サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

小野田紀美(自民)やゆずの歌うネトウヨ的で「HINOMARU」な愛国

こんにちは。

 

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 昨日おとといと僕のツイッターにフォークデュオの「ゆず」についての批判がやたら多く流れているので気になり、情報をネットで集めてみたら彼らの新曲「ガイコクジンのトモダチ」の詞が「美しい日本」「靖国の桜」など、ネトウヨが感涙にむせぶようなフレーズに溢れており、ファンがひどく困惑させられているそうな。

 

ゆずやエセ保守な小野田紀美(自民)の口だけ愛国

www.j-cast.com

 

「ガイコクジンノトモダチ」

http://j-lyric.net/artist/a000614/l045c95.html

 このブログ記事で歌詞を引用するとまたJASRACがうるせーのでどんな内容か簡単にまとめてみます。

 

 お箸をうまく使えるけど納豆は食べられない外国の友達ができた。その友だちに「私、日本のこととても好きです!あなたはどこが好き?」と質問され僕は戸惑った。この国で生まれ育った僕らは知らないことばかり。国歌もこっそり歌わなきゃダメ。この国のことを誇って胸を張ることさえもダメなのかな。国旗はタンスにしまおう。

平和で美しい日本チャチャチャ。

 

 そもそもゆずの曲を僕はまともに聞いたこともないので、この曲についての批判とかするつもりもないけれど、どうもこの数年サブカルの中で「愛国推し」みたいなものがひどく強まっているような状況に僕もまた困惑させられています。ゆずの曲だけでなく、先日はとある国会議員がインターネットのテレビ番組に出演。

 

abematimes.com

 

 ゲームオタク・腐女子を自称する、この小野田紀美という議員さんはゲーム制作会社を経て政治家に転身。番組では左手の薬指を見せて「見えません?ここ(薬指)に日の丸が。国と結婚しておりますの」と愛国っぷりを熱弁。おそらく裸の王様みたくバカは見ることのできない日の丸なのでしょう。申し訳ないけど僕には全く見えませんまた映画「君の名は。」の主題歌も務めているグループ「RADWINMPS(ラッドウィンプス)」も新曲「HINOMARU」の歌詞が「ひどく右傾化している」として物議を醸したそうな。どんな歌詞なのかを細かく引用したりするとまたJASRACがうるせーので、概要を紹介。

 

古来より風にたなびく旗(日本の国旗)
意味もなく込み上げてくる、僕のこの思い。
胸に手を当ててみると血潮が高鳴り、

その高鳴りに誇りを感じる。
さぁ行こう!日出づるこの国の下に。

 

HINOMARU

http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l0469f5.html

 

 だいたいこんな感じ。この歌が戦前の軍歌を想起させるという理由で、RADWIMPSのライブ会場で抗議集会を行おう!とかいう呼びかけもツイッターで行われたことで、ちょっとした騒ぎになりました。

 

www.j-cast.com

 

結局自信がないから、奴らは愛国を叫ぶ

 なに?いつもの僕のブログの論調から「抗議集会に賛成だろう?」って?いいえ。むしろやめておけ。と思っていますよ。どうせ大声で反対を叫んだって届かないから。ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」という歌についても同じだけど、こういう「国旗」みたいなシンボルを使ったメッセージってすごく分かりやすい。そのためいくら抗議をしたところでライブに来ている客には「自分の生まれたこの国を愛することは当たり前だ。どこが問題なんだ?バカじゃないのかお前ら」と言われたら反論できません。僕もできない。今、大事なのはこの曲をRADWIMPS歌わせないようにすることではなく「国旗」などのシンボルに頼る、分かりやすい愛国の危うさや脆弱さなどを時間をかけてでも語り、伝える言葉ではないかと思うのです。

 

 その役を本来、担うべきなのはネットで「パヨク」「サヨク」と揶揄される人たちではなく寧ろ「保守」を自称している人たちだった筈。昭和の保守の代表格とされる文芸評論家の江藤淳は戦後の日本を「日本人の生活に根差していた本来の伝統や文化が失われたフェイク」であるというような評価をしており、シンボライズされたモノに頼る愛国心を「ニセモノ」と呼び、ひどく嫌っていました。現在、この国で広く流通している「愛国心」は僕にいわせりゃまさに、生活からにじみ出る感情ではなく「国旗」などのシンボルにを使って煽ったり煽られたりする「ニセモノ」でしかありません。だからこそ「自分の生まれた国を愛することは当たり前だ。どこが問題なんだ?」といった疑問に正面から答えるための言葉を構築することが遠回りだけど最も重要であり、それを保守が怠っている限りシンボルに頼った安くて弱い愛国心はこの先もこの国を覆うことになるでしょう。

 

日の丸や国歌に頼らない愛国

 べつに主義、主張は各々の自由なので誰が愛国を語ろうがどうでもいいんだけど、なぜそこまで「愛国」をアピールしなきゃいけないのか。昨今の「日本文化、伝統スゴイ」を強調しまくるテレビ番組の乱立と相まりすごく鬱陶しい。以前もブログで書いたけど日本の文化や伝統なんて、もはや現実生活と乖離している観念でしかありません。その観念的シンボルである国旗や国歌を持ってきて愛国云々を語られてもひどく空虚で噴飯モノ。お前笑わせるなよ!!という感じだし、こういった声高に愛国を叫んでいる人たちは「愛国」を叫ばなきゃ生きていけない弱者だと思うと哀れみを感じます。お前には愛国心はないのか!って聞かれたら「みなさんに誇るような愛国心なんて持っていませんよ」と僕は答えます。だけど日本で生まれ育ってきた自分の歴史、子どもの頃から現在にいたるまで生活の拠点になっている「多摩地域」という土地に愛着はある。わざわざ他人に語らずとも、自分の現在と未来はこの多摩地域への愛着と深くつながっている実感を持っている。だから僕は地に足をつけてこの地域で生きていく!というだけのこと。ゆずも小野田議員も「日本スゴイ!」というナショナリズムに縋っている人も僕から見たら「愛国でなきゃ生きていけない!」という強迫観念に追い詰められているみたいで、彼らがどれだけ笑顔でも僕には、痛々しく見えるのです。

 

 「軍歌みたいな曲を歌うな」ではなく愛国心は大いに結構。この曲の評価についてもどうこういいません。あなたがいい歌だと思っているなら、その思いは大事にしたらいい。だけどこの曲で語られている『国を愛する気持ち』というものは国旗などのシンボルがなくては成立しないような弱さがあると思います。国旗で愛国心を鼓舞するよりもっと生活に根を張って自分の人生を大切にしてみたらいかがでしょう。あなたの使う言葉や口にする食べ物、箸の上げ下げなどの風習やその風習を育むこの国の風土、あなたの立っている土地やそこにいる大事な人たちに思いを馳せて蔑ろにせず、意識を働かせていれば曲に頼らずともこの国や自分の生活を愛する気持ちが沸き起こるよ」というメッセージを届けることで、大地に丈夫な根っ子を張った思想をゆっくりでもいいから育てていくこと。メディアなどで最近増えている「日本ってすごい」という手前味噌な自画自賛や他国文化を貶める罵詈雑言はその努力を怠ったからこその結果であり、それはもう限界だということをこの国は認めるべきだろうな、と僕は思います。今後、日本では学校で「愛国心」を重視していく方針だと報道で知りました。僕みたいな愛国心にすがらなくても生きていける強者としては大きなお世話でとても迷惑な話だと思い、量産されるだろう表層的な愛国フレーズを考えるだけで憂鬱だし、これとは別で90年代になってからこの国で顕在化したサブカルナショナリズムの融和についてもここから話題を進めていきたいんだけど、それはまた別の機会に。

 

 

※以下の記事では安倍総理のマリオコスプレについて述べさせて貰いました。コレはマリオみたいなゲームや漫画、アニメなどのキャラ(いわゆるサブカルチャー)が「日本文化」としてリアリズムを持ったためメイン的なポジションに置かれることとなり、逆に日本人の風習として生活に根差していた本来の「日本文化」と呼ばれるべきものが、観念的な「サブカル」になっちゃったことを表す現象で、本日の記事とも繋がってくる話です。日本の文化に対してリアリズムを持っていないため、安倍もゆずも小野田議員もサブカルを通じて「愛国」を叫ばなきゃいけないというわけです。だからこそ保守はサブカルによる表面的な「愛国」に拍手とかしているヒマがあるなら、本来あるべき日本文化はどうやってサブカルからリアリズムを取り戻すべきか考えるべきなんだけど、あいつらほんとにその辺を分かってないからなぁ。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

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