こんにちは。
今回のブログ記事は以下の続きについて
このブログで僕は都知事選において現職をセンスなく貶めるだけの動画拡散を目指す
とあるツイッターのアカウントの閉塞性、そしてそれは「政治に関心はあるが、支持政党を欲してはいない『大多数の無党派』」に対する訴求にはなっておらず、逆に候補者を毛嫌いさせるきっかけになっている可能性について書きました。
実際そのアカウントにはその動画について苦言を呈するコメントも多かったものの、そういった声には何も語らず、少数の賞賛コメントには饒舌に返信しているのをみて「この人たちは、そもそも自分らの訴えが他人に届かないと諦めている」のだろう。そのため苦言に耳を貸さず内輪ウケに走り、狭い世界で「自分の孤独さ」から背を背けている。逆に言えばこういう人たちは応援する候補者を勝たせ、自分の理想を実現させる気概がない」と、その態度について批判しています。
さて。今回はその続きを書こうかと思ったものの、数週間前の兵庫県知事選の結果や現在の選挙後のイザコザなどを見ていて頭がついていかず、少々呆けています。「選挙」という政治参加の場において「政党イデオロギー的なものに興味はないけど、政治には関心がある」「現在の日本の状況をよりよく変えてくれるならどこでもいい」と考える有権者に届きうる言葉とはなにか?を考えるつもりが「別に言葉などなくても候補者の売り方次第で選挙には勝てる」という身も蓋もない現実にただ唖然とさせられています。
本音を言うとこのPR会社の行った行為が公職選挙法違反云々…などの話は僕にとって案外どうでもいい。法律違反なら警察や検察が知事や会社、関係者らを今後取り調べるはずなので、ここで法律に無知な僕がどうのこうのいっても意味ありません。
だけど。なんで兵庫の人たちは、この人物を選挙で当選させたのか?という疑問についてはどう考えても全然わかりません。
リンク先の記事を鵜吞みにするわけではありませんが、この人物については神戸県庁職員へのパワハラ、パワハラを告発した職員への公益通報者保護法違反だとも思える行為や贈答品のおねだり、さらに今回の公職選挙法違反などの疑惑であふれております。更には「自分の当選については考えていない。別候補を応援するため出馬した」と理解に苦しむ主張を唱える奇妙な候補が絡んでいるにも関わらず、その異常さに何も語らない非常識さ。これだけの材料を揃えて考えたのが以下の結論。
「パワハラとか贈答品のおねだり、パワハラ告発の犯人捜しとかほんとにやっていたか分からないけど、こんだけの疑いや常識を持っていない輩に権力与えたらヤベーぞ!」
僕の率直な兵庫県知事選の印象を言わせて貰えばだいたいこんな感じです。東京でも今回の兵庫県知事選の結果が驚きを持って報道されておりましたが、たぶんそれは僕と似た印象を持つ人が多かったからではないだろうか?この人物には県内で強力な「権力」を持つ「知事」という立場についての思慮や常識が足りていないことを察したからではないだろうか?そういうことを書いたら「TVで見ていただけの奴に何が分かる!」と怒鳴られそうだけど、それをいったら殆どの人がTVやネットの情報で印象を語ってるだけなんじゃないのか?とも思います。
今回の兵庫県知事選で想像外の結果をもたらしたもの。それはネットの情報、TVなどの過剰なメディア露出、既存のメディアに対する不信、PR会社の広告、部外者候補の乱入等々…専門家は口々に特定するけど、おそらくその理由をひとつに絞ることはできません。今述べたものやそれ以外の要素が複雑に絡み、今回の結果になったのでしょう。
ただひとついえるのはメディアでの反応などを見ていると選挙で勝たせた人たちより多くの人が今回の結果に驚いている=ヤベー人が知事になったと考えているということではないだろうかと僕は考えます。
パワハラ傾向があり、他人の人権にも無関心っぽい人材が僕の職場で上司になったらイヤだし皆さんもそうでしょう?こんなの仕事ができる、できない以前の話だと思います。実際はどうなのかは別として、少なくても「パワハラやその他のトラブルに対する疑惑が多い人物は権力を持たせるべきでない!そんな人物が選挙のため街頭で独り立ちを行い、だんだんと人が集まっていく。そのうち以前の政策で感謝の手紙を受け取ったり握手を求められたり…さらに『知事が辞めさせられたのは既得権益の陰謀』みたいな根拠のない陰謀論みたいな主張も周囲に飛び、それを受けて『改革』を候補者が叫ぶ」…あまりにうさん臭い物語だな。という判断は日常を生きていれば誰でも身に着く常識でありさほどブレないと思っていました。
だけどある一定の人にはその常識が通じなかった。そのことに驚くと同時に先述のPR会社とこの人物の選挙活動に違反の可能性があるという報道を受けこのできすぎな物語を信じていた人が疑問を抱き始めた心境を語るコメントを見て、「候補者の物語を信じさせたものは何だったのか?」を僕も考えています。改めてこの件についての考えをまとめて述べてみたく思いますが、本日この辺にて。