サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ソフトバンクの「牛丼無料」に並んでいるバカを笑えなくなってきた

こんにちは。

 先日はソフトバンクのユーザー向けサービス「吉野家の並盛牛丼1杯無料」についていらだちを記事でぶつけてみました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 「無料」っていうワードに欲望をあおられて時間と金、労力のコストを狂わされて心から食いたいと思っていないだろう牛丼を食べるため並んでいる連中を「パブロフの犬」みたいなもんだと僕は考えていますが、「並盛牛丼1杯無料」というフレーズの中にある「1杯」という単語からこの作品を思い出しました。

 

 

f:id:arrow1953:20180211173253j:plain

   ー杯のかけそば

  80年代後半にベストセラーとなった短編小説で映画になっただけでなく、89年の衆議院予算委員会リクルート問題を当時の竹下登首相に追及する際、野党の議員がこの物語を引用したりもしたことで、大きな話題になった作品です。

 舞台は1972年の北海道。大晦日の夜、札幌の「北海亭」という名のそば屋に子どもを2人連れた女性が来店してかけそばを注文。女性は「3人で1杯の注文ですが、よろしいでしょうか?」といい、そば屋の妻と主人は女性の変わった注文と身なりなどから3人親子の貧しさを慮って量を少しだけ増したそばを出し、その親子はおいしそうにそばを食べて帰宅。以来、その3人親子は毎年大晦日にやってきては年越しに3人で1杯、3人で2杯分のそばを食べにやって来て、そば屋の夫婦もそれを楽しみに待つようになりました。ところがある年の大晦日を境にその親子はまったく来なくなりました。そば屋夫婦はそれでもその3人親子の来店を待つように。時はさらに流れて10数年後の大晦日。長らく待った親子がそば屋にやって来ます。小さい2人の子どもは立派な成人になり、年老いている母親を連れての来店。家族は「私たちにとって最高のぜいたくは、この店を訪れて3人で3杯のかけそばをたべることなんだと語り、それを聞いたそば屋の妻は立派になった親子の姿に思わず涙ぐみ、テーブルに注文を聞きに行く。という物語。実話であるとの触れ込みで話題となったんだけど、それは後に嘘と判明。実話かどうかはどうでもよく、大人たちがこぞってこの本を読み、感動しただの泣けるだのという集団的な「お涙」の嵐が子ども心に不気味だったのを覚えています。

 

 価格の適正さがどうのこうのではなく、みんなが「欲しい!」と欲求を叫びながら金を手に「モノ」を買い漁り、貧しい親子が一杯のかけそばを分け合って食べる物語が美談扱いされた80年代と比べ、集団で長い行列を作りどこにでもある牛丼チェーン店のたった一杯の無料牛丼を食べに行く現在。もはや一杯のかけそばが「美談」でない、現在においてある意味、リアリズムを伴った物語になっているんじゃないか?と思えてなりません。この国のお偉いさんは口を揃えて日本の好景気を訴えるけれど、本当に僕ら庶民が裕福であればたかが400円前後の牛丼を無料で食える!といって、長蛇の列を作ってわざわざ食べに行くだろうか?結局のところ、このニュースは日本がまったく景気回復などしてなどおらず、数百円の「無料」というエサを得るために交通渋滞を発生させるほど国民が精神的にひどく飢えているっていう希望のない現実、身も蓋もないことをいうと好景気どころか、この国は「みんなが貧困」の手前まで来ているということの証拠じゃないか?どれだけの人がそれを自覚しているかは知らないけれどもね。

 にほんブログ村 その他日記ブログ オタク日記へ
にほんブログ村

 


 

 

 ※もしも国会議員ソフトバンクユーザーがいたら、吉野家の牛丼1杯無料サービスに並んでみてほしい。国民の生活に寄り添う政治ってそういうことだと思う