サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

来年のプリキュアのテーマを今年のスタプリから予想してみる

こんにちは。

 

 世間はそろそろ夏休みもあと数日。20年以上社会人やっている自分が思い出すのは、小、中学生時代に40日以上の夏休みがありながらも計画的に宿題をやらずにいたために後半泣きまくっていたあの頃の苦い記憶。振り返ると、まともに宿題をきちっとした形で提出できたことなかったんじゃないかなぁ。そんなダメ人間だった僕もどうにか大人になり、毎日満員の電車に揺られて会社に通い、期日(ギリギリではあるが)までに業務をこなせるようにはなっているので今年の夏休みも宿題でアップアップなお子さんがいらっしゃる保護者の方も心配することもないっすよ。

 

 っていうことで本題。先週土・日曜日に妻と娘とで池袋まで遊びに行ってきました。目的はもちろん娘のプリキュアへの愛に応えるため、池袋サンシャインシティにて開催されていた「スター☆トゥインクルプリキュア おほしSUMMERバケーション」!

 

precure-event-ikebukuro.com

 

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 ラストの土日だけあって「キラ☆やば~っ」な混み方でしたけど娘はプリキュアのコスチュームを着て笑顔で踊ったり歌ったりご満悦。妻もスマホで写真を撮りまくり。な日になりました。ちなみにこの「キラ☆やば~っ」っていうのは物語の主人公、星奈ひかるが驚きや喜びを表す口ぐせ。先日、そのひかるのお父さん(声:大塚明夫)もゲストキャラとしてアニメで出演して親子揃って「キラ☆やば~っ」を連発していたのでその光景に似たものがあったかも。実をいうと僕の声、大塚さんに似ているのです。ごめん、うそ。

 

 そんなどうでもいい冗談をさておき。このスター☆トゥインクルプリキュアのテーマは「宇宙」。今回のこのプリキュアは宇宙からやってきた少女「ララ」と妖精「フワ」と出会い、プリキュアの力を手にしたひかるが同じくプリキュアとなった仲間たちと共にララの宇宙船で多くの惑星を行き来しながら宇宙支配を目論む組織「ノットレイダー」と戦いを繰り広げるというのが基本になっておりますが、この作品の大きな特徴はプリキュアになるのは地球人だけでなく宇宙人もであるということ。前作「HUGっと!プリキュア」は思春期の女の子だけでなく老若男女みんながプリキュアになれるという設定になっていましたが、今回は「地球人」っていう種族をも越えたことになります。

 人間の女の子だけだったプリキュアが後のシリーズで妖精や男子、成人、老人、人間界と対をなす魔法界の魔女っ子、組織を抜けた敵キャラや更にはプリキュアに守られているだけだった町の人々なども変身できる存在となり、その変身できる対象の広さが物語の多様性を具現化しているともいえますがこの長きに渡るシリーズでもまだプリキュアになっていない存在があります。それは「外国籍の女の子」。僕それをやるとしたら来年に控えた東京オリンピックのタイミングだろうなと思うんですよ。

 

 最初はオリンピックにちなんで、スポーツをモチーフにするプリキュアじゃないかと思っていたんだけどもあまりにもイージーな発想なのでもっと一捻りある筈だと考えをめぐらせているうちに今回のスタプリはメキシコ人の父親、日本人の母親を持つヒスパニック系ハーフな「雨宮えれな」がキュアソレイユとなってレギュラーを務めているのに注目。そしてこの人種を越えたキャラ、えれなを「多国籍プリキュアの準備、リサーチキャラじゃないだろうか?」と深読み。意外にありえそうでしょう?多国籍プリキュア。実現条件もそろっているんですよ。

プリキュアは海外でも放映されていて人気が高い
 ⇒海外マーケットの拡大という意味においても、旨味がある。

②来年は東京オリンピック

 ⇒外国に注目が集まる機会も増える。

③テーマのひとつ「多様性」に符合する
 ⇒外国籍の女の子プリキュアは出ていない

④ハーフキャラを今作で出している

 ⇒外国籍キャラへの不慣れさを減らす効果を狙っている(想像)

東映の特撮番組で「国」をモチーフとした作品がある

 ⇒バトルフィーバーJっていう多国籍プリキュアのルーツになりそうな作品がある。厳密にいうとこの作品の変身メンバーは外国籍ではないんだけどもね。

 

 こんな感じにこの予想を組み立てる材料を述べてみたけれどどう?外国プリキュア、あってもいいんじゃない?って思えてくるでしょう?さてさて今回のこの予想。見事に的中か大外れかおたのしみ。ただ、仮にそうなったとしても日本制作のアニメである以上、メインキャラは日本人の女の子だとは思う。この多国籍プリキュアが実現したら、プリキュアのモチーフを国名ではなくオリンピックの五輪にちなんで「アジア」「アメリカ」「アフリカ」「オセアニア」「ヨーロッパ」という風にするかも。でなけりゃ、日本のプリキュアチームだけでなく世界各国にもプリキュアチームがあるという設定になったりするかも。シンプルに物語の舞台は日本でインターナショナルスクールに通う人種の異なる女の子たちのプリキュアとかにするのが妥当か?などと決まってもないのに、勝手に考えています。だけど、プリキュアが世界中の女の子たちに人気なら白人や黒人の子もプリキュアとなって戦う物語を見たいだろうなぁ。そうなったら多くの子がきっと喜ぶだろうなと思うんですよ。いつの日か実現したらいいのに。

 

※こういうことをいっていいか分からないけど、良質なエンタテインメントを作ることに軸足を置きながら「子育て」や「ジェンダーフリー」「男性に頼らない、自分の足で立てる女性の自立」など常に社会にもしっかり目を向け、世相に向けて何らかの言葉を発してきた「プリキュア」が現在、この国を覆っている「ナショナリズム」的なものに何もいわずにいるなどありえない。という期待みたいなものもおそらく僕の中にはあるっていうことは正直認めざるを得ない。プリキュアにそういうのを背負わせるつもりなんてまったくないが。ってかそんなの背負わせたらダメだ。

 


 

 

 

戦争を知らない子どもたちは「戦争」をどう語るべきか

こんにちは。

 

 昨日は敗戦記念日終戦ではありませんよ。「敗戦」です。日本が「国益を守る」という大義名分のために、多くの国民の生命や財産、権利などを犠牲に強いて戦った挙句、大敗を喫しただけという最低な歴史を振り返り、もう二度とその愚行を繰り返すまい!と強く誓う節目となる日です。バカなネトウヨたちは「その犠牲のおかげで今の日本があるんだ」とこれまたアホな主張をデカい声で語っていますが、その犠牲がなかったら、犠牲を強いた戦争がなかったら嘗ての大勢の日本人は家族や友人を囲んでうまい飯を食い、遊び、語らい、互いに笑いあって幸せで平和な歴史を生きてこられたことでしょう。彼らは平和のため犠牲になったんではありません。国が権力を使い犠牲を押し付けることで幸せを奪われただけです。

 

 さて本題。「ガラスのうさぎ」などで有名な児童文学作家の高木敏子さんが自身の体験を交えた講演で、最近「戦争発言」で騒がれた丸山穂高にこう発言をされたそうな。

 

hochi.news

 

以下、リンク先を引用

 

講演の中で高木さんが「丸山っていう代議士が北方領土に行って、4島を取り返すそれには戦争しかない。もうぶん殴りたいぐらい」と憤りを露わにした。

 

 この発言についてツイッターではまた人間の心を解さない、解せないバカが「平和主義者のくせに暴力発言」などと揶揄する声が散見。そんなアホは少数派と思いたいところだけど、たぶん高木さんはバカな丸山に、というより、最近の「戦争」を巡っての軽々しい発言やそれを許すこの国の空気そのものを、ぶん殴ってやりたいと思っているんじゃないだろうかと思うのです。戦争によって大切なものを奪われたことも、奪ったこともない奴らが「あの戦争には正義があった!」なんてほざいている。その人数は確実に増えており、もはや単なる少数派でもないのかもしれない。としたら実に愚かなことです。僕が高木さんと同じ立場だったら、ぶん殴ってやりたいどころか突っ走って言葉よりも先にぶん殴っているかもしれません。

 

 とはいえど。そういった発言などに対する僕の憤りも本当に自分のものなのかな?とついつい考えることも少なくありません。戦争という体験を持たない僕が、戦争体験者と同レベルの説得力を持った言葉を発せられるのかという疑問があるためです。

 

 今から10年ほど前のことになります。僕は多摩地区で行われたの戦争体験者の集いで戦争体験話を聞く機会があり、そこで頭を殴られるような経験を味わったのです。戦争体験者の数人から「二度と戦争は嫌だ。戦争を若い人に体験させてはいけない」という話をきいたこともあり、僕はやっぱみんな同じ想いを抱いているんだな。と思い込んでいたのです。そんな決めつけから話を聞き続けていた時、ある人から「もし今度戦争があったら徹底的に仕返ししてやりたい」という話に触れて、僕は思わず言葉に詰まったのです。たくさんの人を犠牲にする戦争。もしまたあったら復讐してやりたい。その思いがけない答えに「ふざけるな!」と怒鳴りたくても戦争を知らない僕にはその資格がない。戦争の復讐を戦争で!なんてふざけた答えだと今でも思っていますけど、戦争を味わっていない僕が何をいったところでその老人には単なる「絵空事」でしかない。その老人の解答も、是非はともかくとしてこれもまた「戦争」だと理解できているけど感情で納得できない。だけどこの戦争体験から来ている言葉を僕や社会は目を背けてはいけない。情報だけで語る戦争肯定と体験を交えて語る肯定のどちらが愚かなのか?そんな逡巡を、未だ引きずり続けています。たぶんこの先も。

 

 戦争なんて間違っている。大勢の人たちを暴力に巻き込んでいく政治なんて、絶対に許されない。認めない。その思いは揺らぐことはありません。だけどそういった言葉を僕よりも若い世代にどう伝えていくべきか。戦争というリアリズムをもたない僕たちが戦争という愚行をどう語るべきか。これは遠くない将来に待っている課題だけど、そのリアリズムを補うのはやっぱり物語、サブカルなのか。そのサブカルも最近は、こんなバカが幅を利かせている。

 

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どうしたものかねぇ。

 

 


 

 

 


 

 

 

戦争をめぐる漫画の作者による、ある対談について

こんにちは。

 日常業務にかまけてブログも怠け気味の今日この頃ですけど、皆さんお元気ですか。山本太郎サブカルをめぐる関係についての雑感や、あいちトリエンナーレを巡る表現の自由についてなどかきたいことはあるんだけど毎日の仕事で頭が疲れているせいか、全然思考が回らない。さらに本も読めないので新たな知識の蓄積にも乏しい…っていうことをウダウダいっても仕方ないな。

 

 

「戦争」は漫画で語りえるのか?

 さてさて本題。8/15は日本の終戦、いやいや敗戦記念日。それにちなんで多くのメディアでも「太平洋戦争と日本」について語るでしょうけど、その中で目を引いたのが今週の週刊ヤングマガジン(以下ヤンマガ)誌上にて企画された対談。現在ヤンマガでは特攻兵になったものの軍上部からの「特攻の命令」を拒み続け、生き残った老人の実話取材を劇作家の鴻上尚史さんがまとめた本を原作とする「不死身の特攻兵」というマンガが連載中ですが、原作を手がける鴻上さんと同じく、青年漫画誌の週刊ヤングアニマルでペリリュー(現在のパラオ共和国)で戦った日本兵の証言などを元に描くマンガ「ペリリュー」作者の武田一義さんが戦記漫画を通じて感じたことを率直に語り合っています。

 

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戦争のリアリズム欠如による日本の歴史の美化

 陸軍の二等兵と空軍の特攻兵。おかれた立場は違えども二人には「気がついたら祖国は戦争を始めていて、そこに自分がまきこまれていた」といった共通点があります。この国で嘗ての戦争を語る言葉で問題なのはこの「気づいたら国民は戦争に巻き込まれていたのだ。」という数十年前の人たちの体験談をリアリズムに満ちた教訓として共有されていないという点に尽きます。だからこそ安易な「国交断絶」だの「文句があるなら戦争だ」だのといった耐え難いほど軽い言葉が巷には溢れるのでしょう。だからこそこんな軽いバカの描いた本が売れたのでしょう。

 

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戦争の爽快感、戦争の充実感、戦争の感動!

 

勝っている戦争はカッコいい!

 

所詮、他人事で観客目線でしかない戦争肯定 

 なんだこの他人事な観客目線の主張。おまけにこのバカが韓国や中国等周辺国に住む人々の顔を醜く描き、針小棒大なデマを大声でまき散らしたせいで日本全体に他国へのヘイトが広まることになった。さらに、戦争で残虐な行為について反省を語ってきたひとを自虐的な価値観に洗脳された憐れな人扱い。それらを真に受けた人にも責任はあるけど、このバカはその責任から逃げまくって一介の言論人きどり。俺はこの国で多くのネトウヨを育てて政治・経済・文化をめちゃくちゃにするきっかけを作った挙句、そのネトウヨたちの素行などが問題になってくるとあっさり切り捨て保身に走り何の責任もとろうともしない小林よしのりを絶対に許さない。

 

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 戦争に行きますか?それとも日本人やめますか?その問いについては戦争に向かって走りそうな国会議員がいたら辞めさせますよという答えのほかに何がある?このバカ野郎め。

山本太郎「的」なものを消費するだけで飽きたら捨てるあなたに

こんにちは。

本日のブログのテーマは7/21の参院選山本太郎について。

 

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参院選みんなちゃんと行った?

 日曜日に行われた参議院選挙、皆さん票を投じましたか?僕は妻と娘と投票所に行った後は「結果がどうなるだろう」と気が気でなくてNHKと民放の開票速報をザッピングしまくり。投票率が50%を割っていたり、相変わらず与党の強さを見せつけられたりとあんまり気分のいい内容じゃありませんでしたが、護憲派の僕としては、とりあえずは改憲の発議に必要な人数を与党サイドが確保できなかった点で胸をなでおろしました。今回の選挙を振り返ってみると確かに野党は与党に負けているんだけれど、投票率が50%以下という中で安倍総理率いる自民が得票率を下げているのに対して人数は増えて来ている。一人区の戦いでも自民の圧倒的有利な地域で議席を奪えている。など次回の衆院選につながる可能性もそれなりにあったりする結果なので、諦めたらいけない。と思っています。

 

山本太郎への熱狂に抱いた既視感 

 さてさて本題。今回の選挙は与野党含め、元議員の山本太郎が最も目立つことになりました。TVのニュースでほとんどクローズアップがされないキビしい環境の中で山本とその支持者はツイッターを通じた演説の拡散や寄付金の募集、障害を持った議員候補の擁立など独自の活動を展開。マイクを手に握りながら熱を込め語る山本太郎の動画は多くの支持者を集め、不利どころか議席獲得も困難だといわれた下馬評を覆して堂々の2議席獲得。これってほんとうにスゴイ。と僕は思ってます。だけど、その一方で山本太郎を過剰に持ち上げる支持者が少なからずおり、「山本太郎を総理大臣に!」「他の野党も山本太郎の政党と合併を!」という声には注意が必要ではないかと思うのです。先述した熱気溢れる支持者たちの声をツイッターなどを通じて読んでいるうちに、なんとなく「おたかさん」こと土井たか子によって社会党が勝利した参院選、20数年前の小泉ブーム、数年前にあった民主党政権交代時の光景などがふと僕の脳裏によぎったのでした。

 

「野党がだらしない!」
「何でも反対で議論できない野党」
「消極的な自民支持」

 この数年間、こんなフレーズを何度も僕は見聞き続けてきました。それはまた「そもそも自民に抗いたくても抗えないほど野党の力を弱くし続けてきたのはアンタらだろ!今の自民を勝たせ続けて野党の力が弱い?そんでもって与党サイドの政策に不満が出てきたら野党のせい?野党が力不足なのでやむを得なく自民?そんなに自民がイヤなら、野党を勝たせて育てておくべきだったのにそれをやらなかったのはどこの誰だ!」と、怒鳴りつけたいのを抑えて堪えてきた数年間でもあります。野党を勝たせて育てれば、この国の政治もマシなものになる。だけどみんな野党には票を投じない。自民党政策を心から支持しての野党敗北だったらまだしも「ほかに選べる政党などがない!」などといい自民に票を投じる。その結果、自民や野党はさらに増長。そんなこの国の雰囲気に僕は心から絶望を抱いていました。

 

 そんな時、長らくこの国に漂い続けている「政治への無関心」を払拭できうるような魅力を持った人物が颯爽と現れて台風の目になっていき、それなりの成果を得られた。そんなドラマや漫画を思わせるシチュエーションが目の前にあったら?そりゃ誰だって高揚します。そういう僕だって山本太郎の政党が議席を獲得できたのを知った時には「やったな」と呟きました。だけど。だからこそ、今は過剰の盛り上がりに走らないで貰いたいと僕は思うのです。確かに閉塞する空気を払拭するには山本太郎的な勢いを持つ突風が有効です。だけど、それは長続きしない。さらにいうと突風はその勢いゆえに周囲のものを壊す結果になることだってありうる。突風の後には強くなくてもいいから絶えず吹き続けることで滞留しようとする空気を循環させる風も必要なのです。今回は山本太郎たちの勢いも野党サイドの追い風になったのは事実であって、そこはおおいに評価するべき。けど、その勢いを頼たところでやがて頭打ちになるのは過去を振り返れば自ずとわかります。

山本太郎的なモノから何を育てるか?どう成長するか? 

 次回の衆院選に向けて野党や山本太郎の支持者、僕らが考えるべきは「山本太郎的な勢いをどんな形に変えていくか?」そして山本太郎的なモノに心躍らせる僕らが、ただ何かを変えてくれそうな山本太郎的ヒーローや熱気を求めるだけのガキ思考をそろそろ卒業して「この国の政治に対してどんなアプローチができるように成長するべきか?」を、本気で模索する段階ではないかと思うのです。先程の例えでいえば山本をはじめとする突風の後、どんな風を吹き続けるか。ということ。山本の支持者は所属議員や山本の活動っぷりをじっくり監視して賞賛とエール、時にブーイングで互いに育て合っていく。今回、共闘で戦った立憲民主や共産などの野党サイドに票を投じた僕らも積極的に声を発する。SNSで議員のフォロワーになって声を送ったり、野党共闘で納得できない行動や発言があった時にはその政党本部前でデモを行うなど「選挙以外の手段で、この国の政治にどうコミットするか」を考えて、行動に移す。そのプロセスを通じ議員、支持者お互いの成長を目指そうという時期になったんじゃないのか。

 

 もしあなたが本当に現政権の政治にウンザリしている。というんだったらね。ここで断言させてもらうが、おそらく多くの人はそう遠くないうちに山本太郎に飽きた後、また別の山本太郎を探すだけになる。

NHKから国民を守る党と小説「NHKにようこそ」

こんにちは

 梅雨の三連休を過ぎて、世間と各党ともに7/21の参院選に向けて動きがさらに活発になってきている今日この頃。ここでは特定政党の応援などは控えておこうと思いますけど、批判はさせてもらう。そんでもって本日、話題にさせていただくのはこの党。

NHKから国民を守る党

www.nhkkara.jp

 

 

NHKから国民を守る党ってなに? 

NHKスクランブル放送実施」を条例として制定させるなどの公約を元に各自治体の地方選などに出馬して全国トータルで20数人議席を獲得しているミニ政党です。そんでもって今回、満を持して参院選出馬を果たしたものの、所属候補の政見放送は見た人を唖然とさせるほど酷い。僕もいくつかYoutubeで観たけど頭を抱えたくなりました。その政見放送の動画をここで紹介するのはこのブログの質を下げるので控えておきますが、この人たちってなんでしょうね?マジで。百歩譲って現在のNHKの放送体制について政党として批判するならまだわかるんだけども(党の公約実現可否は別の問題)党首が放送で「カーセックス」と声高に叫び、その他の候補者も放映中に大声で絶叫したり、なんかもうむちゃくちゃ。党首がそこまでカーセックスにこだわるなら、いっそのこと党名を「新党カーセックス」にでもすりゃいいのに。と思います。

 

NHK=日本放送協会ではなくて、日本引きこもり協会 

 以前、僕はマック赤坂など「泡沫候補」と呼ばれる人を取材したドキュメンタリーの映画「立候補」について書いたけど、彼らの言動や行動などには知名度が足りないためパフォーマンスに走らざるを得ない候補者たちの悲哀のようなものを感じることができました。だけどこの党の候補者は、みんな楽しそうな表情なのがどうにも気になりました。政見放送Youtubeか何かと勘違いしているような無邪気さ、外に向けたメッセージではなくてあくまでも自分たちの支持者だけに向けた内輪ウケ狙いっぽいノリ。はっきりいってこのNHKから国民を守る党の放送は引きこもりたちの自己満足の域を出ていない代物で、およそ「政党」とは呼べない「サブカル」だなという印象です。

 

 さて本題。NHKの正式名称は皆さんもご存知の通り「Nippon Housou Kyoukai(日本放送協会)」ですが、この小説ではNHKとは「Nihon Hikikomori Kyoukai」

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滝本竜彦 著 NHKにようこそ!

 

 大学中退後、引きこもりニートになり自らの境遇は謎の組織の陰謀であるとの妄想に走った青年とその青年を引きこもり状態から救おうと目論む少女の物語。角川書店の月刊エースで漫画になり、その後アニメにもなったメディアミックス作品です。ただ僕も内容はほとんど覚えていません。ただぼんやりと、小説とマンガはそこそこ楽しめた記憶はあります。この頃から社会問題になっていた青少年たちの引きこもりやカルト宗教にまつわる諸問題などを題材に構成された、典型的なサブカル小説です。これも20年近く前に書かれた小説ですが、まさかNHK政見放送を内輪向けの罵詈雑言を発して悦に浸っているリアルな「Nihon Hikikomori Kyoukai」からバッシングを受けることになる未来を誰が想像しえただろうか?というところで本日はこれにて。あ、漫画は今無料で読めるそうなので、興味ある人はどうぞ。

 

web-ace.jp

 ※サブカルの本質とはどこまでいっても「その場だけの娯楽」でありそれを政治というリアリズムに持ち込まれたら困るんだよな。

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 

政治信条に同意できるかどうかは別として意外にマック赤坂の公約ってマトモだったのみんな知ってた?

 

 


 

参議院選挙の投票にはこち亀の「日本道楽党」をよろしく!

 こんにちは。

 

 先週から本格的にスタートした参議院選挙。サブカル関連の雑学ブログでありながら何度も皆さんによびかけておりますが、ここでも述べさせていただきます。

 

「選挙に行け!だれに投票したらいいのかわからない!とかほざく奴はただのバカ」

 

 この件についてはあんまりくどくど言っても仕方ないので、本日はこの辺にとどめておこう。

 

 さて本題。本日のブログのテーマは「選挙に行っても投票先を決められない」というバカなあなたにおススメの政党」

 

 

日本道楽党の紹介、その公約

 与野党の党首も全国各地を回って演説やメディアを通じた党首討論会などで選挙民の支持を得るべく、熱戦を繰り広げておりますけど、衆議院参議院問わず選挙の時期になると、いつも僕の記憶をふとよぎる政党があります。その名も日本道楽党。もちろん実在する政党ではありません。マンガの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で、両津が日本の政治に満足いかないから、いっそのこと自分が政治家になってやれ!と考えて旗揚げした政党です。

 

 物語の起こりは1980年代の後半。両津が「円高だから海外のミニカーが安くなっていると思ったのに、全然安くなっていないぞ!どうなっているんだこの世の中?」と、どうでもいいことで激怒しているところから始まります。後輩の中川たちに「それは日本の政治が悪いからで、自分の意見に近い人を代表として選んで政治に反映してもらうための手段が選挙である」と選挙公報を手渡されながら怒りを静められるものの、候補者の写真を眺めていても誰に投票したらいいかまったく分からない。だったら自分が政治家になるのがてっとり早い!と比例代表参議院選挙に出馬するために、中川に資金援助を申し出ます。でもって旗揚げした政党こそが両津の日本道楽党。その公約を見てみましょう。

 

①1日3時間労働、週休4日の実現 

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 出典:こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治) 集英社

 

②音楽/映像ソフトの低価格化

現在だったらダウンロード販売の低価格化ってとこかね?

 

自動二輪限定制度廃止

僕はバイクのらないので、その有難みがわからない。

④学校(小学校〜高校?)の週休4日制

これは子どもにとって嬉しいだろうけれど、その都度行楽にいっては金もかかる。並行で賃金上昇とレジャー施設の低価格化もお願いしたい。

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 出典:こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治) 集英社

⑤全国民給食制度による家事負担軽減

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  出典:こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治) 集英社

 この公約はこれ全体主義っぽくてこわいけど、家事労働の低減には賛成。

 

 そんでもって道楽党の目指しているこの国のビジョンは

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 出典:こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治) 集英社

 

「企業の歯車になるな!」 

 

 これは正論。企業や組織の歯車=組織の子飼いっていう意識は集団倫理の観点で考えてみてもマイナス。最近頻繁に起こっている、企業や官公庁での不祥事っていうのは、倫理の履き違えをきっちり指摘できる社員がいなかったがための事件であったことを、僕らも私達は学ぶべき。

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 出典:こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治) 集英社

 

 

日本が今後目指すべきは

 

GNP世界最下位
完全失業率100%
失業保険料、年間500万円

 

 コレ30年近く前のネタなんだけどこの頃から日本人は働き過ぎっていわれてるよな。両津は日本道楽党の党首として熱弁を振るい、周囲からの喝采を浴びます。だけども、いかんせん知名度に乏しい。そこで政見放送ではインパクト絶大なデーモン小暮閣下を思わせるコスプレで出現。その放送が「風雲児」扱いされたことをきっかけに芸能人の口調モノマネなどを交えた「パフォーマンス路線」にシフトすることになります。さてその結果やいかに?

 両津と日本道楽党はその後どうなったのか?興味のある人は、単行本でどうぞ。

 

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※政治家が残念なのか?残念な政治家を選び続けている選挙民が残念なのか?

 

ウルトラマンタロウ自ら本で語った「日本」という国。

こんにちは。

 今週7/6からON AIRとなる「ウルトラマンタイガ」。

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 先日のブログ記事で触れたとおり、このタイガという若きウルトラマンは僕ら世代のヒーロー「ウルトラマンタロウ」の息子です。さらにこの番組ではタイガのほかアニメの「ザ☆ウルトラマン」主人公、ウルトラマンジョーニアスと同じ故郷「U40」出身のウルトラマンタイタスや、ウルトラマンオーブと同じO-50出身のウルトラマンフーマなど嘗てのウルトラヒーローとかかわりを持つキャラクターも登場するそうな。

 

 

 

 ウルトラマンタロウの書いた本

 さて本題。40年以上前に遠くの星から愛と勇気を地球に教えに来てくれたヒーロー「タロウ」。そのタロウが自ら本を書いて、ウルトラマンたちの戦いとこの国について語ってくれていたのを皆さん知ってます?

 

ウルトラマンの愛した日本

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表紙に燦然と輝く「ウルトラマンタロウ 著」

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 この本ではウルトラマンタロウが兄貴分の初代ウルトラマンウルトラマン80、更に平成ウルトラマンのゼアス~ゼロの戦いを振り返り、ウルトラマンの歴史と共にあった昭和~平成とは何かをタロウが語りかけます。タロウ曰く「地球語にはあまり堪能ではないため光の国の言語を理解できる小説家「和智正喜」さんが翻訳にあたったのこと。また「ウルトラマンの愛した日本」といいながらアメリカで放映された「ウルトラマンUSA」や「ウルトラマンパワード」、オーストラリアの「ウルトラマングレート」の戦いなどについても光の国で映像として保存されているというアーカイブでの戦闘場面を参考に語るあたり、ヒーローとしての誠実さというか律義さを感じます。

 

ウルトラマンの戦う敵は何か?

 この本のテーマを一言で言い表すとしたらこれに尽きます。戦後復興から科学技術の進歩で人々誰もが幸せになれるという夢を抱くことのできた一方、その流れに取り残されて不遇な環境に追いやられた人々もいた高度成長真っ只中の地球にやって来た初代。科学技術の発達が大国主義と結びつき、日本や世界各国が東西の2つに分かれて対立を深め、争い始めた頃に現れたウルトラセブン。人々が行動成長期のなかで成長優先、利益優先のため目を背け続けていた「公害」などの社会問題がクローズアップされる世相の中「帰ってきた」ウルトラマンジャックウルトラマンA(エース)。そしてウルトラマンタロウ。本来はレオや80ほか平成ウルトラマンにも触れておきたいけどこの辺にしておきましょう。

 

 タロウは本の中で初代ウルトラマンの時代は「宇宙の時代」「光の時代」だった。と語ります。そしてその眩い光はいつしか人々の心を覆う不穏な闇を生じさせ、初代からタロウ。さらに後の平成の世に続くウルトラマンたちも「人類や社会の抱える闇」と、戦うことになっていっくのです。

ウルトラマンと人間の自立

 そんなふうに半世紀以上もウルトラマンたちは人間社会の明るい未来、つまり「光」とは対極にある「闇」と戦い続けてきたともいえるのですが、それはまた言い換えると人々の「ヒーロー」への依存を描き続けてきた歴史、でもあります。では人間の力だけではその闇に抗えないのだろうか?

 

 いえ、そうは思いません。昭和ウルトラの物語を改めて振り返ると人間がウルトラマンに頼らず怪獣に勝利するというエピソードも少なくありません。特に最後の戦いで人間が怪獣と戦い、勝ったケースはなんと4割強。

 

初代   → ペンシル爆弾を使って科学特捜隊が初代を破ったゼットンに勝利。
セブン  → セブン勝利。
ジャック → ジャック勝利。
エース  → エース勝利。
タロウ  → 東光太郎がタロウの能力を捨てて戦い、バルキー星人に勝利。
レオ   → レオ勝利。
80              → UGMが80の力を借りずに冷凍怪獣マーゴドンに勝利。

アニメのザ☆ウルトラマンは世界観が異なるので除きます。

 

 こうしてみると昭和ウルトラ7作品のうち、3作品が物語を締めくくる最後の戦いでウルトラマンの力を頼らず人間が怪獣に挑み勝っています。そしてこれは僕の解釈だけどウルトラマンにはシリーズを通じて「人間の自立」というテーマも込められていたのではないかと思うのです。

 

 この中でも特に好きなのはタロウの最後の戦いです。タロウ=東光太郎は同居していた健一という少年が大事な家族を失って失意の底にいるのを見て、健一を励ますため自分がウルトラマンだと正体を語り「僕も君もタロウに甘えていた。僕もタロウの力にはもう頼らない」といって変身アイテム「ウルトラバッジ」をウルトラの母に返却。タロウの力を捨てたの見て「変身できなくなったタロウなど怖くもない!」と、ほくそ笑む侵略者のバルキー星人と生身の身体で最後の戦いに挑みます。

 

 ヒーロー特撮番組でありながら、最後の最後に自ら戦う人間たちの物語をエピローグに半分近く持ってくる「ウルトラマン」。僕はその構成に制作の「ヒーローに頼る危うさ」の訴え、そして「超人を頼らなくても困難を克服できる人間そのものへの信頼」みたいなメッセージが込められているように思えてなりません。昭和~平成を経て、次世代に受け継がれたウルトラマンも確かにおもしろい。だけど、やはりなにか物足りないなと思っているのは、おそらく現在のウルトラ番組に先述したメッセージを読み取りづらいからかも。まぁそんな古いおっさんのウルトラ愛を子どもたちに押し付けるのも野暮。タロウの子ども、タイガの物語を楽しませていただきましょう!

 

 


 

 

※本のあとがきには「また会おう!」とタロウがいっていたけど、まさか息子が会いにくることになると思わなかっただろうなぁ、タロウ(笑)