こんにちは
2、3日ほど更新していなかったけど今回もファミコンについて。考えてみるとこの「ファミコン」というテーマって優良なゲームやクソゲー、あまり知られていないマニアックなゲームに子どもの頃の思い出等と汎用性が高い。ブログのテーマに困ったらファミコンのネタでその場を凌げるので、ファミコンの話題が多くなってきたら「あぁ・・・AM、ブログのネタないんだ。」と、思っていただいても問題ありません。
まぁ本日はネタが尽きてはいませんけど今回もファミコン話。
本日のテーマは名人。
ファミコンで名人といったら誰もが想像する高橋名人。その高橋名人と対極にいる立場で知名度が高かった毛利名人。そして、その影で忘れられがちな橋本名人。 高橋名人についてはまたあらためて書きたいのですが、この人は当時の人気ソフトメーカー「ハドソン」の宣伝部員で、コントローラの○ボタンを一秒間に16回叩ける16連射がウリ。ハドソンとコロコロコミックの小学館、昔なつかしカセットテープで有名なTDKとで合同開催した「全国キャラバンファミコン大会」でその腕前を振るってスターダムに乗り上げました。毛利名人もこの「キャラバンファミコン大会」で名人としてデビュー。その高い実力から当時の小学生は「高橋名人と毛利名人、どちらが上か?」と話題にしたもんです。
そんな2人に対していまひとつ知名度の薄い橋本名人。この人はバンダイの社員で名人を名乗り活動していましたが、当時のファミコンはシューティングゲームの全盛期。バンダイのソフトに本格シューティングゲームはなかったため、目立てるスキルがありませんでした。そのため僕らは「この人の何がすごいんだろう?」と常に疑問でした。
だけど。このブログを書くにあたって調べたところ、驚きました。橋本名人は91年バンダイ退社後、独立をしてクリエーターに転進。その後、スクウェア・エニックス(旧スクウェア)に移籍してファイナルファンタジーⅧのプロデューサーを務めていたのです。
僕もマジで知らなかった。調べてみるもんだなぁ。
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