サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

アクタージュを打ち切ってトカゲの尻尾扱いにしたジャンプに怒るべき

こんにちは。

 

 先日のブログから2週間。この話題については「誤読」というか、おそらくろくに読んでない人たちからのブコメなど来るだろうなと思っていたら案の定でした。

 

 

 

 

f:id:arrow1953:20180910020053j:plain

 

arrow1953.hatenablog.com

 

アクタージュの連載打ち切りに伴う構造

 そういう輩はめんどくせーのでこの話題はもう手にするべきではないんだろうけれども中には文意を正確に把握いただいたうえで、このアクタージュという作品を巡る事件の構造的問題を俎上にのせて下さった人も少なからずいらしたので「わかる人にはわかる」んだな。ということを再認識させていただきました。

 

 だったらこちらもその意図をできるだけ多くの人に理解いただこうってもんです。

 

 っていうことで本日のブログは前回の続編。まず前回のブログを正確に理解できない人たちのために、あの記事で述べた論点について箇条書きでまとめさせてもらいます。

 

①アクタージュ原作者の痴漢行為については許されないものであり連載打切は妥当。

  

週刊少年ジャンプで人気連載されていた「女優」を主人公にした異色作「アクタージュ」が原作者のわいせつ行為によって打ち切り。僕自身この作品を高評価していたので正直「もったいない」という想いと、原作者の非常識さそのものへの呆れなどがないまぜな心境です。

アクタージュの打ち切りの背景はアニメ・漫画業界全体が猛省するべきである - サブカル 語る。

  

②それとは別に痴漢行為の背景にあると思われる「女性の身体は軽々しく扱っていい」「女性の身体への接触は日常的小さなトラブル」的なものとして社会全体が勘違いしているということは考えられないか?

 

③その勘違いに女性の身体への接触を「ラッキースケベ」なものとして扱ってきた漫画アニメ、ラノベ等のメディアは直接的、間接的に関わっていないかを問うべきではないのだろうか。

 

 ただこの原作者の働いた「何らかの行動のどさくさに紛れての、女性の接触」という構図、いわゆる「ラッキースケベ的行為」を思わせる光景は少年ジャンプだけでなくアニメ・マンガ、ラノベ業界などがここ最近ずっと「ウリ」にしていたものではなかったか?という指摘だけはさせていただく。今回の痴漢行為は明確な原作者の意図があるため「ラッキースケベ」ではありません。だけど、前述したとおり主人公が転んだ時や敵キャラとのバトル時などでヒロインともみくちゃになり、その際ヒロインキャラの胸やお尻に触ったり目の前にそれらが突き出されたりする「触れた男性も触れられた女性も単なる日常の小さなアクシデント」というラッキースケベ的な演出の多用が女性の身体を軽々しく扱っていいもの、或いは行為そのものが「日常の小さなトラブル」的なものとして処理されるものという勘違いをこの社会にさせているのではないだろうか?

アクタージュの打ち切りの背景はアニメ・漫画業界全体が猛省するべきである - サブカル 語る。

 

 まぁ大まかにこの3つにまとめられるかなと思います。前回のブログについて感想を述べた人たちはこの②と③をどうしても理解できません。やれ「アクタージュはラッキースケベ表現のある作品じゃない」とか「この作品を読んでもいないくせに」とか自らの読解力のなさを高々語らなくてもいいんじゃないかな?と思います(とくに作品を読んでない!って、このブログのどこを読んでいるのよ?「作品を高評価していた」って書いているのに)。ちなみにアクタージュについては以下で述べています。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 長くなりましたけども、前回のおさらいを踏まえていただいたうえで話を続けます。

 

作画の担当者が語る物語の責任

 今週号のジャンプではアクタージュの連載終了についてジャンプの編集部が「痴漢事件を起こした原作者の作品を連載し続けることはできないので責任取ってやーめた!(大意)」というコメントを掲載しましたけれど、作品を管理する立場の編集部が語るべきは原作者の痴漢事件についてだけではなく「作品というものは大なり小なり人の心に影響を与える可能性を持っているものであること。そのうえで『ジャンプ編集部は性的な加害を許さない』」というメッセージだったのではないかと考えます。むしろそのメッセージは作画担当の宇佐崎しろさんのほうが「作品を続けることは原作者の痴漢行為によって傷ついた被害者の心境をさらに傷つける可能性がある(大意)」と、被害者側の観点から「物語が人の心に与える影響」について、明確に述べています。

 

 

ツイッターより

 

 だからこそジャンプ編集部は自分たちの作品群を振り返って「アクタージュに具体的な性表現はなかったものの、原作者の行為は許されるものでないこと」を語るのと同時に「現在までサービス的、ギャグ的に扱い続けてきた女性の身体への接触行為は社会的に適切だったか」を考えるべきでした。

 

 え?「そんなことを言ったら物語で犯罪を扱えない?」。

だけど物語で取り上げられる犯罪や犯罪者は大抵ラストで主人公に倒されたり、警察に引き渡されたりなど明確に断罪されていませんか?少なくても犯罪者はラッキースケベ的なトラブルを起こしたキャラみたく女性の非難から逃げ回ったり強気な女性に殴られるなどのギャグ的な「なぁなぁな形」で締めくくられていないと思いますよ。

 

 え?「あくまでも物語の中のギャグなんだから、そこまでうるさくいうなよ!」

いくらギャグだろうと「許されない表現」って現実にたくさんありますよ。お笑いで民族的なヘイトやセクハラ的な話題を題材にしたら社会はそれを許さないでしょうし皆さんお勤めの会社だってギャグで「セクハラ的発言や表現」を口にしたらどうなります?現実世界ではヘイトやセクハラは許されません。だからこそテレビなどでは、現実に許されない行為を不適切な表現で扱った場合に叩かれるのです。マンガやアニメだってヘイトやセクハラを扱ったら当然叩かれます。そのうえで性表現を考えてみたらいいと思います。

 

 マンガやアニメの世界観を基準に現実を考えるのではなく、現実を基準にして現在のマンガやアニメの世界観の在り方(具体的に言うと女性の身体の扱い)などについて、僕も皆さんもこのへんで真剣に考えてみません?

 

※ただジャンプは上述した責任についてなにも述べないでしょう。下記みたいな表現を今後掲載できなくなるので。

 

f:id:arrow1953:20200826063436j:plain

f:id:arrow1953:20200826063529j:plain

 

灼熱のニライカナイより

 

アクタージュを打ち切っても懲りないジャンプ

今回の痴漢事件で作品の連載をやめてもこういう描写の作品を掲載する。これ普通の人の感性で考えたら「何の反省もないな」と思われて当たり前だよ。「表現と社会のあり方」について何の考えも述べず、ただ痴漢で騒がれた作者の作品の連載を打ち切り。だからこそ僕は「アクタージュは単にトカゲの尻尾扱いされただけ」という印象を強く持っているのです。ファンだったらアクタージュ連載の打ち切りを嘆くより「トカゲの尻尾扱いしたジャンプ編集部に怒れよ」と思う。まぁそうはいってもこのブログにコメントを寄せてくる多くのアホにはここまでの話は通じないだろう。