サブカル 語る。

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アニメ版グリッドマン(GRIDMAN)全12話の感想と評価について。

こんにちは。

 

 本日で多くの話題となったアニメ「GRIDMAN(グリッドマン)」も今回の放送にてフィナーレとなり、なんともいえない淋しさを感じております。

 

 

gridman.net

 

 学生の頃に見ていた「電光超人グリッドマン」というマイナー特撮作品のリメイクということで、懐かしさと期待を同居させた想いでこのアニメを見続けていましたけれど率直な感想を述べると「GRIDMAN≠グリッドマンという一言に尽きます。え?作品の否定?まぁ焦るな。きっちり語ってやっから。ネタバレは許せ。

 

グリッドマンとGRIDMANの共通点 / 相違点

①放棄されたグリッドマン同盟

 「GRIDMAN≠グリッドマンである理由その①。この両作品は、「街」という空間を拠点に世界を混乱させる敵の打倒を目的とするヒーロー「グリッドマン(ハイパーエージェント)」と、三人一組の少年少女たちの戦いの物語という点では同じですけれど、その関わり方は異なります。実写版ではそのうち一人の少年がグリッドマンと合体(アクセスフラッシュ)して一人のヒーローとなって怪獣に挑み、残り2人の男女はグリッドマンの参謀兼サポートとして活躍。手作りパソコン「ジャンク」の回線から怪獣が暴れ回る「コンピューターワールド」に接続して戦うグリッドマンのピンチに併せて適切な武器を転送したり、グリッドマンのパワーアップを図るサポートアイテムを開発したりなどパソコンの知識をフルに活用してバックアップ。いわばこの2人組は、グリッドマンの戦いで要ともいえる役割を担っていました。

 

 ところがアニメ版では男女三人組(グリッドマン同盟)の一人、響裕太がグリッドマンになった後で残りの二人組はまるで空気みたいになり、戦いに直接関わりません。これは実写版では二人が開発していたサポート兵器がアニメ版だと「独自の意思を持ってグリッドマンと戦う人間」になり、必要に応じて武器に変身する設定に変更されたため二人の存在意義が薄れたことで起こった事象です。

 

 確かに擬人化された武器たちはそれぞれに個性もあり、その絡みも面白かったけれどその分だけ同盟二人の男女は置いてきぼりになった。疾走感あるムービーで高らかに歌うオープニングテーマでは「同盟を結ぼう!」という割に、少年少女の同盟設定を放棄している点でテーマと物語に齟齬があるのは否めません。旧作のオンボロ手作りPCを前に悪戦苦闘していたパソコン少年たちの姿を知る者として淋しい限りです。

 

②救いのないセカイ系

 続いて②。実写版もアニメ版も原則的には先述の通り「街」という狭い空間が舞台であり、その中でグリッドマンと怪獣たちの戦いは繰り広げられます。実写の怪獣たちは「悪の帝王カーンデジファー」に唆されたPC少年「タケシ」の手によってコンピューターウイルスのように作られており、電子機器内部に広がる仮想空間「コンピューターワールド」で暴れさせることで機器を誤作動させ、パニックを発生させる。グリッドマンは怪獣を倒した後に破壊されたコンピューターワールドを修復して街のパニックも収束。こういった基本に沿った「無害なセカイ系」の物語構成になっています。

 

 ところがアニメ版は現実の街の中で同じく悪の帝王「アレクシス」に唆された怪獣大好き少女「アカネ」の作る怪獣とグリッドマンが戦い、先述した修復能力も現実が舞台のためか発揮されません。怪獣を倒した後は後述の理由で破壊された街も元通りになるけれども犠牲になった人々は、歴史そのものから消去されるという実に救いのない設定のうえにこの物語は成立しているのです。実写版では怪獣が暴れ回っても、それは人間のいない仮想空間の話であるため、直接的な犠牲者はいませんでした。そのため作品にもどこかのん気な空気が漂っておりそれもまたこの作品の魅力でもあったのです。その作品の持っていたのん気さを捨てたことが実写版とアニメ版の相違の大きな本質でありそれはこの作品のエピローグの根幹に関わってくることに。それについては次章以降で述べさせて貰います。

 

怪獣少女「アカネ」は本当に救われたのか?

①ハッピーエンドという解釈への疑問

    そんでもって最後のエピソード。最後の戦いは特撮版ファンの懐かしさを誘い、前述した実写版グリッドマンの修復能力の有無が物語の伏線という予想外の展開でした。

 

 物語の舞台となっていた街は現実でなく、怪獣少女「アカネ」の作った「コンピューターワールド」そのものだったことも判明。箱庭のような街で、データから生み出された人間たちが暮らす仮想世界の物語だったことを明かしながら繰り広げられる最後の戦いもアニメ+実写+ウルトラマンメビウスウルトラセブンULTRASEVEN Xあしたのジョーみたいな演出で盛り上がります。エピローグはさらに映画エヴァの「まごころを、君に」と貞本版の漫画エヴァを加えたようなものになっており、旧作や他作品のエッセンスを混ぜ合わせていてすごく面白い。実写版もアニメも悪に唆されていた少年少女を改心させ、同盟三人と和解させたことや狭い世界の「セカイ系」で話をコンパクトに収めているのを見ても確かにこの作品は実写版の踏襲でありリスペクトでもあるといえます。

 

 だったらこのアニメのどこに不満があるかって?不満はありません。あるのは「コレって、ひょっとしてハッピーエンドではないんじゃ?」という率直な疑問です。

 

②過ちを償なった少年と償えなかった少女

 グリッドマンという物語は実写もアニメも「ヒーロー側」と「敵側」から見ることのできる二面性を持っています。作品をヒーロー側の視点で見ると「闘う少年少女の物語」。逆に敵側視点で見ると「悪の誘惑に染まり、社会に敵意を抱いて引きこもった少年少女の自立の物語」になる。この点で実にユニークであり、そのユニークさこそ実はこの作品で最も評価すべきだったのではと、僕は最近思っています。

 

 実写版は失敗続きでカーンデジファーから見限られたタケシが今までの自分を振り返って過ちに気づき、罪を償うためグリッドマンに勝利の鍵となる力を与える。つまり、ヒーローと共に闘うことで責任を取らせる機会があった。ところがアニメ版は最後の敵に取り込まれたアカネを助けるため、みんなで力を合わせて戦う。結果、アカネはヒーローに助けられる。平穏の戻ったセカイ(コンピューターワールド)でアカネは友達(仮想データ)の説得で現実の世界に戻る決意を固め、現実と少女の作ったコンピューターワールドはパラレルで時が流れていく。という空気でハッピーエンド。

 

③少年と少女の背負う「罪」の重さの違い 

 コレって一見、ハッピーエンドかのように思えますけど本当にそうなのでしょうか?アニメ版の最初のエピソードで、少女は学校の昼食時にふざけていた同級生や合コンで強引だった大学生に苛立ち、消去するためだけに怪獣を作り、その餌食にしたという経緯がありました。

 

 怪獣を作って多くの人を犠牲にしたのも現実ではなくバーチャルなコンピューターワールドという「セカイ」の出来事のため、少女は痛みも責任を追うこともなく過去の過ちをリセットできているようだけど、実際はそうではありません。物語ではコンピューターワールドの住人たちも元はデータでありながら現実と同じく「生命」をもっていることが示唆されています。つまりアカネは身勝手な理由で意図的に他者の生命に手をかけたことになるのです。どれだけ怪獣を暴れさせて現実を混乱させても、グリッドマンにより修復されていた特撮版のタケシと比べると、アニメ版のアカネの背負う罪はあまりに重い。

 

 最後のエピソードでも手にかけた同級生や大学生たちの笑顔がアカネを責め立てたり戦いの後にアカネが「取り返しのつかないことをした」といって泣いている場面がありましたが、戦いの後でその同級生たちが元通りになっているという描写は見当たりませんでした。その辺りを考えてみると、この作品を手放しでハッピーエンドとは呼べないんじゃないか。脚本や演出の見落としなのか、意図的にそれを行わなかったのかわかりませんが物語を通して観た限りでは、この少女は他者の生命に手をかけた点において、何の責任も償いも果たせていない。だからこそ僕は「GRIDMAN」は平和なセカイ系でハッピーエンドだった電光超人グリッドマンとは異なる救いのないファンタジーであり「GRIDMAN≠グリッドマン」だと最初に述べたのです。

 

 いっておくけど、コレは粗探ししてケチをつけているのではありません。物語の舞台が犠牲者の生命が戻らない「取り返しのつかないセカイ系」だと分かってから、この作品は元通りに戻らない「生命」をどう扱うのか?という点にずっと注目していたんです。イヤミを込めて逆に言わせてもらうとtwitterなどのSNSでもこの点について言及している声はほとんどありませんでした。僕にいわせりゃ「あんたらこんな大事なポイントを観てないの?」っていう感じだけど。

 

④引きこもり脱却ドラマの再生産が続くこの国

 ただ。物語の解釈なんて正解などないものであり、この解釈だって僕の曲解だったり単なる勘違いっていうこともありえなくはありません。でも仮にこの物語がハッピーエンドだったにしても、90年代以降続く「引きこもりからの解放」が未だ多くの人に受け入れられている現状ってなんなのか?という考察は重要なので、その点については別の機会で改めて。

 

最大の相違 

あとやっぱ「GRIDMAN≠グリッドマン」である大きな理由はアニメのラストエピソードを実写版みたく年明け一発目に放映しなかったことだよな。

 

 

みんな「あけましておめでとう。今年もどうぞよろしく」と、挨拶をしあっている中でグリッドマンだけ「さらば!グリッドマン」というタイトルのエピソードを放映。あのシュールさにはほんとビビった。

 

物語のシュールさや、演技のヘタさが醸し出す味わい深さを楽しんでいたけれど、この番組はたぶん一般ウケしないだろうと思っていた僕らはおそらく2クールで番組打ち切りになるだろうなと思っていました。番組が4月スタートだから10月に終了か。そう考えていたら2クールの10月を越えたので「おぉっ!通年で放映!4月まで楽しめるぞ!」と喜んでいた矢先、番組は年末にグリッドマンと先述した悪の帝王カーンデジファーとの直接対決を放映。「え?第3クールの最後でラスボス戦?第4クールどうなる?」と僕らを困惑させ、そんでもって年明け最初になる放映タイトルは「さらばグリッドマン」。で、第4クールスタートと同時に放映終了。 世間では正月で「今年もよろしく」という挨拶がされている中、この番組では高らかに「さらば!」と叫ぶ。どこまでシュールなんだよこの番組!!

グリッドマンという、時代を30年先どりした特撮作品の感想 - サブカル 語る。

 

 

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