サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ドラマ「電影少女」の感想と僕らの思春期について語る

こんにちは。

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 1/13からスタートとなったドラマ「電影少女」。この作品のタイトルを目にして、悶々とした性欲に彩られた自分の思春期を思い出す人はおそらく僕と同年代でしょう。

 

電影少女 - Wikipedia 

 

 さて本題。この「電影少女(ビデオガール)」という作品は80年代後半から90年代の前半にかけて週刊少年ジャンプに連載されていた作品で、作者は桂正和。この作品をきっかけに桂センセも作風を変えただけでなく画力も大幅にアップ。二次元の漫画ながら写実的というか、立体的で肉厚に描かれた女性の裸体はエロ本とはまた異なるエロさがあり、当時の思春期真っ盛りなヤローどもをとりこにしたもんでした。机やベッドにエロ本を散らかしていても平気だった中学の同級生が、これだけは親に知られたくないといって「電影少女」の単行本を机の引出しの中に隠していたのを見つけた時はその不健康な性欲にドン引きさせられましたが、同時にこの友人の気持ちも理解できるため、このやり場のない感情をどうしたもんかと思ったもんです。どんなマンガだったのかは現在、集英社のサイト「ジャンプ+」で公開中なので、興味ある人は読んでみるのもいいでしょう。

 

shonenjumpplus.com

 

 そんな思春期の記憶に懐かしいこの作品が25年の時を経て2018年にドラマ化。

www.tv-tokyo.co.jp

 連載スタート当時の1989年を2018年に変更したリメイク作品かと思ったら、ドラマの舞台は原作の設定の25年後。原作の主人公の甥っ子が両親の離婚を機に、かつて先代主人公の暮らしていた空き家に居候。そこで古ぼけたビデオデッキとテープを見つけ、そのデッキでテープを再生させたことでテレビから女の子が出てきた!という原作とは異なるオリジナル設定ながらその物語の流れを汲んだ続編みたいな雰囲気になっていました。

 

 ツイッターでもオンエア時には、概ね高評価な呟きが溢れておりましたけど、僕個人の感想は正直いって微妙かな。桂正和の描いたヒロイン「あい」の近未来的デザインのコスチュームが安っぽかったこともあり、「低予算のコスプレドラマ」というイメージしか持てませんでした。マンガ原作の実写ドラマや映画のほとんどはだいたい駄作になる。という僕の先入観がそう思わせているのか、または25年前の作品のドラマ化に漂っている「今更感」が僕をうんざりさせたのかわからないけれども、どうせだったらそんなオールドなおっさんの意見を覆すような出来のドラマを作って貰いたいもんです。良作を作ろうとして突っ走ったら方向性を見誤って、駄作を越えた駄作ドラマになっちゃった!っていう結果になるのもおもろいけど。

 

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※この電子書籍の表紙にある胸当てみたいなものがついたデザインの服。コレを実写にしたら単なる安いコスプレになるのでやめた方がいい。

マジンガーZの映画に、日本におけるロボットとは何かを考える

こんにちは。

 

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 明日1/13は日本や世界でもヒットしたロボットアニメ「マジンガーZ」のリメイク版映画公開。

www.mazinger-z.jp

 

 マジンガーZといえば以前、こんな記事を書いたこともありました。

 

arrow1953.hatenablog.com

  マジンガーZの発信基地を実際に作るとしたら実際にどれだけの工期と費用がかかるのか?前田建設の見積もり価格によると工期は6年5ヶ月で費用は72億円になるという話みたいです。

 

 こういったエピソードからもわかる通り、マジンガーZガンダムなどのロボットアニメはゲームや新作リメイクを通じて世代を越えて広く知られる「共通言語」になっています。なぜ我々はこうもロボットアニメが好きなのか。子どもから大人になってもロボットアニメを「卒業」できない私達のメンタリティーは何に由来するのか。そこで本日は日本ロボットアニメの歴史を辿りながら、日本人にとってロボットとはなにか?を考えてみます。その前にマジンガーZってなに?っていう人がいたらどうぞ。

 

マジンガーZ - Wikipedia

 

 さて、本題。まずは日本で知られるロボットアニメや漫画を、以下の3タイプに分類。

 

①自律型タイプ

ドラえもん鉄腕アトムなど)

 

②外部操縦型タイプ

(鉄人28号、ジャイアントロボなど)

 

③内部操縦型タイプ

マジンガーZガンダムなど)

 

日本で通常ロボットアニメとしてよく知られるのは③の内部操縦型になります。ちなみに日本初のロボット漫画とも言われている阪本牙城(1895~1973)の『タンクタンクロー(1934)』は自らの意思で動き、穴の空いた胴体から拳銃や大砲などで悪と戦うという活劇であり、このような自分で考えて動く主人公は①のドラえもん、アトムなどのルーツ。その後、自律型ロボットのスタイルで物語に登場したロボットは横山光輝(1934~2004)の『鉄人28号』『ジャイアントロボ』などにより「人間に操縦される」②の外部操縦型タイプになり、さらに永井豪(1945~)の『マジンガーZ』などを経て「主人公がロボットに乗り込む」③の内部操縦型主人公へ変貌を遂げます。

 

ロボットは辞書によると「電気・磁気などを動力源として、精巧な機械装置で人に似た動作を見せる人形。人造人間」などと定義されています。その元祖をたどっていくとイギリスの女性作家メアリー・シェリー(1797~1857)が1818年に執筆した『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメシュース』やアメリカの作家ライマン・フランク・ボーム(1856~1919)の書いた『オズの魔法使い』に出てくるブリキ人形、ぜんまいで動く日本や西洋の「からくり人形、オートマタ」などが連想できるでしょう。でもこのロボットという単語は元々、旧チェコスロバキアの劇作家カレル・チャペック(1890~1938)が「労働」を意味する母国語「rabota(ラボル)」から作った造語。カレルは戯曲『R.U.R.(エルウーエル)』を発表。人間の指示に従って動く人造人間が意思を持って、人間に反逆するという近代批判の物語を描く上でこの単語を作りました。やがてこの「自律思考を持ちあわせた非生命体」というコンセプトは、SF作家アイザック・アシモフ(1920~1992)による『ロボット工学三原則』により具体化されます。ちなみこの三原則は以下の通り。

 

① 人に危害を及ぼさない
② 人間に従わなくてはならない
③ ①、②に反しない限り自己を守らなくてはいけない

 

この自律思考型ロボット」の物語は戦後~昭和50年代まで隆盛を誇っていました。『鉄腕アトム』『エイトマン』などのヒーローもの以降、核家族化や夫婦の共働きなどで家庭・地域のコミュニティ意識が希薄化してきた昭和40年代後半~50年代には『ろぼっ子ビートン』『めちゃっ子ドタコン』『ロボタン(リメイク版)』、実写では漫画家、石ノ森章太郎19381998)原作の『がんばれ!ロボコン』『ロボット8ちゃん』『バッテンロボ丸』など「家庭用ロボが町で騒動を繰り広げる活劇」が数多く放映。だがこれらは子ども番組である程度の位置を確立できたジャンルだったものの、昭和60年代を境に影を潜めることに。同様の構造を持つロボット物語は国民的なアニメとなった『ドラえもん』以外では僕の知る限り、91年の『丸出だめ夫(実写をアニメでリメイク)』、98年の『ビーロボカブタック(実写)』、翌99年の『燃えろ!ロボコン(実写リメイク)』くらいだと記憶しています。その理由はおそらく「ファミリーコンピュータいわゆるファミコンの普及だったのではないか。それを端的に示した漫画が、85年に小学館コロコロコミック1月号に掲載されたかつきかずよし(1956~)の読み切り『すてロボドンキー』という作品でした。

 

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日本ロボット作品の元祖「タンクタンクロー」

 

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ろぼっ子ビートン

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『めちゃっこドタコン』 

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ロボタン

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『ロボットを主人公にした実写作品』

 

 

前述したこの『すてロボドンキー』は子犬を拾った少年が、近くでダンボール箱に捨てられていたロボット「ドンキー」と出会ったところからスタート。ドンキーは少年に拾ってもらうため、ゲームソフトを口に入れると自分がファミコンになれるという機能をアピールします。自律思考を持つ高性能ロボットが子どもにウケるため、自分より低スペックのゲーム機に迎合するこの構図は考えてみたら異様な話です。でも僕みたいになかなか親にファミコンを買ってもらえなかった子どもにとってはロボットよりもファミコンを求める少年の志向はリアルであり、共感できるものでした。この漫画はそんな子どもたちの心情をリアルに描写するだけでなく、図らずも子どもの空想の友だちだった「身近なロボット」の敗北宣言でもあったのだと僕は思います。

 

このような「家庭用ロボット」の本質となっているものは母性であり、常に居候する家の少年・少女の側に寄り添い、彼らの遊び相手や理解者となって行動を受け入れる。それは家に帰っても両親が共働きのため誰もいない子どもの潜在的な受け皿であり、憧れでもありました。でもファミコンの普及は両親の不在を子どもに容認させるものとなっていく。むしろ親はゲームで遊ぶ子どもにとって障害であり、時間を気にしないで遊びたいと思う子ども達にとって邪魔でしかなかった。彼らの退屈な時間を満たすものは母性ではなくゲーム。作者のかつき氏は「すてロボドンキー」で、子どもたちの憧れだったロボットが、ゲーム機というリアルのコンピュータに追いやられていったという皮肉な現実を描いていたのです。ちなみにこの作品を掲載しているコロコロコミックは今、手元にはありません。せいぜいコロコロの漫画作品目録を作っているような個人のホームページで、かろうじて名前を見つけられる程度(この作品も記憶にあるタイトルと物語の概要を頼りに、いつ頃の掲載だったのかをつきとめたほどマイナー)。日本の漫画史で注目されることもない短編だけど、ロボットの「母性」の終焉を描いてみせたものとして再評価されるべき。

※さすがにこのすてロボドンキーの写真はありませんでした。以下のデータベースで、作品の名を見つけられる程度のマイナー作。

 

『月刊コロコロコミック超名鑑!」

http://www2u.biglobe.ne.jp/~comefx99/corocoro.htm

 

 以上の理由から、日本には自立思考型ロボットを扱ったアニメは「ドラえもん」程度しか存在しておらず、おそらくこのジャンルが再び隆盛を誇るようなことはないと推測します。ハリウッドを擁する「物語大国」の米国からきたロボットの物語が「トランスフォーマー」「ターミネーター」「A.I.」、ロボットものではなくとも「スターウォーズ」のR2-D2C-3PO等々、作品の主人公や脇役ロボットたちが自立思考型であるのとは対照的に、日本のロボットはあくまで人間の動かす「乗物」が中心になった理由。これこそ日本のロボットアニメ・漫画が物語の主軸はあくまで人間という視点でヒューマンドラマを描いてきたことの証明だと僕は考えます。

 

 ロボットアニメで人間の活躍や葛藤を描くなら、当然物語のイニシアティブは人間がとらなくてはならない。そのため日本ではロボットから思考を抜き去り、人間に譲渡するタイプ②や③の形態が生まれていったと僕は推測していますが、ここである疑問が浮かびました。鉄人28号みたくリモコンで外部からロボを操って敵と戦うタイプ②から、人が乗り込んで操縦するタイプ③の変貌にはどんな必然性があったのか。その疑問の鍵は、臨床心理士の阿世賀浩一郎さんが97年に出版した「エヴァンゲリオンの深層心理」で、主人公の少年がロボに乗る背景についての指摘にあります。以下引用になります。

 

「巨大ロボに乗り、必殺技で悪の組織と戦う体験は操縦者が万能の力を持つ『超男性的な存在』になりたいという自己愛を満たせる経験である。同時にロボのコクピットは母親の子宮のような空間でもあり、主人公がロボに乗るということは子宮回帰への憧れを実現させるものともいえる。その意味でロボットは『超母親的な存在』でもあるのだろう。主人公の父親は『超母親』のロボットを子に与えて戦わせることで、ここにロボットという母親を巡り父と子が葛藤するという、フロイトいうところの『エディプスコンプレックス』が生まれるのである」

 

 マジンガーZを作り、兜甲児に託したのは祖父の兜十蔵、ガンダムを設計したのはアムロの父のテム。碇シンジエヴァに乗ることを命じたのは同じく父の碇ゲンドウ。確かに代表作と言われる作品には阿世賀さんの指摘が当てはまっています。少年はロボットに乗ることで超人になり、同時にコクピットに入ることでロボットと一体化を果たして自分は「グレートマザー」に守られているという子宮回帰の欲求も満たせる。

 

 ただ、同書で阿世賀さんは「超母親」の概念が現れたのはマジンガーZからであるとしたけど、僕はそう考えていません。フリー百科「ウィキペディア」によると日本の乗り込み型巨大ロボットアニメの元祖はマジンガーZ(諸説あり)だとされているみたいですが、マジンガーは主人公を超人化させるものの、子宮回帰願望を満たす役割はない。そう断言する根拠は2つ。永井はマジンガーZのTV放映前後に「デビルマン」とその原型の「魔王ダンテ」を執筆しています。デビルマンもダンテも普通の少年が悪魔という「超男性的」な存在と融合して超人となる物語であり、時期的に考えてこの両作品の根底にある「超人願望」をタイプ②のロボットアニメと合わせて作られたのがマジンガーZなのではないでしょうか。従ってこの段階でのロボットの役目は主人公を超人にすることであり、ロボットに「母性」を背負わせる発想はなかった。その仮説の根拠はロボのコクピットの位置。マジンガーZは頭部にジョイントがあり、そこにパイロットの乗る飛行メカが合体して動く。つまりそれは無力な人間の頭脳が万能の身体を得る体験、歩けない赤子が歩行器に跨って歩けるようになったかのプロセスを思わせるからです。

 

 ではこの阿世賀さんの語る「巨大ロボット」と母性との関係は、いつ頃生じたのだろうか?その時期を明確に言い表せませんが、おそらくそれは富野由悠季さんの作った「機動戦士ガンダム」前後になるのでは?と僕は考えています。家庭用ロボットの物語の衰退以降、ロボットが少年・少女を包み込む「母性」は歪な形でタイプ③の物語に引き継ぎをされていたんだけども、話が長くなったので、本日はこの辺で。

 

 


 

 

※実際には操縦型ロボットの元祖は諸説あるけど、今回はマジンガーZ説にのっとり論考

 

日本のことはキライになっても、僕のことはキライにならないで下さい!

 

こんにちは。

 年末から年始にかけて暴力、暴言、差別を疑われるコスプレなどの話題に事欠かない我が国日本。そういうニュースばっかりだったのでウンザリさせられておりました。その中でふと目についたこの話題。

news.livedoor.com

 NHKのニュースとフジテレビ系列の情報番組「直撃LIVEグッディ」によると、東京23区の新成人約8万3000人のうち、約1万800人が外国人。およそ8人に1人が外国人にもなるのだそうな。とりわけ多いのが新宿区で4000人の新成人のうち、1837人が外国籍でその比率は45%。国籍の割合は23区毎で異なっているものの中国やベトナム、韓国、ネパールなどのアジア諸国が多数を占めているとのこと。この人数の割合は正直、僕も驚いたけどまぁ、物流や情報などが驚異的な速度で国というボーダーラインを越えていく現在の世界情勢を考えるとそうならざるを得ないだろうし、今後その傾向は拡大していくでしょう。そう考えるとエライ時代に生まれたもんだ。

 

 こちとら英会話もまともにできねぇ、外国留学の経験もねぇ。そんな自分はボーダーレスに自分の居場所を作れる世代と渡り合っていかなきゃいけない。こうなりゃビビらずに好奇心を発揮させ「勉強させてもらいます!」って、こちらから懐に飛び込んで行く以外ない。異国の人の持ち込む価値観を現在の日本の価値観に取り込むことで、新しい発想や文化などを作ってこうぜ!といった気概がなきゃダメだろうなと思う。狭い日本だけにしか通じない「日本スタンダード」を振りかざして偉そうな顔できる時代じゃないんですよ。

 

 だから「日本ってスゴイ!」というみっともなくて空虚なナショナリズムを大声で叫んだり、海外にわざわざ出向いて「世界のニセJAPANに正しい日本を伝授!」とかいう押し付けがイヤミな情報番組を作ったり、観たり、わざわざ日本にやってきた人をやすい金でこき使うだけの制度を使って働かせたりするのはもうやめません?日本嫌われるよマジで。

 

www.tbs.co.jp

 

やはり完全に奴隷、外国人技能実習生受け入れ事業者の約9割が違法操業 | BUZZAP!(バザップ!)

 

日本だけにしか通じない「日本スタンダード」。そういう意味で浜田も、OUTぉーっ!

www.huffingtonpost.jp

※これについてはもっと掘り下げるつもり。自分も黒人の扮装が差別につながるものというのが世界的な常識だということを分かっていなかったので。

 

 

 

前田敦子じゃないけど、

「日本のことはキライになっても、僕のことはキライにならないで下さい!」

叫びたくなるわ。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 


 

青臭い「君たちはどう生きるか」という本に感動できる奴はアホでウザい

こんにちは。

 今年は年末から元旦の朝にかけて仕事となりました。まぁ普通の企業が休みの時こそ働き時っていうのが僕らみたいなネットワークやサーバー構築、保守などが専門のインフラIT技術者の宿命みたいなもんなので文句もいえません。こうなりゃ振替休日で思いっきり休んでやるぞ!と、気持ちを奮い立たせて業務にあたるのみ。

 

 さて本題。先日話題になっているこの漫画本を買いました。

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君たちはどう生きるか - Wikipedia

 不勉強ながらこの本を読んだことはありませんでした。ただ、最近メディアでこの本が話題になり、文庫本を買おうと思っていたんだけどこの主人公の少年の「目力」に惹かれるものがあり、つい漫画本を購入。

 

 この物語は潤一君という少年が語った日常経験を、元編集者のおじさんがそれについて感じたことや考えたことを会話や手紙などで伝え、そこで交わされた言葉をヒントにして現実にある難問に、潤一君が向かっていく構成。そのきっかけになったものはおじさんの引っ越しでした。編集者を辞めて自宅近くにやってきたおじさん宅への荷物運びを手伝った潤一君は街の案内をする中で銀座のデパートに立ち寄り、屋上から地上を眺めながら「人間は分子だ。遠くにいる人、僕やおじさんもこの世の中っていう大きな流れを作っている一部なんだ」と呟きます。おじさんはそれを聞き、潤一君に「コペル」というあだ名をつけました。

 

「君がこの世の中の一部分として自分を認識できたのはコペルニクスなみの大発見だ。だから君のことを僕は『コペル君』っていうあだ名で呼ぶことにした」

 

 当時の天文学の常識を覆す『地動説』を発見した偉大な学者『コペルニクス』にちなむあだ名をつけられたことを誇らしく思いながらも、コペルニクスが学説の異端さぶりから時の権力の迫害を受けた人物であったことを思い出して『自分はその大きな世の中に生きる分子だけど、その世の中が誤った時は勇気を持って抗う立派な人物になれるか?いや、なりたい!』と心に固く誓い、学校に通うのだけどその時々で揺らぎます。いじめや同級生の貧困、そしていじめを見過ごせない友人がいじめ首謀者の兄貴により受けた暴力をきっかくに、コペル君は友人を徹底的な形で裏切ることに。

 

 上級生はいじめの首謀者である弟の仕返しとして、校庭でコペル君の友だちに暴力を振るい「こいつの仲間がいたら出てこい!」と、大声で怒鳴りました。だけど、友人のことを思いながらも、コペル君は暴力が怖くて逃げ出した。その時に見た友人の蔑みの目がコペル君を責め続けるのです。正論や正義を掲げながらも現実を前に怯み、逃げ出した自分が許せない。おじさんとコペル君のお母さんはそんなコペル君に「人間の良心」について語りかけるのです。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 コレは先日、僕が他人の「貧困」という不幸をネタにした番組で視聴率を稼げると考えるTV局やそれを見て他人の不幸を笑っているだろう視聴者に苛立って書いた記事です。人には様々な意見もあるのはわかるけど、「自分が報われないと考えている人たちが、自分よりも不幸な境遇の人のお金をめぐる争いを見て自分はコイツらよりまだマシだろうな。と溜飲を下げさせるのが目的」みたいな番組ってどうなの?と書かずにはいられませんでした。それについてはこういった反応も少なくくありませんでした。

niwaradi.hatenablog.com

 

この記事を書いた方は人の不幸は一緒に悲しまなければという聖人なのでしょう。是非日々不幸を生み出す社会への怒りと悲しみに浸りながら社会問題の解決に邁進なさってください(口だけでなく)。そもそもカイジを読む事自体に人の不幸を見て楽しむクズ的な娯楽要素があるはずなのですが、 「持たざる者「カイジ」が知略を駆使して自らを特別と思いあがる兵頭たちを荒唐無稽なギャンブルで勝利する姿が爽快かつ痛快なんだけども全編に漂う「金!」「金!」「金!」な世界観にゲンナリさせられることも多い」 漫画一つ読むのにこういう大義名分が必要なのですか。世の中金という世界観はダメですか。たしかに最近アニメとかの感想でも勧善懲悪じゃないとだめとか、もっとご都合主義に正しい人が報われて悪人が制裁を受けるエンディングじゃなきゃ納得できないとか、力を持つものは社会正義のために行動しなければならないとか、個人的な欲望や動機で生きてる登場人物が許せないとか言う人いるんですけど、なんか何事も正しくて規範通りじゃないといけないとか窮屈だなあ。

大義名分がないと作品を楽しめない人たち - niwaradiの雑記

 

gokumatrix.hateblo.jp

  

クズじゃない人間てどれくらいいるんだろう。私個人の感覚では、出血大サービスで大甘に見積もっても、世界の総人口の9割近くはクズなんじゃないかと思います。いえ、そもそもクズじゃない人間なんているのかなとすら思います。

俺たちゃ人間のクズなのさ!暗い宿命(さだめ)を吹き飛ばせ! - ペンデュミオンの螺旋

 

iamnotarobot.hatenablog.jp

 

 ポストイットばりに小さくて薄っぺらい正義感やモラルを振りかざしながら、自分も理想と現実を戦わせて何度も負けながら、社会人をやってます。そのために働いてた業界を干されたことも、会社を追い出されたこともあった。

 

arrow1953.hatenablog.com 

僕自身、末端の制作だったけどこの環境を見ていて「アニメ業界ってマジでヤバイ」っていう危機意識を強く持っており、先輩について仕事を覚える立場ながらいくつかその危機意識を語り、改善案を上司に提案させてもらったこともあったけどあたりまえながら上司には「生意気いうな!」と怒られるだけ。結局のところ、僕は会社から「お前いらない!」っていう話になって、アニメ制作をフェードアウトすることに。

アニメ業界で働いた体験から今後を考え、改善案を提言 - サブカル 語る。

 

 40を越えた現在でも戦いは続いています。情けないけど理想と現実をめぐる戦いでは実際、負け戦になるのが圧倒的なクズ野郎。くやしいけれども認めざるを得ません。

 

 だけど。理想論や正論、モラルって捨てたらダメなんだよ。自分のクズさを認めながらも少しでも聖人に近づくため、安いポストイットみたいな正義感を胸に抱き続ける。同調圧力などに負け、不正やウソ、裏切りなどに手を染める人を僕も否定できない。僕もこの社会でそれなりの不正やウソ、裏切りを行ってきた。だからこそ、その過去を悔いながらもやっぱりまっとうに生きていきたく思う。「お前だって正論を他人に吐けるほど、立派な人間じゃないだろ!」とか言われても、優等生な正論を吐きまくるよ。優等生な正論と現実をせめぎあわせて、自分なりのモラルを作って生きていく。大事なのはこういった理想論を持ち上げることではなくて、その理想をどういう風に自分のいきる現実に対して反映させるべきかを悩むことだと思う。この本を読んだ後、少しでも生活に活かそうなどと考えずに「感動した」「勇気もらった」とか能書きだけの奴らはウザい。

 

 まぁ別にそんなのは他人に強制なんてするもんじゃない。ご自由に。

 

www.iwako-light.com

 

※何になるか、何をするかという結果もだいじだけど「どう生きる」かという課程を大事にして貰いたい。暑苦しいおっさんからの助言でごめんなさい。

 


 

※漫画版は現在、80万部を超えるベストセラー。書いてあるのは確かに青臭い理想論だけど、この本が売れるってことはそれだけどこかでみんな青臭い理想論を求めているんだろうと思う。

 

今週のお題「2018年の抱負」

 

戦隊ヒーローの名称が◯◯レンジャーがメインになったのはたぶん僕のせい

こんにちは。

 本日のブログテーマは戦隊ヒーロー特撮作品の新シリーズについて。

 

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「怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」

 従来の「悪の組織」に戦いを挑む戦隊ヒーローという構図をぶっ壊すという意欲作。ルブランの小説でおなじみの怪盗アルセーヌ・ルパンの宝物「ルパンコレクション」の回収を目的とする
義賊三人組ヒーロー「ルパンレンジャー」と、街とそこに暮らす多くの市民を守る正義のヒーロー「パトレンジャー」。「泥棒」と「警察」という交わることのない水と油のような2つの戦隊が「ルパンコレクション」を巡って戦ったり、時には異世界からきた犯罪組織と戦うために共闘したりなど
その時によって対立構造が「戦隊VS戦隊」や「戦隊VS犯罪組織」さらに「戦隊&戦隊VS犯罪組織」とめまぐるしく変わるのが特長だそうな。

 僕自身、戦隊ヒーローは小学生の頃は好きだったけど、現在はノーマークなのでどうでもいいとも思っているんですけれども、今も気になっていることがあります。それは戦隊ヒーローの名称。
現在は「◯◯レンジャー」というのが主流だけど、80年代には「◯◯マン」っていう名称が主流の時期もありました。

電子戦隊デンジマン
科学戦隊ダイナマン
超電子バイオマン
電撃戦隊チェンジマン
超新星フラッシュマン
光戦隊マスクマン

などなど。だけど、その「◯◯マン」という名称が、ある時期からまったく使われなくなったのです。
以下のリンクの年表を参照。

 

スーパー戦隊シリーズ - Wikipedia

 

 たぶん、それは僕のせいじゃないか?とか思う。僕が中学生の頃、疑問に思って放送局にこう電話したんですよ。担当の部署に電話を回して貰い、長年抱いていた質問を僕はぶつけました。

 

AM「現在放映されている、戦隊の特撮について質問なんですけど」


担当「どうぞ」


AM「番組名に◯◯マンとか△△マンとか名前が付いているけれど、戦隊って複数形なので◯◯メンっていうのが正確なんじゃないですか?」

 

 電話の担当になったお姉さんがその質問の回答に窮しているのが受話器から伝わりました。結局、僕はなんかよくわからない適当な答えをもらったんだけどその後、ヒーロー戦隊の名称で「マン」というのはほとんど使われなくなりました。コレって偶然なのかなぁ?

 

 

HUGっと!プリキュア以前にあった、嘗ての子育てアニメを振り返る

こんにちは

 来年から放映スタートの新作プリキュアHUGっと!プリキュア」の公式情報が、先日公開されました。

 

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www.asahi.co.jp

 タイトルの字面から、30年近く前にファミコンソフト「高橋名人の冒険島」をモチーフに作られたアニメ「Bugってハニー」を思い出して自分がおっさんだってことを、あらためて認識。

 

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 Bugってハニーはこんな感じの作品。ちなみに主題歌は高橋名人自らが歌っていました。そんなどうだっていい雑談はこの辺で。

 さて本題。この「HUGっと!プリキュア」のメインテーマとは「子どもを守るお母さん」。物語をカンタンに説明すると大人の女性に憧れる中学2年生の転校生少女「野乃はな」がある日、いきなり空から降ってきた赤ちゃん「はぐたん」と、世話係のハムスターみたいな妖精「ハリー」に遭遇。その「はぐたん」の持つ不思議なアイテムを狙う組織と戦うために、はなはプリキュアに変身できる力を得る。はなは組織の放つ怪物と戦いながら「はぐたん」の子育てにも励むというものになるそうな。

 ネットではこの「HUGっと!プリキュア」について多くの意見が集まっており、中には「プリキュア」以前に放映されていた女の子向けアニメシリーズ「おじゃ魔女ドレミ」でも、子育てをテーマにしていたという声も。

 

おジャ魔女どれみ

 小学生の少女たちが魔法使い見習いとなり、魔法で街の人たちのトラブルや悩みを解決するために奮闘するというコンセプトの作品で2000年前後で4年にわたってシリーズ化された作品。かなり昔だったので記憶も曖昧だったけれど、調べてみたら確かに魔法使い見習いの少女「ドレミ」が赤ちゃんを育てるというシリーズもありましたね。あ、そういや「美少女戦士セーラームーン」も未来から来た自分の娘を育てながら戦うっていう設定になったな。

sailormoon-official.com

 こんなふうに両作品とも今から20年近くも前なので確かに古いっちゃ古いんだけど、僕らの世代では子育てアニメだったらこっちのほうが馴染みがあるかも。

 

ママは小学4年生

 

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 物語のコンセプトはHUGっと!プリキュアに近いんだけど、主人公の少女「なつみ」が育てるのは実子。15年後の自分が産んだ娘「みらい」が1992年にタイムスリップ。未来の自分の娘を、小学生の自分が育てるというSFっぽい育児コメディーアニメだったんだけど、覚えてる人いる?

 

 このアニメはロボットアニメでおなじみサンライズ制作の作品。毎週金曜の17:00〜17:30放映だったんだけども、この時間枠は最近「スーパーロボット大戦」の新作登場が決定になってファンを驚かせた「魔神英雄伝ワタル」やロボットと魔法のコラボが印象的だった「魔動王グランゾート」根強いファンも多い近未来カーレース作品「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」など、メカを全面的に押し出していたアニメ作品ばっかりだったので、いきなりの少女育児アニメという路線転向にはかなり驚いたもんでした。

 

 まぁ、そんな感じでこの30年間にわたる「子育てアニメ」を振り返ってみましたけども、このコンセプトは女の子にとって身近な大人の女性「ママ」に憧れるプリミティブな感情に訴える普遍のテーマなのか、又は「育児は女性の仕事」と考える男性の保守的発想によるものなのか。女性の読者にはぜひこの記事の感想を教えていただきたい。

 


 

ウルトラマンジードを「父と子」ではなく「母と子」の視点で考えた感想

こんにちは。

 本日で最後となったウルトラマンジードの放映。いやぁ、面白かったっすね。

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 名前の「ジード(GEED)」の由来は物語の主人公、朝倉リクの口ぐせである「ジーッとしてても、ドーにもならねぇ!」というアクティブで前向きな叫びを略したとされているけれど、もう1つの由来は英語で遺伝子を意味する「Gene(ジーン)」、運命を意味する「Destiny(ディスティニー)」のつづりの頭文字「Ge」と「De」を「GEDE(遺伝子の運命)」と並べ、運命に抗うことを意味させるため「ED」をひっくり返した造語だと本編でも語っていました。その名の示すとおり、この朝倉リクという青年はウルトラの力を持ちながらも自ら力を求めて悪に染まった「ウルトラマンベリアル」の息子という、今までとは異なる出目をもっているのが大きな特長。それだけに物語は「悪」である父親と、その対極にある「息子」の対立っていう視点で進められていきますが、ストーリーを追っているうちに、これは「父子」ではなくて、実は「母子」の物語じゃないか?と僕は思うようになりました。

 物語はウルトラマンベリアル(写真1)が、宇宙そのものを破壊する「クライシスインパクト」というビッグバンみたいな現象を発生させて世界を崩壊させるのを、ウルトラ一族の伝説の長老「ウルトラマンキング(写真2)」がその身を挺して食い止め、宇宙の危機を救ってから6年後の世界が舞台。孤児として育ちながらも優しく明るい性格の青年「リク」は地球の怪獣出現をきっかけに、自分がベリアルの息子だったことを、ベリアルがリクのために用意していた秘密基地のコンピューター「レム」によって知らされます。そして人々を守るため、怪獣に挑む決意を固めたリクにレムはウルトラマンに変身する力を授与。変身後のコードネームを問われたリクは自らを「ウルトラマンジード」と名乗り、怪獣と闘いながら自らと父親のベリアルの秘密を追うというミステリーの要素も含んだものになっています。

 

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ウルトラマンベリアル(写真1)

 

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ウルトラマンキング(写真2)

 

 さて、ここから本題。このベリアルの息子とされる「リク」という青年。彼を生み出したのはベリアルに心酔する宇宙人「ストルム星人」ケイという男性。ケイはベリアルの遺伝子を材料に、ベリアルの道具となるような人間によく似た人口の生命体「リク」を作って地球に放った、産みの母。その後、リクは捨て子として拾われて人間として育てられます。つまりこの時点でリクは実の父と母にネグレクト(育児放棄)を受けていることになることから物語の根幹にあるのは「両親への復讐」。その復讐を果たすための力を与えたのはウルトラマンとしてのリクの育ての母」であるレムであると考えることもできるのです(物語でレムの声が女性だったのも、その辺を意識しているのかも)。

 

 ウルトラマンとなったリクは戦いや人々の出会い、「生みの母親」であるケイとの直接対決を通じて強くなっていき、物語のクライマックスで「父」ベリアルと対峙。父ベリアルは圧倒的な力(父性)をもって息子のジードを抑えつけ、ベリアルの体へと取り込みを目論む。つまりウルトラマンの力を奪うことで「育ての母」のレムと引き剥がされることになります。

 

 そして、そこで次に注目してみたいのはそのリクの危機を救った「鳥羽ライハ」という女性。ライハはケイにより両親を奪われたという過去を背負っていることから、リクとは常に行動を共にしていました。物語が進むうちにライハも自身の出生の秘密を知ることになります。その秘密とは「ウルトラマンキング」との関係。誕生の際、難産の危機に晒されていた幼いライハはウルトラマンキングによって生命を救われていたのでした。その影響でライハの身体にはウルトラマンキングの力が宿っており、ライハはそのキングの力をリクに譲渡。その力でリクはウルトラマンとしてさらに強く生まれ変わることになります。つまりそれはライハもまた「ウルトラマンとしてのリクの育ての母」になったことを意味する。そういえばライハも先述したレムも秘密基地に私物を持ち込んで散らかしたり、狭い基地で野球をやったりなどするリクの幼さやだらしなさを口うるさく注意する場面も多くありました。そういう描写も「母親」を意識してのものだったのかもしれません。 

 

 このことから「ウルトラマンジード」という物語の本質は「二人の育ての母親からもらった力による実父と実母との軋轢とそれによる葛藤の克服」だったんではないだろうかと僕は考えます。ベリアルとの直接の戦いでリクが「倒す」という言葉を使わずに「僕はあなたを超える!」」と叫んだのもこの作品のテーマが父子対立ではなく「エディプス・コンプレックスを抱えた青年の父親超え」であり、だったということの証左なのでしょう。

 

エディプスコンプレックス - Wikipedia

 

 この「父性」と「母性」という概念こそが日本のマンガやアニメなどのサブカルにおいて大きな影響を与えているものであり、今後この国がサブカル表現がそれらをどう克服していくべきかというのが大きな課題なんだけども、そうなったら話も長くなるのでその話はまたあらためて、別の機会で!その際はぜひ、どうかまたお付き合い下さい!本日はこの辺で。

 

 

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