サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

エロの言い訳だった泣きゲーだけど、結局の所「泣ける」より「抜ける」が目的だろ?

こんにちは。

 本日のテーマは大きなお友だちの性欲発露を目的にしながらも、ユーザーを泣かせることを目的に1990年代後半から2000年代の前半に量産されていた特殊なジャンル「泣きゲー」について。

 

 アニメとエロがこれほど強く結びついたのはいつ頃か?それはたぶん、10年程前のとあるムーブメントがひとつの契機になったのではないだろうかと僕は思います。今から10年ほど前、エロゲーにあるムーブメントがありました。それはエロゲーだけど、泣ける。

泣けて、抜けるがウリのいわゆる「泣きゲー」と言われたエロゲーというジャンルの台頭です。そのゲームの固有タイトルを書いたりすると、頭に蛆の沸いたうるさい人たちが湧いてくるのでこのブログで挙げませんけれどもその物語の大きな特徴としては、主人公とヒロインの女の子が男女のやる事だけはきっちりやるけどアンハッピーエンドな結末が基本のコンセプト。そういった屈折したエロゲーがこの頃にはたくさんあり、困ったことにアニメ化などもされて民放で放送されているのを見て僕は正直、思いました。

 

「この国は狂ってる」

 

 アニメは肝心の性描写を一切省いた若い男女の純愛などを前面に押し出した作りでそれだけを見れば別に問題ありません。実を言うとアニメを見て僕もちょっぴり涙ぐみました。だけども、その後で「オイオイオイ、ちょっとまて!所詮コレってエロゲーだぞ。CGの男女の性描写で野郎どもを興奮させる二次元ポルノだぞ。こういった黒い本質を隠して、純愛のもつ白いイメージで売るのってズルくないのか?」と至極当たり前な感情が湧き上がってきたのです。

 

 この泣きゲーのブームはそれなりに長く続き、これらの作品はエロゲー好きの言い訳の材料に使われていました。

 

 エロゲーは単なるエロじゃない。最近の作品は物語もクオリティが高く、脚本も泣けるものが多いんだ!

 

 そんな連中の言い分を、僕はいつもこう思っていました。

 

お前らの目的は「泣ける」より「抜ける」だろバカ野郎!

 

 もっとも最近の傾向ではその「泣きゲー」も現在かなり衰退していますけどね。ただその前後あたりからアニメも「エロ」との直接的、間接的なコラボを模索するようになり、アニメが何かおかしくなったとは思います。

 

 80年代でもテレビアニメのエロ表現はありました。だけどそれらはあくまで作品のファンに対するちょっとしたサービスカット程度のものであって、エロ表現を全面的に出していたのはフェアリーダストの作る「くりぃむレモン」等の18禁アニメビデオというきっちりした区分みたいなものがあったのです。現在は、女の子のセミヌードなど婉曲的なエロ表現がオープニング映像や本編に多用される作品が増え、それらの直接的に近い間接的なエロ表現がDVDの売り上げや視聴率などにも関わっているという現状。僕が制作に携わった作品もDVDを売るために女の子の裸のシルエットに月明かりを当て、身体のラインを曖昧にし、かつ肌色ではない色に変更して規制はセーフ!みたいな表現を多用したりしていました。そんなことをやるんだったら、最初からデスラー総統でも脱がせりゃいいのに。とかたまに思う。

 

 あ、別にエロゲーが大好きでもそういうアニメエロにハァハァしても個人の趣味なのでケチをつけるつもりはありません。ただ、それをもってアニメやゲームを日本の文化だの、クールジャパンだのと、ドヤ顔で誇るのだけはやめていただきたい。本当に恥ずかしいことだし、そんな人と同類に思われたくない。

  

 

 ※あら、イカ娘なのに秋田書店じゃなくて角川なの?