サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

赤松健の選挙活動に対する反応から見えてくるモノについて

こんにちは。

 

 毎月1回となっている、このブログの更新。前回否定のブコメこわいと書いたら200近くも誹謗ブコメ来ちゃいました。今回も来たらこわいなぁ。300以上集まったらブログ継続についても考えるか。と、思いながらも更新させていただきます。

 

 今回は熱海で迷惑な自称オタク共がある居酒屋さんを相手に発生させたとある事件なんぞについて思っていることでもつらつら述べさせてもらおう。と思っていたんだけど、このツイートを目にして内容を変更。

 

 

 まぁ、表現の自由界隈のオタクによる絶賛の嵐でオタクでない人がこれを見たら「うわぁ」っていうドン引きな反応だろうと思います。ところが、こんなもんで仲間意識を持てるオタクっていうのはほんとチョロくてバカだと思いながら、この呟きに対する反応を追っていて、ふと違和感を抱いたのです。

 

 この赤松候補の選挙活動ツイートを拡散させるための「リツイート」は6/26の段階でおよそ3500件。このツイートをもとに拡散者が思ったことを追記で述べて広める「引用リツイート」はおよそ500件。どうせ引用リツイートでは「赤松センセー万歳」みたいな声で溢れているだろうな。とか思っていたら案外そうでもない。賞賛コメントは赤松候補のアカウントへの返信のみで極めて内輪向き。寧ろ逆に「キモイ」という声で覆いつくされているような印象です。いつものパターンだったら「キモイ」に対して支持者がそれを覆すほどの圧倒的な量の擁護ツイートで賑わいそうなもんなんだけど、ファンだと思しき人からも「戦略間違えてね?」とか言われる始末。おいおい赤松ファン!表現の自由戦士の諸君!そこは君たちも頑張りなさいよ!あんたらの主張を国会へ届けようと国会議員になろうとしている人が「キモイキモイ」といわれているのよ?そこは複数アカウントとか作りまくって擁護ツイート増大っていう流れだろう?とか思っちゃいます。だけどどういうわけかファンも表現の自由戦士たちも見事なまでにスルーという流れになっている。

 

 ここから僕なりにみえたものは「たぶん誰も、痛車を使った選挙活動を望んではいなかった」逆に「赤松の野郎め、余計な事をしやがって!」と思うオタクも少なからずいるのでは?というオタクの心理です。

 

 オタクの文化は世界に誇る日本の文化!と大声で叫ぶオタクを多く見てきて思うのは「少なくともそういう声が大きい奴ほどそれを本気では思っていない」。ということ。早い話が「弱い犬ほどよく吠える」ってやつです。従ってそういうオタクはオタク文化について自信を持っていないどころか常に「オタクは社会に叩かれる存在だ」といった被害妄想に駆られている。だからこそ、オタク達は自分の愛するオタク文化が権威に認められたいと思っている。それはマンガ作品をいくつかほめただけで「俺たちの麻生」安倍が秋葉原で演説したってだけで「安倍や与党は俺たちオタクの味方」だと盛り上がれる浅はかさを見ただけでも明らかです。

 

 だけど、社会は決してオタク文化を認めてくれない。街中に溢れている二次元美少女キャラのセミヌードやイラストなどの反応は「キモイ」のひとこと。そんな両者にオタクはひどく混乱、狼狽させられて「オタク文化は政治家という権威が認めたのに!社会はどうして俺らの好きなものをキモイというんだ!イロモノ扱いするんだ!」と勝手にルサンチマンを募らせている。だから麻生あたりがオタクに迎合することを言わなけりゃ、オタクはここまでひどくなっていなかっただろうと僕は思っています。で、権威に認められたオタク文化に異議を唱えるフェミニストやそれらの人の主張を積極的に取り入れ変わっていく社会は憎むべき対象である。さっき少々述べた熱海の居酒屋さんを巡るトラブルだけでなくて、この数年続いている「女性の扱いを巡って変化し続けていく社会と社会性を持てないダメオタクの軋轢」もこの辺を考えないといけません。

 

 いくら政治家がオタク文化を持ち上げても、オタクのルサンチマン解消にはつながらない。やはり周囲の「キモイ!」という一言の破壊力はそれほど大きい。結局社会性を持たないダメなオタクは「オタク文化は日本の誇り」という叫びとは裏腹に、「キモイ」に対する大きなコンプレックスを抱いている。それを併せ持っているダメなオタク達の心理は極めて歪です。だからこそ、おそらく今回の選挙で赤松候補が行った痛車活動を大っぴらに拍手できないのです。「ラブひな大好きで、赤松先生も応援しているけど、あの選挙カーを褒めてキモイと思われたくはない。逆にこんな痛車を選挙の活動で使われたら、大手振って応援できないだろ!」という心理が働いているからこそ、あのツイートに触れたくない。でも応援しなきゃオタク文化を守れない!だったら何も感想を書かなくてもいいリツイートで。っていう流れになっていった。たぶん赤松候補擁護ツイートの少なさには、こんな理由があるんではないだろうかと僕は考えます。推測だけど赤松候補が晴れて議員になった後、痛車を政治活動で使ったならまたオタクの反応も異なっていたのではないかと僕は思う。

 

 ツイートで表に出さないけど、たぶん赤松候補も引用での支持や擁護の少なさに困惑しているんじゃないかな。

 

 

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※さらに。この選挙カーに描かれている赤松候補のイラストから他にみえるものがあるけれども、また別の機会に述べさせて貰おう。だけど大量の誹謗のブコメ、また来るだろうな。あーこわい。

 

「表現の自由」を叫ぶオタク共の「オウム化」をどう止めるかを考える

こんにちは。

 

 そろそろ参議員選挙も近づき、政治クラスタ界隈の人らの叫びがそこかしこで見られる今日、この頃。選挙といったら「ラブひな」の作者が自民党から比例での出馬を決定だそうな。

 

news.yahoo.co.jp

 

 別に漫画家が選挙に出馬したっていいんだけど、事あるごとに権力を振りかざして「ある」ものを「ない」としたり、オオカミ少年みたいに国防の不安を必要以上に煽ったり、男尊女卑的な家族像をドヤ顔で語ってみたりして自分らにとって不都合な憲法を変更させる!と目論むあの政党からの出馬という点からみても「コイツ(赤松)はロクでもないな」と義務教育をしっかり受けた人だったらわかりそうなもんだけど、まぁ一部の人はその辺がぜんぜんわかっていないみたいなので頭を抱えています。

 

 そういやこの人、先月こんなのを描いていたな。

 ツイッターで僕は以下のような感想を述べさせてもらいました。

 

 ツイッター小林よしのりの名前を出した時になんとなく抱いた既視感。現実にいる人間を漫画やアニメなどサブカルの土壌で美化して描き、ホーリーネームで記載する。
 あぁ、こうやってみるとこのマンガの手法はまるで「ゴーマニズム」だな。更にいうとこやつらもエロの無差別露出を批判されて行き場所を失っているからこそ内輪で同人めいたアニメや、漫画を回し読みさせることで先鋭化の道を辿った「オウム真理教」そっくりなダメルートを歩くのだろうと思ったら、だんだん不憫になってきました。

 

 なに?あんなカルトと一緒にするな?だってそっくりだろ?オウムも小林も、このブログの記事を読んで怒っているだろうお前ら「表現の自由」界隈の奴らも。よしりんだのヤマーダだの、レドマツだのと表記された輩どもの発言に息まいてるお前らも、ヘンなカタカナのニックネームで呼ばれる幹部どもの妄想に取りつかれたオウム信者も僕にいわせりゃ全く同類だ。そんでもって今回オウムの「真理党」よろしく満を持しての出馬ときた。あてにするは「表現の自由党」支持者のニッチな声。言っていることはメチャクチャでも表現の自由なんてオウムよりまともな看板を掲げているため当選する可能性は高いのがなんとも困りもの。

 僕でなくてもあの「オウム」のいた時代をリアルタイムで味わい、そこから「自分」や「社会」について何らかの言葉を紡ごうとした人たちだったら表現の自由を叫ぶお前らオタクに、おそらく同じ匂いを嗅ぎ取るだろうと思うぜ。

 

 たとえそのオウムの時代を知らなくても、お前らの叫ぶ「(街中に蔓延したエロを恥とも思わず豚みたくブヒブヒ貪る俺らを変態扱いするな!批判するな!という常識知らずのいちゃもんでしかない、本来のものとは異なる)表現の自由」が誰からもほとんど相手にもされないため、内輪だけでしか通用しない「ヤマーダ&レドマツ」の主張に拍手喝采で盛り上がり、社会に敵意を向けている姿は多数の人から見ても「キモい!」ものだろう。

 

 あまり強く言うのもこの辺でやめておこうかな。思うところは多くあるが僕もメンタル弱いので、批判のブックマークが集まったらたぶん凹む。200も300も「ブログやめろ!」なんてブクマでいわれたらって思っただけでおっそろしい。そんでもやはり「オタク」のはしくれとして本来のものとズレた「表現の自由」を唱えて社会から顰蹙かいまくりのオタクを放っておくことはとてもできません。俺って面倒見いいなぁと思う。いやマジでさ。

 

 

※小林と赤松とオウム。この3つはよく考えてみたら「東大」っていうキーワードでも共通しているんだよね。東大進学を希望したり、高学歴な信者を幹部に多く登用した麻原、「東大受験」を作品の背景に設定していた「ラブひな(赤松)」「東大一直線(小林)」。これってたぶんだけど偶然ではない。つまりこの3人の根底には「学歴」みたいな分かりやすい「権威的なもの」への嗜好があると僕は見ています。考えすぎ?そうかもね。だけどその僕の読み通りだとしたら、オタクは単にこやつらの「政治家」というものに対する「権威主義的な欲求」を満たすため利用されているだけということになる。経済的にそれなりの成功を収めた人物が、分かりやすい権力を欲するというのもまぁ、よくあることですよね。

 

 ヤマーダとレドマツ達に拍手喝采する前に、もう一度よく考えてみたらいい。山田が政治家になって、お前たち表現の自由オタクの叫ぶ主張は社会に受け入れられた?

 

イヤミでいっているのではない。本気で考えてみ?

 

 

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誹謗中傷めいたブックマークはマジでこわい。200も300もブログやめろなんてブクマをもらったら絶対心折れるわ。

月曜日のたわわ広告に、日本の「ダメさ」が濃縮されている

こんにちは。

 

 先月は想像を超えた業務の多さでブログを更新全然できませんでした。人間っていうものはとかく「サボり癖」に浸りやすく「もうめんどくせーからブログやめるべきか」とマジで思ってもいたのだけど、今週この話題を知ってやめるのをやめました。

 

natalie.mu

 

 もうね。心から思った。俺は二次元的なエロ文法に性欲を毒されたオタク達や表現の自由を守ろうなどと騒ぐ輩、そのエロ価値観にどっぷりなこの社会が心から大好きだ。奴らはブヒブヒわめいてエロ絵をむさぼり食い、ぶくぶくと太りまくって俺の目の前に極上の料理となって現れてくれる。んでもって俺はこのブログを通じて、そいつらを食ってやるってわけだ。ブログめんどくせー!っていう時に決まって頼みもしないのにネタを提供してくれる。エロネタを街に溢れさせてもなんら羞恥心のない性欲の豚どもは俺とこのブログほんとに好きなんだな。っていう戯言はこのあたりでそろそろ本題。

 

 別にこの広告、フェミニズムの人たちでなくたって、普通の社会人の感覚だったら「ふざけるな!」「なんだこりゃ?」ってなると思うぜ。上記のオタクや表現の自由がどうのこうのうるせぇ輩どもがこの広告の論点を「胸の大きさ」などの体形の問題などにすり替えたり、いつもみたく「嫌なら見るな!!ってだけだ」と怒鳴ったり見苦しい態度をツイッターなどで晒しているけれど、たぶん常識的な感性を持つ社会人だったらこの広告や発行元の講談社に対してこういいたくなると思うぞ。

 

「不安を吹き飛ばし、元気になってもらいたい・・・こんな女子高生イラストで元気になって?ふざけるな!ロリなイラストごときで元気になるほど単純な人生じゃないわ!気持ちわりぃロリコン趣味のお前らと私を並べるな!一緒にするな!」

 

 このブログでいつも語っている子どもを性的対象云々、衆目を集めるための女性利用云々以前の話です。ただでさえ政治・経済・文化で今後下り坂まっしぐらになっていくだろうこの国の将来を思って多くの人が頭を抱えているってのに「ロリコンイラスト」ごときで誰が元気を出せるか!!って話です。単純に。つまりこの広告のクライアントである講談社日本経済新聞社もナメているのよ。この国と人を。この国で「経済」をでかでか掲げている「日本経済新聞」が

 

ロリコンイラストでみんな元気になろー」

 

 普通に考えてお前ら舐めてるだろ?経済を冠する新聞がこのザマかよ。

 

 以前、このブログで僕は女性を広告に使う際に内在させられている「エロ的文法」について述べさせてもらいました。

 

 

リンク先の記事ではライターが水着女性を広告に使ってきた最大の理由に「男は基本的にオネーチャンの水着姿が好き!(同性愛者については別。)」というのを上げており「そうだろうね」と僕もうなずくところです。記事によるとビールメーカーも「男性の性的欲求」に働きかけるのが目的だったとはっきり述べています。だけど、その男性対象の性的欲求への訴求もニーズの多様化とか女性ユーザーの増加などの背景で減少、廃止せざるを得なくなったそうな。そりゃそうだ。 で。話に戻ります。こんなふうなユーザーの多様化により「男性的な性的欲求」への訴求」がだんだんと廃れていった背景に逆行していくようにアニメやゲーム、漫画などいわゆる「サブカル」な分野では「エロ文法」満載な描写、表現が増加しているのはなぜか。これは実写だから、非実在キャラだからといった乱雑なくくりや「表現の自由云々」などといった議論に逃げずオタク、非オタクな人、老若男女などを含めもう一度深く考えるべきではないだろうかと思う

僕らの周りに溢れるエロ文法に、みんな麻痺していないかを考える - サブカル 語る。

 青線の部分を見てもわかるけど、男性の性的欲求に頼り商品を客に売っていた時代はもう古いのだと多くの企業も認識を改めている。つまり、エロを商売に使っても昔みたいなうま味はない。逆に女性ユーザーの増加やニーズの多様性によりマイナスにもなりかねない。と考え始めたからこそ「内在的なエロ」を秘めた広告は減ってきたのです。フェミニズムの弾圧や規制などでなく、あくまでも「商売」という面で廃れていったのです。社会的なモラルの成熟という点もあるだろう。だけど「エロは金にならない」という大前提が「エロ」や「エロ的な文法」にNoをつきつけている。そこを見誤ってはいけません。その辺を分かっていないとタイツメーカーの「アツギ」みたいな目にあいます。

 

 月曜日のたわわ広告の話題を知ってつくづく僕が「こりゃダメだ」と思ったのは、オタクや表現の自由云々がどうのこうのとうるさい人たちにではありません。日本経済のオピニオンリーダーっぽい面した「日本経済新聞」がいまだに社会の消費趨勢やこの新聞にも少なからずいるだろう女性ユーザーに対して鈍感であり「エロ広告で金を儲ける。それは商品の売上につながる」という判断の愚かさにたいして頭を抱えたくなる。まともな広告の営業だったら「講談社さん。こういう古い広告出したら企業イメージ」壊れるので辞めたほうがいいですよ」といい止めるだろうと思う。

 

(イヤミっぽく)この国の経済のオピニオンリーダーがこんな具合じゃいつまでたっても景気回復しないわそりゃ。

 

 

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9条や反戦をあざ笑うアホたちに

こんにちは。

 

 わざわざこのブログでいうこともないけど、今回だけはいっておきましょうかね。

 

戦争反対

 

笑われても、頭がお花畑といわれても

 

戦争反対

 

僕がただ、今いいたいのはそんだけかな。今回のブログ記事はこれにて!

日本で最もサステナブルなのはアニメ・マンガ業界である

こんにちは

 

年も明けてダラダラしていたら、あっというまに一ヶ月たってやんの。正月も明けて

年始の挨拶も今さらですが、今年もどうぞみなさんよろしく。

 

さて、そろそろブログの本題。今年最初のブログでは何について述べてみるかな?とか思っていた矢先に知ったこの話題。

 

uy-allstars.com

 

「ラムさぁぁーんっ!あなたは私の青春だったぁーっ!!!!!!!!!!!!」

 

などと、千葉繁の声まねで叫んでみたくなる今日、この頃でございます。いや…別に、いいんですよ。私、あの小劇場の即興劇みたいな独特のテンポやキャラの行動、セリフなど満載の「るーみっく・わーるど」大好きだから、このリメイクそのものに批判なんぞございません。ただ、寅年だとか、小学館100周年だとかいわれてみても、わざわざ40年ほど前の作品を引っ張りださなくてもいいんじゃないかな?と思う自分もいます。

 

 過去の作品を現代にリメイク。そんなのは昔からあるものなのでリメイクそのものを否定などはしません。だけど、この20数年で「物語」をめぐる環境は大きく変わった。テレビは民放やNHKだけでなくCSを含め多チャンネル化。マンガや小説も従来の雑誌に加え、Web媒体などを通じてやはり20年数年前と比べ物にならない程の量が流通している。いってみりゃ巷に「物語が溢れかえっている」状態だといえます。だったらその中から「現代を象徴する、現代を象徴できる作品」を探してそこにスポットライトをどんどん当てて育てりゃいいのにとも思うんだけど僕の見る限り、どうもその辺があんまり積極的とは思えない。小学館100周年の節目を飾るのは「今の小学館を代表する作品」ではなくて「40年前の代表作のリメイク」。それだけでなく、アニメや特撮の界隈では相も変わらず「エヴァ」や「逆襲のシャア」の続編が作られたり、今年~来年はウルトラマン仮面ライダー「シン」が話題ときたもんだ。お前らよく飽きねーなと、ウルトラマンを愛している僕でもついイヤミなんぞをいいたくなります。余計なお世話だろうけど。

 

だけどもまぁいいか。世間では環境保護や持続性のある社会構築とやらのために「サステナブル」なるものが注目を集めているこのご時世。過去の作品を掘り出してリメイクしたりその素材を切り貼りして作られた二次的作品っていうのはある意味で最も「現代を代表した物語なのだ」ともいえます。

 

www.env.go.jp

 

他分野の生産業も日本のマンガ・アニメ業界を見習って、サステナブルなものづくりに励んで下さい。

 


 

 

 

今年もありがとうございました。来年もどうぞごひいきに

皆さんこんにちは。

 

 本日、やっとの仕事納めで気分もほっとしています。ブログに書いてやろうかなぁと思っているテーマも数多くあるけど、それらについて述べるのはまた来年にさせていただこう。今年も多くの方にこのブログを読んでいただき、感謝をしております。来年はこの駄文をもう少し多く更新できるよう努力します。

 

今年も有難うございました。来年もどうぞごひいきに!

 

 

僕らの周りに溢れるエロ文法に、みんな麻痺していないかを考える

こんにちは。

 

 先月はあまりにも業務が立て込んでいたためブログ更新をサボることになりました。とかいっても所詮、このブログは新聞広告の裏紙にテキトーなよしなしごとなんぞを、そこはかとなく書き綴っただけの駄文集なので、サボったところで誰かに怒られるっていうものでもございません。ただ、更新を行っていなかった間にも読者の人が地味に増えており心から感謝!あーこうやってこのブログを読んでくれて気に入ったという酔狂な人もいるんだなぁ。ありがてぇ話だ。だったらせめて更新数は少なくたってそれなりに「読ませる文章というものは追求するべきだろうなぁ」なんて思いながらキーボードを叩いてます。

 

 さて。小演劇の前説みたいなご挨拶はこの辺にして本題。本日のブログは今週のお題『心も体もぬくぬくに』といったテーマに沿ってコレいってみるか。「温泉」からの、温泉むすめ。正直すこし食傷気味だけども。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

 あまり気は進まず、またもや以前のブログ記事のリライトっぽくなってきているけどやっぱり何度でも書いておこう。この問題については以下の番組でも多くの意見が出ているので「お好きにどうぞ」というだけでしかありません。記事を読むと出演者らの見解もとっちらかっている印象なのでそれについてどうこういうつもりもない。ただ、どの人も地域振興、観光のPR目的で女性キャラクターを使うことの是非はともかく、これらのキャラ設定の「夜這い」「スカート捲り」など『男性を喜ばせる対象としての女性性』がなぜこんなにも絡んでいるのだろうかという、この温泉むすめたちの『背後にある男性にとって都合のいい女性性』について誰もしっかり語ってくれていないのはあまりにも物足りないというところです。

 

news.yahoo.co.jp

 

 何度も言っているとおり、この手の問題の根源は「衆目を集めるため、エロ的文法に
あてはめた女性が商品広告のPR材料になぜ使われ続けているのか?」という素朴な疑問であって、それ以上のものなどありません。これは温泉むすめだけの話でなく、昭和や平成以前の頃まで遡ってみんなで考えた方がいいテーマなんではないのか?と思い数年前からこのブログで何度も同じことをダラダラ書き続けています。最近流行の「兵器や競馬など、別事象の女性擬人化」の是非などを含めるとまたややこしくなるので、ここでは話を切り分けます。ここで述べたいのはあくまでも女性に対する表現における「内在的エロ文法」だけとさせていただきます。

 

「内在的エロ文法」と単語だけ抜き出しても多くの人には「なんじゃそりゃ?」と首を傾げさせるだけでしょう。それについて言葉で説明しても伝わらないので具体的に。

 

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出典 page.auctions.yahoo.co.jp

 

 こういうことです。

 

middle-edge.jp

 

 リンク先の記事ではライターが水着女性を広告に使ってきた最大の理由に「男は基本的にオネーチャンの水着姿が好き!(同性愛者については別。)」というのを上げており「そうだろうね」と僕もうなずくところです。記事によるとビールメーカーも「男性の性的欲求」に働きかけるのが目的だったとはっきり述べています。だけど、その男性対象の性的欲求への訴求もニーズの多様化とか女性ユーザーの増加などの背景で減少、廃止せざるを得なくなったそうな。そりゃそうだ。

 

 で。話に戻ります。こんなふうなユーザーの多様化により「男性的な性的欲求」への訴求」がだんだんと廃れていった背景に逆行していくようにアニメやゲーム、漫画などいわゆる「サブカル」な分野では「エロ文法」満載な描写、表現が増加しているのはなぜか。これは実写だから、非実在キャラだからといった乱雑なくくりや「表現の自由云々」などといった議論に逃げずオタク、非オタクな人、老若男女などを含めもう一度深く考えるべきではないだろうかと思うのです。何度もいいますがビールの水着ポスターも温泉むすめのキャラ設定もユーザー訴求の根源にあるものは「男性の性的欲求」であり、「女性だって温泉むすめをかわいいと思う人も少なくない」とか、そういった議論の枝葉の部分に逃げたらいけない。これらに「男性の性的欲求への訴求」を読み取った人の声を「表現多様性の否定」「お気持ち」という言い逃れをつかって耳を塞ぐべきではない。その問いかけについてどんな結論を出すかは人によってさまざまでしょうけれど、少なくてもそこから僕たちは「自らの性的欲求と社会」について自問自答や議論を紡いでいくべきなのではないか?それは述べてきたエロ的文法に沿った性描写や性表現などに長年お世話になった、あるいはお世話になり続けている社会に生きる者としての最低限の誠意だと僕は思うのです。