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サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ジャンプの「火ノ丸相撲」、「刃牙」作者の板垣センセの話から「武道」を考えた。

漫画 格闘技、武道 合気道

こんにちは

この間はとある合気道家の他流試合を通じて格闘技、武道における「実戦」を考えました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

武道といっても、その種類は「空手」「合気道」「テコンドー」「柔道」「拳法」「剣道」など多岐にわたるため、実戦といってもその考え方は異なります。「競技」として相手と競えるものであったら「試合に勝つ」=実戦だろうけど試合がない合気道とか古流柔術などの護身術はどう考えたらいいか。そもそも武道って、いったい何なのか?武道の関係者、経験者だったら誰でも考えるテーマでしょう。

ここで、また本を紹介

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格闘技マンガ「グラップラー刃牙」作者の板垣センセが現在の日本において「達人」の異名で知られている武道家にインタビューを行い、その話を収録した対談集です。空手、拳法などの分野で戦闘技術の頂点を極めた人たちの語ってくれる「実戦」は、どれだけロマンに満ちていることだろう?とか思っていた僕はこの本を読んでいて頭を強く殴られました。

板垣センセは武道の達人たちの技を目の当たりにしたり、実際にその多くの技の威力を体験。通常の打撃以上の威力を相手に与えることのできる中国拳法の技術、発勁(はっけい)を、防具の上から受けて吹っ飛ばされたり、忍術マスターとして日本だけでなく、広く海外の警察や軍隊でもその技術を伝えている初見良昭先生の手裏剣術を見せてもらったりした後で、

「この技術を習得したらもうコワイものなしじゃないのか?」という質問を達人たちになげかけますが、それをこぞって達人たちはこんなふうに否定。

今、手本として相手に技を使うのと実戦で使うのは別である。実際の戦闘で、自分の技が相手に通用する保証はない。

中国拳法の達人は「発勁だって相手が動かない前提で手本をお見せしているけども、実際の戦闘だったら相手だって動き回るので、そんなうまく技が決まるとは思えない」と語ったり、忍術マスターの初見先生は「投げた手裏剣が敵に刺さっても、傷の痛みを堪えて相手は自分を襲ってくるのを止めないことだってありうる。手裏剣で相手を倒せないことを想像して投げた後は次の手を考える。相手が怯んだところを狙って膝蹴りをかますなど、その先を考えていなくてはダメ」と板垣センセに語ります。

※この本が手元にないので、だいたいこういう話だったという引用。

僕らはフィクションで「奥義」「必殺技」という絶対的な威力をほこる技がある。というイメージをなんとなく持っているけど、こんなふうに「そんなものは存在しない」と武道の達人たちは口を揃えるのです。

では武道とはいったい何か?その問いにある中国拳法の達人はこう答えていました。
戦闘で自らのリスクを減らして、相手より有利に立つ技術だと。
自分のリスクを軽減させるという事を考えてみた場合、ケンカなどに巻き込まれたらなるべく戦闘をさけるのが得策。戦闘を避けきれなかったら戦う以外にないけど、相手より有利な立場になりたかったら手に武器を持つべきなので周囲で武器になりそうなものを探す。自分の技術は過信しない。実戦で技を使わなけりゃいけない場合には、相手に通じないケースを想定して、常に二の手、三の手を考えておく。

表現に違いはあれども、どの武道の達人も同じような見解であり、徹底的な現実主義だったことに僕は驚きました。ちなみに極真空手の世界大会で優勝経験を持つ「数見肇」という超一流の格闘家がその技術に感嘆して弟子入りしたという伝統派空手の達人は「格闘技経験の豊富な腕自慢の人なんかより、手にナイフを持っている素人の方が怖い。錯乱状態で何をやってくるかまったく分からず話も通じない。そういう人のほうが正直言ってこわい」といったようなことを語っていたけど、実際にそうだろうなと思います。

この話を踏まえながら今週号のジャンプの「火ノ丸相撲」を読んでいるうちに、団体戦で反則ギリギリの駆け引きを行った、ライバル校相撲部の副部長「真田」に、僕は親近感を抱きました。

主人公が所属している相撲部は、全国大会の団体戦で県代表の座を手にするためにライバル校と県大会を戦っており、現在は決勝戦中。戦績は先鋒〜中堅戦を終えて1勝2敗で相手校リードの中、相手校の副将「真田」は自分たちの勝利を盤石なものにするため立ち会いの直前に、主人公チームの副将「小関」に対してわざとぶちかましを浴びせます。合図前だったため仕切り直しとなりましたが、真田の狙いは極限まで集中力を高めた小関に尻餅をつかせて「負け」を意識させることでした。この真田の行為は「格闘技」としての相撲と「武道」としての相撲を両立させるという観点で考えてみると非常に合理的な手段です。相撲は確かに「武道」だけど、二人の競技者が同じ土俵に立ち、審判の合図で両者が同時に競う「格闘技」でもある。ルールのある「格闘技」として考えたら純粋な技を競い合う場でこういった駆け引きはスポーツマンシップとは言いがたい「卑怯」な作戦だけども「武道」として考えたらどうなんだろうか?「武道」が達人たちのいうとおり戦闘で自らのリスクを減らして、相手より有利に立つ技術であるとしたら、こういう卑怯さも技でであり、且つ武道的な振舞いなのです。

競技場という同じフィールドの中で相手に勝利するための技術が格闘技であり、自分のリスクを減らすため相手を不利に、自分自身を有利な環境に置くための技術や心構えが武道。この両者、やっぱり似て非なるものなんだとつくづく思いました。

技量も低く、度胸もないながらも合気道歴30年のAMネットワークが考える武道観でした。

  

 ※今、僕の中でこの漫画が熱い!