サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

キチガイなのは僕らかオリンピックの関係者かどちらだろう?

こんにちは。

 目前に迫った東京オリンピック。実際やるの?やらないの?と僕を含め世界各国で、多くの人々がテレビ、新聞などの報道を眺め「どうなることやら」と、お思いになっているかと思います。ただまぁ最近の世論調査を見てみると「どうなるんだ?」っていう疑問より「コロナで大騒ぎの時にわざわざオリンピックなんてやるな!」「IOC、日本政府のお偉さん方はオリンピックをやる気なの?何を考えているの?」っていう非難が日に日に大きくなり、オリンピックを望んでいない国民の不安を聞くどころか逆に煽ることを語る姿勢に怒りと諦めの嘆息が巷に溢れているのを感じたりもする今日この頃。

 

東京オリンピック「中止」「再延期」が6割超 毎日新聞世論調査 | 毎日新聞

 

 普通に考えて人が大勢集まったらダメよ!って時にオリンピックなんてムリ!中止!百歩ゆずって延期だろ!って声が多数なのにこういう発言しちゃうお偉方。

 

五輪実現のため「犠牲払わなければ」 バッハ会長が発言 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル

 

jp.reuters.com

 

 そりゃ、やりたいだろうね。お金がムダになるもんね。お金をドブに捨てたくはないイベント屋連中どもはまぁそう言うでしょう。頭にくるけれど、理解はできます。ただ今はオリンピックやスポーツ競技の試合観戦から得る「感動」も否定までしないけれどそれはいらない。だからそこで「希望」「平和の祭典」みたいな無神経かつ、お気楽な「感動」ポジティブワードを見聞きさせられるとついイラっとさせられます。

 

 そういやオリンピックについてはこのブログでも何度かテーマで思うことをつらつら述べさせていただいています。その中で反響があった記事がこちら。

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

「日本人はメダルきちがい」

 

強烈なセンテンス部分を抽出しているので、改めて発言を紹介。 「そんなにメダル、メダルというなら自分で泳げばいいじゃないですか!日本人は、メダルキチガイですよ!」 この発言は僕と同い年の女性スイマー「千葉すず」さんの放った名言です。

オリンピックに興味ない自分にとっての名言「日本人はメダルきちがい」 - サブカル 語る。

 

 オリンピックなどの世界的な大会で、選手にメダルへの過度で無神経な期待をかける国民に言い放った、僕の中では数あるオリンピックに関わる発言で最も名言ではないだろうか?と思っている発言です。

 

 これは僕の感覚だけど、この国ではいつ頃からか、オリンピックを「感動」という発言で覆い包むような、なんとも奇妙な空気がずっと漂い続けていました。たぶんそれは選手と国民の双方にある「メダルへの渇望」をごまかす大義名分みたいなものをみんな必要としていたためではないかと僕は思っています。国民はアスリートのメダル獲得で「ささやかなナショナリズム」を満たし、選手はメダルを手に名声や財、権力を得る。政治もその「平和の祭典」に相乗りして、国からメダリストを輩出できたりしたら国の威信みたいなものを手にできる。そんな身も蓋もない、生々しくてグロテスクな渇望が、ずっとこの国を覆っていた。その生々しさを直視しないために普及したのが「スポーツで得られる感動」だったんではないだろうか。だけど、コロナウィルスという直接的な危機を前に、多くの人は「ささやかなナショナリズムなんていらねーわ」となっちゃった。それでもアスリートたちは(全員ではないと思うが)メダルやオリンピック出場権の付属品としてついてくるお金や名声が欲しい。国もオリンピックという非暴力的戦争で勝利することで周囲国などにスゴイ!と思われたい。開催国で得られる利権で、多額の金を手にしたい!

 こんなふうに、三者の利害が分断されてしまった。だからこそもう「感動」っていうオブラートも国民には通用しない。それを多くの関係者は分かっていないので、国民でなくなんとしてでもオリンピックを開催すると語る関係者サイドが「キチガイ」となっているのでしょう。

 

 こうなったら選手も関係者らも「感動」を語らず、正直に「ぶっちゃけオリンピックに出場してメダルと金、名声を手にできたらサイコー!」「感動なんてどうでもいい!!今手を引いたらかけてきた多額の金がムダになる!」っていえばまだ人々はその正直さを認めてくれるかもしれない。スポーツ関係者はやっぱり潔くて正直な人たちだな」と多くの国民の尊敬を集めるかもなぁ。いや、マジで。