サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ゲーム音楽がオリンピックで使われたことは素直に喜びたく思う

こんにちは。

 

毎月一度の更新さえも先月はサボり、気まずさを感じながらの今月のブログ更新。こんなにもマイナーなブログも地味に読者は増えているので、まぁこちらも気長に続けさせていただきましょうかね。

 

 ってなことで本題。先日より東京オリンピック開催ってことで今後2週間前後は猫も杓子も「この国はいくつメダルを手にできるだろうか?」といった「他人の褌で相撲を取る」を地でいくどうでもいい優越感、劣等感が大勢の関心事になるのかな?とか考えたりもする今日、この頃。基本的にこのオリンピックについては最初から反対の意見を述べてはいたものの、決定以降に数えきれないほどのトラブルを起こしまくっただけでなく開会式前日になってもそのトラブル連鎖を続けるグダグダっぷりでも見てやろうと思ってテレビの前にいましたが、アスリート入場前後の場面でドラクエの「ロトのテーマ」がかかると同時にひどく不愉快になったのでベッドにもぐりこみました。

 

 ここでドラクエのBGMを手がけてきた作曲家「すぎやまこういち」について述べると
テーマがブレそうになるので、ここでは語りません。このブログで僕のいいたいことは
ゲームの音楽がオリンピックみたいな「世界」と深く関わるイベントで使われたという事象の背景を、僕らオタクはどういう文脈で考えるべきなのかということです。ゲームミュージックや日本の漫画のフキダシを思わせるアスリート紹介のプラカードが会場を覆っているのを見た「オタク」が

 

「ゲームやマンガが国際的に認められたぞ!」

「これらサブカルやオタクは日本の文化だ!」

 

そんなことをツイッターなどで声高に叫んでいるのを見て、その気持ちは分からなくもないと思う反面、ちょっとまてお前ら!と背中を叩いて呼び止めて、こういいたくもなりました。


国のあらゆる世論調査で大多数が「反対」を突きつけたイベントで使われて嬉しいか?

 

 その意見について「それでも嬉しい!」「余計なこというな!」とか思う人だったらそれ以上語る言葉はありません。どうぞお好きに。ただ、選手入場の場面で流れ続けるゲーム音楽に何か違和感などを抱いた人だったらもう少々このおっさんオタクの駄文にお付き合いいただきたい。

 

 話を続けます。さっき述べた通り、この東京オリンピックは多くの理由から日本人の多くが望んでいないイベントとなっておりました。誘致に使ったお金の不透明さや問題発言の多さ、素行の酷さに呆れるばかりな委員会関係者やお偉いさん。世界的な規模で問題なコロナウイルスの流行にまともな対応もできていない運営。そういった「ごみのごった煮」みたいなものが次々に溢れ返り、国内外で多くの人がドン引き。そんな中でもこの国は強引に開催へ突っ走ったというわけです。そんな顰蹙ものの国際的なイベントで使われるゲームミュージックとマンガのフキダシにはどんな意味が付随するか。もし、今回のオリンピックにおけるゲーム音楽の利用に言い表せない感情を抱いたオタクの人がいたら「背景」を読んで、それについて考えてみてもらえたらと思います。リオにおける「安倍のマリオコスプレ」に始まり、ゲーム音楽を使う開会式にたどりついたこの東京オリンピック。ちなみに下記の記事ではファンを含むゲーム関係者が「オリンピックという舞台での音楽利用を喜び、この大会を巡る多くの諸問題における多くの指摘を考慮せず、ただ無邪気に喜んでいる有り様をみて「(ゲームが)国威発揚に都合よく利用されることは認められていることとは全く違う」というゲームのポピュリズム利用ほか、政府や関係者たちの抱えている負のイメージ払しょく利用に苦言を呈しています。

 

www.gamespark.jp

 

 

 それに同意すると同時に僕は、オリンピックでのゲーム音楽利用とそれを「認められた!」と大声で喜ぶ関係者たちの態度を見ていて「ゲームに関わる多くの人がこんなにも潜在的に『社会に認められたがっていた』。つまり、こんなにも多くの人が「自分たちの愛するゲームは『一般社会で認められていないんだ』というコンプレックスを抱いていたんだ。」ということを強く強く感じました。これもまた背景を読むっていうやつです。だけど、まぁ社会における多くの事象の背景をどう読むべきか背景から何を読み取り考えるべきかについてはその人の感性や教養とかも絡むので一概にどうこういえませんけど。

 

 だけどそんなコンプレックスを抱えて多くの人たちがゲームに関わっていたのだとしたら。そのゲーム関係者たちの長年抱えてきた劣等感を払拭してくれたきっかけが大多数の人から顰蹙を買いまくりだった東京オリンピックだったのだとしたらこれほど惨めなものってあるかな。別に他人から認められようともそうでなくてもゲームを愛することはできるだろうに。

 

 あーなんかこれ図星だったら気の毒だな。だから僕も喜んでおこう

 

 

「オリンピックにゲームやマンガが使われたぞー!国際的に認められたぞー!」

「ゲームや漫画は日本の誇りだー!」

 

 

 


 

 

※多くの日本人が「NO」を突き付けた東京オリンピック。その中で開催となったこの大会についてどう考えるべきか。これは関係者や出場選手だけでなく、僕みたいな反対論者や賛成論者含めて突き付けられた大きな宿題だと思う。