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サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

「多様性」を生きるということは本当にしんどく、覚悟がいるという話について

こんにちは。

 

昨日は日本各地を回って各地域にある「何コレ?」な体験を漫談にする芸人、「コラアゲンはいごうまん」についてブログの記事を書きました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 ワハハ本舗の社長兼演出「喰始」さんからのネタ作りの才能がないから自分自身でユニークな体験を積み、それを漫談にしてみたらどうだろうか?との助言をきっかけに、喰さんが提示するメチャクチャなテーマやファンの依頼をヒントに、実に多くのユニーク体験を味わい、ネタにしているこの芸人さん。ホームレスの自立を目的として雑誌「ビッグイシュー」の販売で地域のトップを誇るホームレスの弟子になったり、ヤクザの事務所で寝泊まりしたり、体力自慢が集い、掘った穴の深さを競う「全国穴掘り大会」の練習中に不発弾を掘り出したり、そのアングラ臭漂う体験談はただ大笑いできるだけでなく、伝えられた自分も知らない未知の世界の話は知識欲に訴え、思わず「なるほどなぁ」と読者を唸らせます。昨日の記事で紹介したコラアゲンさんの本をひとしきり読んで、今の日本に足りないものはこの未知のモノに「なるほどなぁ」とつぶやける視座じゃないかと思ったりしました。

そもそも「笑い」とは一体何か?それをだれかに問われたら中学生の頃、喰さんに直接その基本を教わり、社会人経験を積んだ自分としては「笑いとは自分の生活に根ざした価値観と他者とのギャップである」と答えます。人間っていうのは生活を通じた経験から「こうすればこうなる」といった文法を発見して、それを元に価値観を作り、日常の生活に反映させます。もしそこに、自分のものと異なってい奇妙な価値観が現れたらどうなるか?その時の対応はたぶん、この3つになるでしょう。

①価値観を守るため、徹底的に反発する。排除する。
②自分の持つ考えと異なるが、それもアリとある程度の理解を示す努力をする
③無視

 コラアゲンさんはマジョリティーの立場にいる人たちから見て「何コレ?」な人とモノを題材に笑いを作りますけど、ソレは①に基づいた排除、嘲りなどの笑いではありません。漫談や本には本人の「なんでやねん!」という叫びが感じられますけれど、それは異物との対話を「もうええわ」と打ち切る「なんでやねん!」じゃなく「なんであなたはそんなことをやるようになったんですか?」「なんでそんなヘンなもんが広まっていったんですか?」という、自分の価値観と異なった相手との対話を求める素直でまっとうな「疑問」なのです。

実際、コラアゲンさんはある時には80歳を超えるソープ嬢に接した経験から性的満足を与えられた事を笑いにしつつも、その時に自分が売れないことを愚痴り、慰められた時のエピソードを「普通の感覚で言えば色眼鏡で見られる仕事を長年続けてきた人なんだけど、そういう経験を軸に語ってくれた人生訓っていうのは自分の心を打った」」と語り、また、ある時には日本を代表する「刺青」の彫師に出会ったことでその彫師の真摯な職業観や人柄に触れたのをきっかけに自分も刺青を掘ろうと考えたり、自分の育ててきた価値観とは異なる価値観に触れて揺らいでいるのを正直に語ります。

 

だけど、僕はコラアゲンさんの見せる心のゆらぎはすごくまっとうで人として誠実なものだと思うのです。少なくても僕は自分と異なる世界に生きる人々の喜怒哀楽を嘲り笑ったり、無関係だといって興味を示さない人よりも、これらに触れて自分なりの考えやことばを作ろうともがいているたちの方がよほど信頼できます。そして今の日本に足りないものはまさにそこ。

自らの価値観を絶対化せずに、相対化して考えること。コレって実はめっちゃくちゃシンドイ。だけど多様性のある社会を生きていくということは、そのシンドさに真っ向から対峙する事なんだと僕は思う。