サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

「立候補」 -僕らにマック赤坂さんたちを笑う資格はあるのか-

こんにちは

今回は「泡沫候補」というマイナーな立場の人から選挙について考えてみようと思ったので、このブログを書いています。

 

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コレは前々から紹介している 映画「立候補」のホームページのTOP写真です。

選挙という戦いの勝利した「当選者」は当然、メディアを通じて多くの注目を集めますが「敗北者」はただひっそり悲壮感を漂わせ、舞台を降りていく。選挙特番などでもよく見る光景です。
だけど。そんな敗北者の中には「本気で当選する気があったのかな?」と思わせる奇抜な人たちもいたりします。ある人は演説の場でコスプレを披露したり、またある人は周囲の眼を気にせずダンスやラップなど理解できないパフォーマンスを公衆の面前で行ったり。私たちはそんな彼らを「泡沫候補」などと呼び、メディアでセンセーショナルに扱われた彼らを「奇人変人」「面白い情報」として消費するだけで、決して彼らを「政治家」とは扱いません。この映画は、日本で選挙に勝つために必要となる地盤、看板、カバンをもたない候補。いわゆる「泡沫候補」の選挙活動にスポットを当てたドキュメンタリーの作品なのです。

 

選挙に出馬しても当選できるとは本人以外、誰も思ってない。ヘタしたら、何度も何度も落選の憂き目に遭って自分さえも当選できると本気で思っていないのかもしれない。それでもこの人たちは、高額な供託金を支払い、議員を目指し続けます。

ブログの冒頭で紹介した映画のポスターに使われている写真。顔を覆っている候補者の横に記された 「あなたはまだ、負けてすらいない」というコピーを見ていて、僕は言葉に詰まりそうになりました。誰だって負けるのは辛くてイヤです。痛み、悔しさ、悲しさ、惨めさ。それらをひっくるめて味わうのだから。

だけど。

あなたはまだ、負けてすらいない。

このコピーを見ていると現在の政治に不満を抱きながら選挙権を自らの手で放棄したり、選挙だけ参加して後は他人任せな僕らと、周囲の失笑を浴びながら数百万円のお金を自分で払って自分の意思を政治に反映させたいとあがく泡沫候補の人々と、いったいどちらが本当の民主主義者なのだろう?と考えさせられます。

僕がこの映画の事を知ったのは小説家の高橋源一郎さんのコラムがきっかけでした。長いので一部引用。

朝日新聞 論壇時評「立候補する人々 ぼくらはみんな泡沫だ」

(以下のブログより)

 

「彼らは、奇矯な格好で登場し、時には演説や政見放送で、突拍子もないことを言って、失笑されるだけの存在だ。正直にいって、ぼくも、そんな風に思っていた。だが、彼らの選挙運動を追いかけたこの映画を見て、ぼくの浅はかな考えは打ち砕かれた。彼ら「泡沫候補」の方が、映画の中に出てくる「有力政治家」の橋下徹安倍晋三よりずっとまともに見えたのだ。(中略)

ラスト近く、総選挙投票前夜の秋葉原マック赤坂は、安倍晋三の登場を待つ万余の群衆の前に現れる。そして、すさまじい罵声や「帰れ!」コールを浴びながら、たった一人で踊り続ける。その姿を見ながら、ぼくは気づいた。あそこで「ゴミ!」と群衆から罵倒されているのは、ぼくたち自身ではなかったろうか。

ぼくたちは、この世界は変わるべきだと考える。だが、自らが選挙に出ようとは思わない。それは誰か他の人がやることだ、と思っているからだ。いや、もしどんな組織にも属さないぼくたちが選挙に出たら「泡沫」と呼ばれ、バカにされることを知っているからだ。そんなぼくたちの代わりに、彼らは選挙に出る。そして、侮蔑され、無視され罵倒されるのである」


高橋源一郎の論壇時評(6月)|さぶろうの WORDS OF LOVE

 高橋さんの指摘が的を射ていたとしたら、こんなに残酷なことはありません。 地盤や看板を持たず政党にも属さないため組織力も知名度もない。選挙を戦うための資金だって乏しい。そういった孤高な戦いを強いられるマック赤坂さんら泡沫候補が選挙を戦うには、人からの注目を集める奇異なパフォーマンス以外に手段が無い。だけどもそれらは逆に人々を敬遠させ、「変人」であるという認識をさせる事になる。このどうにもならないジレンマに陥らせているのは闘おうともせずに、闘う者をあざ笑う僕らである。

 そんなことを考えているうちに、この記事をどんな言葉で締めくくるべきなのか僕はわからなくなりました。だから、本日のブログはこのキャッチコピーをもう一度引用したいと思います。

「あなたはまだ、負けてすらいない」

戦いに加わらないから勝利も敗北もない。自分を含め、そんな人たちに「精一杯戦い敗北した」人を笑う権利があるだろうか?僕も、あなたも。

映画やインタビューでマック赤坂さんは候補者について「誰もがみんな、自分を賭けてこの国の政治に参加している」と語っているけど、この話に嘘はないんだろうなと僕は思います。もちろん泡沫候補には単なる売名行為を目的としている人もいるだろうけど、この「泡沫」という簡単な単語でくくられた候補者には僕たちと同じく現在の政治に失望を抱き、独りよがりかも知れないけれど、この国の将来を多少なりともよりよくできたら!と本気で考えている人だって多いはず。 世襲議員みたいなコネも地盤も知名度を持たないなかで懸命になってあがく人たちを、まとめて「泡沫候補」と括って笑いのネタにして罵倒する。だけど実際に笑われるべきは泡沫候補なのか?自分の暮らす国をより良くできる「選挙」というせっかくの大チャンスを、半数以上の人がドブに放り捨てているこの国の大人達のほうなんじゃないか?

衆議院議員選挙 | 公益財団法人 明るい選挙推進協会

 

これは建前論、理想論ではあるけど、選挙は本来候補者が国、地域のあるべき理想を周囲に問いかけたうえで投票者が候補者のビジョンを吟味して、自分の考えの代弁者を選択する手続きだった筈。1993年にこの国はその理想を現実化するという触れ込みで「政治改革」の名の下に小選挙区制を導入しました。

その政治改革から20年後。当選者が1人になるので中選挙区制時代よりも政策本位な選挙になるといっていたけど、実態は当選者が1人となったため、各地域で組織力を持つ人が圧倒的有利な選挙に成り果ててしまった。泡沫候補は強大な組織力を前に、個人が太刀打ちできないという現実に対する失望と、その現実を前に個人で闘うことを諦めない人たちがいることへの希望を僕に突きつけてきます。選挙の勝利、敗北も重要なんだけど、少なくてもこの人たちは自ら政治に積極的に関わろうとしている点において選挙を放棄した人よりも無責任じゃない。僕はそれは声を大にして訴えたい!