サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

「日本すごい」「日本人を褒めろ!」という愛国ポルノにうんざり。

こんにちは。

 昨日は父の日でしたが、皆さんのご家庭では親孝行しました?されました?僕はこの間のブログでも話したけれど本日は休日出勤。昨日から泊まりがけで名古屋に行き、疲れた身体を引きづって、昼の新幹線に乗って夜おそくに帰宅。んでもって明日はいつもどおりの時刻に出勤。日に日に身体の老化を感じているオッサンにとってキツイ。今月まとめて有給ぜってーとろう。まぁそんな僕の愚痴はいいや。たまたま電車に乗っていた時、目に入ってきたこんな雑誌の表紙。

 

日本すごい」のキモさにうんざり 

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日本語と日本文化が世界を平和にする。
なぜ日本人は毎年ノーベル賞をとれるのか。

 

 よくもまぁここまで臆面もなく自分たち日本人はすごい!といえるもんだ。筋肉少女帯のCD「日本印度化計画」より質の低いジョークだし、読者がジョークとか思わず本気でこの記事を受け取っていたら笑い話にもなりません。最近はテレビでも「こんなに辺境な海外にいる日本人!」みたいな番組が増えてきて僕自身、うんざりさせられているんだけども考えてみたらあの手の番組って国の経済や政治事情が思わしくない外国にわざわざ出向き、そこで現地のために長年活動している日本人をフィーチャーするというのが基本構成。だけどこういうのがウケるっていうのはたぶんだけども、僕らの心の奥に「先進国で暮らしている俺達日本人の仲間が、あなた達みたいな貧乏で政治が不安定な国のために活動していることをありがたく思え!日本よりも劣る国で活動する日本人たちは私たちの代表=俺ら日本人はスゴイだろ!」とかいった差別意識や思い上がりがあるためじゃないだろうか?と思っています。

 

日本すごい!」の横柄さにうんざり

 日本スゴイ!の自画自賛番組もひどいけど、更には以下のようなひどい番組も。

 

www.tbs.co.jp

 

 世界各国に広まっている「ニセクールジャパン」「ニセ日本文化」を本場の第一人者が成敗!!つまり、海外に広まり、異なる形となった日本文化を日本人があざ笑うという番組。こういう悪趣味にゃ付き合いたくもないので僕は率先して見たいとも思いませんけど、先日アフリカのモロッコという国で日本のものと異なる剣道を教えている先生のところに日本の有段者が道場を訪ね、この先生をメタクソにするという企画があったそうな。日本自体が以前は中国などを含むアジア圏、明治〜戦後はアメリカの文化を亜流に変化させてきたくせに海外の「ニセ日本文化」とやらを笑う資格がそもそもあるのか?と。また、文化というものは互いに混合し合い、新たな形になって互いを高め合う事だってある。もしも本来ある原型だけを認めるというんだったらアメリカに「ニンジャ」を広めたショー・コスギや、物理的法則お構いなしな忍者マンガ「NARUTO」の作者だってニセモノの日本文化伝承者だ!という事になる。僕自身、合気道という日本文化?(この?の意味はいずれ書きます)に30数年ほど親しんでいるので自分なりにこの国の風土の育てた文化に愛着を持っていおり、自分達の知っている原型と異なった海外の日本文化を目にする時はやはり戸惑い、思うこともあるでしょう。だけどやはり、文化というのは生活習慣や風習などによって育つもののため他国では形も異なってくるもんであり、情報や人材が国境を越えて凄まじい早さで行き交う現在、僕らは自分たちの文化の固有性にこだわるか?原型とは異なる形になった文化を認め、楽しめる懐の広さを育てるか?のどちらかを選ぶことになるだろうけれど発展的でかつ建設的なのは後者だと僕は思っており、わざわざ他国に出かけて日本と異なる形に発展した文化を笑いものにするのは極めて無礼な振舞いであると言わざるを得ません。

 

日本すごい」≠「俺すごい」の思考にうんざり

 このような雑誌やテレビなどの「日本人フィーチャー」特集がそれなりに売れているとしたら、それはこの国全体がみんなで虚勢を張っていることの証左だろうなと僕は思うのです。まだ日本が好景気だった80年代、僕らは「経済」というものに自信や誇りみたいな感情をもっていました。「経済大国ニッポン」という響きには子どもだった僕もなんとなくだけど「自分も経済大国の一員。つまりお金持ちで勢いのある国の子ども」なんだなと思っていた時期もありました。たぶん多くの大人たちもそうだったんでしょう。だけど90年代になってからこの日本の経済=日本人の誇りの拠り所はどん底になって、今でもなお低迷中。日本人が経済に誇りを持てなくなっている現在、次にこの国の歴史や文化というモノに自分の自信の根拠を求める人が増えているように思えてなりませんがくだらねぇ。そんな他人の褌で相撲をとる人生なんてまっぴらごめんだ。だから現在の政府や保守を名乗る人たちが語る「この国に自信が持てる、自信をもとう」といった言説が、俺は大キライ。こういう馬鹿な奴らが「日本スゴイ!」「日本人を褒めろ」と叫ぶ「愛国ポルノ」を世間に広めることでこの国の足を引っ張っているのが本当に腹立たしい。

 

 こういった愛国ポルノなどを通じて「誇りと自信を持てる国を作ろう!」なんていうのは自分にとって大きなお世話なんだけど、僕はそもそもこの国の何について「誇りと自信」を持てというのかピンときません。この国の歴史か?文化か?現在に生きる何らかの偉業を成し遂げた人物の存在か?どれでもいいんだけどそれらが他国の賞賛を受けるほど素晴らしくても、そうでなくても「だからナニ?」って感じです。他人の物語にのっかることで手にするプライドなんて、みっともないったらありゃしない。それってなんの取り柄も持たないさえないヤツが自宅の家系図を持ってきて、自分の家柄を偉そうに自慢して周囲から失笑されるのに似ている。周囲はそういう人たちにこう問いかけるでしょう「ふーん、家柄スゴイんだ。そんで、アナタ自身はどこがスゴイの?」と。ポルノというからには興奮させてほしいんだけど僕、インポテンツなんすかね?

 

日本すごい」という自画自賛の先にある衰退 

 人生におけるエクスタシーっていうのは自分の人生の中にのみある。「愛国」に踊らされて、ふと気づいたらその「誇るべき国のため」という大義で国に財産や生命を搾取されても不満を抱かない、誇りなき家畜になり下がるよりもぜんぜんマシだ。権力が「誇り」などという力強い単語を口にするときは、国が国民を「国家」を維持するためのコマにしてやろうと目論んでいる傾向が強いのは古今東西の歴史が物語っています。 どうぞご注意を。


 

 他人に同化する仲間意識より、どこにも交わることのない自分自身の「芯」というものが僕は欲しかった。他人に寄りかかる事で得られる自分への自信より、誰とも違うことのできる自分を手にしたかった。現在でもその欲求は滾っており、未だ手放せません。自他ともに認める「いい年した中二病」です。だけど。小さな自分のプライドのために他人を貶めたり、他人の成功や功績を同化させて自分のプライドを保ったり、歴史を自分の都合のいいように捏造しなきゃ自分を保てない人たちよりはマシだ。今後もブレることなく中二病でありたい。

  

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※日本人リスペクトのメディア情報を単純に喜ぶ人にいってやる!

 「お前ら病んでるぜ」。そして現実ってこんなもんだよと自覚すべき。

www.stay-minimal.com

 

toyokeizai.net

 

日本なんてすごくなくていい。それでも胸を張って生きていけ!って啓蒙するのが本来大人の役目なんだけど、大人がそれに浮かれているっていうのが情けないわ。