サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

緊急事態宣言を受け、ブログでも外出自粛を続けて最近思うことについて

こんにちは。

 

 毎度毎度の同じ書き出しになるけど、皆さんお元気でした?政府の緊急事態宣言後、意図的っていうもんでもないんだけどブログっていうかインターネット全般から長らく遠ざかっていました。この二ヶ月は会社のリモートワーク以外の時間は家族そろっての散歩を楽しんでみたり、古い映画を観たり、飯を食ったりなどのんびりな時間を満喫。

 

 そんでもって深夜。長い自粛期間なのでいざブログを書いたり修正したりなどをしてアクセスアップだー!なんて思ったりもしたんだけど、いざ、キーボードの前に座るとどうにもやる気が出ない。最初こそ「まぁそんな日もあるさ!」なんて思いながらブログのネタ探しのために他のインターネット記事やお気に入りのブログ、ツイッターなどをザッピングしてもいたんだけど、そのうちそれさえも億劫で苦痛に思えてくる。TVもうっとおしくてうるさく、活字も見ているだけで疲れる。ふと「俺、鬱にでもなったのかな」と本気で心配になる日もありました。そうはいっても緊急事態宣言解除となった現在、多くの人と同様に僕も外に出ていかなきゃならん。重い手足を奮い立たせて勤労に励む毎日っていうやつです。

 

 自分が鬱かどうかはともかく、改めてリアルやインターネットなどで「外」に触れてつくづく「情報多すぎだよなぁ・・・」などと最近思っています。何かを決めるときや考えなきゃいけない時に多くの選択肢があるのは大切で有難いってことは重々わかっているけど、四六時中「情報」に囲まれているっていうのもキツイ。目も耳も皮膚感覚も疲れて「うわぁーっ」となることも多い。Stay Homeな生活と数ヶ月前まであたりまえだった「日常」のギャップにヘロヘロな今日、この頃です。

 

 そんなこといってもあと数日で「日常」に慣れていくんだろうけどもね。似たような感覚を味わっている人って、案外多くいるんじゃないかなぁ?

 

イエスタディをうたってのアニメ化は、僕の20年越しの夢だった

こんにちは。

 本日のテーマは僕が学生の頃に大好きだった漫画のアニメ化について。その作品とは漫画家、冬目景さんの描く長編恋愛モラトリアム「イエスタディをうたって」。

 

singyesterday.com

 

 大学生の頃に読んでいたから、20年以上前の作品になるのかー。

 

 この作品は集英社の隔週漫画雑誌「ビジネスジャンプ(現在:グランドジャンプ)」で不定期連載された作品。連載時にリアルタイムで読み、単行本も毎回買うほど愛していた作品です。物語はフリーター(後に正社員カメラマン)青年の「魚住陸生(うおずみりくお)」と中学生の頃、ふとしたきっかけから出会い陸生に一目ぼれした少女「野中晴(のなかはる)」、大学の同期生で在学中から陸が心を寄せていた高校教員(晴の担任でもあった)「森ノ目榀子(もりのめしなこ)」、品子の幼馴染の弟で浪人中の「早川浪(はやかわろう)」。この4人を軸に巡って繰り広げる煮え切らない恋愛模様がテーマです。読んでいて「あーもーめんどくせーなー!どいつもこいつも!」と怒鳴りたくなるほどのもどかしさに、当時同じくめんどくせー女の子に恋をしていた僕はその自分の恋愛マゾなメンタリティーを刺激させるストーリーの遅さに苛立ちつつもすごく共感させられたもんだ。・・・若かったなぁ自分も。

 

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 あと作品の見どころとして挙げさせて貰うと「絵柄」ですかね。美大卒という作者さんの経歴にルーツがあるのか、イラストがすごく特徴的です。それを表現するなら「まるで丁寧に描いたラフスケッチ」っていう印象で、その頃はこのような作風の絵柄が少なかったためすごく目を惹きました。

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 これはSEASON.2の第二話の表紙。ビジネスジャンプの掲載時は左側に「ー否定語を並べると私ができあがるー。」とかいうアオリ文句が確かあったと思う。そういう低予算映画みたいなコピーがその頃すきだったんですよねー。

 

 

 さて本題。なんでこの漫画のアニメ化がお前の夢だったのかって?それは僕がとあるアニメ制作会社で制作だった頃、この作品のアニメ化を企画書として会社のお偉いさんに提出していたからです。この人の独特な絵柄は絶対売れると思い、単行本と冬目さんの画集「百景」を企画書と併せてプロデューサーのもとに持ち込んだのでした。そのプロデューサーは「若いスタッフの企画は大歓迎」といっており、企画書についても「私もあの作品好き!企画実現できるかどうかっていわれたら分からないけど、目の付け所はいいよ!」みたいなことを言われたのですっごく舞い上がりましたね。

 

 とはいえ、人生そんなに甘くはない。数か月後に何気なく上司の机を見たら、提出した単行本と画集には埃がつもっており企画書はどこにもない。たぶん、プロデューサーは企画書を裏紙メモにでも使ったんだろうなと思っています。まぁ企画がそんな簡単にとおっていたらみんな苦労なんてありませんわな。

 

 だけどまさかこの作品が20年の時を経てアニメ化するとはほんとに思わなかったわ。
いちおうどこの制作会社が手掛けたのか気になって調べたら…あぁよかった。俺のいた制作会社じゃなかった。もしそうだったらたぶん俺は発狂しているだろうな。

 

 マンガの登場人物に心情を重ね合わせていた20年前を思い出しながら、現在にふと目を向けてみると、今の僕はIT業界でネットワーク屋さんとして複数ある取引先企業のLAN環境保守のため中央線や山手線、地下鉄、その他私鉄などを乗り継ぐ日々。だけどマンガの人物たちは今も年をとらず、先の見えない恋愛にあーだこーだ思いを巡らせる日常を生きています。こっぴどく女の子にフラれたり、体調を壊してアニメ業界を辞めたり、東京都内のフリーペーパー系タウン新聞でコラム書いていたり、IT技術屋になったり、結婚したり、かわいい子どもを授かったり。まぁ人生っていろいろあるよね。

 この作品のアニメはアニメ業界で名を馳せたい!という情熱に溢れていた20代の頃、
そしてその夢が破れても家族とともに毎日を笑って生きながら「別」のスタンスで夢を叶えたいとあがくさえないおっさんになった僕に、こう語りかけてくるのです。

 

「嘗てのお前の夢は別人が現実にしたぞ。お前はどうする?なにができる?」と。

 

 そうはいったって難しいのよ。「生活を守りながらの戦い」っていうのも。

 

マンガよりも酷いと周囲からいわれた僕の失恋遍歴。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

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夢?物語制作に携わること。諦めるわけねぇだろ!

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 


 

 

 

 

 

 

ラブライブの「みかん」「お茶」の広告に地域振興を考える

こんにちは。

 久々のブログ更新ですが、その間に日本や世界各地で起こり続けている大きな動きにただただ唖然とさせられている今日、この頃。皆さんも僕もお互い「どうか健康に気をつけて」とだけしかいえません。そんな時にブログなんて書くなよ!と自分でも思ったりもするけど今後も長引いたり頻度が増えるだろう「自粛」の際のひまつぶしとして、適当な読み物を増やしておくっていうのもまぁ、社会貢献といえるかな?といいながらキーボードの前に座っております。

 

   そんでもって本日のテーマは「ラブライブと町おこしについて」。ちょうど先月、このシリーズの2作目である「ラブライブ!サンシャイン!!」の主人公キャラ「高海千歌」と物語の舞台「沼津」のJAなんすんがコラボでポスターを作っており、起用されたイラストが物議を醸していました。

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 こんなふうに健康的な少女がみかんを持って微笑んでいる。これの何が問題なの?とお思いの方もいるでしょう。では、目線を下に移動。

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 こんな風に下着のライン、もしくはデリケートゾーンがくっきり。これについて多くの異議がよせられたそうな。この表現についての是非はここでは述べません。ただこのブログでオタク的なエロ文法の社会流通について批判を続けている僕でさえ、このトライアングルの部分に目が行きました、正直言って。そのことで日頃、偉そうにオタクを批判している自分もこの「デフォルメによる女性の性的部位を強調したエロ訴求」から未だに脱却できていないんだなぁと、頭をボリボリ掻き反省するのみです。

 

 その後、JAなんすんは今回こんなコラボポスターを作成。

 

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 デザインに起用されているのは同じキャラです。この二つのポスターを比較して「どちらが地域の特産品PR広告としてふさわしいか?」といったジャッジメントをするつもりはないけど、あらためてここで考えてみたいことはあります。

 

広告って何なのか?

 インターネットなどで調べてみると、三省堂大辞林ではこう書かれています。

 

広告 

① 人々に関心を持たせ、購入させるために、有料の媒体を用いて商品の宣伝をすること。また、そのための文書類や記事。

② 広く世の中に知らせること。

 

www.weblio.jp

 そのうえで問題になったポスターを擁護する人たちに尋ねます。

「このポスターで訴えるべきはみかん?キャラのデリケートゾーン?」と。以前、僕はこのブログで同じく女性の性的部位を強調した地域おこしポスターについてこう批判をさせて貰いました。

 

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こういうポスターを「表現の自由」というフレーズで擁護するオタク共や評論家さんたちにいいたいのは「皆さん、表現の自由がどうこううるさいけれどもこのポスターとかアニメの巨乳キャラたちを通じて表現したいものは何ですかい」という疑問です。

女体だーい好き!こそオタクとこの社会の本音である! - サブカル 語る。

 

 この部分について「表現に意味を求めることこそ表現の自由の妨げで云々」みたいなコメントもありましたが、ここで僕のいっているのは「地域の魅力を伝えるのが目的の広告で、キャラたちの性的部位を特産物より大きくクローズアップして表現できる地域の魅力って何?」っていう率直な疑問です。表現の自由がどうこうという問題じゃありません。

この疑問についてはポスター擁護派にぜひともご教示いただきたい。おそらく僕が思わず「なるほど!」と膝を打つような明確な回答があることでしょう。

 

 読者にはしつこいと思っている人もいるとは思います。だけど、僕は問い続ける。

 

「衆目集めに女性の身体を使った広告の先に本当の意味の地域振興ってあるの?」と。

 


 

 

※このお茶の広告については作品名のロゴが小さく、絵柄も違うのでラブライブのコラボとわからない!という自称オタクのツイートも見たけど、小さかろうが大きかろうが絵柄が異なろうがそのロゴや特徴的なキャラの髪形、そのキャラの地元であることを踏まえて地域と作品のコラボであることが分からないのであれば、単にそれはその人に想像力がないってだけのこと。そんな想像力を持てないのならオタクをなのるのはやめるべきだろう。

ラブライブは結局、キモオタのためのアニメと思われても仕方ない

こんにちは。

 本日のブログのテーマは生徒減によって廃校の危機に陥った学園を救うため、学生が独自に結成したスクールアイドルグループを主人公にした作品「ラブライブ」。

 正直言って僕自身、この作品にハマったというもんでもなく、何話かをかいつまんで見て作中のスクールアイドルグループ「μ's(ミューズ)」のメンバーを一般常識として覚えた程度の知識しか持っておりません。そういえば最近続編の「ラブライブサンシャイン」の主人公(でいいのか?)「高海千歌(たかみちか)」という娘っ子のボディラインを強調したイラストを使った地域振興の広告が物議を醸しているのを見ていますけど、今回は別の話題。

 

www.lovelive-anime.jp

 

 物語の舞台を新たに新シリーズのプロジェクト起動!ということで、一般から声優を公募オーディションで選ぶという企画みたいですが、その募集要項はこんな具合。

 

エントリー資格
日本国内在住の15歳〜22歳の女性(2020年4月1日時点の満年齢)
※中学生以下は不可。
※特定のレコード会社や芸能事務所等と所属契約していない方。
※遠方にお住まいの場合、合格された際に上京・在住が可能な方。
※審査過程での映像等の収録にご協力いただける方。
※未成年の方は保護者の同意が必要です。
※未婚の女性に限ります。

 そりゃ一般公募なので芸能関連の事務所所属者や中学生はダメ!っていうのはわかるけど「未婚の女性でなきゃどうしてダメなの?」という声も多いそうな。

 

news.livedoor.com

 

 この作品自体、メンバーの声優さんが物語と同名のグループを結成してライブなどを行ったりしているそうだけど、こういう企画ってオタクの現実とフィクションの認知を歪める一端になっているんじゃないのだろうかっていう感じがしなくもありません。

 

 ちなみに僕が中学生の頃も、人気声優による音楽ユニットグループはありました。この「ラブライブ」と同じくサンライズの作品「鎧伝サムライトルーパー」でメインキャストを担当した5人の男性声優による「N.G.FIVE(エヌジーファイブ)」というグループです。

 

鎧伝サムライトルーパー - Wikipedia

NG5 - Wikipedia

 

 最近は二次元エロに飼いならされて金を搾取されていることにも気づかず「俺たちが日本の経済を回している!!」とかいう勘違いも甚だしい自称オタクたちから文句つけられたりもすることの多いこのブログ。今回もこういうこと書くと「お前の頃にも声優の音楽ユニットはあったんだろ?だったら批判するな!」とか「ラブライブの声優グループとこの「N.G.FIVE(エヌジーファイブ)」との違いはなんだ?言ってみろ!」とか言われたらとりあえず、こう答えておきましょうか。

N.G.FIVEは作品の人気の副次的なものであり、グループもそのファンも物語とはきっちり線を引いていたと思うよ」と。

 

    つまりトルーパーファンが嵩じて声優、グループのファンにはなったりするけれど、キャラと声優を同一視していなかった。そこは線を引くことで現実とフィクションのボーダーラインを保っていた印象があるのです。

 

 先ほどのリンク先の記事では、この問題についてこのように述べていました。

「『ラブライブ!』と言えば、“スクールアイドル”を謳っているため、必然的に声優もアイドル売りに。そのため、男性ファンは特に違和感を抱かなかったようですが、女性ファンからは不信感を買ってしまったようです。アニメ作品と言えば、以前、『けものフレンズ2』の新ユニットオーディションの募集要項でスリーサイズを求められたこともあり、物議を醸しましたが、どうやらアニメ作品ではそのようなケースが横行しているとのこと。これについてもアニメファンの間で議論されています」

 

 僕はやや異なる見解です。これは声優のアイドル売りではなくて、フィクションのキャラと実在する人間の同一化による「物語とのセット売り」である。といったほうがおそらく適切だろうと思います。だからこそ作品の声優は「高校生の物語」に沿って「未婚」でなきゃいけない。フィクションと現実の世界観を曖昧にして、日本経済を回してくださっているオタク共から少しでも金を搾取するために。

 

 誤解してほしくないんですけど、全然いいんですよ。物語とのセット売り。フィクションと現実をごっちゃにして考える二次元家畜どもから金を搾り取るには何より有効な手法でありマーケティング的にも正しい。

 

    ただ先述したラブライブのキャラのボディーラインを強調したポスターに異議を唱える人達に「そもそもラブライブは町おこしがテーマで老若男女問わず楽しめる作品なのでお前らの批判は当たらない。なんでもエロと結びつけるお前たちのほうが狂っている」とかいう意見を述べているオタクが散見されました。

 

 だけど今回の募集の募集をみる限り、どう考えても未婚女性対象って大きなお友達ターゲット企画だよね。本当に老若男女楽しめるアニメなら、声優に求められるのはキャラにあった声や演技の質のみだもんね。つまりラブライブってお前らみたいな「オタク」をターゲットにした作品なんだよね。って周囲に思われても仕方ないぞ。

 

 さぁ、オタクはどう反論するだろう。どうせろくに反論もせず、怒鳴り散らすだけだろうな。

 

 

 

 

ブログでおこづかいを稼ぎたいあなたに教えるオトクな情報

こんにちは。

 相も変わらず、誰に頼まれてもないのに業務の合間をぬってブログ書いています。
だけどなんで僕もこのブログを続けているんだろうねぇ?続けば続けるほど読解力の欠けたバカに絡まれてストレスたまるわ、二次元のエロ表現にただ搾取されているだけの自称オタクたちのふりまく「自分たちオタクこそがこの国の経済を回している!」みたいな勘違いなどについて批判をしても話は通じないわ・・・もうめんどくせぇ、めんどくせぇ。

 

 あーもっと金になりそうなブログ記事でも書きたいなぁ・・・って思っていたらお金になりそうな記事の募集を発見。

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安倍総理のいいところがわかるエピソード」募集

 

 まぁ、お金を稼ぐっていうのは大変なことです。時には社会の理不尽に耐え、イヤな人にも頭を下げ、おべっかも使わなきゃいけなかったりする。その我慢に見合う対価が貰えるんだったら僕だって喜んで安倍総理に尻尾ふります。で、その価格っておいくらなのか?…価格250円?まぁ、そうはいってもネタになりそうなので登録して応募してみるかな…って思いながらすでに一時間経過。何にも思いつきません。フルで知恵を絞っても安倍総理をほめる言葉が思いつかないどころか、この人の嘗ての振る舞いを思い起こすだけで口に出すのもためらうような罵詈雑言だけが頭をよぎるのみ。

 

 おべっかや太鼓持ちなどの昭和な処世術スキルを磨いてみたい人は挑んでみるのもいいかもしれません。っていうところで本日はこれにて。

 

 


 

 

 ※企業が権力者を褒める言葉をお金でかき集めている現在のこの国の異常さ、みんなもそろそろわかってきた頃だろう?いやいや笑い話じゃなくって異常だよマジで!!

 

 

 

 

 

 

誰も騒がなくなったから今こそ、幽奈さんのエロ表紙の問題を考える

こんにちは。

 

 今月もブログを全く更新せずにいて、気づいたら月末。皆さんお元気でしょうか。

 本日は前々からずっと書きたい。と思っていたテーマを取り上げさせてもらいます。これを皆さんは覚えていますか?

 

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 これは昨年、このブログでも取り上げた週刊少年ジャンプで連載中の作品「ゆらぎ荘の幽奈さん」のカラー表紙です。この半裸の幽奈さんの裏表紙にはタピオカをテーマにした番外編の短編が収録されており、

 

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 この裏面を光にかざして覗いてみるとピンク色のタピオカ部分がセミヌードの幽奈さんの乳首に見えるという演出になっており、それを批判させて貰いました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 最近はオタクのエロや現実の女性に対する態度が目に余ることもあって、オタク批判の文脈で記事を書くことも多くなりましたけど、今回はあくまでもひとりのマンガ読みという視点からこの表紙がいかに読者を(意図的でないにせよ)ナメているかについて説明をさせてもらおうと思っています。

 

 

 

そもそもマンガってなに?

 本題に移る前にこの点について考えてみましょう。そもそも、漫画ってなに?これについては多くの識者が語っているけど、ここでは手塚治虫の発言に従い、以下の通り定義をさせていただきます。

 

マンガとは「記号」である。

 

 記号っていわれても、ピンときませんよね?では手塚の発言をここで引用。

「僕の画っていうのは驚くと目が丸くなるし、怒ると必ずヒゲオヤジみたいに目のところにシワが寄るし、顔が飛び出すし。そう、パターンがあるのね。(中略)このパターンとパターンを組み合わせるとひとつのまとまった画らしきものができる。だけど、それは純粋な絵画じゃなくて非常に省略しきった記号なのだと思う。(中略)僕は画を描いているんじゃなく、ある特殊な文字で話を書いているんじゃないかと思う」

1979年「ぱふ」より

 

 簡単に言うと手塚は絵でなく記号を使って物語を書いているんじゃないか?ということを述べています。つまり手塚はパターン化された図形と線でキャラを描いており、そのキャラはまるでイラストというよりも単なる記号の集合体なのではないか?と語ってるのです。この話、後々重要になってくるので覚えておいて下さい。

 

 次。手塚は先述のとおり自らのキャラは「記号」だと述べています。ただその言及は手塚だけに言えるものではなく、マンガの本質を言い表してもいる。現在でこそ漫画は数年、10数年もの年月をかけて壮大なドラマを楽しませるストーリーテリングの技法にまでなりましたが、本来的には1話単位での短編や4コママンガみたいな、単純な起承転結を語る小さな物語集でした。

 

 キャラたちはそれぞれの閉じた世界の中で年を重ねることもなく、箱庭みたく閉じた空間でその日その日のエピソードを披露する。サザエさんこち亀の両津、ドラえもん。その他、etc。キャラたちはその世界で固定されている年齢に応じた行動を取り、成長することなく終わりのない日常を生き続けていくのみ。それが許されているのはキャラたちの本質が「単なる記号の集合体」だからです。記号の集合体だからこそ、キャラたちは殴られてケガをしてもその時に頭に大きな絆創膏が貼られる描写だけで、場面が変わったらあっという間に元どおり。両津がトラブルを起こして派出所やその周辺などを爆破しても当の本人や周囲の人は「いてて・・・」と軽いケガだけで、ページが変わったらこれまた元どおり。このような不老でタフ、無敵でいられるのはキャラクターがケガの描写で例えたみたく、あらゆる事象がデフォルメされて描写される非現実な世界の住人だからなのです。

 

記号でリアリズムを描いた手塚

 ところが。手塚はその記号でしかない非現実な世界の住人で「物語」を描いた。それはどういうことなのか?話は太平洋戦争の頃に遡ります。本人が自伝などで述べているとおり手塚は子どもの頃から根っからのマンガ少年。いつでもどこでもマンガを描いていました。その手塚少年も「太平洋戦争」の空気を受けたせいか好戦的とはいわずとも戦意を高揚させるような作品を描くようになっていき、ある日こんな作品を描きます。

 

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講談社現代新書:教養としてのまんが・アニメ(大塚英志ササキバラ・ゴウ

  

  

 この4コママンガは防空壕にいた少年「フクちゃん」が外に飛び出して逃げた時、敵国の戦闘機から機関銃で胸を打たれている場面です。この作品の3コマ目を見ると、本来目にもとまらぬ速さで狙ってくる銃弾はまるで槍のように描かれており、フクちゃんの足もこれまたバタバタと残像が見えるほど素早く描かれている。まさに作品そのものが現実的にはあり得ない描写の集大成です。

 

 ただこの胸を打たれたフクちゃんは生々しく血を流した後、その場に倒れて動きません。フクちゃんが記号の集合体であり、述べてきたマンガの定義に忠実なデフォルメ世界の住人なら次のページでは「痛てーなー」とか言ってゆっくり立ち上がり、また全速力で戦闘機から逃げ回るはずなのです。だけども、手塚はそれを描写しなかった。というよりもそんな非現実的な表現を描けなかったというほうがおそらく適切でしょう。

 

 手塚の少年時代が「戦争」というものに晒されており、常に生命の危機にあった。というリアリズムが、エンタテインメント性を持った無敵でタフなキャラクタを描かせなかった。つまり「身体性を持たない記号の集合体」であったフクちゃんは、物語の中で戦争というものを味わった「手塚の身体性、感情・主体性」を背負わされてしまったのです。人間は身体性によって感情を発達させる生物ですが、手塚の身体性の具現者となったフクちゃんも戦争に対する負の感情とそれに対する主体性(手塚治虫のコピーともいえる主体)を持つこととなった。そんでもってそのフクちゃんの主体は物語でキャラが怪我をしても「痛てーなー」だけで済む世界の非現実的な物語に生きることを許さず、結果、現実的な世界に生きることになったのフクちゃんは立ち上がることのできないケガを負ったのです。

 

 このフクちゃんが銃弾を浴びた瞬間、細かくいうとキャラが身体性、それに伴う主体(あくまでも作者の主体の反映)を得た瞬間こそ日本の戦後漫画のスタートである。と先ほど引用した本の著者、大塚英志は述べておりこの大塚説には異論もあるけど僕はこの説をベースにサブカルと物語についてを考えています。

 

所詮漫画なんて記号だ!と言い放った作者

 長い話になったけども、ここらへんで幽奈さんの話題に戻っていきましょう。何度も述べた通り身も蓋もないことをいわせてもらうと、所詮マンガなんて「単なる記号の集合体」です。だけど僕たちはその記号の集合体に対して想像力を働かせ、キャラの感情や行動に想いを馳せてマンガの中にあるリアル、つまり物語を味わってきた。それは多少ロマンチックな言い方をさせてもらうと、作品やキャラを通じた作者のリアルとの対話でもあります。作品と作者の人柄は別であるという人もいて、確かにそれはそれで正論です。だけどみんな、本当にそんなクールに割り切っています?そうだ!というならそれはたぶん、ウソですよ。そんなにみんながクールならクリエイターの発言に支持が集まったり怒ったりなどの騒動なんて起きない筈だから。

 

 幽奈さんだってエロだけでなく「物語」に共感できるから好きという読者も少なからずいるだろうと思います。でも、この作者は僕に言わせれば幽奈さんというキャラクターを「記号に分解」したのです。意図的じゃないだろうけどセミヌードとタピオカに分解して、表裏を透かしてキャラを見ればあら不思議!乳首の見える幽奈さんのイラストになるぞー!という演出で「所詮、お前らの好きなキャラは線と図形の集合体でしかないんだぜ!」と読者に見せつけた。ということになる。これは言ってみりゃ幽奈さんのキャラ性の全否定そのものと言ってもいい振る舞いであり、作者の裏切りでもあるといえるのではないのか。こんなに読者をバカにした話はないと思う。心あるファンならこんなの激怒案件だと思うよ、いやマジで。

 


 

 

 写実を目指して発達した絵画とは逆に、事象を単純な線と図形でデフォルメ化することで発達していったマンガ。その漫画がひとりの少年の味わった戦争をきっかけに作者の生きる世界と連なっている「リアル」描くための表現方法として進化していったプロセスを考えてみると、なんと逆説的なんだろうかとつくづく思う。そういった戦後漫画のプロセスを知らず、キャラを記号に分解したエロで楽しむ作者、オタクが情けない。

エロゲー的価値観の一般化を憂いた、あるエロゲークリエーターについて

こんにちは。

 先月のブログ更新からもう30日を超えており、今回久々の更新になりますが、皆さんもお元気ですか?

 

 サブカル関連のマイナーな話題で遊ぶというコンセプトより「オタク叩きの急先鋒」みたいな文脈で幅広く知られることになったこのブログも事あるごとに叩かれるため、僕が L'Arc-en-CielのHydeだったら「うるさく言わないで」といって「Stay away」の振り付けで踊りたくもなる今日この頃ですが、本日の記事のテーマはタイトルにある通り、「エロゲー的価値観の流通を憂いていた、あるエロゲーリエーターによる対談。

 

 

アニメとエロがこれほど強く結びついたのはいつ頃か?それはたぶん、10年程前のとあるムーブメントがひとつの契機になったのではないだろうかと僕は思います。

 

 今から10年ほど前、エロゲーにあるムーブメントがありました。それはエロゲーだけど、泣ける。 泣けて、抜けるがウリのいわゆる「泣きゲー」と言われたエロゲーというジャンルの台頭です。そのゲームの固有タイトルを書いたりすると、頭に蛆の沸いたうるさい人たちが湧いてくるのでこのブログで挙げませんけれどもその物語の大きな特徴としては、主人公とヒロインの女の子が男女のやる事だけはきっちりやるけれどアンハッピーエンドな結末が基本のコンセプト。そういった屈折したエロゲーがこの頃にはたくさんあり、困ったことにアニメ化などもされて民放で放送されているのを見て僕は正直、思いました。

 

 「この国は狂ってる」

 

 アニメは肝心の性描写を一切省いた若い男女の純愛などを前面に押し出した作りでそれだけを見れば別に問題ありません。実を言うとそのアニメを見て僕もちょっぴり涙ぐみました。だけども、その後で「オイオイオイ、ちょっとまて!所詮コレってエロゲーだぞ。CGの男女の性描写で野郎どもを興奮させる二次元ポルノだぞ。こういった黒い本質を隠して、純愛のもつ白いイメージで売るのってズルくないのか?」と至極当たり前な感情が湧き上がってきたのです。

泣きゲーなんて所詮、エロゲーを買えなかった奴のいいわけ - サブカル 語る。

 

 以前このブログでも書いたとおり、アニメ会社の制作進行だった僕は「アニメやゲームなどのいわゆるサブカルの分野で『エロゲー』の領域にあったエロの価値観」を薄めたり、隠したりすることでそれらがやたら広く一般流通するようになった現状と、その流れに乗っかるサブカル関連業界のズルさを憂いていました。どんな理屈をつけてもそれらにはエロゲーの文法に沿ったエロが内包されているじゃないか。オタクの抱えるエロに対する後ろめたさからの逃げを日本の文化みたく持ち上げるなよ、と。その憂慮のきっかけにもなっているエロゲーのクリエーターの対談って、皆さん興味ありません?そのクリエーターの名は「日高真一」。このエロゲーを作った人です。

 

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otapol.com

 

 

Theガッツ! - Wikipedia

 

物語はこんな具合

 恋人に軟弱な身体をバカにされたため、身体を鍛えるため工事現場のアルバイトを始めた青年が主人公。ヒロインのタカさん(高原美奈子)やその他の筋肉ムキムキな女性を相手にセックスを楽しむ。という美少女ゲームのフォーマットの真逆をいく作品となっています。さらに前述した通り、物語では主人公はひ弱なため、ヒロインに迫られたら逃げられない。つまり、性において時には女性が主体を握るケースもあるわけです。キャラのセリフも男性ファンタジー色が強いものでなく、シチュエーションは非現実ながら人間の会話に近いリアルなやり取りを目指しているため、声優さんからも「演技しやすい!」「演技が楽しい!」と好評だったそうな。

 

 僕も以前、体験版を遊んだ記憶がありますが、そのたくましい女性の肉体のイラストに「このゲームって売れるの?」と思ったもんですが、意外や意外。その逆に突き抜けた個性が本来のエロゲー購買層とは異なるマニアックな支持層を掴み、続編も5作前後作るほどのヒット作になりましたとさ。

 

 さて。そんなマニアックなゲームを作ったクリエイターが、20年ほど前から顕著になっていたエロゲー的価値感の流通をどう考えていたかを紹介させてもらいます。

 

日高 :日高真一

がっぷ:がっぷ獅子丸(ゲームプロデューサー兼ライター)

日高:エロゲーって、元々グレーなもので、グレーだったからこそ売れていたんですよ。そのグレーの部分に含まれている『黒』の要素がどんどん削れていって『白の中にエロいっていう黒いシミがポツン、ポツン入っている』というものになっちゃった。それがたぶん、一般の市場(エロゲーエロゲーとしてあった市場という意味)からの乖離とユーザーの先鋭化を助長したと思うんですね。で、このまま続けていくと発展も進歩もないどころかいずれ崩壊する。(省略)

 

がっぷ:そうですね。

 

 引用:ゲーム業界のフシギ(著:がっぷ獅子丸_太田出版 2002年)

 

 

 

 対談の中で日高さんは自身の作品「Theガッツ!」がいわゆる美少女の文法から外れたタカさんやそのあまりにもマッチョで人間のリアルな会話を目指した作風のため、エロゲーファンから「健全な美少女ゲーム業界を汚す作品(笑)」「ガッツ!のセックスは臭くて嫌いだ!」などと叩かれたことを披露。このバッシングについて「俺も人に体臭を感じさせる作品を作れたんだと思うと嬉しかったよ」といい、話の聞き手のがっぷ獅子丸さんも「エロゲーユーザーよりガッツのユーザーのほうが正常に思えてくる」と反応。話はさらに続きます。

 

そんでもって二人の結論は

「現在(本出版当時の2002年)現在のエロゲーの主流はオタクの人をバカにするとかでないけどやっぱりちょっとズレている印象がある。そのズレを修正するためにはやはり原点に戻るべき。エロゲーに「美少女ゲーム」なんていう別名がついたのがそもそもの間違いであり、業界はもっと『エロってなんだ?』と自問自答をするべきではないか」

 

 だいたいこんな意見にまとまっていきます(気になる人は古本屋で探して読もう)。

 なんかこれって、AMネットワークがブログで語っていることと似てるな?と思った人も多いだろうと思うけど、ぶっちゃけ僕はこの対談の影響をかなり受けています。アニメ業界の中で働きながら『エロのくせにエロと認めない』表現の多用を行い、小銭を稼ぎたがるアニメ業界全体の風潮に疑問を持っていた当時の僕はただこの意見に頷くだけでした。

 

 そしてそれから20年後。この日本では日高さんが対談で述べていた指摘がイヤになる程当てはまっています。やっぱり才能豊かなクリエイターさんってすげー高い先見性を持っているんだなと思うのと同時に、このオタク文化における一般市場(本来的なエロゲーオタク市場っていう意味ね)からの乖離、ユーザーの先鋭化という事象。巷には「エロくない」との建前ながらエロゲー、エロ漫画の表現文法に準拠した「オタクにとってはエロくない女性のイラスト」が表現の自由を詭弁に街のいたる所に溢れており、その表現に異議を唱えりゃこれまた先鋭化したオタク共が群れて異論に牙をむく。エロゲー的価値観がアンダーグラウンドであり、それを自覚していた僕らは「やれやれ困ったもんだな」とただ愚痴を呟くのみ。