サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

今回は「人づくり」か「国づくり」かを問う選挙である

こんにちは。

 本日のブログはこの記事から。

headlines.yahoo.co.jp

 これに伴い安倍首相も今回の選挙の争点を「人づくり革命」として、消費税を教育費無償化や低所得者社会保障に充当させる公約を打ち出していく方針だそうな。

www.huffingtonpost.jp

 

 社会保障の充実っていうのは結構なことではあるんだけど、僕の中ではこの「人づくり」という単語がどうしてもひっかかります。だって「人づくり」なんていかにも国家ありきで、その国の計画に沿って行う人為的、人工的なイメージじゃないですか。僕はこういった言い回しを好んで使う現在の日本の首相及び権力サイドは「国民を権力者の道具」としか見ていないんだろうなと思わざるを得ません。単なる揚げ足取り?いえいえ、こういう言葉にこそ、その人の本質って出るもんだと思いますよ。だって、本当に国民の事を考えているならまた選挙をやるってホント?っていうメディアの質問に対して「いちいちお答えすることは差し控えたい」なんていいますかね?この人、心の底でたぶんこう続けたと思っています。

「いちいちお答えすることは控えたい。(お前らは俺たちのいうことに従っていりゃいい)」と。

 

 さて本題。今回与党サイドがこの「人づくり」を争点にするというなら野党は逆に「国づくり」を選挙の争点に戦ってやればいいと僕は考えています。政府の言い分からするとまず「国」という名の箱庭システムがあり、そのシステムに沿って生きるのが国民だと考えているようです。僕はまったく逆の見解で、まず人がありき。そしてその人が多く集まることで、小さな共同体から国という大きな枠組みができていくという考えです。なので野党は有権者の声を真摯に聞き、それらを尊重することで今の政府が数に任せ思うように好き勝手できるルールを作り直そう。少なくても民の疑問について「いちいち答えたくない」と言わない国を作ろうと語って貰いたいと思ってます。

 前者の「国ありきの人づくり」は最初にルールを決めるため柔軟性に欠けるだけでなく、ルールを作る側にとって都合のいいルールをいくらでも跡付けすることができる。システムの管理者にとっては有利で便利でしょうが、そのルールに従う国民は窮屈を強いられる可能性が高くなります。コレに対して「人ありきの国づくり」は考えや価値観などの異なる人々の総意を作っていくのに手間と労力と時間がかかります。その代わり、持ちあったお互いの価値観を根気強く練っていけばルールの流動性や柔軟性などは前者に比べて得られやすい。ただ、それだとシステム管理者からしたらめんどくさいので権力側は後者を嫌がり、歴史や誇りという曖昧で抽象的概念を語って国という枠組みの偉大さを僕らに刷り込み、「国にあなたの価値観を委ねろ」と猫なで声でささやきます。ところがどっこい。僕は小学校で社会科をきっちり勉強してきた、この国に育てられた民主主義者のため、そんな誘いにゃまったく魅力を感じません。

 あまり多くの人には知られていませんが、実を言うと日本における小学校社会科教育の基礎を作ったのは民俗学者柳田國男です。

柳田國男 - Wikipedia

 

 「柳田社会科の目標と内容についての考察」東京大学リポジトリ

http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/495/1/KJ00000688265.pdf

 柳田國男は学校教育の目的を「一人前の選挙民を育成する」ことと位置づけていました。社会をより良くするものは政治であり、政治を決定するものは「選挙」である。選挙は有権者に自らの責任やその判断などを問う行為であるのにも関わらず、多くの人はお世話になった人や、恩恵を受けた人などに自らの票を投じており、個人の公明さによる個人の判断とは遠いと考えた。そこで小学校の社会科を通じてまず「自分」という個人があり、その延長にある社会を学ばせるメソッドを考えたのでした。小学校の社会科の授業を思い出して見て下さい。皆さんもおそらくこうなっていたと思います。

 

1年生 自分とその家族について学習
2年生 社会で働く人たちについて学習(工場見学なども行っていた筈)
3年生 自分の暮らす街(区市町村)について学習
4年生 自分の暮らす都道府県について学習
5年生 日本の国土などについて学習
6年生 日本の歴史について学習

 このように内から外に向けて社会とは何かを小さな共同体から、だんだんと大きい共同体について学ぶ方式になっていた筈なのです。現在の国や愛国心という物語前提の教育では民主主義は育たない。僕が歴史などの物語に頼らない民主主義者に育ったのは柳田國男のおかげでもあるのです。

 このように、小学校で真面目に勉強していた人だったら国や社会といった概念は「個人の確立」を前提に成り立つ。確立された価値観の異なる個人らが意見をまとめて意見を交換しながら大多数がそれなりに納得できる総意を作る。その総意こそ社会である。ということを簡単かつ自然に理解できます。なので日本の社会科教育は自虐的だのどうこう言う人がもしも周囲にいたとしたら「あ、小学校の勉強をきっちりやってきていない人なんだろうな」と思って間違いありません。

  

 話が長くなりましたけど、今回行われるだろう選挙。先ほど述べたように僕らが「国ありきの人づくり」か「人ありきの国づくり」かを選ぶものになるだろうと思います。皆さんだったら、どちらを選びますか?どっちを選んでもいいけど、ぜひ熟考を。