サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

エロゲー的価値観の一般化を憂いた、あるエロゲークリエーターについて

こんにちは。

 先月のブログ更新からもう30日を超えており、今回久々の更新になりますが、皆さんもお元気ですか?

 

 サブカル関連のマイナーな話題で遊ぶというコンセプトより「オタク叩きの急先鋒」みたいな文脈で幅広く知られることになったこのブログも事あるごとに叩かれるため、僕が L'Arc-en-CielのHydeだったら「うるさく言わないで」といって「Stay away」の振り付けで踊りたくもなる今日この頃ですが、本日の記事のテーマはタイトルにある通り、「エロゲー的価値観の流通を憂いていた、あるエロゲーリエーターによる対談。

 

 

アニメとエロがこれほど強く結びついたのはいつ頃か?それはたぶん、10年程前のとあるムーブメントがひとつの契機になったのではないだろうかと僕は思います。

 

 今から10年ほど前、エロゲーにあるムーブメントがありました。それはエロゲーだけど、泣ける。 泣けて、抜けるがウリのいわゆる「泣きゲー」と言われたエロゲーというジャンルの台頭です。そのゲームの固有タイトルを書いたりすると、頭に蛆の沸いたうるさい人たちが湧いてくるのでこのブログで挙げませんけれどもその物語の大きな特徴としては、主人公とヒロインの女の子が男女のやる事だけはきっちりやるけれどアンハッピーエンドな結末が基本のコンセプト。そういった屈折したエロゲーがこの頃にはたくさんあり、困ったことにアニメ化などもされて民放で放送されているのを見て僕は正直、思いました。

 

 「この国は狂ってる」

 

 アニメは肝心の性描写を一切省いた若い男女の純愛などを前面に押し出した作りでそれだけを見れば別に問題ありません。実を言うとそのアニメを見て僕もちょっぴり涙ぐみました。だけども、その後で「オイオイオイ、ちょっとまて!所詮コレってエロゲーだぞ。CGの男女の性描写で野郎どもを興奮させる二次元ポルノだぞ。こういった黒い本質を隠して、純愛のもつ白いイメージで売るのってズルくないのか?」と至極当たり前な感情が湧き上がってきたのです。

泣きゲーなんて所詮、エロゲーを買えなかった奴のいいわけ - サブカル 語る。

 

 以前このブログでも書いたとおり、アニメ会社の制作進行だった僕は「アニメやゲームなどのいわゆるサブカルの分野で『エロゲー』の領域にあったエロの価値観」を薄めたり、隠したりすることでそれらがやたら広く一般流通するようになった現状と、その流れに乗っかるサブカル関連業界のズルさを憂いていました。どんな理屈をつけてもそれらにはエロゲーの文法に沿ったエロが内包されているじゃないか。オタクの抱えるエロに対する後ろめたさからの逃げを日本の文化みたく持ち上げるなよ、と。その憂慮のきっかけにもなっているエロゲーのクリエーターの対談って、皆さん興味ありません?そのクリエーターの名は「日高真一」。このエロゲーを作った人です。

 

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otapol.com

 

 

Theガッツ! - Wikipedia

 

物語はこんな具合

 恋人に軟弱な身体をバカにされたため、身体を鍛えるため工事現場のアルバイトを始めた青年が主人公。ヒロインのタカさん(高原美奈子)やその他の筋肉ムキムキな女性を相手にセックスを楽しむ。という美少女ゲームのフォーマットの真逆をいく作品となっています。さらに前述した通り、物語では主人公はひ弱なため、ヒロインに迫られたら逃げられない。つまり、性において時には女性が主体を握るケースもあるわけです。キャラのセリフも男性ファンタジー色が強いものでなく、シチュエーションは非現実ながら人間の会話に近いリアルなやり取りを目指しているため、声優さんからも「演技しやすい!」「演技が楽しい!」と好評だったそうな。

 

 僕も以前、体験版を遊んだ記憶がありますが、そのたくましい女性の肉体のイラストに「このゲームって売れるの?」と思ったもんですが、意外や意外。その逆に突き抜けた個性が本来のエロゲー購買層とは異なるマニアックな支持層を掴み、続編も5作前後作るほどのヒット作になりましたとさ。

 

 さて。そんなマニアックなゲームを作ったクリエイターが、20年ほど前から顕著になっていたエロゲー的価値感の流通をどう考えていたかを紹介させてもらいます。

 

日高 :日高真一

がっぷ:がっぷ獅子丸(ゲームプロデューサー兼ライター)

日高:エロゲーって、元々グレーなもので、グレーだったからこそ売れていたんですよ。そのグレーの部分に含まれている『黒』の要素がどんどん削れていって『白の中にエロいっていう黒いシミがポツン、ポツン入っている』というものになっちゃった。それがたぶん、一般の市場(エロゲーエロゲーとしてあった市場という意味)からの乖離とユーザーの先鋭化を助長したと思うんですね。で、このまま続けていくと発展も進歩もないどころかいずれ崩壊する。(省略)

 

がっぷ:そうですね。

 

 引用:ゲーム業界のフシギ(著:がっぷ獅子丸_太田出版 2002年)

 

 

 

 対談の中で日高さんは自身の作品「Theガッツ!」がいわゆる美少女の文法から外れたタカさんやそのあまりにもマッチョで人間のリアルな会話を目指した作風のため、エロゲーファンから「健全な美少女ゲーム業界を汚す作品(笑)」「ガッツ!のセックスは臭くて嫌いだ!」などと叩かれたことを披露。このバッシングについて「俺も人に体臭を感じさせる作品を作れたんだと思うと嬉しかったよ」といい、話の聞き手のがっぷ獅子丸さんも「エロゲーユーザーよりガッツのユーザーのほうが正常に思えてくる」と反応。話はさらに続きます。

 

そんでもって二人の結論は

「現在(本出版当時の2002年)現在のエロゲーの主流はオタクの人をバカにするとかでないけどやっぱりちょっとズレている印象がある。そのズレを修正するためにはやはり原点に戻るべき。エロゲーに「美少女ゲーム」なんていう別名がついたのがそもそもの間違いであり、業界はもっと『エロってなんだ?』と自問自答をするべきではないか」

 

 だいたいこんな意見にまとまっていきます(気になる人は古本屋で探して読もう)。

 なんかこれって、AMネットワークがブログで語っていることと似てるな?と思った人も多いだろうと思うけど、ぶっちゃけ僕はこの対談の影響をかなり受けています。アニメ業界の中で働きながら『エロのくせにエロと認めない』表現の多用を行い、小銭を稼ぎたがるアニメ業界全体の風潮に疑問を持っていた当時の僕はただこの意見に頷くだけでした。

 

 そしてそれから20年後。この日本では日高さんが対談で述べていた指摘がイヤになる程当てはまっています。やっぱり才能豊かなクリエイターさんってすげー高い先見性を持っているんだなと思うのと同時に、このオタク文化における一般市場(本来的なエロゲーオタク市場っていう意味ね)からの乖離、ユーザーの先鋭化という事象。巷には「エロくない」との建前ながらエロゲー、エロ漫画の表現文法に準拠した「オタクにとってはエロくない女性のイラスト」が表現の自由を詭弁に街のいたる所に溢れており、その表現に異議を唱えりゃこれまた先鋭化したオタク共が群れて異論に牙をむく。エロゲー的価値観がアンダーグラウンドであり、それを自覚していた僕らは「やれやれ困ったもんだな」とただ愚痴を呟くのみ。