こんにちは。
先日はファミコン人気を「クソゲーのリリース」という形で支えていたゲームソフトメーカーのその後について書いた記事に多くの反響をいただきました。ファミコンソフト版「あの人は今?」みたいなお話でしたけども、今回はファミコン人気に関わった「あの人」についてのお話。
ファミコン人気を支えたのはソフトだけでなく、「名人」という存在に拠る所も大きいものでした。とりわけソフトメーカーの「ハドソン」専門の高橋名人とフリーの毛利名人。そしてその二人とは知名度に大きな差があったけどバンダイの橋本名人。こういったゲームのプロが子どもたちの心をガッチリ掴み、ブームに拍車をかけていたのを忘れてはなりません。
さて本題。上述した高橋名人に「川田名人」と「桜田名人」という二人の弟子がいた事を皆さん覚えてませんか?
この二人は高橋名人のメディア露出が増えたことで、当時の夏休みに日本各地で行っていた「TDK全国キャラバンファミコン大会」で全国を回れなくなったため師範代、弟子っていう名目で誕生した名人です。ちなみにその「キャラバンファミコン大会」がどんな大会だったのか記録された回顧録みたいな貴重なブログもあったので紹介。小学生の頃に、僕も参加したかったんだよな。
桜田名人についてはウィキペディアの中に情報はあるけど、川田名人についてはその中で同期として触れられているのみ。僕も高橋名人を主人公にしたアクションゲーム「高橋名人の冒険島」のアニメ版「Bugってハニー」の中で、脇役「カワダ」として登場させていたぐらいの記憶しかありません。ちなみにこのアニメは後にファミコンゲーム化もしていますけど、経緯がユニーク。
高橋名人の冒険島→Bugってハニーというタイトルでアニメ化→Bugてハニーのゲーム化というわけのわからない手法のメディアミックスがされた作品として記憶に残るアニメです。
※脇役「カワダ」は物語に途中参加だったので、この中にはいません。
この両名人はハドソンで幾つかのゲームの開発などに携わったあとに退社。現在も会社を設立したり、別の会社に移ったりしてゲーム開発やゲーム解説の業務に携わっておられるとの事。
ツイッターで「川田名人」「桜田名人」で検索するとお二人のつぶやきなども更新されているので当時を懐かしみながらその声を読むというのもまた一興。
※名人、ファミコン大会で子どもの心を掴みまくったメーカー「ハドソン」については、あらためて別の機会に