サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

「何者にもなれない」とはどういうことかを自分なりに考えてみた。

こんにちは。

 

 この2ヶ月、業務業務で明け暮れていたためにブログも全然更新できませんでした。待っていた読者さんごめんね!待っている読者がどんだけいるんだか知らんけどさ。

 

 なんだかんだで気づいたら今年の8月も終了。暦のうえではとっくに立秋をすぎて秋になっているんだけど昭和の義務教育の習慣?で昨日の「8/31」を過ぎて夏が過ぎ周囲の空気も秋になってきているなと思わせる今日、この頃。相も変わらず僕は業務で毎日走り回っています。

 

 さて本題。こんな風に過ぎゆく夏に僕は毎年、少々複雑な思いを抱えています。遡るは20年前の7月。この頃、僕はあるアニメ会社の制作進行になりました。大学卒業に備えて映像制作会社に絞って就職活動を行ったものの、どの会社でも採用ならず。考えたらこの頃って、映像業界だけでなく多くの業界でも就職氷河期でどこでもいいから「内定」を求めて多くの友人も駆けずりまわっていました。映像業界に絞った就職活動なんて、考えてみたら世間知らずもいいところ。結局のところ実写映像を手がける会社はどこもダメだったために「秋から本格的な就職活動をスタートさせる」という、ある大手のアニメ制作会社ほか複数の会社を受けることに。そこでの面接で披露した「一人芝居」をある大御所の監督さんがすごく気に入ってくれたと、その大手制作会社に就職していた大学のOBからメールで教えてもらい、実質これって内々定だろ!!と大喜び。もう調子こきまくりでした。
 だけど。社会はそう甘くもない。その後、その内々定もとある事情でなかったことになってめでたく就職浪人。その一人芝居を気に入ってくれた監督さんからはメールにて「今回の結果はとても残念に思う。だけど、アニメ業界は狭い世界。とりあえずどこかもぐりこんでいて欲しい。機会や縁があったら一緒に仕事できたらいいと思っている」という励ましをいただいたため、通年募集の会社を手あたりに次第探して面接を受け、数か月後に契約社員としてアニメ制作にはなれたのでした。

 なるにはなったけれど、制作のスケジュール崩壊手前の作品をサポートする係になり、制作工程を覚えることはできても直接の仕事はできない。海外に発注した原画や素材の受け取りを中心とする「パシリ業務」を延々と続ける毎日でした。ただ腐ってはおらず、自分が誰よりも多く、遠く走り回ることでスケジュールが改善できるなら徹底的に走ってやろうという想いをいつも持っていた。プロデューサーにも「やる気だけでいったら制作部でもたぶん1番」と言われたことモチベーションになっていたんでしょう。

 秋になって僕もやっとのことで新番組の担当部署に配属。さぁ、やるぞとか思ったらここでも立ち上げに時間がかかったため、新人の手には負えない。最初はベテラン制作で!とのことでまたもや本格的な業務はお預け。雑務サポートを延々続け、年明けから正式な番組づくりの担当に!となると思っていたら、まさかの番組打ち切り!そんで、その後も雑務を続けていたら会社のお偉いさんは人が多く持てあましているために僕が雑務を行っていると思ったみたいで、会社は僕を「クビ」にしました。いやー。マジで「裏切られた」と思ったわ。プロデューサーはお偉いさんに僕の事情を説明してくれたそうなんだけども、会社は意向を変えず。それをどこかからの情報で知ったある制作会社の編集さんは別の会社の人と引き合わせてくれて「よかったら紹介するよ」と言ってくれたんだけども、その頃には「裏切られた」という想いや「どうせ、また雑務の挙句クビだろ」という被害妄想が強く、それを素直にうけることができませんでした。その後、後述するように職業を転々と変えて現在にiたる。友人から「リアルFFV」と言われたのはちょっと笑った。

 

 ただ、どんな雑務でも全力で挑もうという心構えは、この経験が育ててくれたのだともいえる。後にライターや「CCNA」「CCNP」を独学で取得してネットワーク技術者になるなど多くの職業を経験することになるのですが、会社の事情などで離職の際にはほぼ必ず、誰かしらからの「手助け」を僕はいただいているのも、このアニメ制作の経験あってこそなんだろうと今でも思っています。

 

・アニメ制作
・実写制作(企業PRビデオ制作会社のAD)
・ライター
・書籍編集
・出張ホスト(体験取材なので職業じゃないけど)
・デパートの実演販売
・SE
社会福祉法人の職員(現在)

 

 経歴を見たら「一貫した何者にもなれていない」僕です。さえない?ほっとけ!でも僕は経歴だけを見たら今のところ「何者」にもなれていないけど一緒に暮らしている妻と娘にとっては「パパ」にはなり、家で二人から毎日その肩書きで呼ばれます。なので、とりあえずはこの肩書きに恥じないパパとして襟を正して生活することを強く心がけなきゃいかんとは思う。

 

ってな具合で、本日のブログはこれにて。

 

※この後の経歴で書き溜めている脚本が持ち込みやコンテスト投稿で当たって「脚本家」っていうのが加われば最高だけどもまぁそれは何ともわからない。この間、ツイッターでプロの漫画家やそのフォロワーたちが漫画家アシスタント経験者でプロにならなかった人のことをやたらバカにするような発言を何度か読んだことがこの記事を書こうと思ったきっかけなんですけれど、その人たちがこの記事を読んだらおそらくは僕のことも「何者にもなれなかった」といって揶揄したりバカにしたりするのかな?別にいいけどね。ただ、仮に僕が脚本家になったとしても「古今東西の誰もが知っている何者か」にはなれないだろうなとは思います。だって、クリエイターっていうのは作品をヒットさせたとしても、すぐに誰からも忘れられるのは宿命だもん。大御所も作品のリメイクや再放送で記憶をつなぎ留められているから「大御所」でいられるだけの話であってそれをやめたら誰の記憶からも消えるよ、たぶん。

 

 ちなみにふつーの人が「エイケン」という単語を聞いて連想するのは英検であり、僕らオタクがそれを聞いて真っ先に思いつくのは「サザエさん」の制作会社だろうなと思う。だから本当に何者かになりたかったら何度も再生産される作品を作る努力をするべきで、少なくてもプロになれなかった人を揶揄する暇なんてないんじゃないかな。それってライセンス取得してアマに「プロになった」と自慢するだけで、その上のタイトルを目指さないボクサーみたいなもので、率直にいってダサい。漫画家になれたのは立派なのにもったいない。

 

 


 

 

こんな商品あるの?って記事を書いていて正直驚いた。いやー世間ってのは広いな。