ほうがいいと書いたものの、その「意識合わせできる」人との出会いそのものがない」という声もあるだろうと思います。確かにごもっとも。そう考えると僕は本当に幸運だった。「出会い」というものについてはご縁によって作られるため、単純な努力だけではどうこうできるものでもないのかもしれません。ただ、そういった「ご縁」を作ることができるのは本人の努力のみであるというのも事実です。重要なのは努力の手段を間違えないことだと思うのです。

 それを踏まえてみても、やはり「モテる自分になる」という努力は誤った方向に向かいがちだと思います。仮に僕がネットにありがちな情報商材などに従ってモテる男になり、女性にモテたとしましょう。白状させてもらうと、僕も恋愛系の情報商材を買ったことがあります。マジで(大笑)

笑え!笑え!

 

 「俺の言うとおりに行動を起こせばオンナを抱けるぜ!」と語るその情報商材を熟読するうちに、「でも、そのマニュアライズされた対応で女性を引っ掛けられるようになったとして、その後はどうしたらいいんだよ?」という素朴な疑問が湧いてきたんたけども、その商材にはその回答がありませんでした。そんな商材でも読んでいりゃ人によってはその気になってくるんだろうけど、僕は冷めました。そこにあったメソッドはなんか心理学を応用したものであり、どことなく洗脳を思わせるものでしたが、それゆえその手段で女性と付き合えても「洗脳が解けるのも早いだろう」と感じたし、そんな簡単に男にホイホイついていく女性が結婚を真剣に考えることはありえないだろうなと考えたからです。また、商材の体験談も僕を興ざめさせました。30~40代で未経験から100人斬り達成!と戦果を誇る声などをみると、いい年こいた大人が人数自慢っていうのも痛々しいし、それを嬉々として語る声には共通して「コイツ仕事できねぇだろうな」と思わせる頭の弱さがひどく漂っており、それだけで満腹。

 オンナにモテない。商材を頼った100人斬りもバカっぽい。そんな自分はどうしたらいいんだ?考えた挙句に行き着いた答えは「まず、僕のモテたいという発想を捨てよう。こんな自分でも気に入ってくれる物好きはどこかにいる筈。日本は広いんだ!」っていう根拠の無い思い込み。その思い込みをエネルギーに、できるだけ自分の好みとか苦手なタイプなどの先入観などを捨て、出会いのチャンスを広げた結果、僕も結婚できたのです。自分のこだわりを捨てる事が思わぬ活路を開くこともある。僕は結婚でそのことを学べました。もったいないのが、曖昧な関係を匂わし続けている異性と惰性で関係を続けるパターン。いっておく。「そんな奴とはさっさと見切りつけろ!ひどい目にあうぞ!」

 

 これは彼女いない歴36年を記録した、自分の辛い過去に学ぶ教訓。彼女ほしい人や結婚したい人は見込みの薄い相手にこだわらず、貪欲に出会いを求めた方が絶対、結婚の近道です。その手段としてもっともてっとり早いのが合コンだけど、こんなひどい合コンもあるので注意。

 

arrow1953.hatenablog.com

僕の経験則からいえる合コン相手の鉄則は以下の3つ

 

①ディープな知識や趣味を持つ異性は避けろ
②ディープな知識・趣味をひけらかすな
③趣味が自分と同じ相手を避けろ

 

ではこの鉄則について順を追って説明させていただきます。

①ディープな知識や趣味を持つ異性は避けろ
②ディープな知識・趣味をひけらかすな

 合コンの目的というのは男女の出会いであり、それは常に可能性を秘めています。たとえその合コンで男女の仲になれなくても、合コンで生まれたコネが新たなコネを作っていき、それが将来的にハッピーをもたらすことも充分にありえるので、そこでアセってがっつく必要もありません。できるだけ周囲と話を合わせて仲良くなり、そこで仲良くなれそうな相手がいたらアプローチしてみて、手応えがなかったらそこで手を引いて「相手に自分を好きになって貰う」のではなく「友達になったら面白そうだなと相手に思ってもらう」作戦に変更。うまく友達になれたらタイミング次第で再度、相手に挑戦もできるし、友達になった相手が別の相手を紹介!っていう流れもありえる。若い頃の僕はそこが分かっていませんでした。
 

   20代の頃、アニメ制作の経験があることから、アニメ好きの男女の集う合コンに参加させてもらった事がありましたが、僕はそこで最もダメなのは相手との自分の接点を探そうとしない人だということを学びました。以前から書いているように、アニメの事はそれなりに知っていても没頭するほど好きではない。そんな僕を横目に、僕以外の男女は合コンの参加者それぞれの大好きな作品の話題を振り合っていました。その話に入っていけずに、僕はただボーっとその光景を見つめているだけでしたが、ある女の子が僕に「AM君って、表面的に明るそうだけども意外に人見知りだよね」と声をかけてきたので、その話を聞いてみると

AMと女の子の会話(以下)

「え、そうかなぁ?」
「そうだよぉ。人見知りっていうか繊細な人なのかな。常に周囲に気を使ってる感じ」
「うーんまぁ、そういう面も意外とあるのかもね。」
性格から判断すると・・・うん、たぶんAM君は操作系かな!」

女の子はHUNTER×HUNTERの大ファンでしたとさ。頭の中で「?」マークが渦巻く中、僕の近くにいた自称ガンダムオタクの女の子がこう補足。
「あーわかる!で、AM君がガンダムに乗るとしたら、多分Zね」
 

 話が全然わからず、僕はこの時合コンに来たことを、心底後悔しました。 話の意味が全然分からず、彼女らは自分だけの世界で自分だけの内輪ウケ。相手を楽しませる会話ができない連中に心底僕は腹を立てました。

 

ここまでが①と②について。次は③について。

 

③趣味が自分と同じ相手を避けろ

 ③は相手を見つけるのには理想的に思えますが、 趣味といっても当たり障りの無い程度だったら別に問題ありません。僕の言っているのは趣味についてディープな愛情を持つ男女たちの集いです。この手の合コンは趣味が同じだから話も合うだろう、という期待を抱いて集まったくせして、お互いに話を進めているとどうしてかだんだんと対抗意識みたいなものが生じ、最後にはこの集団の中で「最も知識を持っているのは俺、私」とでもいいたげな自我がもたげてきます。
   

 以前、同席させてもらった上記のような合コンでは、みんなが最初に好きな小説、映画、マンガ等を言い合って和やかな雰囲気だったけど時間の経過とともに、互いの会話からお互いの知識を探りあうような空気に変わり、気づいたらだれがこの中で知識量の天下を握るかを争いあうという会話のバトルロイヤルになっていました。笑顔で対話しながらも瞬時の間で見せるしかめっつらと敵意、対抗心、さらには「露骨な舌打ち」も。
 

 「僕、この映画、小説が好き!」「私も!」で抑えときゃいいのにキャラのセリフや映画監督の演出、照明効果、文章の形など普通の人からしたらどーでもいい瑣末な点についてのこだわりを捨てられずにそれぞれの知識の品評会に突入。この結果、参加者の胸に残ったのはお互いへのわだかまりだけでしたとさ。

 

 ただ、なにも同じ趣味を持っているカップルがうまくいかないという話でもありません。うまくいかないパターンに陥るのは自分か相手のどちらか、あるいは二人そろってディープだった場合によく見受けられます。 そういえば精神科医香山リカさんは昔から大のプロレスマニアで若い頃ある男性と仲良くなったけど、その相手は新日本プロレス派。自分は全日本プロレス派でどうしてもうまくいかなかったというエピソードがあったのをふと思い出しました。

 

nikkan-spa.jp

以下、上記事の引用。

 

 その男性は基本的には新日本プロレス好きで、ほかにも女子プロレスもよく見ていた。一方、私はいちばん古い思い出が両親に関してではなく馬場さん、という馬場原理主義者だ。彼氏とちょっとした価値観や意見の食い違いが目につくたびに、私はどうしても「やっぱり猪木イズムで生きている人は違う。わかりあえない」と思ってしまう。
 

 猪木イズムで生きている人とは分かり合えない。名言だ。ただ、香山さんのケースとは異なり、両者の話が噛み合いすぎたためにお互いの話のネタが枯渇してうまくいかなくなることもあったりする事もあったりします。20代の時、周囲の助言を受けてYahooパートナーで相手を探していました。こういうサービスってたいてい男性から女性に対してアプローチのメールを送るもんなので、女性の自分PRなどを参考に確実に返信をもらえる人を探します。メール返信の確率をあげるコツは、メールで女性に「コイツは私の趣味を分かってるな!」と思わせることです。そこで僕は、ある短編小説をハンドルネームの元ネタにしている人を見つけました。んでもってこの女性に「あなたのハンドルネームの元ネタってこの小説?」というメールを出してみたのです。

 

 数日後。「男性から100通ほどメールを貰いましたが、元ネタに気づいたのはAMさんだけでした」というメール返信を貰い、僕は勝ち誇りましたね。でもって、彼女と僕のメールの交流は始まりました。最初はその短編小説や他の作品などについて一日に数度もメールをやりとりしており、そこから二人でさらに別の作家、別の作品、話をそこから派生させて映画とマンガ、その他の雑学などに話を広げていったのですけど、この辺りからお互いのメールの勢いがだんだんと落ちていったのでした。結果的に「お互いがお互いのディープな話に疲れて」いき、メールでのやり取りも打ち止めになりました。
 

 実を言うとこの性格を直せたのはつい最近の話です。妻に出会う前、いいなと思った読書好きの女性と仲良くなり、「赤毛のアン」を勧められたので、いい機会と考えて赤毛のアンシリーズ全10巻を二週間で読破。内容を覚え、物語の人物相関図を頭に叩き込んで対話に挑んだらドン引きされました。その人は最初の3作ぐらいしか読んでいなかったそうで。赤毛のアン好きだというんだったら全作読めや!モンゴメリに失礼だろ!とキレそうになるのを僕は堪えました。

 

 僕のそういう情報オタク的なパーソナリティーは男女の付き合いについて、プラスにならないこと。たとえ女性が「知識の豊富な人がタイプ」とかいっても過度なものは求められてはいないんだ。と学べたからこそ僕は結婚できたといえます。 何事もほどほどにっていうことなんでしょう。

 

上記の話を参考に、皆さんにもいい出会いがあらんことを!

 

seikatsu-hyakka.com

 彼女いない歴=年齢となりやすい人の共通点を22個も羅列した上記のサイトを読んでいて、「やめてあげて!!」っていいたくなった。もう、こりゃいじめだわ

 

 

 

※結婚はそんな難しくない。寧ろその後の継続こそむずかしい

 

 

 


 

 

※いくらこだわるなといっても30分はどうかと思う。

企業への内定辞退に悩む学生に読んでもらいたい「日本でいちばん大切にしたい会社」

こんにちは

 サブカルだけでなく、サブカルと世相を絡めた話題についても多く取り上げるこのブログ。本日のテーマは「企業の内定辞退」。

blogos.com

www.huffingtonpost.jp

 

 就職氷河期と呼ばれる時期に学生だった僕からしても「そんな時代になったんだなぁ」としみじみ思わせるものがありますが、恨み節などはありません。企業への内定辞退?大いに結構!ってのが僕の意見です。派遣社員などの「非正規雇用などが増えた時期に「派遣は雇用の調整弁」って言葉が流通したことが、かつてありました。それはつまり「非正規労働者は企業の正規雇用者や利益を守るためだったら蔑ろにしても問題ない」ということを意味するひどい発言なのですが、考えてみたらこの国の企業はバブル以降、非正規や就職を求める学生、さらに企業で働いている社員など誰かしらを調整弁にしてきたのです。僕も中小ながらも企業人として働く身だからこそ企業の欲する人材に逃げられる「内定辞退」というのはきわめて憂うべきことではあるけど、企業の調整弁とされてきた人材に手の平を返されることで「内定辞退は企業の調整弁」という状態となり、人材不足から淘汰される会社が出てきたところで文句をいう筋合いはありません。もしも企業が「内定辞退」という事態に直面させられて悩んでいるんなら「なぜ学生は弊社の内定を蹴ったのだろう?」と考え、人材とは何か?と自問自答することから「働くとはなにか?」「企業とはどうあるべきか?」を構築してみようといった発想を持つことこそ企業の大好きなお決まりセリフ「ピンチをチャンスに変える」っていうやつじゃないでしょうか。

 

 さて本題。最近こんな漫画を買いました。

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 この漫画は自称「いつでもどこでも現れる普通の日本人」が各地を巡り、多くの人に理想論と揶揄されがちである「企業は社会の公器」を体現するかような活動、経営などを長年続けている企業を幅広く紹介する「日本でいちばん大切にしたい会社」のコミック版。この作品に紹介された企業は以下の通り。

1、富士メガネ

 北海道のメガネ製造・販売会社。社員半数以上が認定眼鏡士の資格を持っており、「モノを見えるようにする」メガネ屋という観点から人道支援をスタートさせる。難民キャンプに社員が出向き、一人ひとりにあった眼鏡を提供。

http://www.fujimegane.co.jp

2、中村ブレイス

 島根県のメーカー。事故や障害などで欠損した身体の部位を補うための義肢・義手などを製造・販売。

http://www.nakamura-brace.co.jp

3、未来工業

 岐阜県の電気設備資材、排給水設備メーカー。社員は常に頭を使って価値を作るべき。「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」や価値観の横並びを「マンネリズム」の温床といって嫌い、社長の「社員の不満を消すこととやる気を育てることのみ!」という極めてまっとうな持論を語る社長がユニーク。

http://www.mirai.co.jp

 

4、大谷 

 新潟県のはんこ専門店で全国に135店舗を展開。社長自身が重い病気を患ったことから「利潤の追求だけを求めるのが企業ではない。障害を持つ人にも働く喜び、幸せを作るのも企業の務め」との考えを強く抱き、障害者雇用に注力。

 

https://www.hankoya-otani.com/

 

5、ラグーナ出版

 精神保健福祉士として病院に勤務していた社長が精神病院の入院者・外来患者・医師・看護師と文芸誌「シナプスの笑い」創刊。その本が口コミなどで話題になり、NPO法人だった活動を会社化。

http://www.lagunapublishing.co.jp

 

6、サイボクハム

 農家の次男坊だった創業者が日本の食料自給率を憂いて牧場を経営。養豚という立場で良質の食用肉豚や後継者育成に取り組む。また、畜産と農業不可分として、肉加工品や農産物も作成。

http://www.saiboku.co.jp

 

 このブログでは企業のさわりのみ紹介させて貰うので、興味あったら本を読んでみたり、リンク先の企業ホームページを覗いて調べてみて下さい。こので紹介されている企業の取り組みや理念がどこまでも理想論なのかどうか?それを決めるのは社会人となって未来を担う学生や、現在社会人やっている僕ら

 


 

 

※内定囲い込みのため、高級レストランやテーマパークに招待、Ipadプレゼントなどモノで学生を釣ろうと考えている企業もあるそうですが、そういう会社に就職するのは辞めたほうがいいすよマジで。モノで人を釣ろうとする会社は結局のところ人を「モノ」としか考えていないだけなので。ってかそういった底の浅い会社がこの国にまだ多くあることを社会は憂うべき。

 そういう僕も企業の内定を蹴った経験あり。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

映画「キラキラ☆プリキュアアラモード」の感想。おっさんが観たっておもしろい!

こんにちは。

 

 先日の話になりますけど映画館で劇場版の「キラキラ☆プリキュアアラモード」を妻、娘と一緒に観てきました。

 

www.toei-anim.co.jp 

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プリキュアアラモード=スイーツ+動物 

 プリキュアっていうのは小さなマスコットみたいな妖精から変身できる能力を与えられた女の子たちが力を合わせ、世間を混乱させる怪物たちと戦う形式のアニメで、今年でもう14年にもなる人気作品。主役も代替わりしており、今回は12代目。変身のモチーフも最初は戦隊ヒーローの「秘密戦隊ゴレンジャー」みたく「ブラック」「ホワイト」など、色のみのシンプルなものからそれに「花」、「音楽」、「お姫様」、「魔法使い」などの女の子ならではの要素を加えバリエーションも豊富になっていき、現在のプリキュアアラモードは「スイーツ」と「動物」が変身後の姿のモチーフになっています。

 

①ショートケーキ+ウサギ+ピンク=キュアホイップ

www.youtube.com


②プリン+リス+イエロー =キュアカスタード

www.youtube.com


③アイス+ライオン+ブルー =キュアジェラート

www.youtube.com


④マカロン+ネコ+パープル =キュアマカロン

www.youtube.com


⑤チョコレート+イヌ+レッド=キュアショコラ

www.youtube.com


⑥パフェ+ペガサス+グリーン=キュアパルフェ

www.youtube.com

   
 どんな作品かは上記の公式映像をご覧いただければ分かるかなと思います。

 

プリキュアをおっさんが観たっていいだろ!

 さて本題。10月28日公開となったこの作品、なんと初日と2日目だけで17万人を動員、興行収入も1億9000万円を記録する大ヒット。こどもだけでなく「お付き合い」のつもりでこのアニメをご覧になる保護者も楽しめる内容になっていました。僕の場合、お付き合いのつもりが気づいたら本気でこの作品を観ていたっていう感じなんだけども。ってか、おっさんの自分もこの映画めっさ楽しかった。理屈抜きにおもしろい。

www.oricon.co.jp

 


 物語についての詳細は映画を見に行く方もいらっしゃると思うので書きません。ただ、この作品で共感できたキャラクターの「ジャン=ピエール・ジルベルスタイン(左のおっさん)」について今回は書きます。

   

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 80年代オタクの美学を見たプリキュアの物語

 このジャン=ピエールというおっさんは世界的に若手の天才として知られるキュアパルフェこと「キラ星シエル」がパリでの修行時代にお世話になった師匠。ただ自分のお店は持たず、自宅にこもり続けて理想のスイーツを追い求めるあまりに、家賃の支払いにも窮する貧乏生活を強いられています。そんなジャンの高い実力を惜しんで支援を申し出る人がいるのにも関わらず、当の本人はそんな話にも全く興味を示さずにただ一人、厨房にこもってメニュー作りに励み続けるのみ!という極めてストイックな人物。ご想像どおり、この物語のカギを握る男でもあります。

 

 それでね。僕はこのジャン=ピエールというキャラクターに「80年代〜90年代のオタク」の姿を見たんですよ。現在みたいな自称オタクのはびこっている時代じゃなく、「他人なんて知ったこっちゃねぇよ!俺が俺の好きなもんを追い求めているだけだ!」っていうストイックさを持ち、他人に理解されないどころか周囲の人に気持ち悪がられることも多かった、あの時代のオタクです。

 

 今でこそ「オタク」って単語を気軽に使っているけれども、冗談じゃありません。オタクってそんな甘いもんじゃないのよ。上述したとおり、オタクなんて本来、周囲の人に叩かれても文句言えない立場にありました。それでも自分の中にある「好き」を捨てなかった強者、ニーチェ言うところの「能動的なニヒリスト」こそ真のオタクだった。信じるものはあくまで自らの価値観。他人に同意なんて求めない。そんな人たちが社会で上手くやっていくため趣味を隠したりなどして、現実の世界と自分の世界の折り合いをつけながら戦っていたのです。その集団の中から突き抜けた人たちが集って作品を作ったり論評を書いたりして、気づいたらそれらが注目を集めていき、現在のサブカルの土台になっていったというのがこの30年前後のサブカルの光景であり、その様を僕も見てきました。あの時代を知っている自分からすると、クールジャパンなどという単語にのっかり、自らの趣味を世間に認めさせたいとする現在の自称オタクのぬるさがキライ。自分の好きなものを正当化するために「世間の認知度」に縋ろうという弱さが情けなくてイヤ。ハッキリいって政治、経済、文化にサブカル的な価値観のない交ぜになっている、だらしないこの国の空気そのものが不気味で仕方ありません。

 

 そういやガンダムの富野監督が続編の「Zガンダム」制作発表会見でたかがアニメ、サブカルでしかない自分の作品にいい年こいた大人や社会が群がっているのにイラ立って「うつになるのでお前ら、アニメを見るの辞めろ!オタクどもを全員殴ってやる!」という発言をして怒鳴ったこともあったそうですが、たぶん富野監督の苛立ちは現在の「自称オタク」どもには届いていないだろうなとも思う。知ったこっちゃないけど。

www.oricon.co.jp

  

 この記事の写真にあるようなコスプレだって昔は、人におおっぴらにいえるもんじゃありませんでした。そういえば高校時代にコスプレを趣味とする女子が僕の隣の席に座っており、その子がある日、意を決して自らのコスプレ写真を見せてくれた事がありました。確かドラクエⅣのアリーナだったかな。で、「AMはこういうのどう思う?」と聞いてきたので「コスプレをやったことはないけど、アニメージュアニメディアとかで知ってる。別にヘンとは思わない」と答えたら、その子は安堵の表情を見せました。そして「AMだったらそういってくれると思った。あんたは私たちと同じような匂いがする」とかいわれたことから「オタクの嗅覚ってすげーなー」と強く感心させられたもんです。

 

 自分の趣味を人に伝えたくてもオタクってバレたらどうしよう。という葛藤を抱えたうえでの彼女のカミングアウト。その彼女の姿がある意味で自分にとってオタクの原風景なんですけど、それを考えるとコスプレ姿を自撮りしてインスタにあげたり、「いいね!」をもらえたりする時代ってほんとに恵まれていると僕は思う。

 

  この先も僕は「大きなお友だち」としてウルトラマン仮面ライダー、その他サブカルを愛するでしょう。そんでもって周りの人から「いい年こいた大人がみっともない」と嘲笑されるでしょう。だけどそれは正しい。まったくもって正しい。本来アニメも、マンガも特撮もゲームも子どものもの。それを僕らがただ手放せないだけ。常識で考えたらそんな大人ってみっともないし、笑われて当たり前。だけども僕はそれでいい。僕もまたそれらを手放せずに40歳を越えて、そんな自分の幼稚さはすごく理解している。それをクール・ジャパンとかジャパニメーションだとかの「日本の新たな文化」とでもいいたげな形容詞で逃げるつもりも僕はありません。それは80年代のオタク、その周囲の空気を知る自分なりの作法といえるかもしれません。