サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

こち亀をつまらないと思い始めた理由について、深く考えてみた

こんにちは。

 

昨日はこち亀について書いた記事に多くの反響をいただきました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

僕自身、このマンガが大好きでしたし、40年も連載を続けてきた功績についてはもっと賞賛されるべきだけどやっぱり現在のこち亀についてはそれほど面白いとは思えない。これは僕の率直な感想です。

いただいたコメントの中に「最近は面白いエピソードも増えているのに」というのもあったけど、これはもう読者の価値観の違いなので「おもしろい」「つまらない」の議論をするのは余りに不毛。ただ「最近おもしろい話も増えている」といった意見を読んで「なんで自分はこち亀をつまらないと思うようになったのか」を考えこんでしまいました。そして、自分の記憶の中にある80年代の両津と現在のジャンプで描かれている両津を比べていて、 

「両津って大人になったんだな」とふと、思ったのです。 

僕の記憶にある80年〜90年代前半の両津って以下三点において非常に子どもでした。

 

①金に汚く、常に小銭程度の金額にも飢えている。
②トラブルメイカーである。
③自分のひらめきに忠実な行動派である

 

①〜③は現在でもそうじゃん。って感じる人も多いと思うのでここで具体的に語っていきましょう。

 まず①。

昔の両津って、常に金にうるさいキャラでした。警官の業務を続けながら、はしご車を使ったカレー屋をオープンさせたり、勤務中にパチンコや競馬に興じたり、道に落ちているお金に過敏に反応したり、ひどいのになると葛飾署の署員旅行の幹事を務めた際に限界以上に予算を値切り、その余った金を着服しようと目論んだり。もう、ひどいひどい。この頃のこち亀を読むと「両津&金」という描写がやたら多いんですけど、それも年月を経ていく毎に減っていったような印象があります。つまり、昔ほど強引に「お金」を求めなくなっているのです。

続いて②。

これはどういう事かっていうと、両津自身を起点とする大きなトラブルなどが前より少なくなっているっていうことです。ざっと思い出せるだけでもこういったものが以前ありました。

 1、中川の態度に金持ちの驕りがあるとして、中川財閥の中心で大暴れをした結果、たった一時間でおよそ1兆円の損害を与えたあげく、そのお金の一部を持ち逃げして香港に高飛び。

2、魔法使いの力で動物にされたりした事を根に持って、逆襲。

3、台風の時期を狙って格安で屋形船で宴会を企画。その結果、葛飾署員全員が大きな被害を被る事になる。

 以前はこんな感じに常に自分がトラブルメイカーになり、ひどく周囲を振り回すエピソードが多く見受けられました。ところが最近の傾向としては両津じゃなくて、周囲の人間の起こす騒ぎ(大阪の通天閣署の面々など)に巻き込まれたり、金持ちで遊び人の大学教授「ジョニー」に連れられて南国のバカンスに出かけていたりなど、行動が以前よりも落ち着いたものになっています。そのためにトラブルメイカーたる条件であった両津の超人的な体力の描写なども小粒になったような感じでスケールが小さくなったと感じました。現在も、竹の束で月までのエレベーターを作って登ろうとする話など体力自慢をテーマとするようなオチの話もあるにはあるんだけど、対人比較ではないためあまりピンときません。昔みたいに体力を元手に野球、ラグビーチームなどの助っ人を掛け持ちしてお金を稼ぐ!みたいな話があったらいいんだけど。

さらに③

僕の知っている80年代の両津は非常にアイディアマンであり、クリエイティブ方面でもアクティブでした。自作のマンガ「拳銃(ハジキ)が俺を呼んでるぜ!」を描いて新人賞に投稿しようとしたり、使い捨てカメラの「写ルンです」ヒットに乗じて自らもオリジナルの使い捨てカメラ「てめぇ、じたばたしていると写すぞ!」を作り近所の中古カメラ屋を抱き込んで売り出したり、独自に漫画スクールを経営して漫画雑誌を創刊させたり、とってもアグレッシブな起業家でもあったのです。

だけど、これも最近はクリエイターというより、作中で流行に便乗させた二次作品みたいなものをプロデュースしてお金を得ようとするエピソードが増えたように思います。その結果として熟練の職人並な両津の器用さという特徴もあまり説得力を持たなくなっていたように感じていました。

 

こういった比較から、僕は両津を「以前より落ち着いた」「大人になっちゃった」と評したのです。

80年代の両津勘吉はお金に汚いが人情家という性格を持っていて、アグレッシブな言動で周囲の人間を騒動に巻き込む人物でした。僕みたいなこち亀80年代傑作説」論者はそんな人物がいないと知っていながらも、両津みたいな大人がいたらという期待や憧れを「こちら葛飾区亀有公園前派出所」というギャグ漫画に込めていた。だからこそ現在の落ち着いた両津に対しての淋しさが、上記の説の根底にあるんじゃないかと僕は思う。

両津は永遠の35歳。本来だったらコレ以上大人になることはありません。だけども現在の行動や言動には明らかに「両津の老い」を感じさせるものがあります。どうして物語の世界で年齢が固定化された両津が「老いていく」のか。おそらくその理由は、両津の漫画の世界が僕らのいる現実世界と「モノ」を通じてリンクしているからでしょう。

漫画の世界っていうのは僕らのいる現実世界と異なり、時間軸という概念が曖昧のため、物語の人物はその世界観の都合によって歳をとったりとらなかったり様々です。ドラゴンボールの悟空のように年齢を重ねていったり、ジョジョの奇妙な冒険のように長い年月を経て主人公が代替わりをしていく作品もあれば、漫画のサザエさんコボちゃんみたく物語の登場人物が原則的に永遠に歳をとらないっていう作品もあります。こち亀という漫画は全編通じた「物語」ではなく、その日その日の出来事をつづっていく短編のため、原則的にはサザエさんに近い作品です。

この「歳をとらない」という特徴は、キャラが漫画内において永遠に老いる事も尽きる事もない永遠の肉体・生命を持っている。ということでもあるのです。だから両津は何があっても不死身でいられる。高層ビルから落っこちてきても、トラックにぶつかっても、ロケットランチャーの爆発に巻き込まれても「いてて・・・」だけで済み、次の場面にはそれらで生じたケガもすっかり治って元気に走り回れる。いってみれば両津は「不老不死」なのです。

だけど。確かに両津は固定化された35歳であって、上述したように不老不死なんだけど両津の周囲の時間は僕らの時間軸に近い速度で動いている。30年前には勤務中にファミコンソフト「ファミスタ」や「チョロQ」「ゾイド」、特撮「電脳警察サイバーコップ」のおもちゃ「サンダーアーム」で遊び、その10年後はファミコンからプレステに変化。周囲にはパソコンや携帯電話が並び、ソレに合わせて両津の趣味もアナログからデジタルに移行していきます。さらに両津の知人がいるような商店街は大手のショッピングモールなどに押されていてどこも経営難。冬の名物だった両津のボーナス争奪戦で激しく争っていた元気なプラモ屋のおやじの居場所はもう漫画にも現実にもありません。また、現在も35歳の両津が昭和30年代に生まれているはずもないので「お化け煙突」や「勝鬨橋」など少年時代の大事な思い出たちとも切り離されることになる。それは思い出として両津の中にあるはずのものだけど、両津の年齢の整合性を考えるとそれもキャラから遠ざけざるを得ない。つまり連載が続けば続くほど両津は肉体と記憶が釣り合わなくなっていくという宿命を背負っているキャラであるといえます。

人間っていうのは周囲の環境に合わせて内面も変化して老いていくもの。現実の人間であれば肉体もそれに合わせて老いていきますが漫画の世界の住人である「両津」は肉体が35歳のまま内面を変化させていき、そして老いていくことになるのです。そう考えた時、ふと思ったのが両津の又従姉妹にあたる女性キャラの「纏」、その妹「檸檬」という幼稚園児のキャラでした。僕はこの姉妹の出現こそが「両津のキャラをワケ分からなくさせて、漫画をつまらなくした」だと思っていましたけど、この3人が出た時の物語をあらためて思い出すと

両津=普段だらしないけど、やる時はやる父。
纏 =しっかり者の母。
檸檬=父のだらしない性格に呆れながらも、人として持っている優しさと男らしさを尊敬する娘。

こういった構図が見えてきます。

これは作者である秋本治さんが意図していたかどうかわかりませんが、破天荒さが抜けていき老いを見せはじめた両津の内面と、老いていくことのない肉体のバランスを保つために用意した擬似的な「家族」だったんじゃないか?と、思うのです。つまり、この「纏」「檸檬」の登場をターニングポイントに「こちら葛飾区亀有公園前発出所」はメチャクチャなお巡りさんのギャグ漫画ではなく、ほのぼのとした「人情コメディー」に移行していったんではないだろうか?それは逆に言うと老い始めていた両津では昔みたいなギャグ物語をいつまでも続けるという事が厳しくなっていたという事なのかもしれません。

だから僕みたいな「80年代傑作論者」にとってはこち亀をどう評価するべきかほんとうに難しいと思う。僕としてはやっぱり昔みたいな骨太の絵柄でG・Iジョーやマニアックなおもちゃの知識を披露する両津の物語を読みたいけど現在の「人情コメディー」っぽくなった作風が好きという読者はそれを望まないかもしれない。40年、作品が続くというのはそういうことなのです。

結局のところ、僕は80年代の両津の思い出を胸にこち亀を好きと言い続けるでしょう。

 

 

 

 

 

 

※僕の少年時代は確かに、「両津勘吉」と共にあったんだ。それは間違いない