サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

FC東京サポのいう「戦う」って、誰と何に対して戦ってるという意味なのかを知りたい 

こんにちは。

以前、FC東京についてこんなブログを書きました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

この記事については賛否両論で、サポーターっぽい人達にはそうとう頭にくる記事だったみたいだけど、現在も僕はFC東京から距離を置いています。万年中位だったFC東京を昨年4位に躍進させたイタリアのマッシモ・フィッカデンティ監督退任後、城福浩監督が就任。監督交代でイタリアのセリエA仕込みの戦略的な守備から、縦横無尽のパス交換による攻撃的な戦術に変更した今シーズンは性質も全く異るため序盤はまた中位になると思ってました。でも、たとえ中位になっても2つの戦略を融合させるのは難しいことなのでそれはやむを得ない。サポーターとしてはそこはだまって選手の戦いをみていこうと思っていたけれど、東京は現在11位。攻撃的なサッカーを標榜する割には15得点18失点の−3点。ちなみに昨年の1stでは2位で24得点18失点の+6点。流れるような美しいボールのパス交換もなく、まったく得点もできない。チーム失点数はほぼ同じだけど、以前と比べて詰将棋みたいな戦術性のある守備でもない。

実際に戦っている選手たちも監督も勝ちたいと思っているはず。だけどもその結果が伴わない。昨年の成績を思うとさぞや辛い心境なのでしょう。そんな彼らに罵声やブーイングを浴びせる気にはなれないだけでなく、そういうのも聴きたくない。かといってチームを結果的にめちゃくちゃにしたバカなフロントを許せない。そういった感情が渦巻くので距離を置きたいのです。

最近はJリーグの試合後、上の記事にアクセスする方も増えています。検索ワードを調べてみると

FC東京 城福 解任
FC東京 魅力ない

などのネガティブなものが多かったので気になってチームの掲示板をのぞいたところ、監督の悪口のオンパレードだったので僕もいやな気分になりました。

現在のFC東京には魅力を感じないのでサポーターを辞めたい。そう愚痴を漏らしたら同僚に「辛い時こそ共に戦うのがサポーター」などとエラそうにいわれたんですけど 監督の悪口いうのがあなた達のいう「共に戦う」なのか? そんなに城福監督がイヤだったら、なんで監督の交代を受け入れたんだ?と思うのです。

僕はマッシモ監督の続投派だったので今も今回の監督交代に納得いっていません。フロントの決定事項なので、もうどうにもできない。だったらその決定を見守ろうと思っていました。だけど考えたらコレって「戦い」を放棄していただけだった。そんなに納得いかないんだったら、僕も署名でもなんでも行動するべきでした。

サポーターも監督の交代を知った時点で、「城福監督でチームが強くなるとは思えない。そのフロントの一方的な決定には承服できないので観戦をボイコットさせてもらう」ぐらいのことをいって味スタをガラガラにしてやるぐらいのことはやれた筈なのです。

はっきりいわせてもらえば現在、ブーイングしている人たちの多くも城福監督就任を間接的に承諾したのです。監督や選手はオファーを受けてチームに合流して、結果を出すため努力しているだけの話。そんな人たちにブーイングだの辞めろだのきたなくて乱暴なことばを浴びせている人たちにもチームを停滞させた責任はある。もちろん僕にもある。そこに目を向けずフィールドで戦っている人たちを罵倒するのはあまりにも無責任じゃないでしょうか。FC東京って、いいチームだなと思いながらその「いいチーム」を守るため、バカなフロントに異議を唱えて戦わなかった。だから僕はサポーターじゃなく「にわかなファン」でいい。

FC東京サポーターを名乗る人たちに僕は聞いてみたい。ふだん、あなたたちの語る「戦う」とは誰となにに対しての戦いですか?と

 

※クラブ弱体化の責任はサポーターにもあると思っているけどそれをどうとるべきかはまた、難しい問題なんだろうな。