サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

うっせぇわの歌詞に対して共感どころかストレスを感じるあなたに

こんにちは。

ブログを書こう書こうとかいいながら、毎月1度の更新がデフォルトになってきている今日、この頃。書きたいことは山ほどあれども、日々の日常生活の更新が手いっぱいで疲労困憊な僕の心身。転職後の業務に早く慣れなきゃ何も出来ねーなー。などといった
どうでもいい愚痴を呟きつつ、おんぼろなパソコンのキーボードを叩いております。

 

 そんな冗長な近況はこの辺にして本題。本日は少々時期を逃した感もありますけど、この曲の雑感なんぞについてでも語らせていただこうかな。

 

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  このネット記事もそうなんだけど、この曲の歌詞を皆さん深読みしすぎじゃないかと僕、思っているんですよ。なんや知らんけれども、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」のオマージュだの、尾崎豊との対比だの、どれもまぁ語る語る。そんなことをわざわざしなくても、たぶんこの曲は歌詞のフレーズ以上の意味などありません。義務教育の範囲内で培った国語の読解力で読んでいくだけで、本質はわかると思う。ってなことで、その僕なりの義務教育の成果を発揮して歌詞に補足を加えながら意訳をしてみましょう。あ、引用はJASRACあたりがうっせーのでやりません。

 

  ♪ 小さな頃から優等生で(何も考えることもなく、周囲のいうこと聞いて無批判にいい子演じていて)いつのまにか気づいたら大人に自分はなっていた。(周囲のいうことしか聞いていなかったため)ナイフみたいな(鋭い)思考回路をまったく持ってない(つまり自分で物事を考えられない)ため、(他者や外界の刺激を受けるだけの受動的な)遊びに飢え続けており、そうなったのは周りのせいだと(責任転嫁しかできず)思っている。

 

以下、サビの部分まで中略

 

社会の同調圧力に「うるせぇ!お前が思うよりは健康だ」、つまり『自分も大なり小なり病んでいるっていう自覚』を持っていてそのうえで周囲を自分を理解できない凡庸な奴らだとただ見下すだけの人生だけど、それで問題なし!♪

 

 だいたい、こんな感じかな?共感っていうのは人の価値観そのものであり、それ自体否定できないけど、この曲の歌詞に共感した人たちの作る『未来』っていうのはさぞや暗いだろうなぁって思います。

 

 若者の社会への反発っていうのは古今東西、多くの表現をつうじて語られ続けている普遍のテーマともいえます。僕もまたそういった誰もが心に抱える「社会への反発」を多くの表現により代弁してもらい、気づいたら大人になっていました。ただ、その頃の「反発ソング」とこの「うっせえわ」を比べると後者のほうが圧倒的に世界観が閉塞的で息苦しく思えます。
 

 窓ガラスを割ったり、盗んだバイクで走ったりっていうのも後に待っているのは高額な弁償と周囲への謝罪、警察の書類送検であることを考えるとあんまりクレバーではありません。ノートに書き留めた「革命」っていう単語に心躍らせた中学生が集まり「七日間戦うよ!」とか歌ってみても、実際にそんなことやったら内申書でひどい評価をつけられて高校進学も苦労する羽目になるっていうのが関の山。現実なんてそんなもん。

 

 だけど。それでもそれらの表現に書かれていた言葉は僕らを共感させた。現実的とはいえないフィクションを通じて声高に叫ばれていたものは「居場所をつくる、守るため現実で行動を起こそうよ」というメッセージだったように思うのです。実際に行動を起こすかどうかについては別のこととして。

 

 「うっせえわ」が描くのはそれらと逆の世界です。「正しさとは何か見せつけてやる!なんて大見得を切っておきながら、やっていることは周囲を遮断することで自らを正当化して、周りの人々をただ、凡庸だと見下すだけで何も行動できない弱者の単なる愚痴」っていうだけの暗く狭い世界でしかなく、どこにも救いや希望なんてない。まぁ「窓ガラス割り」や「バイク」に共感した僕らおっさんが、今のこの日本をどんな状態にしているのか?といわれたら何も言い返せないけど。

 

 この歌の怒鳴りたてる世界みたいな、狭くて暗い閉塞感に覆われた現在の日本を作りあげた老害のひとりである、僕の戯言なんぞ「うっせえわ」っていいたくもなるでしょうけど、それでもいわせてもらうとその「うっせぇわ」な世界観の先にあったのはかつての「オウム」的な、さらなる閉塞した世界ではなかっただろうか?と90年代に青春真っ只中だったおじさんとしては注意喚起でもしておこうと思います。よく考えてみたら「うっせぇ、うっせぇ!」と「ショーコーショーコー」ってフレーズの繰り返しにはなにか通ずるものがあるな。この曲と対比するべきはかつての大人社会への反発ソングではなく「尊師マーチ」なのかもしれません。

 

 うっせぇわとオウムの尊師マーチの対比関係。ふざけるな!と怒る人もいるでしょう。だけど、これ結構マジメに述べています。それは曲のフレーズの連続による中毒性とかに共通性を見い出していっているのではでなくて、この文章を書きながら「うっせぇわ」も「オウム」もサブカル的文法に則った構造になっていることに気付いたからです。っていうところで話も長くなってきたのでこの辺についてはまた次回。この話、続くのでよかったらお付き合いを。

 

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 ※このブログで自分のことを「おっさん」「老害」って書いているけど、サブカルという観点で考えると「うっせぇわ」の歌詞に共感できる人、できない人の分岐点って多分だけど「世代」ではないな。次回その辺についてゆっくり語ってみるかね。