サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ガンダムの新作を無批判に喜ぶバカどもが日本のアニメのレベルを下げている

こんにちは。

 本日のブログのテーマは「ガンダムの新作」。昨日その新作発表があったとのこと。新作名は「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」。小説家、福井晴敏によって描かれた「機動戦士ガンダムUCユニコーン)」から1年後を描いた続編なんだそうな。とかいっても僕、このガンダムUCを観ていないだけでなく、そもそも新作のガンダムにはまったく興味を持てません。っていうかもう新作を作ることそのものが不毛とさえ思っています。観ていないんだったら文句つけるな!とお怒りのファンもいるだろうけれど、まぁそんな息を荒くするな。なんで不毛かを説明してやっから。

 

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©創通・サンライズ

 

www.cinematoday.jp

 

gundam-nt.net

 

 さらにはハリウッドで実写化も。

japanese.engadget.com

 

 そもそもこの「機動戦士ガンダム」の世界はすでに幕を閉じている。つまり完結しています。連邦軍アムロジオン軍のシャアとの戦いを描く「機動戦士ガンダム」以降「Zガンダム」「ガンダムZZ」、アムロとシャアの最後の戦いがテーマの「逆襲のシャア」、その30年後の「F91」、さらに時代を進めた「Vガンダム」。興味ない人には単なる固有名詞の羅列になっていますけれど、ここまでが本来、富野由悠季監督の描いていた「宇宙世紀」という架空の時代を舞台にしているガンダムでした。その他にも多くの外伝がオリジナルのビデオやゲームなどで描かれているけどややこしいのでテレビ、映画作品のみで時系列を考えます。

 

 このガンダムの時系列は作品の人気に目をつけた企業がさらなるファンや子どもたちを取り込むための新作「機動戦士Vガンダム」を作ったり、本編の宇宙世紀モノとは異なったパラレルワールド的な「アナザーガンダム」の制作に手を付けたりするようになったことで迷走することになりました。スポンサーなどの思惑で、自分の作品が独り歩きをしていると感じた富野監督は「自分の手を離れているガンダムを、もう一度取り戻してやる!」と決意。今後も作られていくだろう「ガンダム」を包括できる作品。具体的にいうと、他人の作ったアナザーガンダムを本筋の舞台である宇宙世紀の前後に存在したとされる謎の多い時代「黒歴史」のものであると定義。そしてそれらの黒歴史時代をも含めて、ガンダム年表の一番最後に刻まれる時間軸の作品「∀(ターンエー)ガンダム」を作ったのでした。「∀(ターンエー)の時代がガンダムの締め括り」とすることで、この先誰がどんなガンダムを作っても、それらの時代は必然的に「∀(ターンエー)」の時系列の前に位置することになる。こうすることによって、他人の作ったガンダムも自分の作品として取り込もうと考えたのです。

 

 社会学者やマンガ原作者との対談集「戦争と平和(2002年)」では、富野監督がその当時のことを語っています。

 

大塚:アニメの中でも「ガンダム」が特徴的だったのは、作品の中に架空の歴史が出来上がっていったところですよね。放映されたアニメの内容に対して、後に続くマニアたちがどんどん接ぎ木していって、膨大な歴史みたいなものを構築しちゃったわけです。ところが『∀』というのはそういうガンダム世界の歴史の用のものそれ自体をテーマとしてとらえて、改めて表現の対象にしたように思います。富野さんは最初の『ガンダム』の時に世界の内側にああいう年表的な時間軸を作ろうという発想がそもそもあったんですか、それともああなっちゃったんですか?

 富野:まったくありませんでした。ああいうふうに年表が組み立てられていくということについては、大きなお世話だという印象しかなかったです。(中略)物語を作るというのはそういうもんじゃねぇだろうという、単純にそれだけの話です。だからあの年表を作りたがる人たちの知恵の発動というのはどうにも小賢しいとしか見えなくて、なぜ贔屓の引き倒ししかやってないんだということに気が付かないんだろう、そういう意味では、まさに「愚民どもが!」という感じですね。

 

 そんでもって富野さんが『∀』の作品論をこう語っています。

 

 富野ガンダムシリーズの中には自分の関わっていないものもあるんですが、それが一度発表されたものである以上は事実として向き合うしかない。それがどんなに違う作品であっても「ガンダム」という名がついているものは全部取り込めないだろうかと考えました。(中略)そのときに思いついたのが『黒歴史』だったんです。時間をすっ飛ばすというふうな手法として発想しただけのことであって、歴史を作るなんていう風には考えていません。ただその時に思ったのは『意外に、これはリアリズムかもしれないな』ということです。つまり事実として公表された作品についてはその中にあるどんな絵空事の歴史も、これはあった事だと考えて飲み込んでいき、その作業を通じて現在を作るという姿勢です。

 ササキバラ:そうなると例えば年表が好きで組み立てたりする、おたく的なある種のマニア層の歴史の受け取り方と富野さんの歴史の向き合い方ってかなり違うと思うんですよ。

 富野:うん、きっと違うと思います。

(中略)

ー富野さんがそういう形で『∀』で回収したものを、もし他の作り手が小手先で年表の間を埋めるんじゃなく、もういっぺんひっくり返したいという人が出てきたら、富野さんは受けて立とう!という気になりますか?

 富野:申し訳ないけど、受けて立つ気はまったくありません。どうしてかというと、『∀』の黒歴史をさらにもう一回ひっくるめるなんていう、そんな力業ができる人がいると思えないから。

 全員:(笑) 

 富野:すごく傲慢かもしれないけど。

 ササキバラ:どっちかというと一般的な反応というのは、年表の一番後ろに『∀』を書きこんで、その前とどうつなげようか考えるだけの、そういう受け取り方が多いような気もします。

 富野:(そのつなげる作業をする人は)出てくるでしょう。『黒歴史』ということばを思いついたときから出てくるだろうと思っていたし。だから(∀の世界を)5千年前かも知れない。1万年前かもしれない、3千年前かもしれないというふうに全部ことばを散らしておいたのは「お好きにどうぞ」っていうことです(笑)

 ササキバラ:そんなふうに富野さんが込めた意図というのは、たぶんピンときていない人も多いんでしょうね。 

 富野:そう感じています。それでいいんじゃないですか。

 上野:きてないほうがいいんでしょ、富野さん的には(笑)"

 

出典:戦争と平和 富野由悠季 著 徳間書店発行

 

 今回はやたら長い引用になったけど、これを読んでいて「富野さんすげーわ」と心底感心させられたのと同時に、富野さんのビジネスに乗るのはやめておこう。と思ったんですよ。だって不毛でしょう?どんなガンダムの物語を作っても、結局ガンダム全体としては『∀」のエンディングにオチが収斂されていくなんて意味ないだけじゃなくそれって富野さんの掌で踊っているだけじゃん。

 

 結局のところ、富野監督は商業クリエイターであり、僕らはそれを享受する消費者。それは身も蓋もない言い方をさせてもらうなら「作品を作ってお金を出させてナンボな側」と「お金を払う側」っていう関係です。この対談に「富野のおっさん、エグいこというわー」と苦笑しながらもその内容に頷いたり、反論したりしながらもガンダムに金を払える人たち。つまりその大人な関係性を分かったうえで子どもっぽい「大きなお友達」をやれる人たちこそ「オタク」だったのです。

 この富野対談を「ファンをバカにしている」とか「話のドライさに傷ついた!」っていう人がもしいたらオタクの素質はありません。さっさと「自称オタク」やめなさい。そういった他人の作る物語と距離を置けず、客観性や批判精神を持たず安易に物語にのめり込む人たちは「オタク」よりも「ネトウヨ」の素質があるので、人生をドブに捨てないよう気をつけて下さい。あと、この対談で文字を赤くしてある部分を読んでいてこれらの話が「日本の抱えている諸問題の根幹」につながっていることも分からない奴らはもっと本を読め。

 

 「作品=商売」っていうのを分かっているうえで作品を論じたり楽しんだりするのがオタクの作法。ただ、僕は富野さんの作品論ってか社会批評は好きだけど、この「ガンダムビジネス」に乗ろうとは思わない。単にそれだけです。おそらくこの先もガンダムは作られるだろうけど、どれも富野さんの作った「黒歴史」の枠から逃れられずに取り込まれていくことで、結果的には「富野ブランド」として回収されていく構図。この構図を僕は「ガンダムフランチャイズ」と呼んでいます。これを不毛と思わないファンは、どうぞ富野さんの掌で踊り続けるだけの「ガンダムフランチャイズ」楽しめばいいんじゃないの?

 

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※この本の表紙に書かれている「アニメーションだけが、戦争を描き続けた。」というコピーの重さをどれだけの人が理解できているのか。この本で富野監督がいう「歴史」との向き合い方っていうのは「ガンダム」だけじゃなく、この国と周辺国の「歴史認識」についても繋がることぐらい理解しておけな。ちなみに富野さんと対談者らもこの本で「宗教や民族などの違いに国境線を引いたことでぐちゃぐちゃになったのが『近代』である。これを根本的に変えるには過去に戻って対話をする以外にないし、そのために現代人は広い心を持てるような認識論を高めていくほかない。そこで大事なのは、自分たちや相手の日常と歴史にも黒歴史があり、そこから逃げないで向き合い続けることである」と、結論づけていました。今、この国の政治家や官僚にはそれができずにいる引きこもりが多くて困る。

 

 

 

 


 

 

※この富野さんのいう「他者の歴史と日常」に向き合うことの大事さを分からないバカたちがこんな騒動を起こしたりするから情けない。物語の作り手とファンで握手できていない最低のパターンが以下記事だけど、これは小田原だけじゃなくて、たぶん日本のあらゆるところでこういうバカがいるってことだろう。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 さらにいうとまっとうな歴史感覚や生活に根差している思考や思想もないから、架空のアニメキャラに学べ!とかバカなことを書く本も出てくる。

arrow1953.hatenablog.com

 こんな本読む奴の頭の程度はギレンのセリフをパクッて「不正受給はカスである!」とかほざく職員と同じレベルだからね。だけどガンダムってこれだけ多くの商品、映像になっているのにガンダム放映時に版権を30万円で売っているので、富野監督に大したお金は入ってこないというウソみたいなほんとのエピソードには驚きだわなぁ。