サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

クリィミーマミたち「魔法少女」はプリキュアの原点

こんにちは。

 

 朝遅く起きて何気なくツイッターを眺めているとこんな情報が流れていました。

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画像は以下のツイートより。

 

 妹が子どもの頃に大好きだったアニメで、僕もその隣でなんとなく見ていたのを、今でも覚えています。さて、本題。この「魔法の天使 クリィミーマミ 」は魔法の力を得た女の子が現実世界で活躍する、いわゆる「魔女っ子アニメ」に属する作品ですが、このジャンルこそ現在の「プリキュア」「セーラームーン」の原点だと僕は考えております。

 

 

 

日本における魔法少女の系譜 

 まずは魔法少女アニメ、マンガのおさらい。日本で「魔法少女」をテーマとするアニメやマンガ作品は横山光輝の 「魔法使いサリー」がこの分野の最初であり、この系統は後に「魔女っ子メグちゃん」や「魔女っ子チックル」「魔法少女ララベル」等の系譜で受け継がれていきます。彼女たちは自らの万能な魔法を使って、周囲のトラブルを解決したりするけど、80年代以降にこの万能な魔法を使う女の子は少なくなり、代わりに台頭してきたのは 「魔法のプリンセスミンキーモモ」、上述の「クリィミーマミ」「ペルシャ」「マジカルエミ」などの変身アイテムを使うことで自分が大人の専門職になり、自分自身の職業スキルでトラブル解決にあたるタイプの主人公たちでした。例えば周囲にけが人がいたら看護師に変身して人助けをしたり、自宅の近くで喧嘩があったら女性警官に変身してトラブルの解決を図ったりなど。(もっとも、クリィミーマミはアイドルでマジカルエミはマジシャンと、職業を固定されているけど)

 

 だけどこれって魔法少女とはいわないんじゃないか?サリーちゃんみたいな万能魔法を使ったほうが合理的だし、百歩譲って変身だったらウルトラマン仮面ライダーみたいな万能の力を持つヒロインになるべきだろう。 長年こういうことをフェミニズムの視点で考えてきたけど、ふとこの間気づきました。これらのアニメが放映されていた「80年代」の日本はバブルによる好景気。もちろん格差はあっただろうけど男女ともに相応のお金を手にできて、自由に使える環境が整っていた時代でもありました。働くことにより女性もそれなりのお金を手にして自由に生きる=大人になって自立をする。つまりこの時代の女の子にとって万能の力を得るということは自立した大人になること。だからこそいきなり大人になれることが、物語の主人公たちにとって最高の魔法だったのだろうと思うのです。

 

女の子にとっての変身とは「大人になること」 

 プリキュアセーラームーンたちは地球を狙う悪と戦うヒロインでありながら、変身スタイルはクリィミーマミ達と同じく着せ替えです。ここにプリキュアセーラームーンらが80年代魔法少女の正当な後継者である根拠を見い出すことができます。歴代プリキュアの変身アイテムには女性の化粧道具であるコンパクトやパフュームを模したものが多く、それらを使って着替えや化粧を施す。セーラームーンたちは変身の際に「変身」じゃなく明確に「メイクアップ(化粧)!」と叫んで変身する。これは女の子にとって「闘いを挑む(問題の解決にあたる)」ための手段は「自分にメイクをして大人になること」だということを暗喩していると解釈もできます。ポイントは姿格好の変身によって少女は大人としての自分を獲得して、物語で困難やトラブルに挑むという点にあります。

 

男の子にとっての変身とは「超人になること」

 では男の子はどうでしょう?男の子の場合の変身は「人知を超えた者との融合による超人への変化」です。ウルトラマンと融合したハヤタや仮面ライダーに改造された本郷猛のように。男の子にとって変身は「超自然的な力と自らを融合させる事で超人となる」ことを意味します。そのことについて具体的に言及したのは漫画家の石ノ森章太郎先生です。石ノ森先生は仮面ライダーについてこう述べています。

 

「『ショッカー』とは、企んだ技術文明の象徴である。その技術の付加によって誕生するのが「仮面ライダー」だ。後には自然の守護神(平和の戦士)になるが、言うなれば“技術文明の申し子”あるいは鬼っ子のモンスターである。したがって、こうなる。自然(バッタによる象徴)が直接人類(文明の象徴)に反旗を翻すのではなく「仮面ライダー」(バッタと人類のハーフ)、即ち自然と人間が協力して“悪”に立ち向う……。」

(以下ブログより)


初代の石ノ森版メモ - 日記

 

安易な「超人」にすがらない強さ 

 本郷が改造手術で「バッタ」の超自然的な力を得て誕生した仮面ライダー。ハヤタが「遠い星の宇宙人」との融合を果たして超人となったのがウルトラマン。このヒーローの誕生の経緯は異なるけれど、両者は人知を越えた力を持つ「超人」という意味では全く同じです。自らの持つ身体性に目を背け、超人となることを求める男の子のマッチョな願望と女性としての自分を強く自覚したうえで、成熟を望むフェミニズムナルシシズム交じりの女の子の願望。両者についての是非を議論するつもりもありませんけど、女の子の考えている「変身」の方が安易な超人願望に縋らず、あくまでも自分の成長によって現実と向き合っていくという点で前向きであり、現実主義だといえるでしょう。この自分に向き合わない「人知を超えたモノ」との融合願望が、ヘンに国の歴史や伝統と繋がったりするとそれはナショナリズムや対外排外主義に突っ走りかねなくてアブない。非常にアブない。っていうかもうその傾向が強くなっており、頭を抱えています。サブカルとオタクとナショナリズムの親和性っていうのはすごいんだよマジで。