サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

「物語の不在」を満たす「誰かの大声」について考える

こんにちは。

 

 前回書いたブログについて続きを書いてみたく思います。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 話の続きの前に振り返ってみると、今年は兵庫県知事選挙だけでなく東京都知事選、衆議院議員選挙、海外ではアメリカやその他の国々でも大統領選が幾つかあり、その結果に注目し続けていた人も少なからずいただろうな思われます。

 あくまで私見ですが、それら多くの選挙で勝利の鍵となったのは「候補者と支持者の声の大きさ」に見受けられました。政策実現よりも「現状で強く敵視してそれらを支える既得権益を倒す」ことを強く訴える主張とそれを増幅するかのような極めて暴力的な響き。それらが合わさった独特な声がSNSやテレビなどで溢れており、斎藤県知事も都知事選で2位の石丸候補も「自分は既得権益と戦い続けてきた!今後も戦い続ける!」という意味合いのことを訴えて多くの拍手喝采を浴びていました。ここで僕が注目したいのは「既得権益」という単語です。

 

 既得権益Weblio辞書では「一定の地位や権力、法律などによって保証され、既に得られている利益や権利」と述べています。

 

www.weblio.jp

 

 この既得権益を「在日特権」(安田浩一さんの本を読めばそんなのないのはわかる)或いは「抵抗勢力」「移民」などに置き換え、声高な人が大声で「抵抗勢力打破」を叫び続けた結果、めちゃくちゃになったのがこの20年間における日本の言語空間だったように僕には思えます。80年代のバブル以降、経済大国という「物語」を失った後に日本社会そのものを抵抗勢力・敵とするオウム、日本の自虐歴史観を敵視して歴史修正を試みる勢力、自民党の仲間を「抵抗勢力」と叫ぶ小泉などが現れたほか、最近ではその既得権益の対象に女性を暴力や貧困などから救う法人やNHKなども加わり「社会の人間不信ここに極まれり」と思わざるをえません。

 

 ただ呆れてばかりもいられない。そういう陰謀論めいた話を本気で信じる「ガチ勢」は古今東西でそれなりにいたけど、それを大声で叫び続けると「それなりに信じる人も少なからずいる」というのが今回の県知事選などで明らかになった。しかも、それらの物語は従来の言論空間でなくSNS・動画など消費のみを目的とするサブカル的な空間の中で流通しているあたりに強く危なさを感じております。

 

 1980年代の日本=経済大国という大きな物語の崩壊後、それに代わる物語として「戦前の回帰」や日本人の「誇り」をくすぐるナショナリズムなどが台頭してはコケていきました。その中で「自分の社会が既存権益のせいでおかしくなっている」という物語はとても分かりやすくて自分の社会への責任を他人のせいにできるため心地いい。なにせそれを信じりゃこの国の現状に対する責任を負わずに生きていけるんですから。前回のブログで述べた「既得権益をさけぶ人たちの物語を信じさせたものは何か」を答えろというなら「この国のしょぼい現状に対して責任を負いたくない」という心の弱さではないだろうか?と僕は思います。