サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

戦隊ヒーローの特撮でレッドを女性が務められないのがこの国の限界

こんにちは。

 本日も混雑の激しい中央線や山手線を乗り継いで、会社に向かうところです。週末の土日には、たいてい妻と子どもの3人で家の中でゴロゴロしたり、遊んだり電車で買物に出かけたりして時間を過ごしたりしていますが、雨の日にはもっぱらテレビ。土曜のウルトラマンや日曜のプリキュア仮面ライダー、戦隊モノの特撮をヘビーローテーションで鑑賞していたりします。

 

 

スーパー戦隊シリーズ - Wikipedia

 

プリキュアの挑むジェンダーというテーマ

 その中でちょっと注目しているのが、現在放映中の「Hugっと!プリキュア」と「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」。

 

www.toei-anim.co.jp

 

www.toei.co.jp

 この「ルパンレンジャーVSパトレンジャー」はタイトルどおり、本編に2つの戦隊が登場。「怪盗」と「警察」という間柄ながらも共通の敵となる組織があり、2つの戦隊は「対立」をしながらも時に「共闘」して巨悪に挑む構成になっています。従来の戦隊モノになかったこの構図は結構、多くの子どもやファンなどにもウケているみたいで「戦隊モノ」の新機軸として、おおむね評価も高いそうな。

 

 そこで話は前後しますが、先日話題になったプリキュアのあるエピソード。

www.huffingtonpost.jp

 記事の副題に「ジェンダーの多様性に切り込んだ歴史に残る回」とあります。どんなエピソードだったのかはリンク先の記事を引用で紹介。

"「はぐプリ」は、中学生の女の子・野乃はな達が、不思議な赤ちゃん「はぐたん」を守るため、そして世界の未来を守るために、伝説の戦士「プリキュア」に変身して悪に立ち向かっていくストーリーだ。そんな「はぐプリ」の19話(6月10日放送)でのキャラクターの発言が、Twitter上で「ジェンダーに切り込んでいる」と反響を呼んでいる。(中略)

 19話では、主人公・野乃はなの妹の同級生・愛崎えみるが、新進気鋭のデザイナー吉見リタ氏からギターの腕を買われてファッションショー出演のオファーを受けるところから始まる。ショーのテーマは「女の子もヒーローになれる!」だ。

 えみるは、ヒーローに憧れる、エレキギターが好きな女の子。だが、いまいち自分に自信が持てず、心配性も相まってオファーを受けることを渋っていた。ギターも兄・正人に「女の子らしくないし、家風に合わない」と反対されている。そして正人は、同じくファッションショーでモデルを務める同級生の男子、若宮アンリにも、敵意を向けていた。アニメの中ではネクタイをリボンのように結んでいたアンリに向かって「女子みたいだよ、君の格好。男子の中で浮いているのが心配なんだ」とからかい、ショーのテーマに反発して、えみるに「自分の考える理想の女子像」を押し付ける"

 

 こういう「男子、女子はかくあるべき」という価値観で妹のえみるを委縮させ、フェミニンな雰囲気を持つ同級生を笑う正人を見て「プリキュア」のはなは「誰の心にもヒーローはいる。人の心を縛るな!」と怒鳴りつけます。えみるは「プリキュア」に憧れており、自分もプリキュアになりたい!と願う少女。今回、このヒーローになりたいというえみるを見て、ふと僕は作品の世界観こそ違えど、長年ヒーローとして戦い続ける「戦隊モノの女性」についてこう思ったのです。

 

 「どうして女性が作品の中心であるレッドを通年で務めるシリーズってないんだ?」と(作品の後半でちらっと女性レッドが出たシンケンジャーは例外)。

 

スーパー戦隊で通年の女性レッドがいない

 これだけ女性の社会進出が話題になり、社会の世相に敏感な筈のサブカルが「戦隊の象徴を担うレッドが女性」の作品を誕生させていないのは何故か?あ、ちなみに、女の子がリーダーという形で物語の象徴を務めるロボットアニメは1976年にタツノコプロが制作をしています。

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©タツノコプロ ゴワッパー5ゴーダム

ゴワッパー5 ゴーダム - Wikipedia

 

corp.toei-anim.co.jp

 

 対立する2つの戦隊も確かに新機軸だけど、上記リンクにあるプリキュアの「女の子も暴れたい」という企画コンセプトが支持を受けて今年で15周年。だったら戦隊モノも「女性レッド」はアリだろ?。この女性レッドを実現できるかどうかがこの国での将来的なジェンダーのありかたを左右すると思う。 

 

女性レッドに関する批判が思いがけないほど集まった

※40年も前に女性リーダーのロボットアニメを作っていたタツノコプロの先見性をほめるべき。後、思ったとおり、現在この記事には「女性レッドなんて売れない」だの、「子ども向けの番組にジェンダー教育を絡めるな」だの否定的なブクマが集まっています。この国の限界って僕がいってるのはまさにそこ。戦隊ヒーローの象徴は、女性では成立しないものなのか?という発想や思考さえできない僕や周囲の固定概念を指して「この国の限界」って僕は言ってるの。分かる?

 

 こんな親切に注釈までつけてやったのにブログには罵詈雑言の嵐。なんだかなぁと思いながら寄せられたブクマのコメントに目を通していると、多かったのは女性レッドはいない(ちょっぴり物語の後半に女性レッドが登場したシンケンジャーを除く)レッド=リーダーではなく物語の象徴と、わざわざ赤文字で書いてやってるのに「シンケンジャー知らないのか?」「リーダーがレッドじゃない作品もある!」という感想。つくづく「本文読まずにタイトルだけに反応するパブロフの犬がこんな多けりゃ、そりゃフェイクニュースも広まるわな」と思わされました。まぁ犬だからこそ同じセリフを吠え続けるんだろうね。

 

 原則的に戦隊ヒーローの戦闘スーツはほぼ同じ。スーツそのものに色以外の性差はあまり感じません。これはどうしてかというと、戦隊モノのコンセプトがあくまでも「集団」だからだと僕は考えます。コンセプトのテーマが集団であり、メンバーの集合体そのものが主人公なら、その集団の象徴(レッド)を女性に担わせることも可能じゃないのかという話です。戦隊のメンバーの比率がだいたい男女で3:2前後だったら(男の子だけじゃなく女の子にも広く訴求できる作品を作れるんじゃないですか?という提案です。なんだか知らないけれど女性レッドを作るべき!とか、俺はそんなこといってねーっつーの。リーダーや司令官が女性の作品も過去にあるというの批判もえらいピントが外れている。僕が何度もいってるのは集団の象徴。つまり「女性メンバーはAKB48でいうところのリーダー高橋みなみではなくて、センターの前田敦子になれないのか?」という問いかけで、そこに金脈はあるんじゃないの?という話を何度もしているだけ。

 

 あとこういうのも多かった。「女をレッドにするならプリキュアに男がいるべき」。いっておきますけど、プリキュアは80年代の魔法少女の系譜にある物語です。

 

男の子と女の子の考える変身の違い

女の子にとっての変身とは「大人になること」

 プリキュアセーラームーンたちは地球を狙う悪と戦うヒロインでありながら、変身スタイルはクリィミーマミ達と同じく着せ替えです。ここにプリキュアセーラームーンらが80年代魔法少女の正当な後継者である根拠を見い出すことができます。歴代プリキュアの変身アイテムには女性の化粧道具であるコンパクトやパフュームを模したものが多く、それらを使って着替えや化粧を施す。セーラームーンたちは変身の際に「変身」じゃなく明確に「メイクアップ(化粧)!」と叫んで変身する。これは女の子にとって「闘いを挑む(問題の解決にあたる)」ための手段は「自分にメイクをして大人になること」だということを暗喩していると解釈もできます。ポイントは姿格好の変身によって少女は大人としての自分を獲得して、物語で困難やトラブルに挑むという点にあります。

男の子にとっての変身とは「超人になること」

 では男の子はどうでしょう?男の子の場合の変身は「人知を超えた者との融合による超人への変化」です。ウルトラマンと融合したハヤタや仮面ライダーに改造された本郷猛のように。男の子にとって変身は「超自然的な力と自らを融合させる事で超人となる」ことを意味します。

プリキュアの原点。クリィミーマミたち「魔法少女」について考える - サブカル 語る。

 

男子校的、女子高的、共学的な世界観

  女の子にとっての変身とは原則的に「大人への成熟」で男の子にとっての変身とは「人知を超えた力との融合による超人になること」というジェンダーが内包されていると僕は解釈します。戦隊ヒーローの変身は男の子側に属しますがメンバーに男女がおり、個性を排したスーツを身につけるため、戦隊ヒーローは他のヒーローと比べて「ジェンダーレス」だといえる。プリキュアのエピソードから女性の戦隊ヒーローについて考えるのは「女子高に通う一人の少女から、共学に通う一人の少女の在り方について考えた」ようなもので、先述のプリキュアに男も混ぜろという意見は「女子高も男子を入学させて、その学校の象徴にしろ」というのと同義。女子高に例えたプリキュアに対してウルトラマン仮面ライダーの世界観はさしずめ男子校といったところでしょうか。ちなみにウルトラマンにも仮面ライダーにも女性が変身するキャラはおりますが、「性差による変身の捉え方の違い」によって男女の変身の価値観が異なるため、おそらく異性キャラは作品のメインにはなりません。ただゲストとして今後も登場することはありえます。

 

※ほらいったとおりだろ?

 

arrow1953.hatenablog.com

 

news.mynavi.jp

 

 ただ、海外ではこのようにトランスジェンダーなヒーローがメジャーになりつつある傾向も出てきているため、性差によるヒーローの在り方も今後変わっていくのかも。

www.excite.co.jp

 

 

追記:このブログ記事についてはまぁ賛否両論で、半々程度に意見が分かれるかな。とのん気に考えていたら意外や意外。スーパー戦隊で、女性のレッドなんてありえない!っていうコメントの多いこと多いこと。統計をとってはいませんがだいたい記事に同意2割、記事の否定が8割程度だったでしょうか。

 正直「なんでそんな女性レッドへの反発が強いのか」困惑していました。そんなある日、コンビニで現在放映中の「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」でヒロインのひとり「ルパンイエロー」を演じる工藤遥さんのグラビアが掲載されている漫画雑誌を発見。ページをめくったら、こんなインタビューの回答がありました。

 

現役戦隊ヒロインの「女性レッドになりたい」という呟き

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Q:変身できるとしたら何になりたい?

A:戦隊レッドになりたい(笑)

 

 このインタビューを取り上げて「ホラみろ!俺が正しかっただろ!」というつもりはありません。ただ「役者だったら男女問わずに中心的な存在のレッド役をやってみたいよね。スーパー戦隊シリーズで、通年で女性が『レッド』を務めるシリーズがひとつやふたつあってもいい。って発想は的外れではないよな」という確信は持ちました。同時に嘗ての戦隊シリーズに出演していた女優さんも『女性である限り、この戦隊シリーズで女性は物語の中心にはなれない』という現実に不満を抱いていたのではないか。このルパンイエロー役の女優さんのアンサーは(笑)がついているためウケ狙いのように見えるけど、実は前述した不満に対する抵抗みたいなものがあったんじゃないかと思えてなりません。

 このQ&Aを読者や作品ファンのウケを狙ったものと捉えて「可愛い!」と身悶えるのもいいでしょう。また、このインタビューの背景にあるものは何か?と僕みたく考えて解釈してみようっていうのもアリ。解釈が単なるひとりよがりで的外れなものになる可能性もあるけれど。

 

 さて。「スーパー戦隊シリーズで通年の女性レッドがいる作品もありなんじゃない」とブログで呟いた僕に対して汚い罵詈雑言を吐きまくった大きなお友達はこの女優さんにどんな言葉を吐くのでしょう?はてさて。

 

  


 

 

 

 

TOKIOといえば山口達也じゃなく、沢田研二の僕はおっさん

こんにちは。

 本日のブログのテーマは「TOKIO」。

mainichi.jp

 

 昨日はジャニーズ事務所との契約解除が報じられました。女子高生を相手にわいせつ事件をやらかしたことで先週あたりから多くのメディア報道をきっかけに世間が騒いでいる印象だけども、ほとんどテレビを見ない自分にとっては正直、どうでもいい。高校生に酒飲ませてスケベなことをするつもりだった山口は社会的制裁を受けるべきだし、被害者の女子高生には今後も心の面でケアが必要。さらに未成年を「保護するべき対象」でなく「性対象」と見る風潮についてこの国は認識を改めるべき。とまぁ、そんな当たり障りのないことを思う程度です。謝罪会見を行ったTOKIOメンバーには同情するけど、そもそもTOKIO出演の番組っていうか、プリキュアウルトラマンのほかニュース程度しかテレビ番組を観ない僕にとってTOKIOが継続しても、解散しても日常にまったく支障ありません。ただ先日、この話題について意見を述べ、記事に寄せられた賛否両論に心揺らいでいたとあるブロガーさんに思うことはあるのでそれについては考えをまとめて、言及したく思います。別に批判とかじゃなくて「世代論とモラル」という点での考えで。

 さて本題。活動20年を超えるアイドル「TOKIO」ですけど、ここまでTOKIOTOKIOと連発されているとおっさんな僕はつい、この曲を思い出しちゃいます。

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以下のサイトより

★中古EP 沢田研二 TOKIO - ヤフオク!

 

 1980年に発売された沢田研二のソロLPレコード。作詞は糸井重里。何度曲を聞いても意味が分からない歌詞に、当時の人気番組「おれたちひょうきん族」でビートたけしが扮した「タケちゃんマン」みたいな衣装を着てパラシュートを背負いながら歌っているジュリーを見ていて子ども心に「なんだこの人?」と首を傾げた記憶が懐かしい。

 

TOKIO (沢田研二の曲) - Wikipedia

 

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タケちゃんマン(以下のサイトより)

オレたちひょうきん族の名物キャラクター「タケちゃんマン」の敵キャラ覚えてる?? - Middle Edge(ミドルエッジ)

 

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TOKIOを歌う沢田研二(以下ブログより)

#286 沢田研二「TOKIO」 | 漂流バカボン

 

 な。まったく格好同じだろ?せっかくだからどんな曲かも紹介。

www.youtube.com

 

 その10年後に「カブキロックス」というバンドがTOKIOのカバー「OEDO(お江戸)」という曲で、そこそこ売れたというのはブログ本編に関係ない雑談。では本日のブログは、これにて。

 

 

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いい年して、自らを「女子」とか呼ぶのはやめろ!

こんにちは。

 

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 本日のブログテーマは「女子」。女性を敵に回すようなタイトルだけども僕、このいつ頃からか定着した「女子」って表現、虫唾が走るほどキライなんすよ。先日も昼食時に出向先の近くにある店で、どっかの女性社員が数人でテーブル席を囲み「女子会」がどうのこうのとかダべっていたのでその輪に加わり「20過ぎてる女性が自分を『女子』とか言ってるんじゃねぇよ。てめぇらの集まりはせいぜい、年増の井戸端会議だバカヤロウ!」と怒鳴ってやろうか?と思ったけれども、それは周囲から見たら単なる挙動不審者なので堪えました。

 

 ことわっておきますが、別に女性蔑視的な視点でこんなことを言っているのではありません。単純にいい年こいた女性たちが自分たちを『女子』と呼ぶ風潮はおかしい。 というだけの話です。大人の女性が自らを「女子」、つまり「子ども」だと定義したがる心理の根底にあるのは『大人であることから逃げて、仕事や恋愛、結婚など自分に関する物事についての当事者になりたくない』『責任を負う大人になりたくない』っていうモラトリアム願望がどこかにあるからじゃないか?と僕は思っています。自分を女子と呼べるのは成人するまでか学生時代まで。それ以降はやっぱりみっともないと思うよ。

 

 以前、この話を妹にふってみたら「それ、なんとなくだけど分かる」と頷いていました。そして間をおいて妹は「私は女子ではなくて女史でありたい」と、いいました。


女史…意味を辞書で調べてみると 

「見識や教養が豊かで社会的に活動している女性」 とありました。

www.weblio.jp

 

 いいね。女子じゃなくて、女史。この言い方をぜひ僕も流行らせたい。うちの妹は女史を名乗るのに相応しいかといわれたらどうだろう?そんな偉そうなことをいうからには弛まぬ努力を続けているんのだろうたぶん。その「女史」たる態度を、兄にも見せてもらいたい。

 


 

 

※この大人になりたくないという「主体放棄」は実をいうと男性にもあります。男性はそれを「国家」みたいなものに求め、自らとそれらを同一化して超越しようという他人任せな願望に逃げたがるので男の方がめんどくさいし困りもの。文筆家の古谷経衡さんは以下の記事でネット右翼の男女別構成比が男性75%、女性25%である、と指摘。

 

gendai.ismedia.jp

 そういう意味で言うと、男性よりまだ自分以外の「何か」に逃げない女性の方が健全である。ともいえるけれど。

 

ガンダムの新作を無批判に喜ぶバカどもが日本のアニメのレベルを下げている

こんにちは。

 本日のブログのテーマは「ガンダムの新作」。昨日その新作発表があったとのこと。新作名は「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」。小説家、福井晴敏によって描かれた「機動戦士ガンダムUCユニコーン)」から1年後を描いた続編なんだそうな。とかいっても僕、このガンダムUCを観ていないだけでなく、そもそも新作のガンダムにはまったく興味を持てません。っていうかもう新作を作ることそのものが不毛とさえ思っています。観ていないんだったら文句つけるな!とお怒りのファンもいるだろうけれど、まぁそんな息を荒くするな。なんで不毛かを説明してやっから。

 

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©創通・サンライズ

 

www.cinematoday.jp

 

gundam-nt.net

 

 さらにはハリウッドで実写化も。

japanese.engadget.com

 

 そもそもこの「機動戦士ガンダム」の世界はすでに幕を閉じている。つまり完結しています。連邦軍アムロジオン軍のシャアとの戦いを描く「機動戦士ガンダム」以降「Zガンダム」「ガンダムZZ」、アムロとシャアの最後の戦いがテーマの「逆襲のシャア」、その30年後の「F91」、さらに時代を進めた「Vガンダム」。興味ない人には単なる固有名詞の羅列になっていますけれど、ここまでが本来、富野由悠季監督の描いていた「宇宙世紀」という架空の時代を舞台にしているガンダムでした。その他にも多くの外伝がオリジナルのビデオやゲームなどで描かれているけどややこしいのでテレビ、映画作品のみで時系列を考えます。

 

 このガンダムの時系列は作品の人気に目をつけた企業がさらなるファンや子どもたちを取り込むための新作「機動戦士Vガンダム」を作ったり、本編の宇宙世紀モノとは異なったパラレルワールド的な「アナザーガンダム」の制作に手を付けたりするようになったことで迷走することになりました。スポンサーなどの思惑で、自分の作品が独り歩きをしていると感じた富野監督は「自分の手を離れているガンダムを、もう一度取り戻してやる!」と決意。今後も作られていくだろう「ガンダム」を包括できる作品。具体的にいうと、他人の作ったアナザーガンダムを本筋の舞台である宇宙世紀の前後に存在したとされる謎の多い時代「黒歴史」のものであると定義。そしてそれらの黒歴史時代をも含めて、ガンダム年表の一番最後に刻まれる時間軸の作品「∀(ターンエー)ガンダム」を作ったのでした。「∀(ターンエー)の時代がガンダムの締め括り」とすることで、この先誰がどんなガンダムを作っても、それらの時代は必然的に「∀(ターンエー)」の時系列の前に位置することになる。こうすることによって、他人の作ったガンダムも自分の作品として取り込もうと考えたのです。

 

 社会学者やマンガ原作者との対談集「戦争と平和(2002年)」では、富野監督がその当時のことを語っています。

 

大塚:アニメの中でも「ガンダム」が特徴的だったのは、作品の中に架空の歴史が出来上がっていったところですよね。放映されたアニメの内容に対して、後に続くマニアたちがどんどん接ぎ木していって、膨大な歴史みたいなものを構築しちゃったわけです。ところが『∀』というのはそういうガンダム世界の歴史の用のものそれ自体をテーマとしてとらえて、改めて表現の対象にしたように思います。富野さんは最初の『ガンダム』の時に世界の内側にああいう年表的な時間軸を作ろうという発想がそもそもあったんですか、それともああなっちゃったんですか?

 富野:まったくありませんでした。ああいうふうに年表が組み立てられていくということについては、大きなお世話だという印象しかなかったです。(中略)物語を作るというのはそういうもんじゃねぇだろうという、単純にそれだけの話です。だからあの年表を作りたがる人たちの知恵の発動というのはどうにも小賢しいとしか見えなくて、なぜ贔屓の引き倒ししかやってないんだということに気が付かないんだろう、そういう意味では、まさに「愚民どもが!」という感じですね。

 

 そんでもって富野さんが『∀』の作品論をこう語っています。

 

 富野ガンダムシリーズの中には自分の関わっていないものもあるんですが、それが一度発表されたものである以上は事実として向き合うしかない。それがどんなに違う作品であっても「ガンダム」という名がついているものは全部取り込めないだろうかと考えました。(中略)そのときに思いついたのが『黒歴史』だったんです。時間をすっ飛ばすというふうな手法として発想しただけのことであって、歴史を作るなんていう風には考えていません。ただその時に思ったのは『意外に、これはリアリズムかもしれないな』ということです。つまり事実として公表された作品についてはその中にあるどんな絵空事の歴史も、これはあった事だと考えて飲み込んでいき、その作業を通じて現在を作るという姿勢です。

 ササキバラ:そうなると例えば年表が好きで組み立てたりする、おたく的なある種のマニア層の歴史の受け取り方と富野さんの歴史の向き合い方ってかなり違うと思うんですよ。

 富野:うん、きっと違うと思います。

(中略)

ー富野さんがそういう形で『∀』で回収したものを、もし他の作り手が小手先で年表の間を埋めるんじゃなく、もういっぺんひっくり返したいという人が出てきたら、富野さんは受けて立とう!という気になりますか?

 富野:申し訳ないけど、受けて立つ気はまったくありません。どうしてかというと、『∀』の黒歴史をさらにもう一回ひっくるめるなんていう、そんな力業ができる人がいると思えないから。

 全員:(笑) 

 富野:すごく傲慢かもしれないけど。

 ササキバラ:どっちかというと一般的な反応というのは、年表の一番後ろに『∀』を書きこんで、その前とどうつなげようか考えるだけの、そういう受け取り方が多いような気もします。

 富野:(そのつなげる作業をする人は)出てくるでしょう。『黒歴史』ということばを思いついたときから出てくるだろうと思っていたし。だから(∀の世界を)5千年前かも知れない。1万年前かもしれない、3千年前かもしれないというふうに全部ことばを散らしておいたのは「お好きにどうぞ」っていうことです(笑)

 ササキバラ:そんなふうに富野さんが込めた意図というのは、たぶんピンときていない人も多いんでしょうね。 

 富野:そう感じています。それでいいんじゃないですか。

 上野:きてないほうがいいんでしょ、富野さん的には(笑)"

 

出典:戦争と平和 富野由悠季 著 徳間書店発行

 

 今回はやたら長い引用になったけど、これを読んでいて「富野さんすげーわ」と心底感心させられたのと同時に、富野さんのビジネスに乗るのはやめておこう。と思ったんですよ。だって不毛でしょう?どんなガンダムの物語を作っても、結局ガンダム全体としては『∀」のエンディングにオチが収斂されていくなんて意味ないだけじゃなくそれって富野さんの掌で踊っているだけじゃん。

 

 結局のところ、富野監督は商業クリエイターであり、僕らはそれを享受する消費者。それは身も蓋もない言い方をさせてもらうなら「作品を作ってお金を出させてナンボな側」と「お金を払う側」っていう関係です。この対談に「富野のおっさん、エグいこというわー」と苦笑しながらもその内容に頷いたり、反論したりしながらもガンダムに金を払える人たち。つまりその大人な関係性を分かったうえで子どもっぽい「大きなお友達」をやれる人たちこそ「オタク」だったのです。

 この富野対談を「ファンをバカにしている」とか「話のドライさに傷ついた!」っていう人がもしいたらオタクの素質はありません。さっさと「自称オタク」やめなさい。そういった他人の作る物語と距離を置けず、客観性や批判精神を持たず安易に物語にのめり込む人たちは「オタク」よりも「ネトウヨ」の素質があるので、人生をドブに捨てないよう気をつけて下さい。あと、この対談で文字を赤くしてある部分を読んでいてこれらの話が「日本の抱えている諸問題の根幹」につながっていることも分からない奴らはもっと本を読め。

 

 「作品=商売」っていうのを分かっているうえで作品を論じたり楽しんだりするのがオタクの作法。ただ、僕は富野さんの作品論ってか社会批評は好きだけど、この「ガンダムビジネス」に乗ろうとは思わない。単にそれだけです。おそらくこの先もガンダムは作られるだろうけど、どれも富野さんの作った「黒歴史」の枠から逃れられずに取り込まれていくことで、結果的には「富野ブランド」として回収されていく構図。この構図を僕は「ガンダムフランチャイズ」と呼んでいます。これを不毛と思わないファンは、どうぞ富野さんの掌で踊り続けるだけの「ガンダムフランチャイズ」楽しめばいいんじゃないの?

 

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※この本の表紙に書かれている「アニメーションだけが、戦争を描き続けた。」というコピーの重さをどれだけの人が理解できているのか。この本で富野監督がいう「歴史」との向き合い方っていうのは「ガンダム」だけじゃなく、この国と周辺国の「歴史認識」についても繋がることぐらい理解しておけな。ちなみに富野さんと対談者らもこの本で「宗教や民族などの違いに国境線を引いたことでぐちゃぐちゃになったのが『近代』である。これを根本的に変えるには過去に戻って対話をする以外にないし、そのために現代人は広い心を持てるような認識論を高めていくほかない。そこで大事なのは、自分たちや相手の日常と歴史にも黒歴史があり、そこから逃げないで向き合い続けることである」と、結論づけていました。今、この国の政治家や官僚にはそれができずにいる引きこもりが多くて困る。

 

 

 

 


 

 

※この富野さんのいう「他者の歴史と日常」に向き合うことの大事さを分からないバカたちがこんな騒動を起こしたりするから情けない。物語の作り手とファンで握手できていない最低のパターンが以下記事だけど、これは小田原だけじゃなくて、たぶん日本のあらゆるところでこういうバカがいるってことだろう。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 さらにいうとまっとうな歴史感覚や生活に根差している思考や思想もないから、架空のアニメキャラに学べ!とかバカなことを書く本も出てくる。

arrow1953.hatenablog.com

 こんな本読む奴の頭の程度はギレンのセリフをパクッて「不正受給はカスである!」とかほざく職員と同じレベルだからね。だけどガンダムってこれだけ多くの商品、映像になっているのにガンダム放映時に版権を30万円で売っているので、富野監督に大したお金は入ってこないというウソみたいなほんとのエピソードには驚きだわなぁ。

日ペンの美子ちゃんに敗れた「エーカン」というアイテムについて。

こんにちは。

 

 いきなりですが、皆さんは達筆ですか?最近はスマホやPCで文章を書くことが殆どなため「字の上手さ」いわゆる「達筆」という特技は注目される機会もさほどありませんが、それでも「字が汚い」ということに劣等感を抱く人は僕の周辺にもいます。そんな人に「字が上手くなりたきゃ、日ペンでもやってみたらどうだ?」というとほぼ全員が口にする人物の名前が「日ペンの美子ちゃん」。その知名度は相当なものだなと思わざるを得ません。

 

 

 

日ペンの美子ちゃんという広告漫画の大御所について

 

 さて本題。文字といったらこの人。日本における雑誌、新聞広告漫画業界の権威日ペンの美子ちゃん

"

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出典:日ペンの美子ちゃん(がくぶん / 日本ペン習字研究会

 

www.gakubun.net

 

 ホームページによると、日本ペン習字研究会のキャラクター「日ペンの美子ちゃん」は現在6代目。ペン習字講座80年以上の歴史に裏打ちされた伝統と実績を背負い「1日20分の練習で、誰でも達筆になれる!」と声高らかに保証する永遠の17歳の姿は可愛らしさというより、過酷な広告業界で確固たる地位を築いた凄みと説得力に溢れています。彼女のフィールドは雑誌の裏表紙や新聞に掲載される広告マンガが中心。そのレトロ調で味わい深い絵柄の彼女を見て日ペンを知ったという人も多いと思います。最近は漫画だけでなくアニメやTVのCM、Web系メディアなどにも登場。縦横無尽ともいえる活躍ぶりには目を見張るものがありますが、これも時代の流れってやつなのでしょう。

 

日ペンの美子ちゃんを笑う文明の利器「エーカン」

 そんな時代の流れによって消えた習字上達アイテムが、今回紹介する「エーカン」。

 

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  薬指と小指で下のハンドルを握り、親指と人差し指と中指で本体のローラーを弾くだけで字が上手くなる!という実にうさんくせー道具。テレビを見ながら一日5分カシャカシャ機器を弾けば誰でも字が上手くなる!という文句につい、美子ちゃんではなくてラクなエーカンについ手を伸ばしたくなるっていうのは人情というものです。

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エーカンで金をドブに捨てた人の貴重な記録

  だけど。世界6ヶ国で特許を取った話題の文字上達マシーン!という割にはこのエーカン、僕の周りで誰も知っている人がいません。以前ブログで紹介させてもらった勉強前に使う脳波測定マシーン「ドクターキャッポー」並みの知名度の低さです。ドクターキャッポー同様にこの「エーカン」の実用性、使った人の感想などが気になったので、ネットで体験談を探したらやっぱりありました!いつの時代も、うさん臭い広告の餌食になって金をドブに捨てる人はいるもんだなと思うとしみじみさせられます。

 

書道クロニクル1

 

 このブログでは自分の字の下手さを克服するため書道教室に通ったものの「理想」とする文字に辿り着けず、途方に暮れたブロガーが「根性論+練習」ではなく「科学+練習」を謳うこの商品に魅力を抱き「エーカン」を購入。紆余曲折を経て器具によって手先が器用になっても文字がうまくなるとは限らない。正確な手本を参考に、文字を書く際の基本を身につける以外、文字上達の道はない」っていう結論に至るまでの過程はなるほど。と頷かされるっていうか「そりゃそうだろうな。」と納得。そもそも「たった1日20分の練習さえできない奴には文字の上達を夢見る資格はない」っていうことでしょう。技術を習得するため重要なのは、小さな努力を実直に、地道に継続していくこと。これは習字だけでなく、仕事にもいえることですよ。

 

 なにか物事を始めた最初の頃はなかなか努力も形にならないため、イヤになったり投げ出したくなったりすることもあります。そんな時は1日5分のながら練習で字がうまくなると謳って愚直な努力を嘲笑うかのごときエーカンと、毎日20分練習を続けるという「地道で愚直な努力」の大切さを語る美子ちゃんを比べて「現在でも生き残っているのはどちらか」を考えてみて下さい。社会人としてあらためて「愚直さ」という原点に戻り、毎日の仕事を頑張ろう!とか思っちゃうな。教訓めいたいい話でまとまったところで、本日のブログはこれにて。

 

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日ペンの美子ちゃんグッズがあるなんて知らなかった。 

arrow1953.hatenablog.com

エーカンと共に覚えておきたい、胡散臭い通販アイテム「ドクターキャッポー」

メガドライブやその他のゲーム機に、セガの技術力の高さを見る

こんにちは。

 本日のブログ記事のテーマはセガのゲーム機「メガドライブ」。「TVゲーム」の代名詞にもなった国民的なハード「ファミリーコンピュータ」の圧倒的シェアにより、ゲームの質は高かったもののこれといった知名度を持つゲームもなかったためにマイナーなポジションに長いこと甘んじていたセガが、満を持して販売したゲーム機です。いとうせいこうのCMで目にした「獣王記」などゲーム画面が、ほぼゲーセンのゲームそのものだったのには本当に驚かされたものでした。

 

 

日本よりも海外での評価が高いセガのゲーム

www.youtube.com

 

 その後、任天堂スーパーファミコン発売により、またマイナーなポジションに置かれたメガドライブですけれど、ゲームそのもののクオリティーや独創性などは現在でもゲームファンから高い評価を受けています。スーパーファミコンの国内販売数はおよそ1700万台。それに対してメガドライブの国内販売数はおよそ360万台。日本だとその差は大きいけれどもアメリカでの販売数はスーファミ2300万台に対して、メガドラ(海外では『ジェネシス』という名前で販売)の販売数は2000万台と、なかなかいい勝負。それだけに日本で知名度が低いのが実に勿体ない。


www.itmedia.co.jp

 

ゲーム機の性能を補う驚異の拡張性 

 そんなメガドライブですが、やっぱり特筆すべきはその拡張性でしょう。精密機器の高性能化に伴う新ハード機の開発というのはいつの時代でもあるもので、そういう時にたいていゲームメーカーは現行のハード機に見切りをつけて、新機を開発。各メーカーも「負けてたまるか」とゲーム機の開発を続けるために結果として「ゲーム機戦争」といわれるゲーム機の販売競争が1980年代から現在に至るまで繰り広げられています。

 

日本におけるゲーム機戦争 - Wikipedia

 

 その中でメガドライブはけっこう頑張った。スーファミPCエンジンほか、その後に販売されるソニーの「プレイステーション」などとも戦うため、拡張ハードを次々にリリース。

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メガCD」 

カセット形式のソフトより大容量のCD-ROM形式のゲームソフトを遊ぶ外付け機器。

メガCD - Wikipedia

 

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メガモデム 

 1990年に発売された、電話回線をつないでゲームの配信サービスを行うための外付け機器。ウィンドウズ95の発売により「マルチメディア」「インターネット」などの単語が世間に広まる5年前にゲーム通信サービスを視野に入れていたその先見性には驚き。

メガモデム - Wikipedia

 

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スーパー32X

 16bitのCPUのゲーム機「メガドライブ」を外付けの機器で32bit級のゲーム機にするというコンセプトで作られたムチャクチャな機器。メガドライブセガサターンの間をつなぐため開発されたけど、性能が中途半端なため、さほど売れなかった印象。だけど後継機セガサターン用のソフトとして94年11月に販売された人気格闘ゲームバーチャファイター(CD-ROM)」を95年の10月「スーパー32X(カセットROM)」用ソフトとして開発したのはマジで驚いた記憶があります。

スーパー32X - Wikipedia

 

 ゲームの主流がROMカセットからCD-ROMへと移行し始めていた大きな転換期にハードの性能差をものともせず孤軍奮闘し続けたメガドライブ。今年の「メガドライブミニ」の発売を機に、セガのゲームに多くの注目が集まったらいいなと思う、今日この頃。

 

 だけど。セガは業績不振でリストラを行う際に、対象社員を「パソナルーム」と呼ばれる隔離部屋へ閉じ込めて仕事をさせない環境に追いやったというクズみたいな会社でもあり、ゲームだけではなくパワハラにおいても先見性を持っていたということは追記させてもらう。いや、セガのゲームは好きで愛していますよ。だけどもゲームのクオリティーと会社のクズっぷりは別。

 

セガ社員「隔離部屋」からこうして生還した--鍵をかければ牢屋のような部屋 : 2001-11|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

AIの先駆け?メールチャム

追記:セガの発想力っていうかオリジナリティはほんと特筆もの。たとえばこんなの。皆さん知ってます?

 

 

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AI女子高生りんな(Webサイトより)

www.rinna.jp

 

 このAI女子高生「りんな」は何かっていうと、マイクロソフトが開発した人工知能女子高生。ツイッターやLINEなどのフォロワーになり、話しかけてみると「女子高生風」のレスポンスをくれるそうな。おもしろそうだったのでさっそく、僕もフォロワーになってみました。りんなはどんなメッセージ質問に反応するのかなどについては幾つか試してみたあと、後日ブログでまとめようかと思っているんだけど、技術の進歩っていうのはすげーもんだなと驚かされています。

 

りんな (人工知能) - Wikipedia

 

www.itmedia.co.jp

 

 さらに、この上記リンクの記事によると「りんなのAIがユーザーとの会話をふまえ、どんな返答をすると自然に会話を続けられるか判断できる」のだそうな。だけどここで「AI女子高生か。すげー時代だなー」なんていって驚くのはまだ早い。このりんなの20年前に「セガ」がりんなみたく架空のキャラを相手にした「メールチャム」というメールチャットサービスを行っていたのを知ってました?

 

メールチャム - Wikipedia

 

 電話回線を使って通信対戦やゲーム購入、ネット接続などを可能にしたハード機「ドリームキャスト」の専用ページに行き、女の子を選んでメールでメッセージを送ると、数日後にはその内容に応じて返事をくれるというサービスが、20世紀にはもう家庭用ゲーム機によって行われていたのです。そのメールチャムのメッセージ精度がどの程度かを試そうと思って僕もそのバーチャルの女の子にめちゃくちゃマイナーなヨーロッパ映画の感想を書いてみたところ、それなりに適切なレスポンスメールが来たので驚かされたことがありました。バーチャルといいながら、メールを書いていたのはどっかのバイトとかではないだろうか?と思ったりもしたもんですけれど、それを今となっては確かめる術はありません。実をいうとこの頃の僕は常識とはかけ離れた手ひどい失恋を味わっていたため軽い人間不信になっており、この架空のキャラたちとのメールで気を紛らわせていたというのは、 大声では言えない思い出。

 さすがにその頃はまだ、ネットの環境もプアな時代。googleで検索をかけても、ロクな資料を探せませんでした。なので、今回はこのメールチャムについて情報提供を広く呼びかけるためにこの記事を書いております。当時、メールチャムで遊んだ経験がありその時の資料などがありましたら、ぜひとも情報をお寄せ下さいませ。

 

 

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※もしもドリームキャストの「メールチャム」サービスが今も続いていたら、あらためて「ラブレター」を書いてみたい。

 

 

 ブログで述べたひどい失恋体験について興味ある人は以下リンクで。

arrow1953.hatenablog.com

 

 

 

今週のお題「あの人へラブレター」

 


 

  

 

政治に興味ないおっさんの、首相官邸前デモを見学してきた感想

 本日のブログ記事は、このブログとお付き合いの長い方だったらお分かりだろうが、いわゆる「釣り」目的のタイトルである。実際「政治に興味ない」というキーワードでネット検索してみると、そういった声が溢れんばかりに紹介されているサイトが多数ある現実を突き付けられて頭を抱えたくもなる。

 

girlschannel.net

www.buzzfeed.com

 

 とはいっても嘆いてばかりもいられない。なんだかんだいってこの国はまだ民主主義であり、国民の直接投票で政治に意向を反映できる要素はある。ただその「投票」だけでは不十分なのも事実。自分が票を投じた議員が、公約という約束を反故にしたら?大多数の票を得た与党が驕って権力をタテにやりたい放題の政治を始めたとしたら?

 

 そんな時はまた投票の機会を待ってじっと我慢する。うん。確かに間違ってはいない。だけど権力はそれを許さないかもしれない。うまくもっともらしい理由をつけて、国民から選挙権を奪ってやろうと考えるかもしれない。それは決して空想ではないと、古今東西の歴史が雄弁に物語っている。だからこそ、僕らは常日頃から政治に対して「お前らを見張っているぞ」といった態度を示すべきだ。その手段のひとつがデモなのだ。「政治に興味ないよ」「誰が総理になっても結局なにも変わらない」「安倍首相のほかに政治を任せられる人がいない」。そんなことを普段思っている人にもできるだけそれを伝えたくて、今回のブログ記事は釣りのタイトルを使ってみた。本日4/14、国会前で大規模デモが行われる。現政権に対して批判する立場をとっている自分も行きたいところだが、あいにく抱えている業務が多くあるため、本日は会社に休日出勤になってしまった。そこで本日は現在首相官邸で数度に渡って行われているデモを帰宅中に遠回りして数度に渡り、見学してきた様子や感想を書こうと思う。

 

3/12(火)

 3/2に朝日新聞森友学園の国有地取引の際、決裁文書を財務省が改竄していたというスクープによって政権への疑念や批判が高まっているのを受け、総理官邸前でデモを行うというツイートが流れる。以前、共謀罪への反対デモを直接見に行った僕は前回と今回で、デモに変化があるかを知りたくなったので、帰宅途中に国会議事堂前で降りてデモを見学。出口の前には安倍政権の対応について不満をぶちまける黒板があった。

 

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 共謀罪反対デモの時と同じく、手にプラカードを持って「安倍は辞めろ!」と叫んでいる人々の列を往復する。正確な人数は分からないが、先述したデモの時に比べ同じか少々少ない。だいたい2~3000人前後あたりだと思う。デモの人数にはさほど大きな差を感じなかったが、そこに漂う空気は異なっていた。共謀罪の反対デモには多数決の横暴になす術がないことを知りながらも黙って見過ごせない!という切羽詰まった空気や悲壮感のようなものも国会前に漂っていた。だけど今回は公文書改竄の報道を受けてかデモの参加者の雰囲気には力強さと自信を感じた。「俺たちは間違っていない!社会のルールの根幹を破る奴らを絶対許さない!その怒りは社会のルールを守って生きている多くの人に必ず届く!」といった、負い目のない自信が見えた。ただその勢いも一過性のであって、数日後に報道の勢いが衰えたらまた萎んでいくんじゃないかという疑問もあった。この国はいくら与党に怒っても数日後にはまたその怒りを忘れていき、結局は何の反省もない自民を勝たせる。そんなことのくり返しが続いてきたのだから。

 

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8:30~9:00頃まで見学後、帰宅。

 

 3/16(金)

 次回のデモが3/16という話を知り、先日見てきた怒りが一過的のものかどうか気になってはいたものの、また失望するのも嫌なのでいこうかどうか迷っていたがメディアの政権批判報道が連日続いているのをみているうちに空気が変わってきている印象を受けた。その感覚があっているか確かめるため、国会議事堂前駅に足を運ぶ。この日は雨。小雨が降った程度のことで選挙の投票率が大きく下がるこの国で、デモのために多くの人が来るとはとても思えない。先日の怒りが一過性のものだったことを再確認させられるだけだろうな、と考えながら国会議事堂前駅で下車。改札口を出た途端、空気の物々しさに気づく。周囲には警官がおり、出口に向かう人を誘導している。首を傾げながらも外に出ると、前回と時と比べ物にならない程の人数。

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 そして前回と比べるとデモの参加人数だけでなく、警官も圧倒的に増えており壁を作っている。

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3/16(上)

3/12(下)

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 角度は異なるが、これは同じ場所から撮った写真だ。3/12と比べると、3/16の異常な物々しさは一目瞭然。デモ参加者と警官の間が狭くて人数を図ることも簡単ではない。密集の度合いを考えると1万人近くはいたんではないだろうか。この日もだいたい20:30~21:00前後まで見学をして帰宅。

 

3/23(金)

 森友疑惑のカギを握っている一人とされる佐川宣寿氏の証人喚問を控えた週末。人数に大きな変化などはないが、官邸前にいる警官の物々しさがさらに増していた。官邸前の歩道に沿う形で専用車両をズラッと配置。

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 道路を挟んだ対向の通路ではおよそ1万人を超える人たちが鳴物を叩き叫んでいる。

「安倍は辞めろ!」
「麻生も辞めろ!」
「公的文書を改竄するな!」
「説明責任しっかり果たせ!」
「国民を舐めるな!」
「ウソをつくな!」

 それと比べて、官邸側の駅出口は封鎖されていたため通路に人は殆どいない。まるで
権力側の人間にデモを見せないように車両で壁を作ったみたいで、その不自然さにぞっとさせられた。また同時に「官邸もデモを嫌がっている」ことを感じた。デモがこわいからこそ壁を作るのだろう。普段偉そうなくせに臆病な連中だ。この日も、だいたい20:30~21:00で帰宅。

3/30と4/6

 3/27に行われた証人喚問でだんまりを続けた佐川氏の報道を受けて、自民のお偉方が
「疑惑をどうにか乗り切った!これで騒ぎも収束するだろう!」と声明を発表。さて、それはどうかなとほくそ笑みながら、国会議事堂前駅に向かう。

 

自民 総務会長 佐川氏喚問で事態収束に期待 | NewsHub

 

3/30 20:30~21:00

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4/6 20:30~21:00

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 3/26は前週、前々週ともに雨だったのに対して晴れていたのもあって、予想どおりの人数増。甘いよ竹下。さっきも書いたけど小雨で投票率が下がるこの国で、週を追うごとにデモ参加者の人数は増えていた。安倍の顔色だけ伺って媚びへつらっているお前らには分からないだろうよ。これは最早、森友云々(でんでん)がどうこうといった話を越えている。今、この国は権力を持つ者の都合に合わせて公文書を好き勝手にいじって事実とウソを書き換えている。それは好む好まざるを別にして、社会のルールを守って生きている僕らの冒涜だ。お前たちはそこを、まだわかっていない。

 

 さらに4/6には加計学園獣医学部設立が「首相案件」として扱われていたことを、朝日新聞が大々的に報道。

news.nifty.com

 

www.asahi.com

 世論や野党の追及を受け、関係者を国会招致する方針を自民党は発表。偽証罪が適用される証人喚問ではなくて、適用されない国会招致で。

 

 与党がそうやって足掻き続ければそれほど与党の醜い本性が露になっていく。そうやってそのみっともなさを晒し続けていろ。その体たらくが各省庁のリークをさらに誘発させていくだろうし、世論も厳しくなっていくだろう。毎週30分前後だが、デモを見学していてつくづく思った。

 

メディアのスクープを受けて、デモで権力批判を続けることでメディアも勢いづいた。デモは確実に政権の力を削いでいる。

 

 今の政治や政権に納得いかないけど、デモをやったところで何も変わらないんじゃないのかとか思っている人がいたら、ぜひデモに行くべきだ。公文書の改竄や権力者たちによる政治の私物化。政権にとって不都合な情報の隠蔽に、更には事務次官によるセクハラ。もう何もかもがこの国は壊れている。その崩壊を食い止めるのは、デモに加わったあなたの声ということだってありうるのだ。何度でもいうが、もう政権担当能力がどうこうの話ではない。この国を成り立たせているウソをやめさせること。この国の政治からウソを払拭させる。これは大人である僕らの責任だろう。今、怒らずいつ怒る?くどいだろうが何回でも呟いてやる。

 

 デモは確実にこの国を変えている。この国が間違っていると少しで思っているなら、今日であってもなくてもその思いをぶつけるべきだ。

 

追記:本日のデモ参加者数3万人。

mainichi.jp

 

www3.nhk.or.jp

 

  こちらは名古屋でのデモのリポート。これはもう森友、加計どうこうの話じゃない。公文書偽造なんて行為をさせている政権に統治能力を認められないからやめろ!っていうだけ。

 

www.watto.nagoya