サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

バカボンのパパと同い年になって物思う「41歳の冬」

こんにちは。

 私事でたいへん申し訳ありませんが、先日の12/1で41歳となりました。「41歳」。っていうのはご存知の方も多い事でしょうが、バカボンのパパと同い年です。

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ってサザエボンじゃねーか!このネタ、たぶん20代前半の人に話してもさっぱりわからないでしょう。この人形は90年代に大阪のとある露天商が考えて独自にグッズを作って細々と売っていたのが口コミやメディアなどを通じて全国的な規模で広まり、話題になったというパチモン(ニセモノ)グッズ。著作権・肖像権の侵害で元ネタ側に訴えられたため数年で製造ストップになり、あっという間に消えたキャラです。まぁ、そんなどうでもいい話はこの辺で。

 さて本題。バカボンパパ「41歳」という説はアニメ「元祖天才バカボン」の曲「元祖天才バカボンの春」で歌われている「41歳の春」というフレーズから一般的に広く知られるようになりましたが、実際その設定は正しいのかを、赤塚不二夫公認の公式サイトで調べました。

よくある質問 | 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!

 バカボンのパパって何歳?という疑問についてサイトでは「41歳の春」という歌詞が有名だけども、パパだってずっと41歳というわけでもありません。バカボンの世界は私たちの考えているものと異なった時間が流れているのは確か。従ってキャラの年齢の概念も私たちと異なる。と、いう当たり前の回答がありました。この歌の作詞を手がけたのは作者、赤塚不二夫本人なんだけどなんでバカボンのパパの年齢を「41歳」と歌ったのか?これは僕の推測だけど、その理由はパパの口ぐせである「これでいいのだ!」にあるんじゃないか?
 「これでいいのだ!」というのはある意味、物事に達観した心境でないと言えないセリフです。そして「41歳」とは「不惑」「惑わず」の境地に達する事のできる「40歳」を超えた最初の年齢でもある。論語孔子いわく
「吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)。六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」

訳:「私は15歳になって学問を志した。そして30歳で自立を果たした後、40歳であらゆる物事に対して戸惑わなくなった。50歳になって自らの使命が学問を極める事であることを理解して、60歳になって周囲の話に耳を傾けられるようになった。そして70歳で、自らの心の欲する生き方を実践できている」

 バカボンのパパが40歳を越え不惑の域にいるからこその「41歳」であり、「これでいいのだ」の口ぐせなんじゃないだろうかと思ったりするんだけど、イヤ、ムリムリ。

 こちとら40歳の時点で迷いっぱなしの惑いっぱなし。家庭や仕事や自分自身の将来。そして自分の生きている現実社会についての問題。どれもみんな偉そうに「これでいいのだ」なんていえない。むしろ「これでいいのだろうか?」と考え、惑い、迷い、時には憤っている。
本気でマンガのキャラと自分を比較はしていないんだけれど、40にして迷わずという昔の格言と程遠いところにいる自分を情けないと思ったりもしていた時に、こんな話を知りました。

 

「40にして惑わず」は解釈違い?

 

 どういうことかっていうと孔子の時代はまだ「惑」という漢字がなかった。従って「四十不惑」は漢字間違いであり、正確には「四十不或(40にしてくぎらず)」だという説もあるそうな。この「くぎらず」という意味は「そこに居続けるな」。つまり、自分を限定しないで多くの可能性を試せ!っていうこと。実際の解釈はどっちが正確なのかは今後も文献研究が続けられて、覆ったり戻ったりするんだろうけども、僕としたら後者でありたい。自分自身のあるべき居場所である「家庭」を家族みんなで守り、作りながらも冒険を手放さない。そう考えたら独身だった頃よりもやることが多くて大変なんだけど、やりがいだって独身時代よりも大きくなったんだという強がりもいったりしちゃいます。ってな具合に今後も大人げない大人をやり続けるので今後もどうぞよろしく。長々文章を書いてきたけど「お前、41歳にもなってそんなんでいいのか?」って読者も思ったことでしょう。だけど、「これでいいのだ!」

 

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