サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

5人戦隊モノの特撮で、今までレッドを女性が務めていないのがこの国の限界

こんにちは。

 本日も混雑の激しい中央線や山手線を乗り継いで、会社に向かうところです。週末の土日には、たいてい妻と子どもの3人で家の中でゴロゴロしたり、遊んだり電車で買物に出かけたりして時間を過ごしたりしていますが、雨の日にはもっぱらテレビ。土曜のウルトラマンや日曜のプリキュア仮面ライダー、戦隊モノの特撮をヘビーローテーションで鑑賞していたりします。

 

スーパー戦隊シリーズ - Wikipedia

 

 その中でちょっと注目しているのが、現在放映中の「Hugっと!プリキュア」と「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」。

 

www.toei-anim.co.jp

 

www.toei.co.jp

 この「ルパンレンジャーVSパトレンジャー」は作品のタイトルを見て分かるとおり、本編に2つの戦隊が登場。お互い怪盗と警察という交わることのない立場にいながらも共通の敵となる組織があり、2つの戦隊は「対立」しながらも時に「共闘」することで
巨悪に挑む。という構成になっています。従来の戦隊モノになかったこの構図は結構、多くの子どもやファンなどにもウケているみたいで「5人戦隊モノ」の新機軸として、おおむね評価も高いそうな。

 

 そこで話は前後しますが、先日話題になったプリキュアのあるエピソード。

www.huffingtonpost.jp

 記事の副題に「ジェンダーの多様性に切り込んだ歴史に残る回」とあります。どんなエピソードだったのかはリンク先の記事を引用で紹介。

"「はぐプリ」は、中学生の女の子・野乃はな達が、不思議な赤ちゃん「はぐたん」を守るため、そして世界の未来を守るために、伝説の戦士「プリキュア」に変身して悪に立ち向かっていくストーリーだ。そんな「はぐプリ」の19話(6月10日放送)でのキャラクターの発言が、Twitter上で「ジェンダーに切り込んでいる」と反響を呼んでいる。(中略)

 19話では、主人公・野乃はなの妹の同級生・愛崎えみるが、新進気鋭のデザイナー吉見リタ氏からギターの腕を買われてファッションショー出演のオファーを受けるところから始まる。ショーのテーマは「女の子もヒーローになれる!」だ。

 えみるは、ヒーローに憧れる、エレキギターが好きな女の子。だが、いまいち自分に自信が持てず、心配性も相まってオファーを受けることを渋っていた。ギターも兄・正人に「女の子らしくないし、家風に合わない」と反対されている。そして正人は、同じくファッションショーでモデルを務める同級生の男子、若宮アンリにも、敵意を向けていた。アニメの中ではネクタイをリボンのように結んでいたアンリに向かって「女子みたいだよ、君の格好。男子の中で浮いているのが心配なんだ」とからかい、ショーのテーマに反発して、えみるに「自分の考える理想の女子像」を押し付ける"

 

 こういった「男子、女子はかくあるべき」という価値観によって妹のえみるを委縮させ、同級生を笑う正人を見て「プリキュア」のはなは「誰の心にもヒーローはいる。人の心を縛るな!」と怒鳴りつけるのです。記事にあるとおり、えみるは「プリキュア」に憧れており、自分もプリキュアになりたい!と願う少女。今回、このヒーローになりたいというえみるを見ていて、ふと僕は作品の世界観こそ違えど、長年ヒーローとして戦い続けている「5人戦隊モノの女性」についてこう思ったのです。

 

 「今年で40数本目になる戦隊モノで、どうして女性が作品の中心であるレッドを通年で務めているシリーズってないんだろう?」と(作品の後半でちらっと女性レッドが出たシンケンジャーは例外)。これだけ女性の社会進出が話題になっており、こういった社会の世相に敏感な筈のサブカルが「戦隊の象徴を担うレッド」の作品を誕生させていないのは何故なのか?あ、ちなみに、女の子がリーダーという形で物語の象徴を務めているロボットアニメは1976年にタツノコプロが制作をしています。

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©タツノコプロ ゴワッパー5ゴーダム

ゴワッパー5 ゴーダム - Wikipedia

 

corp.toei-anim.co.jp

 

 対立する2つの戦隊っていうのも確かに新機軸なんだけど、上記リンクにもある通りプリキュアの「女の子も暴れたい」という企画コンセプトが多くの支持を受けて今年で15周年。だったら戦隊モノだって「女性レッド」はアリだろ?と僕は思うし、先述のシンケンジャーで期間限定であっても女性のレッドを登場させた実績もあるんだから、5人戦隊モノで新しいことを!と考えたんだったら順序的にこっちが先なんじゃねーか?といいたい。この女性レッドを実現できるかどうかこそが、この国での将来的なジェンダーのありかたを左右すると思う。 

 っていうことをブログで書いたら反響っていうか罵詈雑言の評価で広まっており、なんだかなぁと思いながら寄せられたブクマのこめんとに目を通していました。内容の評価はともかくとして、多かったのが女性レッドはいない(ちょっぴり物語の後半に女性レッドが登場したシンケンジャーを除く)、レッド=リーダーではなく物語の象徴と、わざわざ赤文字で書いてやってるのに「シンケンジャー知らないのか?」「リーダーがレッドじゃない作品もある!」とか書いてくる人を見ていて、つくづく「本文読まずにブログのタイトルだけに反応するパブロフの犬がこんなに多けりゃ、そりゃフェイクニュースも広まるわな」と思わされました。このセンテンス、大事なので強調をします。
さぁリピート、アフターミー!

 

「本文読まずブログのタイトルだけに反応するパブロフの犬がこんな多けりゃ、そりゃフェイクニュースも広まるわな」

 

 まぁ犬だからこそ同じセリフを吠え続けるんだろうけども。

 さて本題。このブログは別に論文でもないので自分の私見をつらつら書いていますが数多くある特撮番組で、戦隊ヒーロー(5人戦隊で育っているので馴染まないな)こそ最もジェンダーレスな存在であるというのは僕の見解です。原則として戦隊ヒーローのメンバーは全員同じスタイル。(キャラ固有のヘルメットのフォルムやカラー、女性メンバー特有のスカートの有無などの違いを除く)。そのベーシックなスタイルだけを見てみると、そこに性差はあんまり感じません。これはどうしてかというと、戦隊モノのコンセプトがあくまで「集団」だからだと僕は考えます。コンセプトのテーマが集団であり、いってみればメンバーの集合体そのものが主人公であるなら、集団の象徴(レッド)を女性キャラに担わせることだって可能じゃないのか、と僕はいっています。メンバーの比率が全作品を通じてだいたい男女で3:2前後だったら(くどいけど例外はある)男の子だけじゃなく女の子にも広く訴求できる作品を作れるんじゃないですか?という提案です。なんだか知らないけれど女性レッドを作るべき!とか、俺はそんなこといってねーっつーの。リーダーや司令官が女性の作品も過去にあるというの批判もえらいピントが外れている。僕が何度もいってるのは集団の象徴。つまり「女性メンバーはAKB48でいうところのリーダー高橋みなみではなくて、センターの前田敦子になれないのだろうか?」という問いかけであり、そこに金脈はあるんじゃないの?という話を何度もしているだけ。

 

 あとこういうのも多かった。「女をレッドにするならプリキュアに男がいるべき」。いっておきますけど、プリキュアは80年代の魔法少女の系譜にある物語です。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

以下、記事を引用。

 

セーラームーンというマンガはどのジャンルに属するのかを考えた時、おそらく「バトル系」でなくて「魔法少女系」ではないだろうか?と僕は考えています。 日本のサブカルで「魔法少女」をテーマとするアニメ、マンガ作品は横山光輝の 「魔法使いサリー」がこのジャンルの最初であり、この後「魔女っ子メグちゃん」や「魔女っ子チックル」、「魔法少女ララベル」等の系譜で受け継がれていきます。彼女たちは自らの万能な魔法を使って、周囲のトラブルを解決したりするけど、80年代以降にこの万能な魔法を使う女の子は少なくなっていき、代わりに台頭してきたのは 「魔法のプリンセスミンキーモモ」、「クリィーミーマミ」「ペルシャ」「マジカルエミ」などアイテムを使う事で自分が大人の専門職になり、自分自身の職業スキルでトラブル解決にあたるタイプの主人公達でした。例えば周囲にけが人がいたら看護師に変身をして人助けをしたり、自宅の近くで喧嘩があったら女性警官に変身してトラブルの解決を図ったりなどなど。 だけどもこれって魔法少女とはいわないんじゃないのだろうか?サリーちゃんみたいな万能魔法を使ったほうが合理的だし、百歩譲って変身だったらウルトラマン仮面ライダーみたいな万能の力を持ったヒロインになるべきだろう。 長年こういったことを、フェミニズムの視点で考えてきたけどふと気づきました。これらのアニメが放映された「80年代」の日本はバブルによる好景気。もちろん格差はあっただろうけど男女ともに相応のお金を手にできて、自由に使える環境が整っていた時代でもありました。働く事によって女性もそれなりのお金を手にして自由に生きる=大人になって自立をする。つまり、この時代の女の子にとって万能の力を得るという事は自立した大人になること。だからこそいきなり大人になれるという事が、物語の主人公達にとって最高の魔法だったんではと思うのです。 セーラームーンの戦士達は地球を狙う悪と戦うヒロインでありながら、変身スタイルはクリーミィーマミ達と同じく着せ替えです。ここにセーラームーンが80年代魔法少女の正当な後継者である根拠を見出すことができるのでは?と僕は考えます。セーラームーンたちは変身の際に、「○○○○○○(自分の守護星。木星や金星など)パワー」と叫んだ後「変身」じゃなく、「メイクアップ(化粧)」とセリフを続けて変身を完了させる。これは女の子にとって「闘いを挑む(問題の解決にあたる)」ための手段は「自分にメイクをして大人になる事」だということを暗喩しているんでは?という解釈もできるのです。補足になりますけど、ドレスアップやメイクアップの魔法を使う魔女っ子の系譜は現在もリリカルなのはまどかマギカプリキュアに続いています。どの作品でも、ポイントになるのは姿格好の変身によって少女は大人としての自分を獲得して、物語で困難に立ち向かっていくという点にあります。 さて、では男の子はどうでしょう?男の子の場合の変身は「人知を超えたモノへの融合」です。ウルトラマンと融合したハヤタのように。仮面ライダーに改造された本郷猛のように。男の子にとって変身は「超自然的な力と自らを融合させる事で超人となる」ことを意味します。その事について具体的に言及したのは漫画家の石ノ森章太郎先生です。石ノ森先生は仮面ライダーについてこう言及していました。 「『ショッカー』とは、企んだ技術文明の象徴である。その技術の付加によって誕生するのが「仮面ライダー」だ。後には自然の守護神(平和の戦士)になるが、言うなれば“技術文明の申し子”あるいは鬼っ子のモンスターである。したがって、こうなる。自然(バッタによる象徴)が直接人類(文明の象徴)に反旗を翻すのではなく「仮面ライダー」(バッタと人類のハーフ)、即ち自然と人間が協力して“悪”に立ち向う……。」

特撮ヒーローとセーラームーンにみる変身の違いを考える - サブカル 語る。

 

  これは2年前に書いた記事ですが、女の子にとっての変身とは原則的に「大人への成熟」であり、男の子にとっての変身とは「人知を超えた力との融合による超人になること」といったジェンダーが内包されていると僕は解釈しています。プリキュアウルトラマン仮面ライダー、戦隊ヒーローとを並べた際、変身の意味合いは男の子側でありながらも男女が一定の割合に含まれており、個性を排したスーツを身につけるという意味で戦隊ヒーローは「ジェンダーレス」な存在であるといえます。それこそ、女性のイメージの強い赤を男性キャラに配したという意味においても。プリキュアのエピソードから女性の戦隊ヒーローについて考えたのはいってみれば「女子高に通う一人の少女から、共学の学校における一人の少女について考えた」ようなもので、先述の意見は「共学の少女を学校の象徴にしたから女子高も男子を入学させて象徴にしろ」といっているのと同義。女子高に例えたプリキュアに対比させるなら、ウルトラマン仮面ライダーの世界観はさしずめ男子校です。ちなみにウルトラマンにも仮面ライダーにも女性が変身するキャラはいますが、前述どおり「性差による変身の捉え方の違い」により変身の価値観そのものが異なるため、おそらく異性キャラは作品のメインにはなりません。

 

 いっておくけど、あくまで私見だからね。何度もいうけどジェンダーレスなヒーローだからこそ女性=物語の象徴になれる可能性を秘めているのが戦隊ヒーローです。実現可能かどうかはともかく、考慮の余地はある筈。別に、この意見に同意しようと反発しようと、お好きにどうぞ。

 

www.excite.co.jp

※海外ではトランスジェンダーなヒーローがメジャーになりつつある傾向もあるため、性差によるヒーローの在り方っていうのも今後変わっていくかもね。

 

  


 

 

※40年も前に女性リーダーのロボットアニメを作っていたタツノコプロの先見性をほめるべき。後、思ったとおり、現在この記事には「女性レッドなんて売れない」だの、「子ども向けの番組にジェンダー教育を絡めるな」だの否定的なブクマが集まっています。この国の限界って僕がいってるのはまさにそこ。戦隊ヒーローの象徴は、女性では成立しないものなのか?という発想や思考さえできない僕や周囲の固定概念を指して「この国の限界」って僕は言ってるの。分かる?