サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

子どもが産まれてから、僕が最も変わったことについて

こんにちは。

 

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 世間はもう夏休み。日中、電車でお得意様先を回って企業LANのメンテなどに勤しむサラリーマンな僕にも数十年前、一ヶ月以上学校を休んで遊びまくった時期があったんだよなと思い出しながら、80年代の子ども向け番組「パオパオチャンネル」の人気音楽コーナー「ピッカピカ音楽館」でオンエアされていた「ナルケマレバンガカピカッピ」という名の曲が頭をよぎったりします。この曲の主人公は大人になったのび太とその息子。息子の抱えている悩みを聞いたのび太が「このナルケマレバンガカピカッピというおまじないを唱えてパパは頑張ってきたんだ。そして僕も大きくなって、君のパパになったのさ」と優しく語るこの曲の作詞を手掛けたのは藤子・F・不二雄先生。大人になった時その歌の味わいが分かる名曲なんだけど、いまひとつ知名度が高くないのがさびしいところです。

 

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 さて本題。大きくなってパパになり3年になった僕ですけど、子どもが産まれる前と後で大きく変わったことがあるのに最近、ふと気づきました。それはなにかっていうと「横断歩道の信号をどんな時も守るようになった」ということ。みんなコレをたいしたことないと思うでしょう?だけどこれってすごい大事なことだと思うんですよ。

 

 娘も3歳になって、ひとりで歩いたり走ったりできるようになった頃、僕は手をつなぎながら娘に「赤のおじさんが立っている時は道を歩いたらダメ。青のおじさんが歩く絵になったら道を渡るんだよ」と教えました。それを覚えた娘はどんな時でも実直に、そのルールを守っています。ふざけて僕が「今、赤のおじさんの絵だけど渡っちゃおうかなぁ」というと娘は僕にまじめな表情で注意してきます。その実直さを目の当たりにした時、やっぱり父親としては「子どもだけはダメで大人はオッケー!みたいなウソを教えるわけにはいかないな」という確固としたモラルみたいなものが産まれたのです。いや、それ以前にもモラルはありましたよ。だけど、ここまで自分以外の誰かのために模範を示す大人であり続けるためルールを守ろう。っていう明確な動機を持ったものはありませんでした。以来、どんなに急いでいても僕は青信号が点滅したら渡るのは辞めるようになったのです。

 

 そんなふうに子どもの生真面目さに応えるため、ウソをつかずに交通ルールをきっちりと守るようになった僕ですけど、皆さんはいかがですか。お前にいわれるまでもなく交通ルールを守っているって?そりゃ、結構結構。だけど僕が大人をやっている社会はそんな子どもの実直さ、真面目さをどこかで笑ってバカにしていませんか?政治も、経済も。

 

企業による犯罪事件の一覧 - Wikipedia

 

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 一介のサラリーマンと政治家や企業のお偉いさんは立場が違う?そりゃそうですよ。偉くなりゃなっただけウソをつかなきゃいけない場面もあることは承知しています。僕も業務都合で小さなウソをつくことだってあるからどんな時もウソをつくなとはいえません。だけど、せめて罪悪感くらい持ってもらいたい。お偉いさんらの謝罪にはそれが感じられません。つまり基本ができていないのです。皆さんも先述した不祥事の謝罪会見などを見ていて「いくら頭下げてもどうせこいつらおなじことをやるだろうな」と思いませんでしたか?

 

 コンプライアンスどうこうなんて難しい議論はいらないから、まずはみんなで「子どもが見ているから交通ルールを守ろう!」からもう一度、この国をやり直しませんか?

 

ryo-nf3000.hatenablog.com

 

 まずは僕らがルールを破る奴らを憎むヒーローになりましょう。お互いに。