サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

オリンピックの聖火を守った蕎麦屋のある発明物語

こんにちは。

 なんだかんだで今年のリオデジャネイロオリンピックもあっという間に閉幕。テレビで競技を見たのはたまたま見た2種目程度なので、巷の熱狂に身を委ねる事もないある意味でさびしい夏でした。っていうか正直言って日本のオリンピックのメダル数とかどーでもいいんですけどもね。正直言って4年後の東京オリンピックもそんな感じになるんだろうと思います。

 

 さて本題。2020年にオリンピック開催地となる東京は、52年前の1964年にも大会の会場となりました。本日のブログは、その大会で東京オリンピックの「聖火」を守ったある蕎麦屋さんについて。物語の舞台は昭和中期。その当時の日本の蕎麦職人は調理担当の職人のほかに、出前を専門とする職人がいたそうな。

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 全盛期だった昭和の初期から中期頃までは、一回の出前で100食近くのそばを担いでお客さんの家に運べる職人も多くいたということです。ただ、その職人の活躍できる場所は車やバイクの普及で交通量が増えてきた高度成長期の前後で大幅に減少。交通事故に巻き込まれる職人が年々増え続けていることに心を痛めたある蕎麦屋の主人が、バネや空気の力でそばを置く台を安定させる仕組みを作り、自転車に取り付ける形式を考案しました。それが以下の「出前機」。

 

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 外を歩いていて見かけることも多い「街の風景」っていうやつです。さて、このそばの出前機が、オリンピックとどうつながるのか?オリンピックで行われている「聖火リレー」は松明に燃えているものとは別に何らかのアクシデントなどで炎が消えたという事態に備えて「予備の炎」を準備しています。この頃の日本は道路がまだ未整備な地区も多かったため、聖火の予備がランプの運搬中の振動によって消える事態もおおいに考えられた。そこで白羽の矢が立ったのがこの出前機。オリンピックの予備になる炎を灯したランプはこの出前機に取り付けらる形で車の座席に搭載。日本全国7000㎞を走って、大切な聖火をみごと守りぬいたのでした。この出前機を発明した蕎麦屋さんもオリンピック開会式に招待されており、点火された瞬間に自分の発明が思わぬかたちで大役を果たせた事に、いたく感激したそうな。

 

 その東京オリンピックを支えていた出前機は現在、東京の秩父宮スポーツ博物館で大切に保管されているとのこと。長い年月を経て、再び東京にやってくるオリンピック。世界で最も大規模なスポーツと平和の祭典を人知れず守った出前機は今、ひとり何を想うだろう。

 

※本日のブログネタ、この漫画のうけうり。