サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

サッカーW杯。日本代表の応援ボイコットでこの国のバカさが分かった

こんにちは。

 

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 先週からロシアでいよいよ始まったサッカーW杯。にわかサッカーファンの僕自身も非常に楽しみだったんですけども、今回は日本代表の応援をボイコット。強豪国であり前回のブラジル大会で敗北を喫した南米のコロンビア戦もテレビをまったく観ず、報道で結果だけを抑える程度に留めて「あ、日本勝ったんだ。へぇ。」程度で感情を抑えています。正直言って決勝に進もうが、予選敗退になろうがどうでもいい。その応援ボイコットのきっかけとなったのは今さらいうまでもありませんがこの事件。

 

 

www.jiji.com

 別に西野監督や選手にはこれといって恨みもないんだけども、僕は日本サッカー協会のこの仕打ちを絶対に許せません。解任理由も「選手と監督のコミュニケーション不足」みたいな説明をしているけど、だったとしても予選を勝ち抜いてW杯出場のキップを手に、これから並みいる世界の強豪を相手に戦ってやるぞ!と意気込んでいるだろう監督からその権利を奪うなんてあんまりだし、こんな道理の通らない話はありません。W杯をハリルホジッチ体制で戦うつもりが最初からないんだったら、どうして事前の強化試合の指揮をとらせたのか。いきなりの決定だったこのハリルホジッチ解任は多くのサッカーファンも疑問を呈しており、本選前の監督交代について多くの人が不満だったはず。コロンビア戦直前までの下馬評も日本代表の評価は低く「決勝に進出?ムリでしょう」という声が圧倒的だったのに終わってみれば手の平返しで「感動した!」のオンパレード。この「結果がよけりゃぜんぶオッケー!」みたいな空気に僕はひどくイラついています。

 

 コロンビア戦勝利の余韻に日本全国で浸っているなか、こんなブログを書いている僕は本当に根性曲がりだろうな。とも思うけど、これはサッカーだけの話ではありません。コラムニストの小田嶋隆さんは今回のハリルホジッチの解任について、こう語っています。

 

business.nikkeibp.co.jp

以下、コラムの引用

"何回か前の当欄で簡単に説明した通り、私は、現代表チームのメンバー構成やチームとしての正当性に疑念を抱いている。よりはっきりとしたところを申し上げるなら、私は現代表チームならびに、その選考に当たったJFA日本サッカー協会)の首脳を信頼していない。

(中略)

 理由は、以前書いたことの重複になるが、前監督であったハリルホジッチ氏解任の顛末に納得できていないからだ。また、西野監督に後任を託した理由と経緯についてJFA日本サッカー協会)ならびに西野監督本人がなにひとつマトモな説明をしていないからでもある。"

 

こう語ったうえで、更に続けます。

 

"「いまさらグダグダ言っても仕方がないじゃないか」「過ぎたことを蒸し返してどうなるものでもないだろ?」「とにかく今目の前で戦っている自分たちの代表を応援するのが、普通の日本人としての唯一の現実的な態度だとオレは思うわけだが」てな調子で、当初は不満を持っていた人々も、時間の経過とともに、順次わだかまりを水に流しつつある。こんなふうにすべてを水に流して忘れてしまうことが、善良な日本人としてのあらまほしき上品な振る舞い方だということを、われわれは、子供の頃からやんわりと教えられ、そうやって大人になっている。

(中略)

 われわれの多くは、不満たらたらで通っていた職場にも、そのうちに馴れてしまうタイプの人間たちだ。してみると、どんなに無茶な人事であっても、いかにデタラメな状況説明であっても、事態を掌握している側の人間が中央突破で押し通してしまえば、最終的にはどんな無茶でもまかり通ることになっている。月日のたつうちには、誰もが抵抗をあきらめてしまう。われわれが住んでいるのはそういう国だ。つまり、既成事実の積み重ねが人々を屈服させるということの繰り返しがこの国のこの千年ほどの歴史の主要なストーリー展開であったことを踏まえて考えるなら、JFAの排外クーデターもモリカケの強弁も、最終的には「現実としてこうなってしまっていることについていまさら何を言っても仕方がないじゃないか」てなことで、不問に付されるに決まっているのである。"

 

 世間的にみたら、たかがサッカーという話だけど、この一連の騒ぎは結局のところ、権力を持っている人間たちが物事を勝手に決める横暴を繰り返すことで「その他大勢」である僕たちに道理に合わない手続きを「もう決まったこと」と諦めさせるという点で現在の政治や経済を突き動かしているものと本質的に同質のものです。つまり、僕らは力を持っている奴らに「どんな横暴もあいつらは時間さえ経てば忘れる」「目の前の結果というエサをくわせりゃ、あいつらは喜んで尻尾を振る」とナメられているのです。

 たかがサッカーではありません。今回のハリルホジッチ解任は「森友学園」や「加計学園」疑惑、自衛隊の日報の隠蔽、日大アメフト部の不祥事、企業の会計不正などと同質構造による「筋の通らない権力の横暴」であり、それらはみんなひとつに繋がる話なのです。たとえ日本がW杯で決勝トーナメントに進もうが、ベスト8になろうが、優勝しようが僕はその協会の「道理を弁えない振る舞い」を許そうとは思っておりません。皆さんはどうぞ心ゆくまで存分にサッカーのW杯をお楽しみ下さい。あ。ちなみに今大会で日本代表が決勝トーナメント進出を決めたらサッカー協会は結果を出したことになるのかという問いには「NO!」と答えておきます。それは結果ではなく単なるまぐれあたりだからです。

 

「マネジメント」第26章の「組織の精神」で、ドラッカーはこう語っています。 組織の焦点とは成果に合わせなくてはならない。 ここでいう成果とは何なのか?ドラッカーいわく「成果とは長期のもの(つまり継続性のあるもの)であって百発百中ではない。 百発百中は曲芸である。」と語っています。この話を僕は以下のように解釈しています。 百発百中の曲芸。これは僕らがふだん考える「理想の結果」です。だけど、これらは言うまでもなく一過性のものであり続く事はない。服の売り上げ100万円だって29日間売れなくても最後の1日でお金持ちが100万円分買ったら達成される。あるいは想定の2倍の量が毎日売れて200万円UPになる月だってあるかもしれないし、逆にまったくダメで売り上げ-100万円DOWNの月も存在しうる。 このように先が見通せない中で、百発百中の曲芸を思わせる「理想の結果」を短絡的に求めて一喜一憂するのは不毛である。だったら毎月100万UPに達せなくても、その目標に近い金額を達成できるプランを立てて継続的に実行させていく。たとえ、そのプランで達成できなくてもその「失敗」という弱みに臆せず、売上100万円アップを目指して、新しい事に積極的態度で継続的に取り組んでいくことこそ、成果である。 こんな感じでしょうか?

ドラッカーを読んでいなくてもできる、店舗売り上げアップ作戦を紹介 - サブカル 語る。

  マネジメントの著者、ピーター・ドラッカーは「結果」を上記のように語りました。ドラッカーの言葉に当てはめると、日本サッカー協会は98年以降、毎回日本代表をW杯に出場させているという意味での結果、成果は出しています。そこは認めます。ただ、ここから先の日本サッカーが目指すべきは継続的なW杯決勝トーナメント出場常連となるチーム作り。単発的にベスト8やベスト4に入ったり、優勝をしたところでそれはまぐれでしかありません。だからこそ、4年ごとの結果に一喜一憂しないで継続的な代表強化を続けてもらいたい。そうやってサッカーを日本の文化に育ててもらいたいと思っているからこそ目先の結果だけでハリルホジッチを解任したサッカー協会を、僕は許せないのです。

 

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 ※実話に基づく記事。アパレル業界に努める知人(高卒)が月に100万円の売り上げアップを会社から求められた時の奮戦記。大学で経営学を学んだという本社から来たマーケティングの専門家が達成できなかった目標を、高卒の店員が創意工夫で挑み、痛快な結果になるまでを語ったイチオシのエピソード。読んで損はさせませんので、ぜひ!!

 

 


 

 

 

 ※サッカーって選手が鍛えた技術を競い合うのが前提だけど、向かい合って戦っている監督同士の戦術ってのも本で読むとスゴイ。フィールドで行う将棋といっても過言じゃない。