サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

2025年の大阪万博開催に映画の「クレヨンしんちゃん」を考える

こんにちは。

 先日のブログでもちょっぴり触れましたが、2025年の万博が大阪に決まりました。

 

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 その報道で賑わっていたこの間の日曜日、のんびり休日を過ごすため家族でDVDでも見て過ごそう!と思ってTSUTAYAで借りてきたのが映画の「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」。

 

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 単に周囲での評価が高いという理由だけで選んだんですけど、物語の舞台が「万博」だったとは本当に知らなくて驚きでした。借りてきたとはいえクレヨンしんちゃんには興味を持っていなかった僕は妻と娘の隣で寝そべり、ブログを書きながら横目で何度かチラ見。大まかに物語を理解できていりゃいいという感覚でいたけれど、ある場面をきっかけにこの映画をちゃんと見ておこうと思い直したのです。

 

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 - Wikipedia

 

 

 

 

大阪万博の開催を予見するかのような物語

 この作品を簡単にまとめると「20世紀(昭和30年代)」をテーマにした万博を訪れた野原一家の大黒柱「野原ひろし」と妻の「野原みさえ」は万博主催者らが会場で意図的に漂わせていた「20世紀のノスタルジー」を喚起させる匂いに洗脳されて、心が子どもに戻ってしまう。その匂いは二人だけでなく周囲の大人にも影響を与えており、いつのまにか町全域の大人が子どもに戻っていた。息子のしんのすけ(しんちゃん)とその友だちたちは子どもになった大人を助けるため奮闘する。という物語です。僕がこの映画をしっかり見ておこう!と思ったのはひろしの洗脳を解くために、息子のしんのすけが「臭いひろしの靴の匂い」をかがせる場面。その足の臭さで洗脳が解けるというのはいかにもギャグに思えますが、ひろしは万博の洗脳が解けた瞬間、号泣します。

 

野原ひろしの流した涙の重さ

 子どもの頃、大阪万博で楽しみだった「月の石」の展示を見られなかったことで駄々をこねていた頃や親の漕いでいる自転車の荷台に乗って笑顔でいた時の思い出、初恋、上京、就職、失敗をやらかした苦い経験、妻みさえとの出会い、息子と娘の誕生…。

 ひろしの流した涙には多くの意味があるのでしょう。思い描いていた未来とのギャップに抱いている後悔、幼き日への郷愁、あの日々に戻りたいという願い、それがかなわぬものと知るからこその嘆き、洗脳が解けたことへの空しさやその幻想に浸って現実に背を向けていた自分自身の情けなさ、そして何より共に生きている家族への深い愛情。そんな複雑な感情を抱えながらも現在、自分の手にした「幸せ」もかけがえのない大事なものであることも分かっている。涙をボロボロ流しながら息子を抱くひろしはこの先も、今の「自分のやりたいこと」「自分のできること」「自分のやるべきこと」について悩み、その時々の選択に後悔や満足をしながらも生き、そんな自分の人生を「幸せ」と笑って胸を張るだろう。それは「諦め」でなく「強さ」だと僕は思うのです。同時にその涙と強さはどんな形であれ人生を愚直に生きている者だけが持てる特権であることも付け加えておきます。

 

※洗脳で号泣っていうとこんな記事も書いたっけ。

鴻上尚史さんのエッセイ「ドン・キホーテのピアス」で紹介された、あるエピソードを思い出しました。そのエピソードはオウム真理教サリン事件を通じて読者に「批判精神」がどういうプロセスで鈍っていくかを自らの体験談を交えて語ったものです。 鴻上さんは学生の頃、友人があるカルトにハマったのを放っておけなくなり、友人のカルト脱会をサポートした経験があるそうです。鴻上さんいわく「人間には誰でも批判精神があるけれど、誰かに自分の価値観を受け入れてもらえた!という体験を味わった途端に脆くなる。自分と自分を受け入れたものの間にある「ズレ」に対して批判精神も抗うけど、その葛藤に疲れ果てた時、人は「私をだましてよ」と自分を受け入れた人物や団体に「騙されること」を望むようになり、それらに依存度を深めて外と世界との拒絶を深めることになる。鴻上さんはその友人をカルトのコミュニティから引き剥がして、丁寧に「人生を理解できる都合のいい答えなどない。それは自分で考えて生きていかなきゃいけない」と説得を続け、結果的に友人は「真理なんていうものなどなく、自分で考えて物事の答えを見つけるしかない」ことを受け入れてカルトを脱会。人生や物の理を丸ごと理解できる解などない。その当たり前だけど残酷できびしい現実を認め、号泣する友人を目の当たりにして自らも涙をこぼしたそうな。

ヘイトスピーチとは何かを知る記事に日本のカルト化を考える - サブカル 語る。

 ノスタルジーもカルトもネトウヨも「自分が肯定されたい」という感情に訴える点で、同類。困ったことに現在の日本ではその三者が入り交じっている空気が漂っているのは何度でも指摘させていただく。

 

大阪万博の開催で夢見る「昭和の成功体験」

 大阪で万博を開催する?うん、いいんじゃないかな。東京でオリンピック?そりゃ結構だね。だけど美化された昭和30年代をなぞっても、たぶんそこに未来はないよ。甘い思い出は現在に疲れた時、口にするからうまいんだよ。それを毎日食べていたらダメだよ。と僕はこのブログで語ります。昭和の成功体験にすがったり、ウィキペディアの記事を引用しまくって戦前や日本の古代はサイコー!と煽る本読んだりして涙を流すより、俺は野原ひろしのような強くて前向きな涙を流したいと思える大人であり続けたい。同時にこの、20年近く前に作られた映画のパロディーみたいなこの国の情けない有り様を批判する。