サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

HUGっと!プリキュア後の作品に男の子プリキュアはありうるかを考える

こんにちは。

 年明けになり、娘と一緒に観ているうちに家族で僕が最もハマった「HUGっと!プリキュア」もそろそろエピローグ。来月からは次回作「スタートゥインクルプリキュア」放映となります。

www.toei-anim.co.jp

 

 

 

 

HUGっと!プリキュア卒業。そして新たなプリキュア 

 僕の中では来年に東京オリンピックを控えているので、球技や武道、陸上競技などの「スポーツ」をモチーフにしたプリキュアになると予想していたんだけど外れた。そうはいってもこの数日、オリンピック誘致をめぐる賄賂の疑惑でフランスがマジになってJOCの捜査を進めているという報道が世間を賑わせているため、東京オリンピックを思わせるプリキュアなんて作っていたらえらいことになっていたかもしれませんね。もし来年スポーツをモチーフにするなら金に汚いイメージがつきそうなオリンピックではなく、最近土俵外のトラブルで人気がひどく低迷する「相撲」をモチーフに「どす恋っ!プリキュア」なんて作ったら多くのファンの度肝を抜くだけでなく相撲のイメージアップにもつながるんではないかと、そんなくだらねーことを考える今日、この頃。

 

    さて本題。放映中のHUGっと!プリキュアでは以前このブログで指摘させてもらったとおり「人間の主体」を物語のテーマに置いていました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

プリキュアになるとはどういうことか

 男だろうが女だろうが、子どもだろうが大人だろうが人間は誰にでも「なりたい自分」というものがある。それは決して他人や外部が否定できないものであり、もしも、あなたの「なりたい自分」をあざ笑ったり否定するものがあるなら勇気を振り絞って立ち向かえ!というメッセージが込められていたように思えます。そういう括りを越えた物語の先にあったものはプリキュアたちの友人であるフィギュアスケーター「若宮アンリ」くんの変身したシリーズ初のオフィシャルな男の子プリキュア「キュアアンフィニ」登場でした(男性プリキュアで最初なのはキュアゴリラ!とかいうふざけた意見は相手にするな)。

www.huffingtonpost.jp

 

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 キュアアンフィニになる若宮アンリ

HUGっと!プリキュア公式YOUTUBEより

 

 この若宮アンリという少年は将来を嘱望されたフィギュアスケーター。技術だけではなく海外育ちのハーフで中性的な美貌を持っており、女性からの圧倒的な人気を集めている、非の打ち所がないキャラです。ところが成長期になり男性に近づいている自分の身体への戸惑いや、過去のケガのために納得できる演技ができなくなっていることから引退を決意。その最後の大会で不運にも交通事故に巻き込まれてフィギュアスケートそのものが奪われることになり、絶望。そこに付け込んだプリキュアの敵に唆されてダークサイドに陥りそうになるものの、プリキュアたちの声援によりスケートを続けてきた自分自身の過去を肯定。辛い時も迷う時も未来への歩みを止めないプリキュアみたいな人間でありたい。それこそが本当になりたい自分だという想いに気づき、フィギュアスケートができなくても新たな未来を探そうという決意を固めた時、プリキュアの力を一時的に得てアンリは変身。人間の可能性には限界なんてない!という想いから自ら「キュアアンフィニ(フランス語で無限の意味)」を名乗り、磨き続けたスケートの技術を駆使してレギュラーのプリキュアたちと戦います。

 戦いの後、プリキュアの力が解けたアンリは歩けるようになるためのリハビリ生活になりますが、未来を諦めていないアンリに悲壮感はなく寧ろそのアクシデントを乗り越えるという逞しささえ感じられます。フィギュアとの決別はアンリにとってひとつの「青春」の区切りであり、それは確かに悲しいことではあります。だけどフィギュアのテクニックを活かしたプリキュアとなり怪物から人々を救えたのは、競技に青春を捧げ続けてきたアンリにとっては最高の花道であったともいえます。

 

プリキュアになる必然性を持っていたアンリ

 若宮アンリというキャラについてざっくり説明させてもらいましたけれど、ここからどうして彼だけが歴代プリキュアの中でオフィシャルな男の子プリキュアになれたのか考えていきたく思います。ここで、以前書いたこの記事をどうぞ。

 

日本で「魔法少女」をテーマとするアニメやマンガ作品は横山光輝の 「魔法使いサリー」がこの分野の最初であり、この系統は後に「魔女っ子メグちゃん」や「魔女っ子チックル」「魔法少女ララベル」等の系譜で受け継がれていきます。彼女たちは自らの万能な魔法を使って、周囲のトラブルを解決したりするけど、80年代以降にこの万能な魔法を使う女の子は少なくなり、代わりに台頭してきたのは 「魔法のプリンセスミンキーモモ」、上述の「クリィミーマミ」「ペルシャ」「マジカルエミ」などの変身アイテムを使うことで自分が大人の専門職になり、自分自身の職業スキルでトラブル解決にあたるタイプの主人公たちでした。

(中略)

これらのアニメが放映されていた「80年代」の日本はバブルによる好景気。もちろん格差はあっただろうけど男女ともに相応のお金を手にできて、自由に使える環境が整っていた時代でもありました。働くことにより女性もそれなりのお金を手にして自由に生きる=大人になって自立をする。つまりこの時代の女の子にとって万能の力を得るということは自立した大人になること。だからこそいきなり大人になれることが、物語の主人公たちにとって最高の魔法だったのだろうと思うのです。

(中略)

プリキュアセーラームーンたちは地球を狙う悪と戦うヒロインでありながら、変身スタイルはクリィミーマミ達と同じく着せ替えです。ここにプリキュアセーラームーンらが80年代魔法少女の正当な後継者である根拠を見い出すことができます。歴代プリキュアの変身アイテムには女性の化粧道具であるコンパクトやパフュームを模したものが多く、それらを使って着替えや化粧を施す。セーラームーンたちは変身の際に「変身」じゃなく明確に「メイクアップ(化粧)!」と叫んで変身する。これは女の子にとって「闘いを挑む(問題の解決にあたる)」ための手段は「自分にメイクをして大人になること」だということを暗喩していると解釈もできます。ポイントは姿格好の変身によって少女は大人としての自分を獲得して、物語で困難やトラブルに挑むという点にあります。

クリィミーマミたち「魔法少女」はプリキュアの原点 - サブカル 語る。

 つまりプリキュアとは80年代の変身魔法少女の系譜に連なるキャラであり、このように定義できると考えます。

 

プリキュア=思春期の少女が変身する戦うヒロイン=成熟した大人の象徴。

  

 ここ、重要だから読み飛ばさないで下さい。もちろんアンリは男の子なので、先ほど述べたプリキュアの定義に該当しません。ここでもうひとつ。男の子にとっての変身ヒーローとは何か?についても定義しておきます。

 

では男の子はどうでしょう?男の子の場合の変身は「人知を超えた者との融合による超人への変化」です。ウルトラマンと融合したハヤタや仮面ライダーに改造された本郷猛のように。男の子にとって変身は「超自然的な力と自らを融合させる事で超人となる」ことを意味します。

(中略)

本郷が改造手術で「バッタ」の超自然的な力を得て誕生した仮面ライダー。ハヤタが「遠い星の宇宙人」との融合を果たして超人となったのがウルトラマン。このヒーローの誕生の経緯は異なるけれど、両者は人知を越えた力を持つ「超人」という意味では全く同じです。

クリィミーマミたち「魔法少女」はプリキュアの原点 - サブカル 語る。

  作品によりもちろん例外もあるけど、原理原則として男の子にとってのヒーローとはこのように定義できます。

 

男の子にとってのヒーロー=青年が超自然的な力と融合を果たした超人。

 

 アンリはプリキュアの定義にも男の子にとっての変身ヒーローの定義にも該当していないけれどアンリの変身したキュアアンフィニは、丁度この二つを足して2で割った条件を備えたキャラであることがわかると思います。ケガにより夢を奪われながらも未来を信じて歩みを止めないことを決意して大人に近づき、ヒーローとなった(成熟を果たした)アンリ。

 つまりキュアアンフィニとは思春期のアンリが成熟をしたことで変身できたプリキュアであり、若宮アンリとはキュアアンフィニとなり、夢を失っても別の希望を見つけ未来を生きる「大人としての強さ」を示した少年である。といえます。男の子というだけでなく従来のプリキュアが成熟した大人の象徴なのと逆に少年から大人への一歩を踏み出せたからこそ変身できたプリキュアという意味においてもキュアアンフィニはイレギュラーだけど、どちらにせよプリキュアについて考えるには「成熟」「大人」というキーワードが不可欠であることがお分かりいただけるでしょう。

 

梶原一騎を超越した若宮アンリ

 ここまでキュアアンフィニについて長々と書いてきたけど、僕自身アンリがプリキュアになるとは全く考えていませんでした。フィギュアの夢を絶たれた後は敵の組織に唆されて怪物となり、プリキュアに救われる。という展開を想像していたのです。

  怪我によるフィギュア引退から未来に絶望する→怪物化→プリキュアに救われる。という発想はプリキュアの物語の文法っていうより、梶原一騎の描く「スポコン漫画」的文法によるものです。この記事にここまでお付き合いいただいた人はなんで梶原一騎?って思うことでしょう。だけど「スポーツ少年の成熟」というテーマを語るためには、この人物について触れておかなくてはなりません。

意外に多い?大成できない主人公

 「スポーツマンガで大成できない主人公が多い」。コレはどういうことかっていうと梶原一騎原作のスポーツ漫画の主人公って、物語の目標を果たして幸せになるケースが案外少ないんです。巨人の星星飛雄馬は魔球を投げ続けたために左肩を壊して巨人引退。あしたのジョー矢吹丈はチャンピオンのホセに敗れた後で、燃え尽きた。スポーツをテーマとする作品は多くありますが、この梶原一騎的文法は、他の作品にも大きな影響を与えていますのでもし興味あったら、身近にあるスポ根漫画を手に取ってみて下さい。全国大会で優勝して大人になりプロでも活躍!っていう国民的名作スポーツ漫画って僕の知る限り「キャプテン翼」や「ドカベン」ぐらいではないかなと思います。

 目的を果たせなかった主人公、又は大会優勝などの目的と引き換えに何かを犠牲にする主人公が多い理由はおそらく「目的をさせず、主人公の成熟を止めるため」でしょう。つまり主人公らの成長を止めて、永遠の少年でいさせるためです。

悲哀の主人公がウケる理由

 これら名作とされるスポーツ根性漫画は俗にスポーツを通じて主人公が成長していくプロセスを描くビルドゥングスロマンだとされています。

 

※「ビルドゥングスロマンってなに?」という人のためにどうぞ  

教養小説 - Wikipedia

以下はリンク記事を引用(くわしく知りたかったらリンク記事を読め)

 主人公が様々な体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のこと。

 

 これらの物語はキャラたちの成長を追わせることで読者も成長を追体験できることに大きな特徴があります。だけど、現実は物語みたいに甘くありません。夢破れて傷つき、挫折を味わい、それを背負い生きていく。だからこそスポコンの主人公も無傷で目標を達成するキャラより、夢破れて悲哀を背負うキャラに共感が集まるのだろう。と思う。分野は異なるけれど、日本人に道半ばな生涯だった織田信長坂本竜馬新選組ファンが多いのもおそらく同じ理由によるものです。パーフェクトなキャラより挫折キャラの方が多くの共感を得られるし、ドラマもおもしろくなる。若宮アンリは上述した通り、視聴者の物語への共感のため「梶原一騎的な文法」に則り、フィギュアという夢で大成できず挫折する宿命を負ったキャラでした。従ってアンリが意思の力でプリキュアになり挫折を克服するプロセスにはジェンダーだけに留まらず、梶原一騎的な文法の超越という側面もあるのです。

 

男の子のレギュラーはキビしい

 ってな具合にここまで長々と書いてきましたがいいたいことをまとめると「『なりたい自分になろう!それらを阻む力に負けるな!』をメインテーマとする作品において、梶原一騎の悲劇を背負わされながら『ケガを乗り越え、なりたい自分になろう』という境地に達した若宮アンリこそ初の男の子プリキュアにふさわしいキャラだった。また、ケガや性差という大きな障害を乗り越えたキュアアンフィニこそ作品にとってテーマの最大の体現者であり、この『なりたい自分になろう!』というメッセージを強く描くため、公式の男の子プリキュア出現には大きな必然性や意味があったのだ。となります。

 ただ、男の子プリキュアが今後の作品でレギュラーになれるかといったら正直言って、かなりキビしい。男女双方によるヒーローの「変身」についての考え方が上述のように明確に異なっており、「女の子だって暴れたい!」という当初のコンセプトに基づいた全員女の子のチーム体制が主流である現在のプリキュアに、男の子を混ぜる図式を違和感なく受容できる人は大人こども含めてまだ少数では?と思います。そもそもの主体が女の子であることを謳っている物語なのに、そこに男の子をレギュラーメンバーで加えたら物語の基本的コンセプトもブレますからね。

 

男の子のレギュラー化は以下がベスト

 もしも今後も男の子のプリキュアが物語に出るとしたら、当面は今回みたくゲストという形になるしょう。とはいえ、今回のキュアアンフィニが多くのファンやメディアで好意的に受け取られていることを考えるとおそらく東映も男の子プリキュアのレギュラー化を模索していると思います。男の子レギュラーを実際に実現させるとしたら嘗てのタイムボカンシリーズのように男女対等の二人一組タッグ体制にして、男の子のコスチュームをボーイッシュ傾向の強いものにデザイン。二人の能力もダブルライダーの「技の1号 / 力の2号」みたいな差別化を図り、異なる特性でお互いを対等に補って戦えるプリキュアというのが現状ではベストではないでしょうか。まぁ初代プリキュアっぽくなるけど。

 もし東映で男の子プリキュアを本気で考えているというプリキュア関係者の方がこのブログをお読みでしたら、特撮プロデューサー試験で選考漏れになったことを水に流したうえでアドバイザーになり協力させていただくのもやぶさかではありませんので、ぜひご連絡下さいませ(笑)

 

 


 

 

 

※キュアアンフィニがこの物語のテーマそのものの体現だけでなく、その存在が最後の決戦における伏線にもなっていたのは本当に驚いた。コレほんとすげープリキュアだ。テーマをサブカルでなくプリキュアに絞ったブログに変えようかとマジで悩む。