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サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

特撮ヒーローとセーラームーンにみる変身の違いを考える

こんにちは

職場近くのコンビニで、セーラームーン一番くじが発売中である事を知りました。


一番くじ | 一番くじ 美少女戦士セーラームーン

 

今年はセーラームーン20周年だそうで。セーラームーンのTVアニメ放映、少女漫画雑誌「月刊なかよし」での連載は僕が中学三年~大学あたりまでの頃でした。当時はまだ「オタク」が今ほどの市民権を得ておらず、男性の大きなお友達セーラームーン好きを

おおっぴらにできませんでした。そのために男性のセーラームーン愛好家たちは、かなり肩身が狭い思いをしていたのではないでしょうか。とはいっても、いくら社会がオタクについてある程度の理解を示していても男性がコンビニでセーラームーンのくじに興じているのを見たら、正直言って引きますけどね。くじだけに。

さて本題。

セーラームーンというマンガはどのジャンルに属するのかを考えた時、おそらく「バトル系」でなくて「魔法少女系」ではないだろうか?と僕は考えています。 日本のサブカルで「魔法少女」をテーマとするアニメ、マンガ作品は横山光輝の 「魔法使いサリー」がこのジャンルの最初であり、この後「魔女っ子メグちゃん」や「魔女っ子チックル」、「魔法少女ララベル」等の系譜で受け継がれていきます。彼女たちは自らの万能な魔法を使って、周囲のトラブルを解決したりするけど、80年代以降にこの万能な魔法を使う女の子は少なくなっていき、代わりに台頭してきたのは 「魔法のプリンセスミンキーモモ」、「クリィーミーマミ」「ペルシャ」「マジカルエミ」などアイテムを使う事で自分が大人の専門職になり、自分自身の職業スキルでトラブル解決にあたるタイプの主人公達でした。例えば周囲にけが人がいたら看護師に変身をして人助けをしたり、自宅の近くで喧嘩があったら女性警官に変身してトラブルの解決を図ったりなどなど。

だけどもこれって魔法少女とはいわないんじゃないのだろうか?サリーちゃんみたいな万能魔法を使ったほうが合理的だし、百歩譲って変身だったらウルトラマン仮面ライダーみたいな万能の力を持ったヒロインになるべきだろう。 長年こういったことを、フェミニズムの視点で考えてきたけどふと気づきました。これらのアニメが放映された「80年代」の日本はバブルによる好景気。もちろん格差はあっただろうけど男女ともに相応のお金を手にできて、自由に使える環境が整っていた時代でもありました。働く事によって女性もそれなりのお金を手にして自由に生きる=大人になって自立をする。つまり、この時代の女の子にとって万能の力を得るという事は自立した大人になること。だからこそいきなり大人になれるという事が、物語の主人公達にとって最高の魔法だったんではと思うのです。

セーラームーンの戦士達は地球を狙う悪と戦うヒロインでありながら、変身スタイルはクリーミィーマミ達と同じく着せ替えです。ここにセーラームーンが80年代魔法少女の正当な後継者である根拠を見出すことができるのでは?と僕は考えます。セーラームーンたちは変身の際に、

「○○○○○○(自分の守護星。木星や金星など)パワー」と叫んだ後「変身」じゃなく、「メイクアップ(化粧)」とセリフを続けて変身を完了させる。これは女の子にとって「闘いを挑む(問題の解決にあたる)」ための手段は「自分にメイクをして大人になる事」だということを暗喩しているんでは?という解釈もできるのです。補足になりますけど、ドレスアップやメイクアップの魔法を使う魔女っ子の系譜は現在もリリカルなのはまどかマギカに続いています。どの作品でも、ポイントになるのは姿格好の変身によって少女は大人としての自分を獲得して、物語で困難に立ち向かっていくという点にあるのです。

さて、では男の子はどうでしょう?

男の子の場合の変身は「人知を超えたモノへの融合」です。ウルトラマンと融合したハヤタのように。仮面ライダーに改造された本郷猛のように。

男の子にとって変身は「超自然的な力と自らを融合させる事で超人となる」ことを意味します。その事について具体的に言及したのは漫画家の石ノ森章太郎先生です。石ノ森先生は仮面ライダーについてこう言及していました。

「『ショッカー』とは、企んだ技術文明の象徴である。その技術の付加によって誕生するのが「仮面ライダー」だ。後には自然の守護神(平和の戦士)になるが、言うなれば“技術文明の申し子”
あるいは鬼っ子のモンスターである。したがって、こうなる。自然(バッタによる象徴)が直接人類(文明の象徴)に反旗を翻すのではなく「仮面ライダー」(バッタと人類のハーフ)、即ち自然と人間が協力して“悪”に立ち向かう……。」

(以下ブログより)


初代の石ノ森版メモ - 日記

本郷が改造手術で「バッタ」の超自然的な力を得て誕生した仮面ライダー。ハヤタが「遠い星の宇宙人」との融合を果たして超人となったのがウルトラマン。このヒーローの誕生の経緯は異なっているけれど、両者は人知を越えた力を持つ「超人」という意味では全く同じです。

自らの持つ身体性に目を背けて超人となる事を求める男の子のマッチョな願望と女性としての自分を強く自覚したうえで、自らの成熟を望むフェミニズムナルシシズム交じりの女の子の願望。これらについての是非を、このブログで議論をするつもりもないけどこの「人知を超えたモノ」との融合願望が、ヘンに国の歴史や伝統と繋がったりするとアブないよな。