サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

クニミツの政(まつり)という漫画に、この国の政治の体たらくを考える。

こんにちは。

 この国のお偉いさんがたがテレビ画面の向こう側で「加計学園について政府の対応に問題ない。匿名の人間が出してきた入手経路や出どころの不明な文書を再調査する必要もない!」などと偉そうな態度で言い続けている今日、この頃。誰が何をきいても同じこと以外いわないなら、もう記者会見をやめて自分の発言を録音したデッキでも置いておきゃいいのに。とか思います。

 

 

 少年漫画に反映された「まともな政治への渇望」

 最近になってやっとメディアも覚悟を決めたのか、政府の疑惑を叩くような報道もちらほらと見受けられるようになったけど、そもそもこの国がこんな風になったのは誰のせいかというと、そりゃやっぱり国民のせいだよね。と言わざるを得ない。「国づくり」というものを深く考えずに知名度だけで議員を当選させたり、まだそれでも投票にいくのはマシな人で半数以上がせっかくの選挙権を放棄。そりゃバカな議員たちは勘違いもします。「政治を信じない国民、その不信に胡座をかいて増長をする政治家」との関係っていうのは長年続くこの国の課題。そういや今から10年程前に「無党派層には寝ていてもらいたい」と選挙前を前に口走ったことで国民を怒らせたアホな政治家もいたけど、今の政府はそのアホ政治家よりも国民をナメているという事だけはこのブログでいわせていただきます。

 

さて本題。

「国民と政治」について考えていたら、以前週刊少年マガジンで連載されていた「クニミツの政」という漫画を思い出しました。

f:id:arrow1953:20170609010654j:plain

出典:クニミツの政_安童夕馬 / 朝基まさし(講談社) 

 

 この「クニミツの政」といいう漫画は「将来は総理大臣!」と豪語するヤンキーあがりの少年、武藤国光がある自治体の市長候補の弟子兼秘書となり、奮闘を続ける事で周囲を盛り上げ、その勢いを町全体にまで広げていきながら最後には市長選に向けて大きなうねりを作っていく物語を描いた作品です。最初、無関心そのものだった市民がクニミツの熱気に心を揺さぶられた事で「政治ってなんなんだろう?」と自らに問い、それが想像を超える投票率を記録という形となって実るのがこの漫画の見所ではあるんだけども所詮はマンガの話。現実はそう甘くありません。


 この作品の連載時期は2001年〜2005年。コミックスも30巻近く発行されていた、当時の人気作品です。政治なんて少年マンガにはもっともふさわしくないテーマにも思えますけど、数年に渡る連載を支えていたのは単に物語の面白さだけではなかったんじゃないか。そこには「政治を諦めない、諦めたくない人達の願い」みたいなものがあったのではないかと思うのです。そしてこの作品の特筆すべき点は、選挙の舞台を「地方自治」にしていること。

 

地方選挙は民主主義の学校 

 選挙でもメディアで注目を集めがちなのは衆議院参議院都道府県知事選など大規模なものが殆どですが、各区市町村の議員と首長を決める地方選挙はある意味におい、国政選挙よりも大事なものであるといえます。地方選の選挙で選ばれる議員は僕らの「衣食住」の拠点になる「街」をどう作っていくべきかについてのデザインを担っているからです。中学で公民の授業をしっかり受けている人には改めていうまでもないことだけど。

  国政選挙はその規模の大きさのため、人々の興味が集中するのは「与党」「野党」の対決であって、その両者の勝敗に偏ってしまう。だけど、本来政治はどっちが勝利してどっちが負けたかの二元論ではなく、その選挙を経て僕らの生活がどう変わるか、どう変わったかこそが本質であるべきだと思うのです。それを実感できるのは「国」という大きな共同体でなく、自分を含めた周囲の顔が見える「まち」という共同体の選挙である。地域の住民が自分達の暮らすコミュニティのグランドデザインを考えて、それに近い考えを持っている人材を議員として選び、意見や政策を吟味しながら街をつくる。その自治の経験から人々は政治参加へのメソッドを学び、「国」づくりへつなげていく。

 

 英国の政治家ジェームズ・ブライス(1832~1922)はこういった考えから地方自治「民主主義の学校」と呼びました。ただ、現在の日本では都市機能の集中化のせいで生活の拠点と日中の活動拠点が二分化されているため、生活拠点であるまちは飯を食って寝るだけの拠点となっている。そのため街で活動する機会を殆ど持てず、コミュニティーという概念が崩壊しかけている東京やその周辺の地域では国政選挙以上に興味を持てない人も多くいるのではと思えます。

 

あなたの街にも「武藤国光」はいる筈だ

 上記で紹介した漫画の「クニミツの政」ではフィクションの自治体において実施される市長選が舞台でした。漫画はドラマティックなフィクションで現実じゃない。僕らはそう思い込んでいるけど本当にそうなのか?ひょっとしたら僕の町にも、あなたの街にも主人公の武藤国光のような一本気な人材が、街頭で熱意を込めた政策をつづったパンフレットを手渡しているかもしれない。僕らが議員候補から手渡されて無意識に捨てているパンフレットには、街の生活を魅力あるものに変化させる可能性のあるアイディアが詰まっているかもしれない。

 

「政治を熟成させていくためには地方自治など小さい規模から地道に、時間をかけて『市民』『国民』が街や国のあり方を考えていく以外ない」

 

 マンガみたいに破天荒な行動はできないけど、マンガでクニミツが語っていたようなセリフを語り、実現させたい!と願う「リアル国光」は、たぶんいる筈。だから僕は政治を決して諦めていません。っていうか、僕も選挙出たいな。野党の候補として当選したら周囲の無所属議員たちと「日本野党の会」を結成して、双眼鏡片手に居眠りしている議員を野鳥みたく数えて国民にその数を公開するという公約を掲げて。

 

※この国の政治で何が必要か?景気回復か?憲法の遵守か?改憲か?政治腐敗防止か?社会保障?テロ対策?僕はどれでもなく、この国の政治に求められているものは「結果よりも誠実さを求める僕らの辛抱」だろうと思います。リーダーシップを持つ政治家による政治の改善!そんなのを求めるなんてそれこそ漫画です。この国の政治の改善には10年、ヘタしたら20年待たなきゃいけない。自分の現役時代で恩恵は受けられないけど、後の世のために自分達が踏み台になろう!今の政権より頼りになりそうな人材じゃなくても選挙を通じて見込みのあるヤツを長年かけて育てていこう。なにより僕らも政治家の適正を見抜く目を鍛えていこう!くらいの気概がなけりゃ何も変わらない。つまり政治家も僕らも「大人になろう」と言っています。こういうことを文章で書くと「理想論だ」と笑う人たちもいるでしょう。そのとおり、理想論です。理想だからこそ希求するのは困難で甘くありません。だけども「国民主権」とはそもそも「国づくりの究極的な責任者は国民」ということでもあります。それを選んだ政治家に任せっきりだっただけでなく、僕らはその政治家を選ぶことさえも満足にやってこなかった。僕らは「そのツケを今払わされているんだ」ということを、強く自覚するべきなのでしょう。すげー不本意だけども。