サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

国会前の「共謀罪反対!」デモを生で見てきた感想

   6/14。今日も得意先を周って企業LANのメンテナンスに勤しんだ後、報告書作成のため自社に戻った時。僕の携帯にあるニュースが入ってきた。

headlines.yahoo.co.jp

 この共謀罪については与党、野党ともに成立と廃案を巡って毎日激しく争っているが、ここで与党がついに強引な法案成立の手を打ってきたなとニュースを見て強く感じた。毎日出勤、帰宅の往復で更新されていく僕の平凡な日常がある町から、20数キロ先にある国会議事堂の前には、法案に反対する人達が集って毎日、大声で反対と声を荒らげているという。そこで僕は僕の平凡の拠点からさほど距離が離れていない場所でいったい何が起きているか知りたくなり、山手線と地下鉄を乗り継ぎ国会議事堂前に行ってみた。

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 国会議事堂前の駅を降りて、総理官邸前の交差点に出る。道路は思いのほか静かで、車も人通りも少なかった。なんだ、デモなんてやっていないじゃないか?と思いながら周囲を見回していると、どこか遠くから鳴り物と拡声器によって音割れしている女性の声が響いてきた。その声の聞こえる方向にあてもなく歩くと、人の集団らしきものが見えてきた。

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 デモの主催者の発表によると現地に着いた20:30前後には5000人が集結。集合場所の国会正門前交差点を何度か往復して、その発表の人数は妥当だと認識した。人の出入りも激しくて正確な数字を出せないが少なくても3000人〜4000人は確実だ。集まっていた人もお年寄りだけでなく会社帰りのスーツで着ているサラリーマン、各大学の旗を掲げている学生など老若男女が入り交じっている。ただ、なんとなく女性が思っていたより多いような印象があった。男女別の人数を正確に数えていないので単なる印象だけど。

 

ツイッターで拾った案内

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大勢の抗議を浴びながら、無言を貫く議事堂

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国会正門前交差点で叫び続ける参加者

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 僕はその集団に入ったり、わざと離れて遠くから眺めては写真や動画を撮影。同時に拡声器から叫ばれている声に耳を傾けてみると、多くの声が溢れていた。

「安倍辞めろ!」
「金田(大臣)辞めろ!」
「自民、感じ悪いよね!」
「民主主義ってなんだ?」 

 
その叫びは数に任せて横暴を振るう権力に向けた直接の怒りなのは間違いないけど、強さは感じない。デモ参加者の「辞めろ!」という叫びは確かに口調こそ荒っぽい。だけどそれは狂気に任せた強さというよりは権力が強引に掴み、持って行こうとするなにか大事なものを対向から懸命に引っ張って守ろうとする切実さ、悲壮さを感じさせた。誤解を恐れずにいうとこのデモの参加者の殆どはおそらく、数に勝る権力の横暴を止められると思っていない。だがそれでも何かをせずにはいられないという切羽詰まったような空気が国会前を覆っていた。デモは権力だけでなく、自分たちの心の奥底にある「政治への諦め」に対する抵抗でもあったのだと思う。

 よく「自称保守」やネット右翼らはこのデモに参加するような人たちやそのデモの主張を「サヨク」「パヨク」などという単語などを交えながらそれらをクレイジーでヒステリックなものであるとあざ笑ったりしているのをネットで見かけるが、それらは事実なのだろうか?東京オリンピックに向けて、テロ行為から国民を守るための法案であると政府は語る。だが、この交差点に集まっている人たちはそんな話を誰も信じていない。寧ろ逆にデモの参加者は「国民の自由を政府から守ろう!」と叫び、正当な手続きを経ないで法案を議決する政府の今回の行為を「クーデター」であり、現政権こそが国民の自由を奪う敵なのだという。どちらの言い分が正しくて、どちらが誤っているのかはこの記事では述べない。だが、少なくても現在の政権は何度も意図的な誤り、いわゆる「ウソ」を僕ら国民につき続けている。あるものを「ない」といい、権力者にとって都合のよくない情報が記述されている行政文書を怪文書と言い続け、弁明が苦しくなると「全ては役人たちの勝手にやったこと」と、弱い者に責任をなすりつける。共謀罪をどう思うか以前に僕自身、政権の発言が信頼に足るものとは到底思えない。たとえ法案について政権の言い分の方が正しかったとしても、デモ側が政権側に向けた「あなたたちの話はとても信用できない!」という訴えはもっともだ。そして、この意見は今やデモの参加者や僕だけにとどまらない。

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 わざわざでかい声でいわないだけで「この人たちって実は嘘つきなんじゃないか?」と考えている人が増えてきている。現在の所まだ、支持が上回っているので政権側は甘く考えているかもしれないが不支持の大きな理由になっているのが「人柄が信頼できない」というのは由々しき事態だという危機感を持った方がいい。

 話をデモに戻そう。多くの批判が拡声器を通じて国会議事堂にぶつけられてる中で、時折「民主主義ってなんだ?」という叫びが合間に挟まれているのが何度か聞こえてきた。その叫びは権力側に対しての詰問であり、参加者全員の自問自答でもあり、この場にいないサイレントマジョリティへの訴えにも思えた。「選挙で立候補者に投票して、はい終わり。それは本当に民主主義なんですか?今、数に任せた暴挙で国会が大変な事になっている。あなたはそれを放っておいていいのか?民主主義は誰もが吸っている空気みたいに当たり前にあるものじゃないことに皆さん、気づいて下さい!」
 デモを横で見ていた僕自身がそう言われたような気分だった。同時にこのデモは単なる共謀罪反対を訴えるだけでなく、この国のほとんどの人が呑気に信じている「民主主義」というのがどんなものなのかを世間に見せつけるためのデモでもあったんだと思った。絶対的多数を得た者は自らの利益を守るため少数を徹底的に叩き、排除する。排除されるのが嫌だったら多数の支持を得て、力を手にして自分たち以外を敵と定めて叩く側に回ればいい。今回の件にしても、数多の閣僚の不祥事にしても、首相の名前を冠した小学校の設立を巡る問題にしても権力側の「悔しかったらお前らも多数をとってみろ!物事っていうのは道理じゃなく数の多さが全てだ!」と言わんばかりの横柄な政権側の態度が目に着く。そしてそんな態度を多くの人が問題にもせず「私の日常には関係ない」としてまともに目を向けない。これが僕らの信じていた「民主主義」の行き着く先にあるものだったことに僕は唖然とした。

 数の多い方が絶対的な権力を持ち、少数派はその横暴に耐えるか意見を曲げて寝返る以外に生きる道がない。そんなのは断じて民主主義ではない。だったら本当の民主主義って何だ?と問われても、現在の僕はその適切な答えを持っていない。そのことがなんとも情けない。

 このブログのタイトルは「サブカル 語る。」であり、サブカルチャーの雑学などを中心にダベリたくてはじめたものだ。だけど、今日僕がこのブログで語りたかったのは「サブカル的な絵空事」なんかではない。「民主主義国家」の日本で起きていた平凡なある日の出来事。つまり現実だ。 それも遠くの出来事じゃなく、僕やあなたのいる現実と陸続きになっている世界での現実。それだけは忘れたらいけない。

  

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 共謀罪が採決された6/15のあるアンケート結果に大笑い。


そしてもうひとつ。共謀罪だけでなく憲法改正ももはや不可避のテーマになった。

 

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※僕、あなたにとっての「民主主義」ってなんだろう?