サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

最近のオタク共の被害者意識やメンタルの弱さについて語る

こんにちは。

 先日書いたこのブログ記事をツィッターにて紹介してみたところ思わぬ反響になり、えらいアクセスも増えました。

 

  

arrow1953.hatenablog.com

 

エロに頼らなきゃ売れない物語 

 この件を巡ってはラノベの表紙にエロ絵を使うことの是非やら、表現の自由やら、性的要素を含むことを考慮してゾーニング(子どもたちの目が届かない所で売る)やら、多くのファクターが絡み合ってややこしい話になっている印象ですが、僕の考える本質とは「小説や漫画の表紙にエロ絵を使う必然性は何?」っていうだけです。物語というコンテンツだけで売れないからエロ絵でオタクを引き付けて売るというアコギな商売は結局のところ物語に魅力が足りないと販売元が公言しているも同じで、僕はそれを「物語の敗北」と呼んでいるっていう話であり、そんな商売を続けていたら結果的に小説も漫画も「物語る力」を衰退させていくだけなんじゃないか?という元アニメの制作進行だった男からの問題提起でしかありません。だけど、同時にこういうエロ絵の独特なエロチシズムについて理解もしています。

 

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エロを認めたくないがための言い訳「表現の自由 

 上記イラストは大学のゼミ研究(だったんだが興味なかったとはいわない)で買った90年代のエロ漫画の表紙ですが、この男性の性欲を満たす目的で出版されたエロ漫画の表紙と上記ラノベ表紙を比べたらドン引きする人はいるでしょう。

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 記事にこのラノベは特別な作品で、他のラノベはそんな過激じゃない!とかいう人もいたので調べてみたところ。

 

togetter.com

 

 ブログの質を落としたくないのでリンク先の画像は引用しません。まぁこれも一部のラノベのみであって実際には、エロ絵に頼ることのない作品も多いのかもしれません。ただ、上記リンクのイラストを掲載している作品は常識的にこちらの領域だよな。どう考えても。

 

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 エロ絵に抱く性欲自体を否定したりしませんが、どこまでいってもそれらは一般的な常識とは交わることのないものだというのは自覚をしておけ。そして現代のオタクらがそんなエロ絵ばっかりに食いついている状況は長い目で見るとラノベや漫画の「物語る力」を削いでいくことになり、サブカルはその結果衰退をしていくぞ。という話だったんだけど僕のツイッターには「境界線上のホライゾン(上記画像の作品)を読んでいないくせに否定するな!」とか「表現の自由を奪うな!」みたいなコメントなども多く、ゲンナリさせられております。いっておきますけど表現の自由は公共の福祉に反さないかぎりという前提ありき。いくらエロ絵好きでも、それを不快に思うという人たちがいたら両者の権利の対立が発生する。そこで互いに妥協案を模索するっていうのが小・中学校で習うこの社会のルールという基本を理解できてない大人たちが多いことに、驚きでした。
  

公共の福祉とは「お互いの自由と人権の公平性を保つための原理」も含んでいます。 もしも、この公共の福祉が公益のみを意味するものだったらどうなるか。例えばあるコミュニティーで僕がヘビースモーカーだとします。20歳を超えた成人だったら僕にはタバコを吸う権利がありますが、その一方で僕の周辺には「タバコのにおいや煙がイヤなので、私の近くで吸わないでもらいたい」っていう人たちが大勢いて、僕みたいな喫煙派が少数だとする。公共の福祉が公益だったら僕のタバコを吸う権利が認められません。この場合、喫煙という行為は「大勢の利益に反するから」です。それとは逆に嫌煙家が少数派でヘビースモーカーが大勢な状況なら「タバコ吸われるのはイヤなのでやめてほしい」といえません。この場合「喫煙できる環境」こそ公益となるためです。 このように両者の(幸せを求める権利)が対立する場合には、お互いの持つ権利を最大限尊重して解決策を模索する。上記のケースならオフィスに「分煙室」をつくるという妥協案あたりが現実的な解決策になるでしょう。

自民の改憲漫画が、あまりにも酷い - サブカル 語る。

確かに何をもって「エロ表現」っていうのかは異なります。なので、そういう人たちは多分何の負い目もないでしょうから堂々と職場でこの抱き枕のイラストを同僚たちに見せてみたらどうでしょう。自分の判断基準だけに頼らず、第三者の客観的な判断を加味して物事の是非を吟味する。コレ、社会人の常識なので。

 

 ちなみに社会はこういった抱き枕みたいな萌え系のエロイラストを、どう認識するのでしょうか?そのヒントは以下PDFにあります。

 

https://www.hataraku.metro.tokyo.jp/sodan/siryo/24koyoubyodoGB_01.pdf

 

行政の定義からエロ絵の「表現の自由」を考える

 リンク先のPDFによると東京労働局が平成23年度の男女雇用機会均等法に関する相談を受けた3450件のうちセクシャルハラスメント(セクハラ)に関わるものがおよそ1900件。その結果を受け、同局はセクハラを「相手方の意に反する性的な言動」と定義して、それを幾つかのパターンに分類しています。萌え系のエロイラストは下記の「環境型」に該当する可能性があります。

 

⑵ 環境型
 職場において行われる労働者の意に反する性的な言動により、就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、その労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じるものが「環境型」です。

<ex>
・事務所内で事業主が従業員の肩・腰などにたびたび触ったため、その従業員が苦痛に感じる「身体接触型」
・同僚が取引先に「性的にふしだらである」などの噂を流したため、従業員が苦痛に感じる「発言型」
・事務所内にヌードポスターを掲示しているため、従業員が苦痛に感じる「視覚型」

 

 国家公務員に基づき設立された人事院の「人事院規則10-10」で定める指針では、セクハラになりうる言動についてこのように述べています。以下引用。

⑵ 性的な行動関係
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
①ヌードポスター等を職場に貼ること。
②雑誌等の卑猥な写真・記事等をわざと見せたり、読んだりすること。
③身体を執拗に眺め回すこと。
④食事やデートにしつこく誘うこと。
⑤性的な内容の電話をかけたり性的な内容の手紙・Eメールを送ること。
⑥身体に不必要に接触すること。
⑦浴室や更衣室等をのぞき見すること。

出典:職場におけるセクシャルハラスメント ー東京都ー

 

 僕の会社でもこのようなガイドラインに基づいて、人権啓発の一環でセクハラ対策に取り組んでいます。いうまでもなく「企業」「職場」というのは大勢の人が集う公的な空間。このため僕が職場にアニメの女性キャラクターがセミヌードとなっているグッズを持ち込んだらセクハラ認定により一発懲戒モンです。アニメだろうが実写だろうが内面の自由を語ろうが、他者を不快にさせる行為を企業は許さない。

 

 さて。ここからはそのパブリックスペースにおいて行政がこういった見解を示していることをどう捉えるべきなのかを考えてみましょう。おそらく職場にエロ系のイラストを持ち込むのと、店舗でエロ絵グッズを売るのは異なる話だ。それは議論のすり替えだ!という人たちもいるかも知れません。確かに職場におけるセクハラガイドラインとエロ絵の是非には直接的な関係は薄いでしょう。だけどこの両者は「公的空間」であることに変わりはありません。店に来るのはエロ絵大好きなオタクだけでなく、それらを嫌う女性や子どももいます。そのエロ絵を嫌う人たちに卑猥なイラストを見せるような環境は果たしてどうなのか?誰でも閲覧できるインターネットという公的空間で番組の公式サイトが萌え系エログッズをプロモーションするのはどうなのか?という想像力をエロ絵大好きオタクが持てるかどうかが重要なんだけど「表現の自由」を声高に叫ぶ人にはそれが欠けています。今の話を分かりやすく例えると、職場の中で大声を発してワーワー騒いでいる人がいたとします。当然、周囲はその人をうるさくて迷惑だと思うでしょう。それは職場だけではなくて電車でも同じ。車内でもしもワーワー大声で騒ぐ人がいたら周囲もまた同じように迷惑であると捉える。それはどちらも自分と他人が同じ時間を過ごす「公的空間」だからであり、そこでは他人に対して迷惑をかける言動や振る舞いを行わないとの「常識」があるためです。従って、職場でエログラビアに嫌悪の感情を抱く人たちがお店でエロ系萌えグッズなどを扱っているのを見た時、行政の示したセクハラの定義にある行為とみなすのもおおいにありうることであり、それは軽んじられるものでもありません。

 

日本国憲法を通じてエロ絵を考える

 日本国憲法第3章には「国民の権利及び義務」についてこう書かれています。

 

第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

手前味噌ではありますが、これらを僕なりに翻訳します。

 

皆さんは独立した思想や考えを持っている『個人』であり、公共の福祉に反しない限りその個性は最大限尊重されるべきです。

※他の個性の考えている『幸せ』と衝突した時には議論によって、両者の落としどころを探しましょう。その個性を暴力や権力などで捻じ曲げるようなことがあってはいけません。

自民の改憲漫画が、あまりにも酷い - サブカル 語る。

  

 簡単に「表現の自由」を語ってエロ絵を正当化したがっている人が多いけども、それを見たくないという人の「人権」を考えると、そんな簡単なものじゃありません。もちろん萌え系エロが好きで欲する人たちの人権もあり、それについても尊重されるべき。そのためにもう一度オタクや業界はサブカルにおけるエロ表現について考えろと僕はいっているのです。表現の自由なんていう言葉で言い訳をせず、それを欲する自分とそれらを嫌う他者について考えろ。そのうえでエロの基準やその商品流通の在り方(それこそグリッドマン抱き枕から、キズナアイなどを含め全般の)ゾーニングやプライベート空間のみの所有など社会と折り合いをつけながらお互いの納得できる妥協点を探すべきだと、何度も訴えているのです。分からない奴らが多くて、イヤになるけど。

また、それは逆に言うと

「公共の福祉の考えに基づき、萌え系エロを女性の性的消費であると捉えて嫌がる人に配慮できないような奴に『表現の自由』なんてあると思うな!」ということでもあると、この場ではっきりいわせてもらいます。

 

オタクなんて周囲から嫌われてナンボ。被害者意識を持つな!

 メディアなどで「オタク文化」が取り上げられる機会が90年代以降に増えたためかカン違いしている人を最近、多く見るけど僕にいわせりゃオタクなんて社会から嫌われてナンボ。最初にオタクなるものが認識された70年代~90年代の前半にかけてアニメやマンガ、TVゲームなどのサブカル表現は子どものモノであるというのが一般的な認識であって、その認識とかけ離れた僕たちオタクという存在は、世間から見たら嘲笑の対象でした。それでもそれらを手放せない大人たちはプライベートな領域の「個」の空間と社会的領域の「公」の空間を使い分け、その趣味を「個」の空間だけで楽しむことで世間との折り合いをつけていた。それは僕らオタクたちの処世術であり作法ともいえるものでした。

 

 それを考える時にいつも思い出すのが、高校時代のある同級生です。その娘もご多分に漏れず子どもの頃からアニメやゲームが大好きで、その趣味が高じてコスプレに興じるようになっていました。その娘とは隣の席だったのお互いにとりとめのない話を交わす程度の仲になっていました。そんなある日。彼女は「AMはこういうのどう思う?」といいながら一枚の写真を見せました。そこには彼女がドラクエⅣのアリーナになりきっている姿が写っていました。どう思うも何もその頃にアニメージュアニメディアニュータイプなどを購読していたのでコスプレについてはある程度知識もあった僕は(当時はクラス40人として「コスプレ」っていう単語が分かるのはせいぜい一人か二人。そんな時代だったんだよね)「コスプレか。僕はやらんけどおもしろそうだな」と、率直な感想をいいました。彼女はそれを聞いて「AMだったらたぶんそういってくれると思った」と安堵の息を漏らして嬉しそうに笑いました。学校で自分の趣味やすきなことの話を周りにしてみたい。だけどもコスプレなんて周りも知らないし、教えてもクラスメートにバカにされるかも。という葛藤を抱えていた彼女はその頃からアニメや特撮の雑談を周囲と楽しんでいた僕に目をつけ「AMだったらたぶん私の趣味を分かってくれるかも!」という想いを抱いて、周囲に言えなかったコスプレ趣味を教えたくなったそうです。コスプレは今でこそ多くの人に認知される趣味となってきていますが、30年前は人から理解されるどころか嘲笑されてあたりまえのものでした。ツイッターやインスタグラムで誰かがアップするコスプレ写真を見る度に、僕はあの娘が見せた安堵と喜び混じりな笑顔を思い出します。

 

 先述したとおり、そんなアニメやオタク文化も90年代の後半になって、攻殻機動隊の海外ヒットやエヴァンゲリオンのブームをきっかけにそれらは「ジャパニメーション」という括りで呼ばれるようになり、アニメやマンガ、ゲームは日本の誇るべき文化とかいう論調が多くなっていきました。その結果「オタク文化」といわれているものがある程度市民権を得たというのは、僕を含めオタクたちにとっては今までの息苦しさを解消させる可能性のある喜ばしいものだったことは皆さんも想像つくでしょう。だけど。多くの人に認知される。市民権を得るっていうことは同時に社会へのコミット能力や異文化としてのオタクの在り方を伝えるためのコミュニケーション力も求められていた。それをオタクは理解できていなかったのです。いってみれば社会はオタク文化の側面を認識しただけであり、それをオタクは「自分たちの趣味は社会に認められた」と勘違いした。そこからオタクは自分たちの趣味や振る舞いなど公私を区別せずに垂れ流したため、オタク文化の負の側面に対しての批判も集まるようになってきた。その批判がなぜ寄せられているかを理解できず狼狽したり、社会的なコンセンサスと照らし合わせて異議を唱える人たちに怯えて噛みついているのが現在のオタクの実情なのだろうと僕は思います。所詮オタクなんて社会から嫌われて、疎まれてナンボ。それを、「自分たちは社会から迫害されている」なんて被害者意識をみっともなく振り回すな。っていうだけのこと。

 

 結局のところ、現在のオタクっていうのは自分の好きな作品が他者に肯定されたか、否定されたかだけが大事でありその作品の背後にある「社会」っていうものをまったく見ていないということが今回の件でよく分かりました。だから前回の記事みたく自分の好きなものについて、否定的だと思えるような声などには自らの「楽しさ」を守るためだけに文脈を読まずやたら噛みついてくる。そういう意味でナイーブであるともいえるけど、そのメンタルの弱さを情けなくも思います。それは以下のブログ記事に多く寄せられたコメントを読んで思ったことでもあるけど。

 

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 今回についていえばアニメ業界やオタクたちが「抱き枕カバーやラノベのエロ絵は、表現の自由」といくら訴えても、もしも社会が「エロ認定」したらそれは「エロ」です。それをエロじゃないと社会に認めさせたいなら苦言に背を向けたり牙をむいたりせずに対峙して積極的にコミットする中で双方納得できる「エロ」基準やそれを楽しむルールなどを構築する以外ありません。フェミニズムが性的な搾取の辛さを訴えるならオタクも「迷惑かけない範囲でキャラのエロを楽しむ」権利を主張する。そのうえで両者の納得できる妥協点はないか模索する。その折り合いは簡単ではないけど、少なくとも現在の異議についてなんでもかんでも敵意をむき出しにして言葉の暴力で殴ったり噛みついたりする態度よりも誠実ではあります。フェミニズムの人もそこを言っているのです。「私たちの辛さを訴える声を聴いて!表現の自由という言葉で耳をふさがないでよ!」と。

 

 また、フェミニズム云々とは別の観点から僕は注意を促してもいます。財務大臣の麻生や自治体、自衛隊などがポピュリズムを得るためオタク文化にすり寄っている現状がありオタクたちも調子に乗っていますが「オタク文化の奴らは誰とも対話できない」とのことになり、人々も飽きてその発信力も賞味期限切れともなれば「利用価値なし!」として社会はオタク文化を躊躇わず切り捨てる。確実に。話の通じない奴はどの集団にいたって邪魔でしょ?だからこそ僕はこのブログで「表現の自由という単語に甘えて閉じこもらず社会と対話しろ!それこそオタク文化を守るために重要なことなんだぞ!お前らいい加減に理解しろ!」と怒鳴り続けているのです。

 

 

 追記:こういうのを見ると、もう被害者意識全開なオタクはオウムと変わらないな。

 

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※手前勝手な物語(妄想)に引きこもって外界に目を背けるという意味でネトウヨとも同じメンタリティーもっているんだろうな。俺の中ではオタク=オウム=ネトウヨだ。

※俺は優しいからいってやるけどオタクが「表現の自由!!」とか叫んで守ろうとしているのものは所詮、アニメキャラの萌え系エロ抱き枕やラノベの表紙程度のものだっていうことのみっともなさに気づいた方がいいよマジで。