サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

田中正造の人物伝を読めば政治の本質とは何かが分かる。

こんにちは。

 

 昨日は都知事選から日本の政治や選挙について、愚痴っぽい記事を書いてしまいました。どの候補者を選んでも政治は何も変わらない。自分の考えに近い候補者は当選が厳しい。候補者がどんな人物かピンとこないので、知名度に頼ろう。そういう時にこそ、僕らは「自分はどんな政治を望んでいるのか?」という国民の政治参加の基本に帰るべき。僕の求めている政治の基本。それは田中正造です。

田中正造(1841〜1913)

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 幕末に栃木県小中村で誕生。若い頃に村の名主を経て明治になり、栃木県会議員を経て国会議員になった人物です。この人物は日本で初の郊外事件である足尾銅山事件で公害に苦しむ人々を助けるために、明治天皇に直訴を試みて失敗に終わりました。この史実だけを見ていると田中正造は苦しむ人々を助けられなかった「歴史の敗者」だけど、その政治家としての倫理や先見性はもっと評価されていい人物です。

 田中正造の考える政治理念。それは「政治は道徳である!」という信念でした。その道徳を養うものは学問であるとの考えを持っていた田中は、自由民権運動の時代に私財でを主宰。学生を相手に以下のテーマなどについて、議論を行ったりしています。

①「死刑制度の是非」
②「行政における政府の領分」
③「女性の選挙権」 
④「人権は平等か」

 現在じゃなくて明治時代にですよ?このエピソードだけをもってきても政治家としての田中正造という人物がどれだけ突出した知識人だったかわかります。

 

 「政治は道徳」。だからこそ政府は「国の発展のためといえど、民の権利や尊厳を奪ってはいけない」国益のために国民を虐げる政治を許しませんでした。また、その道徳を汚すものとして、中央集権を批判。そのために地方自治は中央の干渉を退けて独立独歩であるべきとしました。実際に地元の政治家と地域の業者の癒着に対して「官府に対して旨く情実を訴えて保護金の拝借を許されるのは手柄である」という風潮について

「業者が地元の政治家に仕事を中央から貰ってきてくれと泣きついて来たのに対して、そういう頼みをヘラヘラ聞いてやったりする。そんな奴は政治家じゃねぇし、そんな企業も地方の政治を腐らせるだけだ!」と手痛い発言を浴びせてもいます。

 こんな感じに本日は田中正造の考えていた「政治のあり方」についてを本日は紹介しましたが「田中正造の政治理念なんて、しょせん単なる理想論」とお思いの人も多いのでしょう。

 

そのとおり。

 

 僕だってその理想が現実でまかり通ると思ってません。だけど僕を含めて人間っていう存在は、自らの理想を掲げなかったら、自分を甘やかそうとする弱い存在だと思っています。だから理想なんてのはハードルが高けりゃ高いほどいい。
 

 生きていりゃ誰だって知識や経験、教養などから作られた自分なりの「道徳、理想」をもっているはず。そうしたらそれに従って票を投じることこそが田中のいう「政治」なのでしょう。僕は田中正造の人生に感銘を受けたからなるべく「国」「自治体」などのシステムではなくあくまで「そこで生きる民」に目を向けている候補を選ぶけど、皆さんはどんな人を選ぶのか。どっちにせよ、いい年こいて無投票、白票はみっともないのでやめたいもんだね、お互いに。

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※もっと日本史で注目されてもいい人物だと思うんだけど。