サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ベビーカーの是非っていうより、そもそも是非を問うものではない

 こんにちは。

 本日はトピック「ベビーカー」について。この話題については以下、二つのブログを読ませていただきました。トピックの発端になったのはこの記事。

 


日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか 女の言い分、男の言い分:PRESIDENT Online - プレジデント

 

 このベビーカーに記事についての反論が以下のブログ。

 

「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」という炎上記事を読んだのでその感想 - ネットの海の渚にて

「ベビーカーは親の甘え」について物申したいと思います。 - 母親はじめました

 

 この手の話の根底にあるのって「当事者にしか分からない辛さ」に対しての共感力が著しく欠けていることが原因だったりするんだろうけどそんな程度の事ぐらい、自分の心の内で処理しろよという感じ。確かに僕だって急いでいたり、電車で込み合っている時などに、ベビーカーが幅をとっていたら、イラつく事だってあります。だけど、そのお母さんだって別に好きで周囲に迷惑をかけようと思って公共の場にいるわけでもなかろうに。また、自分の幼い頃を思うときっと同じような形で周囲に大なり小なり迷惑をかけたんだろうな。と思えば「まぁお互い様だよね。」という気持ちが働くものだと思うですけどね。

 

 どちらにしても、ベビーカーの是非云々っていうより、その程度のことに不満を抱き「愚痴」としてブログで吐き出している事の幼さと情けなさに僕はイラってきました。

 

 

 話の発端であるこの記事については当然ながら賛同できません。だけど、こういった意見があることはある程度、想像できます。僕だって狭いところにいるベビーカーを正直いって「ジャマ」だと思ったことはある。ただ、それを迷惑だと思うのは世間一般的なコンセンサスかというと、やはりそれは違う。ベビーカーなどより近くにいる人の体臭や息の匂いのほうがキツかったりとか、込み合う電車で密着したおっさんの汗だくのシャツのほうが迷惑と思う人だっているかもしれない。

  また、この記事ではベビーカーを親がラクをするための道具と書いてありますけれども、そのその一方でこういう意見だってお母さん側から寄せられています。

 

”ベビーカーは必要”だからこそマナーを考えるべき - ままのおと

 こういうベビーカーを使っている親御さんの意見を読むと、ベビーカーを親のエゴと言い切ることもできません。当たり前の話ですが「不快」「迷惑」などの基準は人それぞれであって、どこの誰々がそれを不快に思ったからといってもその「不快」を総意ということはできません。僕だったら電車に乗っていてベビーカーを邪魔に思ったら親子が電車を降りるまで我慢するかだまって車両移動。単純にそれだけの話です。わざわざ迷惑だと目くじらをたてるほどのことでもないし、立てたくもない。

 自分自身の抱いた不快さをわざわざ記事にして、周囲に「あーこいつ、人間的に余裕ねぇんだな。」と読者に思わせるだけでなく、こういう記事を掲載する「PRESIDENT Online」も「子育ての大変さを分かってない」とか読者に思われたりしてこの記事で誰が得をしているんでしょう?

 このベビーカーについての考察で興味深かったのは以下の記事でした。

 

全ての大人はベビーカーに憧れている。 - ヘビとカメとゾウ

 

いいね。こういうのって。大人の余裕に溢れてるよ。あたりまえすぎる結論をいうと、ベビーカーの是非については人それぞれである。ただ、それを当たり前のように迷惑扱いすると人間性を疑われるので、余裕を持った振る舞いを心がけることが社会人としてとって重要であり、自分の不満を総意であるように口にする振舞いはバカの極み。 

なんか、長々と当たり前のこと書いちゃったな。