サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

フェミニズムも離党騒ぎもトランスも周囲を見て、他人のことを考えろ

こんにちは。

 

 

 今回のテーマは「最近のツイッターにおける発言の酷さ」。このテーマは本音を言うとあんまり気が乗りません。っていうかむしろこの話題について述べたくない。だけども僕のタイムラインに次々上がってきている発言を見て、やっぱりいっておくべきだと思ったため言わせていただきます。

 

「ケンカだったら別の場所でやってくれないかな?」

 

 僕のタイムラインでは最近、フェミニズムやある政党での議員の離党騒ぎ、トランス問題などのセンシティブ且つポリティックなテーマでの議論が多くなされています。異なる意見をぶつけるのはおおいに結構。だけどその異論のぶつけ合いが単なる差別発言の投げ合いや喧嘩になっているケースも多く、正直「ウンザリ」させられてもいます。

 

 そりゃ意見が合わなけりゃ議論すべき相手に罵詈雑言をぶつけたり、全否定したくもなったりするでしょうよ。でもtwitterみたいな話題の専門性が薄く、大勢の人が利用する場では利用にそれなりの公共性が求められると思います。そういうことをいうと「関係ない人はだまってろ!」みたいな反応がくるかもしれないけど、twitterという公共性の高い空間を利用する僕にもそれらに「うるさい!」と文句をいう権利はある。大勢の人たちが行き交う通りで喧嘩や怒鳴り合いを目にしたら両者の正当性を問う前に、まずは争いを止めたり「うるさいな!喧嘩だったら他所でやれ」と文句をいったりするでしょう?互いが互いの正しさを唱えるのはいい。だけどその唱えている言葉はどんなものか?その言葉を唱えている場所はどんなところか?もう少しその辺を考慮いただきたいと思う。

 異性を性器呼ばわりしたり、政党にそぐわない意見を述べただけで離党させられた人やその対応を批判する人を戦前みたいな「反共」という言葉で罵ったり、対立する性的マイノリティーの人を犯罪者扱いしたり。ほんとうにいい加減にして下さいよ。関係ない人は黙ってろ?いや、言わせて貰う。関係大アリだよ。僕もあなたたちの価値観が入り混じっている社会で生きている。当事者でなくたって無関係ではいられません。そう思っているからこそツイッターで目に入ってくるひどい言葉に目を覆う人もいるのです。もしこの言い分に「イヤなら見るな」といってきたらその瞬間、その人は表現の自由を全然理解できない「表現の自由戦士」と同レベルになりさがるだろう。ということだけはいっておきます。

 

 きっぱり言わせて貰うと「シスジェンダー」「トランスジェンダー」「フェミニスト」「ミソジニスト」その他諸々の立場にいる人はぶっちゃけこの先も、消えていなくなることはありえない。ずっと存在し続けます。だからこそ、その中でどういう社会を作っていくべきか?というテーマで知恵を働かせるのが僕らの課題であり、そこで求められるのは調整と交渉であって対立相手の排除ではありません。つまり「民主主義」です。だけどツイッターでは対立相手の排除を願うような暴論が最近あまりにも多い。その暴論には多くのリツイートや「いいね」が集まり、さらに発言者は同意者を集めるために言葉を先鋭化させ、異論や批判を呟く口を塞いでいく。この現象を見るにつけ、僕らは建前上「民主主義社会」に生きているけど、本音はそれを望んでないのではないか。極端なことをいうと僕らの心は声の大きさや多数の力によって相手を抑えつけ、自分にとって居心地のいい世界を作りたいと願う「覇権主義」的な欲望に囚われているのではないか?と思えてならない。僕自身もその欲望を抱えているという反省を踏まえていわせていただきます。

 

 以前、僕はこの国で暮らす誰もが民主主義に則り、自分自身の幸福を追求することを高らかに保証する「日本国憲法」をリスペクトしているとブログで述べました。

 

 知識不足を承知の上であらためて日本国憲法を読んでいて、僕は日本国憲法とは「この国で僕らが、幸せに生きていくためのガイドブック」だったんだなという感想を抱きました。この国の憲法は僕らに、こう語っているように思えるのです。

 

この国の主人公は、この国で暮らしている皆さんひとりひとりです。皆さんは性別や人種、物事についての考え方、生まれ育ちや社会的な地位で差別されません。

 

中略

 

  皆さんは独立した思想や考えを持っている『個人』であり、公共の福祉に反しない限りその個性は最大限尊重されるべきです。 ※他の個性の考えている『幸せ』と衝突した時には議論によって両者の落としどころを探しましょう。まかり間違ってもその個性を暴力や権力などで捻じ曲げるようなことがあってはいけません。このように、この国では最大限、皆さんの自由を妨げません。国民の皆さんがこの国でどう生きるべきか、この国をどうしたいかを、一所懸命考えて下さい」

自民の改憲漫画「ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに」の間違いが酷い - サブカル 語る。

 

 だけど、結局のところ僕を含めた多くの人たちは日本国憲法の理念も民主主義も理解できていないのかもしれない。現在もタイムラインで続いている「覇権争い」に、僕は加わろうとも思いません。ただ、ツイッター上での覇権争いを見ていて僕と似た考えをもっている人、覇権争いに加わりながらも疑問を抱いている人にはこのブログで「民主主義って何なんだろうな」と小さな声で呟き続けてみたいと思っています。

 

※争いの渦中にいる人はこのブログを見て「何もわかってない奴が偉そうなことをいうな!」といいたくなると思う。うん、わからない。でも、世間の大勢はたぶん「分からない人」であり、そういう人たちからみたら「暴論で同意者を募り、他者を貶め合う覇権争いはどう映るのか?」ということを考えるためのヒントはたぶんこのブログにあるとは思う。

 建前でも特定の人だけでなく平等に誰にでもあるのが「人権」。いくら自分の属する立場の人権を守りたいからといって、他者の人権を貶めていいとは僕は思わない。