サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ヘイトスピーチとは何かを知る記事に日本のカルト化を考える

こんにちは。

 本日のブログのテーマは「ヘイトスピーチ」とそれを巡るこの記事について。

デモが居場所、暴言エスカレート 元「突撃隊長」後悔 ネットうのみ「間違っていた」

https://mainichi.jp/articles/20170606/dde/041/040/054000c

 

 

 

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 このブログに長くお付き合いいただいている方は、僕がヘイトスピーチみたいな人権や尊厳等を嘲笑い、踏みにじるような行為を許せじ!と嫌っているのはもうご存知のことでしょう。そんな中で本日紹介されたこの記事。日常的にヘイトスピーチを垂れ流している輩の界隈で「突撃隊長」という異名を持つことから周囲に一目置かれていた人物のヘイト体験悔恨録なんだけど、面白いだけでなく、現在の日本社会のカルト化という問題を考えるうえでも重要な証言といっても過言じゃありません。

 

   記事の主人公である「突撃隊長」は38歳の男性会社員。不景気の煽りを受けて会社を転々とする20代の前半ごろに「中国のスパイが日本にいる」「長野オリンピックの応援で来た中国人に人民解放軍の関係者が紛れていた」などのネトウヨ的な言説を書き殴るブログに触れた事で自分は「マスコミが報じない真実を言っている」と考えるようになっていきます。
 

    そういった体験からヘイトへの下地を育てていった突撃隊長は、これまたネットで「反原発は左翼勢力在日コリアン勢力が結託して、日本の経済を破壊するために行っている」という荒唐無稽な書き込みを目にした事でそのデマを信じ、反原発へ不満を募らせて原発再稼働を訴えるデモに参加。ネットで広く公開されたデモの動画に寄せられた賛意のコメントから「自分の思いは支持されている」と強く思い込むようになり、在日外国人への敵意と自分なりの正義感を増幅させ、積極的にヘイトデモに加わることになっていきます。ところがヘイトデモを続けることで友人も増えていき、自分の場所を見つけた!という充実感を抱いていた反面、暴力的になっていくデモについて「やりすぎじゃないか?」という考えも芽生えているのも気づくように。だけどその自分の迷いを口にすると周囲から「裏切り者」扱いされる。ヘイトデモの現場は突撃隊長にとってもはや「楽しい居場所」などではなく「疎外の恐怖」を抱かせる場所になっていたのでした。 
 その恐怖に抗うかのように、突撃隊長の行動も更に過激に変貌。暴力的な言葉態度を更に先鋭化させ、ナチスの象徴であるカギ十字の旗を掲げ、強者を演じる内に気づいたら周囲の尊敬を集める存在になっており、「団体における優越感」と「疎外の恐怖」の交じる空気の中で自分を見失っていった突撃隊長には自分と相反する考えではありながら、どこか同情を抱いている自分もいます。
 

   そして突撃隊長はヘイト行為のエスカレートの果てに傷害罪で逮捕。それをきっかけにヘイトデモ団体との関係も疎遠になったことでヘイト仲間から「裏切り者」と酷く罵倒されるような立場になってしまいます。ところがそんな突撃隊長に声をかけた人物もいました。ヘイトへのカウンター活動を続けている在日コリアンの男性は「嫌がらせとかあったらいつでも相談に来てよ」とメッセージを送っていたのです。隊長は「なんで自分が攻撃していた人が親切に接してくれるんだろう?」と戸惑いながら自らの行為を省み、あらためて調べると自分の信じていた「在日特権」など在日外国人を叩く材料に使っていた情報はヘイトを煽るためのデマだったことに気付き、自分の行為の過ちを認めてその男性のカウンター活動団体に面会して直接謝罪。カウンター団体は「(自分の)してきたことを忘れないで、幸せになりなさい」と声をかけたそうです。

 

   上記の記事をまとめている最中、鴻上尚史さんのエッセイ「ドン・キホーテのピアス」で紹介された、あるエピソードを思い出しました。そのエピソードはオウム真理教サリン事件を通じて読者に「批判精神」がどういうプロセスで鈍っていくかを自らの体験談を交えて語ったものです。
 鴻上さんは学生の頃、友人があるカルトにハマったのを放っておけなくなり、友人のカルト脱会をサポートした経験があるそうです。鴻上さんいわく「人間には誰でも批判精神があるけれど、誰かに自分の価値観を受け入れてもらえた!という体験を味わった途端に脆くなる。自分と自分を受け入れたものの間にある「ズレ」に対して批判精神も抗うけど、その葛藤に疲れ果てた時、人は「私をだましてよ」と自分を受け入れた人物や団体に「騙されること」を望むようになり、それらに依存度を深めて外と世界との拒絶を深めることになる。鴻上さんはその友人をカルトのコミュニティから引き剥がして、丁寧に「人生を理解できる都合のいい答えなどない。それは自分で考えて生きていかなきゃいけない」と説得を続け、結果的に友人は「真理なんていうものなどなく、自分で考えて物事の答えを見つけるしかない」ことを受け入れてカルトを脱会。人生や物の理を丸ごと理解できる解などない。その当たり前だけど残酷できびしい現実を認め、号泣する友人を目の当たりにして自らも涙をこぼしたそうな。

 

   このエピソードはエッセイ「ドン・キホーテのピアス」で「20世紀の終わりの泣き声について」という題で掲載。この本の中で鴻上さんは「本当に悲しいけど、オウムみたいな団体は今後も現れ続けるだろう」と書いているけど、本日紹介したヘイト突撃隊長の悔恨録を読む限りこの批判精神を巡る問題は現在の「日本社会のカルト化」っていう現象につながっているように思えます。僕らは現在、21世紀を生きている筈なんだけど実際には20世紀はまだ続いており、さらに時計の針は権力の横暴によってさらに逆戻りして教育勅語を良しとする19世紀まで戻ろうとしている。その現実の前に、僕はこのブログを読んでくれたあなたにこう語りかけてみたく思います。

「皆さんの批判精神、お元気ですか?」と。

僕はまぁ元気・・・でいるかな?

 

 

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 ※ブログで紹介したエピソードは載ってないけども、直近のもおもしろい!!