サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ハロウィンの騒動に見る人々の集団心理について

こんにちは。

 本日は日本国内でもメジャーなイベントとして根付いてきた「ハロウィン」。

 

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ハロウィン - Wikipedia

 

 みんなで仮想して大騒ぎ!で日ごろの鬱憤ばらしも結構ですけど、先日渋谷でこのような事件も起こったこともあり、この行事についてあまり手放しで歓迎できない人も多いんではないかと思います。

 

wezz-y.com

 

 渋谷での集団バカ騒ぎトラブルについてはサッカーW杯の日本代表勝利などの時にも見られますが代表勝利とハロウィン、どちらのケースにも「そういう騒ぎが起こった時に制御が効かなくなるのはなぜなのだろうか?」を考えていくと、そこにはやはりこの国の国民性が関わっているような気がしてなりません。

 

 

僕らのモラルは「世間」が作っている

 僕らは日常生活で何らかの行動を起こしたり、発言したりする時などにそれらが適切かを自らの判断基準に照らし合わせ、その結果の是非を考えたうえでアクションを起こします。その基準を僕らは「モラル」と呼びます。そのモラルの原点となるものとは何か?劇作家の鴻上尚史さんは「世間」だとしています。20年ほど前に書かれたエッセイ「ドン・キホーテのピアス」で鴻上さんは「西洋は生まれた時に神様とね一対一の契約を行う。その契約に基づいて西洋の人は物事の是非を神様に問い、その対話で「個」の在り方を自問自答する。それに対して日本は物事の是非を共に暮らす集団「世間」に問い、その集団におけるルール内での「個」を考える。その証拠が「世間様」という言い回しであり、その世間様という考えが常にご近所や、世間の目などを気にして行動しなくてはいけないということの窮屈さに繋がっている。とかいうようなことを語っていました(手元に原本がないため、記憶の限り)。だからこそ僕らは学校や職場だけではなく、今、自分が立っている場所で「空気」を読むということを常に強いられており、そしてその環境に慣れきっているのです。

 

「大阪リンゴ事件」と「渋谷のトラック横転」

 上記の話を踏まえたうえで、話を進めます。唐突ですが皆さん、今から30年ほど前に起きた「大阪リンゴ事件」というものを知ってますか?

 

megalodon.jp

 

以下、リンク記事を引用

 
 昭和59年4月23日、大阪・京阪天満橋駅前。青森からトラックで行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご80箱をトラックの荷台に積んで売っていた。桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の「通り抜け」に訪れた人たちでにぎわっていた。事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。

 リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。「リンゴはただやで」ということになり、1個どころか何個も手にする人が出た。「押さんといて」。群集心理に火がつきトラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンとリンゴを投げる背広姿の男の人もいたという。千数百個のリンゴはアッという間になくなってしまった。

 かえってきた青森の人は、ぼうぜんとした。最初は何が起こったかわからない。

 

 商売のため試食用としてお客さんに食べて貰い、気に入ったら買っていただこう。と考えていたリンゴの行商人はその有様を見て、さぞ驚いたことでしょう。常識で考えればトラックの荷台にあるリンゴが全部タダなんてありえません。おそらく多くの人もそれを分かっており、タダで持っていくのが泥棒行為であることも承知していた。だけどもその場は「リンゴはタダで持って行っていいもの」といった空気に支配されていたため「赤信号だけどみんなで渡っちゃえ!」と、ばかりにリンゴに手を伸ばしたというのが実際のところではなかったのか。それはおそらく心ある人が「普通に考えてリンゴは商品でタダなんかじゃないよ。勝手に持っていくのをやめようよ」と周囲を咎めたところで止まらなかった。「みんな持って行っているからいいじゃないか。お前、アホか」と笑われたりバカにされるのがオチだったと思います。つまりリンゴの周りにいた世間様はリンゴ泥棒を認めていたということです。

 

ハロウィンの騒動に見る人々の集団心理

 大阪リンゴ事件からおよそ30年後。群衆はどさくさに紛れたリンゴのコソ泥からエスカレートしてトラックの横転という直接的な暴力を他者に働くようになりました。この時もおそらく「いくらなんでもそれはやりすぎだ」と思いながらも、周囲に漂う狂気に対して言葉を飲むほかなかった人もいたのでしょう。そしてトラックを横転させるなど日本代表の勝利時より人々が暴力的な行為に走ったのは「仮装」というイベントの特殊性によるものじゃないのだろうか?と僕は想像します。

 

 その発想のヒントになったのは、僕がライター時代に取材させていただいたとある能楽師さんの話でした。日本の古典芸能「能楽」は演者が役に応じた仮面をつけて舞台に立ちますが、その仮面(面)は顔を全部覆うことができない程の大きさであり、あごや頬などの部分がどうしてもはみ出ている。それは「肉体の部分をわざと見せることで人間と面が融合してひとつになっていることを表現するためです。他の仮面は顔を全部覆うことでその人の人格が隠されて別人格になる。それこそが能と他の芸能の違い」というふうなことを語っていました。つまり、能楽は演者の人格と面の役柄の人格が融合された存在が演じているものであり、顔を覆って隠す仮面は演者の人格を仮面の奥に封じる。そのため仮面をつけた者は本来の人格を失って仮面の人格に取り込まれる。ということです。そんでもって、このハロウィンの仮装も本来お化け=他者になりきるためのものであり、顔を覆う仮面に近い要素を含んでいるものだろう。と思われます。従って仮装した人々が周囲に多く集まっていた渋谷には周囲の空気に合わせることに疲れた人たちが本来の人格を捨てて別の人格になることで、普段心の底に秘めている粗暴な心理が表面化しやすい空気に溢れていたのではないか?と僕は考えています。心理学も社会学も専門ではない、あくまで一般人な僕の仮説だけど。

 

 ただ、この仮説の是非はともかく周囲の空気に左右されることのない「個」のモラルのあり方っていうのは考えたほうがいいと思うよ。そうでなきゃ今後、行政によるハロウィンの規制とかいう話になっていっても文句はいえねーぞ。

 


 

 

今週のお題「ハロウィン」

さぁカモンベイビー昭島!僕の心から愛する街、昭島について語る。

 こんにちは。本日のテーマは「東京都昭島市」。きっかけは以下のブログでした。

 

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※昭島のイメージキャラクター「アイラン(左)」「アッキー(右)」。アッキーっていってもこの2人(2匹)は別に夫婦でも、家庭内野党でもありません。

昭島市公式ホームページ

 

 

ericca.hatenablog.com

 「カモンベイビーアメリカ」のフレーズで最近また売れているDA PUMPの「U.S.A」という曲。その替え歌で幾つかのご当地ソングが作られており、Youtubeで公開されて話題になっているそうな。その替え歌の中には、なんと僕の地元である「昭島市」のバージョンもあるとのこと。以下ブログの昭島替え歌ソング評。

 

「東京の田舎とは言わせない!昭島を盛り上げたいので替え歌カバーしました。」との動機と意気込みが可愛い。 「おっ!」と思う他の『U.S.A.』替え歌との違いは、DA PUMPメンバーと同じ人数を集め、衣装を合わせてダンス部分を撮影していること。ダンスと動画の完成度とも相まって、本気さが伝わってくる。 そんな衣装やダンスに注目しているうちに、気になるテロップを連発。「※ムクドリ原因不明の大繁殖」、「※昭島市でクジラの骨が発見された」、「71歳の男性が行方不明になっております」……。昭島市、どんな場所なんだよ! とツッコみたくなるテロップの上手さ。歌詞があっさりしている分、そこで盛ってくるのはYouTuberが培ったセンスの賜物だろう。 歌詞では、「くるりんバスで ひとっ飛び 座席は全部 ファーストクラス」の部分なんか、若者なりの地元愛が感じられる(私はなぜかちょっと涙腺に来た)。東京都内なのに都心とは別物として語られることが多いことへの反発を、「都心が夜なら夜だ」という短い歌詞に込める感覚もスマートだ。 そして、終わり方がきれいだなー。若い頃から当たり前に動画撮影・制作をしている世代の底力を感じる。軽率にアジャ・コングが出演しているのも見どころなので、女子プロファンもチェックして! 私は不意打ちでめっちゃびっくりしました。

地域おこし系『U.S.A.』替え歌YouTube動画6本を勝手にレビュー - 静かなお粥のほとりから

 

心はいつも昭島と共にある 

 結婚して離れた市町村に住んではいますけど休日には娘と妻と三人で実家に行ったり昭島駅に隣接するモリタウンで買物を楽しんだり、青梅線のボタンを押さなきゃ開かないドアや本数の少なさ、奥多摩で動物との接触トラブルを起こして遅延する不便さについ舌打ちしたり。そんな僕の心は常に昭島とともにあるといって過言じゃありません。もしも「抱かれたい地方自治体」とかいうランキングが世間にあったらダントツでトップにランクインですよ。この動画にはそんな昭島の良さを伝えるべく若者の熱意が込められており、昭島出身の女子プロレスラーアジャコングも出演しているのもそんな彼らの想いに応えたくなったのでしょう。だけどもこれだけは言わせてもらいたい。

 

昭島の巡回バスはA-busでくるりんバスじゃねぇ!くるりんバスは立川だ!

 

 なにをいっているのかよく分からない人は上記リンク記事にある動画をどうぞ。っていうところで本日は昭島に強い愛着を持っている僕自らが昭島の魅力や、昭島あるあるなどを語ってみたいと思います。まずは昭島のメリットについて。

①どこにあるか説明しやすく見栄を張れる。

 これは昭島の住人における「あるある」ですけど、会社や学校で「〇〇さんどこに住んでるの?昭島?昭島ってどの辺?」とか言われたときに「立川の隣」と簡単に説明できるということ。立川は三多摩地域の中で最も大きな町なのでそれをいうとだいたいみんなも「あ、あの辺なのか」と、イメージしやすいみたいです。立川駅周辺には伊勢丹高島屋、ルミネなどが多く並び、少し歩くと昭和記念公園もあることなどから都会と自然のハイブリッドな大きい街といった印象を持つ人が多いですが、最近ではラノベやアニメの舞台となることも多いため、サブカルの発信地でもあるという独特さも加わりました。

 

arrow1953.hatenablog.com

  この見栄を張るというのはどういうことかというと、昭島市民には強い地元愛を持ちながらも「昭島=多摩=田舎」という大勢の認識によって都会に対する屈折した劣等感を持つ人も少なくありません。そういう時には「どこに住んでいるの?」という問いについ、「立川方面」と答えたりすることもあったりします。僕らはその答えを呟きながら心で「昭島すまない!」と大粒の涙を流すのです。っていうかぶっちゃけ僕、10代のころは「さっさと立川に合併されたらいいのに」と、思っていました。地元愛もクソもないわな。

 

②水がうまい

 この件についてはマジで都会よりもデカいアドバンテージ。昭島の水って、100%の地下水なんです。

地下水100%のおいしい水 - 昭島市

 以下、リンク先ホームページを引用。

 "昭島市の水道は、事業開始から一貫して地下水のみを水源としたおいしい水です。現在、東京都の区市町村で、地下水(深層地下水)のみを水源としている自治体は昭島市だけとなっています。(中略)昭島市の水道水源は、地下70メートルより深い層を流れる深層地下水をくみ上げています。深層地下水は、山に降った雨や雪が約30年という長い年月をかけてしみ込んだものです。水が地層にしみ込む過程において、土壌がフィルターの役割を果たし、不純物を取り除くとともに炭酸やミネラル成分等を溶かしながらしみ込みます。こうして流れてきた深層地下水を利用する昭島の水道は、ミネラルウォーターと変わらないおいしさです。"

 僕らは子どもの頃から水道水をひねればミネラルウォーター。庶民のくせして風呂も手洗いも地下水というところだけをみると勘違いセレブっぽい生活のため水についてはみんな舌も肥えています。正直いってその辺に売っているミネラルウォーターを、美味しいと思ったことはほとんどありません。乱暴なものいいだけどお金を出して高いミネラルウォーターを買うのはバカのやることだと思っていました。とはいえ僕も昭島市を離れてからはたまにミネラルウォーターを買う生活に。暮らす町の水が旨い!っていうことの有難みは常に実感させられています。

 

③買物も行楽もラク

 昭島市は東京都の地図で言うとだいたい中央部にあります。このため、都心や自然の豊かな西多摩地区へのアクセスはすごくラク。土曜には奥多摩へハイキング、日曜には都心に出てショッピングというプランなども立てやすいのでバラエティ豊かな休日をエンジョイできるという強みが魅力です。とはいっても買物はたいてい動画で紹介されていたモリタウンっていう商業施設や立川でだいたい揃い、映画館やその他の娯楽施設も昭島と立川で充分。そのため今も多くの小・中学校の同級生が昭島市に残っています。それの是非については別としてそれだけ生活拠点としての条件がそろっているといえるんだけど、僕みたいに都心を職場としている人には本数の少ない青梅線はやっぱり不便。通勤のラッシュ時に奥多摩で車両と鹿と接触トラブルにより電車ストップなんてこともある。そんな時は「ほんとにここは東京かよ!」と叫びたくなります。

 

 だけど。そんな至らない所も含め俺たちは愛しているんだよ、昭島という街を。

ちなみに上記リンクのブログにある昭島市の替歌動画には、僕もボランティアで出演。っていう本当かウソか分からないことを呟いたところで本日のブログ、これにて。

※もちろんこれはウソなので信じないで下さい。

 

今週のお題「好きな街」

ブコメで寄せられる80%のコメントはバカによるものと思うべき

こんにちは。

 

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 久々のブログ更新となりますが、皆さんお元気でしょうか。昨日は書いてみた記事にやたらブックマークをいただいたこともあって記事もバズり、アクセス数が増大。まぁそれだけをみれば喜ばしいことではあるんだけども、同時に多くのコメントをもらっている立場ながら「あなたの国語力大丈夫か」と本気で心配させられる人も多く見受けられました。

 

 誤解をしないでいただきたいんですけど、いや別にいいんですよ。ブログに反論寄せたって。なにも、自分の意見がすべて「正」であると思いあがっていませんし、逆にその反論が筋道立っていれば「そういう意見もあるのかも」と、自分の視野さえ広がる。異論も、同意もウェルカムですよマジで。人の意見に対してコメントを寄せるってのはそれなりにエネルギーも必要となるため、僕のブログにそのエネルギーを割いて貰うというのも本音でありがたいもんです。ただね。全部読んでから反論してください。とは声を大にしていいたい。

 今回大きな反響をいただいたのはこのブログ記事。

 

arrow1953.hatenablog.com

  

 

その女性サイドの「若い女性やそれを描いた萌えイラストは性的な対象として社会や男性に認知されており、衆目を集めるための存在と見なされている」ことに対する抵抗については耳を傾け、その反発に対しては議論で互いの妥協点を模索しなきゃダメだと思います。この価値観にどっぷり浸かる僕らに何ができるか、どんな妥協点があるかはまた別の問題で、とりあえず萌えイラストや若い女性に感じる性的魅力について僕たちは認め、その問題について自覚的であれよっていうのが僕の意見なんだけど、そんな難しいことでもないでしょう?その辺をまともに語らず「表現の自由」や「エロ表現の程度」という話に逃げるのは極めて不誠実だと僕は思うのです。何度も言うけど、このキズナアイ論争で問われているものは「若い女性を性的対象として昔から消費してきただけでなく、この先も利用したい」という現実と本音を認めない男性サイドの不誠実さです。

性欲についてフェミニストに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だ - サブカル 語る。

 

  太田弁護士と社会学の千田教授の発言からNHKのサイトに起用されたVtuberキズナアイを巡って発生したえらい論争っていうか罵詈雑言の嵐。これを受けて僕も「過剰なフェミニズム思想には賛同しない」と前置きをしたうえで現実ほかフィクションにおける女性の立ち位置みたいなものを考た時、その根底には男が若い女性や萌えキャラなどに衆目を集める役割みたいなものを背負わせており、その背景にあるのは女性を性的対象という視点でしか考えられない「性欲」的な目線があるんではないだろうか?と問いかけたうえでその「欲望」について僕らも向き合わなきゃいけないんじゃないのかっていう話なんだけども、寄せられたはてなブックマークには以下コメント満載。

 

キズナアイはエロくない」
「個人の性欲に触れる発言はとても失礼」
「萌え絵にエロ要素はない」

 

 このあたりのコメントで、だいたい8割を占めています。つまり「僕たちはキズナアイをエロ要素で観てません」といいたいんだろうけれども、別にいいのよ。キズナアイで欲情したって。エロアニメでもエロラノベでもAVでも勝手に欲情しなさい。だけど、その性欲の発露をどうして女性が担わなきゃいけないのか?と思い悩む人がいるっていうこととこの社会のエロはかなりの部分で男性サイドの既得権益になっていることぐらいは自覚しておけよ。っていうだけなんだけどオタクたちには基礎的な読解力が足りないため、その話が本当に通じない。だからこそ、本を売るためラノベの表紙をエロくしなきゃいけない出版社の苦労もわかるというもんです。本編繰り返してブログ記事を読まないだろうからあらためてまとめておいてやる。ドラゴンボールのギニュー隊長風にいうと

 

オレはやさしいだろーっ!

 

 

”とりあえず萌えイラストや若い女性に感じる性的魅力について僕たちは認め、その問題について自覚的であれよっていうのが僕の意見。その辺をまともに語らず「表現の自由」や「エロ表現の程度」という話に逃げるのは極めて不誠実。 何度も言うけど、このキズナアイ論争で問われているものは「若い女性を性的対象として昔から消費してきただけでなくこの先も利用したい」という現実と本音を認めない男性サイドの不誠実さ”

性欲についてフェミニストに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だ - サブカル 語る。

  

 フェミニストや女性に語るべきはこの国の構造的な性欲。個人の性癖なんてどうでもいい。文句書きたいんだったら100回音読してからにして下さい。

 

 2018年の記事で、現状最も反響の大きいこの2記事。記事タイトルでは「読解力の足りない人のために」と書いているけれど、10人中10人に自分の考えを正確に伝えられないっていうのも率直に言って、僕の実力不足でもある。なので今後の目標は「国語力を問わず、誰にでも伝わる記事を書く」ってことで本日のブログはこれにて。

 

arrow1953.hatenablog.com

 ※世間でいうパレートの法則に従うと、このブログに寄せられたブコメの80%はバカの発言っていうことになるのかもな。ウソだと思うなら引用リンクの記事に行って本文を全部読んだ後でブコメに目を通してみて下さい。あ、これも言っておこう。

 

パレートの法則 - Wikipedia

 

ついでにいってやろうか。メディアによりオタクがある程度市民権を得た分、同時にオタクは社会へのコミット能力やコミュニケーション力なども求められていたんだ。そこを理解できずにフェミニストがどうのこうのだの、表現の自由がどうのこうのと他人のせいにして被害妄想引きずって狼狽えているのがお前らオタクの実態だとな。

性欲についてフェミニストに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だ - サブカル 語る。

 


 

 

 

NHKのキズナアイ騒動にある「性欲」を認めない卑怯な男社会

こんにちは。

 

 

 今日のテーマは「キズナアイ」。動画サイト「youtube」で架空のキャラながら動画作成、公開を続ける「バーチャルyou tuber」として人気を博しております。そのキズナアイが先日、NHKの特設Webサイト「まるわかりノーベル賞2018」に登場。物理学や化学など各分野の有識者から説明を受ける聞き手を務めたそうな。そのノーベル賞解説にNHKキズナアイを起用したことについてフェミニズム的立場の有識者が批判。女性の性的搾取や女性を性的対象としてみなす社会への反論に対してオタク共が噛みついたことで発生した、いわゆる「キズナアイ騒動」は、今もツイッターでは激しく是非を問われて意見や罵詈雑言が飛び交っています。

 

 

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NHKWebサイト

「まるわかりノーベル賞2018」より

 

キズナアイ騒動の発端のおさらい

 これが冒頭に述べた、ノーベル賞解説番組のサイト。

www3.nhk.or.jp

 

 キズナアイの起用に対して異論を唱えると大抵は「表現の自由」云々を持ち出したり他のエロ絵を持ってきて「このエロ絵と比べてキズナアイはエロといえるか?」という反論をする人がいますけど、そんなのは僕にいわせりゃ、単なる論理のすり替えです。ちなみに以下はこの騒ぎの発端になったツイート。

 

NHKノーベル賞解説サイトでこのイラストを使う感覚を疑う。女性の体はしばしばこの社会では性的に強調した描写されアイキャッチの具にされるがよりによってNHKのサイトでやめて。このサイトで女性受賞者は少ないの?とか書いてるけどこれじゃ理由わかんないんだろう https://t.co/BlRyawbXaf pic.twitter.com/JwekrmMJHT

— 弁護士 太田啓子 (@katepanda2) October 2, 2018

 

 

 さらにこの騒動をややこしくした武蔵大学千田有紀教授(社会学)の見解。

 

私が問題にしたいのは、そのキズナアイが置かれた場所である。

①子どもを対象
②教育的な教材
③女性は理系が苦手というステレオタイプ
④女性の多くが理系に進まないという現実
➄女性が性的に描かれている
⑥女性が相槌しか打たない補助的な役割

 

 

 たかがVtuberの起用にこの①~⑥項目すべてが含まれているとは僕も思わないため、この意見について僕は賛同できません。ただこの太田弁護士や千田教授の主張の背後に「若い女性やそれを描いた萌えイラストは性的な対象として社会や男性に認知されており、衆目を集めるための存在と見なされているという現実」そのものに抵抗感があるという点で理解できます。

 

キズナアイ騒動バッシングの背後にある本音

 従って本来議論するべきは表現の自由やエロの度合いではなく、先ほど列挙した6つの視点についてどう考えるべきかというシングルイシューであり、今回のキズナアイの起用だけではなくその他vtuberや漫画、アニメ、小説、映画などの表現や社会におけるリアルな女性の立ち位置を含めた包括的な議論に発展させていくのが物事のスジってやつでしょう。だけど、おそらく太田弁護士に噛みついた人たちはその議論には乗ってこない。なぜかというとこの社会や自分たちが「若い女性を性的対象として昔から消費してきただけでなく、この先も利用したい」という本音を認めたくないからだと思うのです。

 

女性はモノを売り、人目を引くためのツールである 

 街中を歩けば企業の受付にいるのは必ずキレイどころの若い女性。漫画雑誌の表紙を飾るのはグラビアアイドルの水着。学校では担任が若い女性だと男子は騒ぎ、ベテランの中年女性だとため息。こんな光景を皆さんだって少なからず観てきたことでしょう。かくいう僕もベテランの中年女性担任にため息をつき、マンガ雑誌の表紙を飾っているグラビアアイドルの表紙に目が留まり、キレイなお姉さんの受付に表情をほころばせるスケベなおっさんです。若い頃にはエロマンガやエロ本を買い、エロゲーで性欲を満足させてもいました。なので別にいい子ぶるつもりもありません。僕も現在進行形で「若い女性やエロな絵を性的対象」にする当事者です。ついでにいうと10数年前にアニメ制作に携わった頃、作品人気の低迷を防ぐために人気女性キャラのセミヌードを出そうという会議にでたりしていました。ただ女性が肌色だとNGなので窓の側に立たせて街の明かりに裸を照らす演出でごまかそうという監督・演出の打ち合わせに軽くキレて「そんなに肌色がダメとかいうなら、ゲストキャラでデスラー総統を登場させて服を脱がせりゃいいじゃないすか」といって両者を怒らせたけど。アニメでも漫画でも現実でも若い女性という記号は、モノを売ったりPRするためにはとても有効なツールなんです。

 

アニメ制作の時代に監督から「AMはこういう表現をどう思う?」と質問されたので上記のような回答をしたこともありました。その時に監督は怒らずただ「物語の敗北。その言い方にはムカついたけどこれほど適切な分析もないと俺は思う。」と、ため息をついていたのを僕は覚えている。

エロで売るラノベもアニメも日陰者らしくコソコソしてりゃいい - サブカル 語る。

 キズナアイが置かれた場所についての問題点として列挙される①~⑥については多少被害妄想気味とも思えるので全部賛同できないんだけど、ただ「キズナアイがどうしてこの場にいなくてはいけなかったのか?」という点を深堀りするとやはりそこには「若い女性やそれを描いた萌えイラストは性的な対象として社会や男性に認知されており、衆目を集めるための存在と見なされている」という現実が奥底にあるんじゃないのか?と思えてなりません。

 プロの考える女性イラストの区別 

 では、その「萌え絵」というのは何か?その基準も人によってまちまちだけど、あるプロイラストレーターさんが自身のブログで女の子の絵を「萌え系イラスト」「汎用的イラスト」というふうに区分けしてその特徴を説明していたので紹介。 

衆目を集めるのが目的の萌え系

①髪の毛や瞳を書き込み、キラキラ、サラサラさせて質感を出す。
②身体の立体感と質感を表現。
③ふわっとしたスカートの動きや腰のひねりなどで躍動感を持たせる。

目的:キャラクターの魅力や個性をアピール

 

情報を伝えるのが目的の汎用系


①髪の毛や瞳は書き込みすぎずシンプルに
②身体つきや質感を出しすぎない
③いらない要素はできるだけ削ぐ

目的:情報について共感を得る、情報の目的や意図をわかりやすく伝える

 

 

萌え絵と汎用的なイラストって何が違うの? 広告系イラストレーターの私が考える「役割」の違い – かわいいイラスト制作所 イラストレーターよぴんこ

 

 このイラストレーターさんは萌え系と汎用系のイラストを仕事で使い分け、両者を差別せず「どちらにも役割がある」と述べています。大事なのは萌え系、汎用系云々でなく、イラストにどんな目的を持たせるか?ということ。目的に応じた機能を持っているという点では萌え系も汎用系も同じだと訴えています。単純にいうとコレってゾーニングとかいう話でもなく「TPOを弁えろ」というだけのことなんですよ。表現の自由とかむずかしい言葉を覚えるとすぐに使いたくなるバカの気持ちもわからないことはありませんけど。

 

 で。それを踏まえて質問させてもらいます。公共放送Webサイトによるノーベル賞についての解説で「髪の毛や瞳を書き込んでキラキラ、サラサラさせたほか、身体の立体感と質感、さらにふわっとしたスカートの動きや腰のひねりで躍動感を持たせた萌えイラストを使う必然性はどこにあるんですか?」

 

 さらにいわせて貰うと、町おこしや自衛隊募集に萌え絵を使う必然性は何ですか?

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ちなみにコレは20数年前のエロ漫画雑誌の表紙。

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 程度の差こそあれど、両者は「女性を性的な記号として捉えている」っていう点ではまったくの同類です。でもそれは萌え絵の持つ役割の側面であるともいえ、それを否定するつもりはありません。萌え絵に欲情したっていい。っていうかおおいに結構!!かくいう僕だってこの手の雑誌を買っていたこともある。

 

 だけどさ。だからこそキズナアイの起用はTPOの観点からも配慮不足を指摘されても仕方ないし、同時に「僕ら男は女性を性的対象として扱っており、その価値観はかなりの所で幅を利かせている」ということに大なり小なりの罪悪感をいだき、自覚的であるべきじゃないかと思っています。

 

ツール / 記号化する女性の背後にある「性欲」

 女性サイドの「若い女性やそれを描いた萌えイラストは性的な対象として社会や男性に認知されており、衆目を集めるための存在と見なされている」ことに対する抵抗については耳を傾け、その反発に対しては議論で互いの妥協点を模索しなきゃダメだと思います。この価値観にどっぷり浸かる僕らに何ができるか、どんな妥協点があるかはまた別の問題で、とりあえず萌えイラストや若い女性に感じる性的魅力について僕たちは認め、その問題について自覚的であれよっていうのが僕の意見なんだけど、そんなに難しいことでもないでしょう?その辺をまともに語らず「表現の自由」や「エロ表現の程度」という話に逃げるのは極めて不誠実だと僕は思うのです。何度も言うけど、このキズナアイ騒動についての論争で問われているものは「若い女性を性的対象として昔から消費してきただけでなくこの先も利用したい。」という現実と本音を、頑なに認めない男性サイドの不誠実さです。

 

www.mm-nankanoffice2.com

 

本文を理解できないバカのためのまとめ 

※本当にキズナアイ問題にはヒステリックな言動が多すぎる。こういった過去や現実を認めないという態度は日本でヘイトをまき散らす歴史修正主義者に繋がるものがある。だからこそ現在のオタクとネトウヨっていうのは親和性高いんだろうな。あと、何度もいうがこのブログ記事で俺は性欲も否定していないだけでなく、個人の性欲を語れとも言ってないからな。 

 

”とりあえず萌えイラストや若い女性に感じる性的魅力について僕たちは認め、その問題について自覚的であれよっていうのが僕の意見なんだけど、そんな難しいことでもないでしょう?その辺をまともに語らず「表現の自由」や「エロ表現の程度」という話に逃げるのは極めて不誠実だ。

 何度も言うけど、このキズナアイ論争で問われているものは若い女性を性的対象として昔から消費してきただけでなくこの先も利用したい」という現実と本音を認めない男性サイドの不誠実さ

 

 文句つけるんだったら赤文字の部分だけでも100回読んでから来い。ついでにいってやろうか。メディアによりオタクがある程度市民権を得た分、同時にオタクは社会へのコミット能力やコミュニケーション力なども求められていたんだ。そこを理解できずにフェミニストがどうのこうのだの、表現の自由がどうのこうのと他人のせいにして被害妄想引きずって狼狽えているのがお前らオタクの実態だとな。

 

 


 

 

特撮版のグリッドマンは時代を30年先どりした作品だった

こんにちは。

 普段はあんまりテレビを見ない僕だけど、秋のアニメ新番組で楽しみなのがひとつあります。

gridman.net

 この「GRIDMAN」なるアニメ、元々90年代に放映された円谷プロの30周年特撮番組「電光超人グリッドマン」のリメイク。このマイナーな特撮作品について、以下で説明をしていきたく思います。

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 ©円谷プロダクション

電光超人グリッドマン - Wikipedia

 

グリッドマン(特撮版)ってどんな物語? 

 ざっくり物語を説明すると電子機器の中にある仮想のデジタル空間「コンピューターワールド」に悪の帝王「カーンデジファー」が機器を狂わせるコンピュータウイルスを具現化したかの如く怪獣を送り込み、その仮想空間で怪獣を暴れさせることで電子機器に異常発生!暴走機器の影響でパニックに陥る街と愛する人々を救うために、中学生の男子が手作りパソコンの「ジャンク」に宿る正義のヒーロー「グリッドマン」と一体化。コンピューターワールドに乗り込み怪獣と戦う。といった感じです。

このおっさんこそ悪の帝王カーンデジファー

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©円谷プロダクション

 

 このグリッドマン放映の時、僕は高校三年生。この頃の僕は特撮番組から卒業しており、大学受験に向けて勉強に本気で打ち込んでいた時期でした。そんなとある日の放課後。友人が「お前、グリッドマンって知ってるか?あの番組すげぇからとりあえず観てみろ」とやたら薦めてくるので、その力説っぷりに負けた僕はそれを観てみることに。そして番組の視聴後、印象的なエンディングテーマの余韻に浸りながら「すげぇな」と思わず呟いた自分がいたのでした。

 グリッドマン(特撮版)のすごさを語る

①主役の演技がヘタ

 セリフが棒読み。さらに感情もこもってないので全然ドラマに感情移入できない。

グリッドマンが弱い  

  グリッドマンの声を担当したのは90年代に人気絶頂だった声優の緑川光。声はすごくカッコいいのにも関わらず、どういうわけだかグリッドマンが設定的にやたら弱い。感覚的にウルトラマンの活躍時間より短く、すぐピンチに陥る印象でした。戦闘時のコンディションは中古の部品で作ったオンボロの手作りPC「ジャンク」と連動しているため、ジャンクを長い時間起動させていると処理速度が遅くなり、同時にグリッドマンも弱体化。後にパソコンの性能不足を補うべく、仲間の同級生が剣や大砲などのウェポンやグリッドマンと合体してパワーアップできるアイテムを幾つかプログラムで作ったりするんだけど、そんなんだったら内臓メモリやCPUをもうちょっといいモノにした方がいいんじゃねーのかとか思って観ていました。 

 

 パソコンの処理落ちで弱くなったグリッドマンは怪獣に投げられたり、電流を流されたり攻撃を受けまくることになるんですがその都度、緑川が「うぁっ!」「ぐはっ!」と実に色気のある声で叫ぶので、僕の潜在的サド気質が刺激されまくりでした。 

③敵が何を目指してるのか不明

  世界征服を狙う悪の帝王とかいいながら、カーンデジファーの起こす騒ぎの範囲は原則的に主人公の暮らしている街のみ。(たまにグリニッジ天文台のコンピューターを狂わせて世界の時間を混乱させるとかいうスケールの大きいものもあるけど)。街の企業や商店街、個人宅の機器を狂わせて騒ぎを起こすのがデフォルト。それだけだったらまだしも物語後半には家庭用掃除機に怪獣を送って人間を吸い込む掃除機に改造するだの、ゲーセンの占い機に怪獣を送り込んで洗脳装置に改造するだの(その改造掃除機も占い機もたったの一台のみなので非効率的)、方向性も理解不能なものに変貌。

 

 特に改造占い機のエピソードはシュールの極みです。占い機で遊んだユーザー一人一人の欲望に合わせてカーンデジファー様自らが現れて「お前の欲求を開放するのだ!」とお説教。その説教を受けた人は全盛期のダンプ松本ブル中野みたいな目つきになり、子どもが手に持っている食べかけアイスを奪ってドヤ顔でなめたりするなどの小さな悪事を街のいたるところで働き、その様子を見てカーンデジファー様もご満悦。何がやりたいの?この人。

 

④エピソードタイトル

 こんなふうに友人と物語のシュールさや、演技のヘタさが醸し出す味わい深さを楽しんでいたけれど、この番組はたぶん一般ウケしないだろうという雰囲気が漂っていたため僕らはおそらく2クールで番組打ち切りになるだろうと思っていました。番組が4月スタートだから10月に終了か。そう考えていたら2クールの10月を越えたので「おぉっ!通年で放映!4月まで楽しめるぞ!」と喜んでいた矢先、番組は年末にグリッドマンと先述した悪の帝王カーンデジファーとの直接対決を放映。「え?第3クールの最後でラスボス戦?第4クールどうなる?」と僕らを困惑させ、そんでもって年明け最初になる放映タイトルは「さらばグリッドマン。で、第4クールスタートと同時に放映終了。

 

 世間では正月で「今年もよろしく」という挨拶がされている中、新年早々に「さらば!」と叫ぶ不条理さ。どこまでシュールなんだよこの番組!!

※別件だけど、エピソードタイトルですげぇな!と思ったあるドラマもついでに紹介。これ誤植じゃないんだぜ。

 

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arrow1953.hatenablog.com

 グリッドマン(特撮版)をそれでも俺は愛している

 人によっては「グリッドマンをけなすようなことを長々書きやがって!」とお思いの読者もいることでしょう。けれど、僕はこの作品を心から愛しています。確かに物語や映像は陳腐なものも多かった。けどこのインターネットや様々な通信技術などがこんなに一般化する前の90年代に、コンピュータのセキュリティ問題を具現化したかのようなプロットを考えた制作陣の先見性は高く評価されるべき。そんなマニアックな作品だから根強いファンもたくさんおります。20数年前には表現をしきれなかっただろう独特な世界観が今回のアニメではたしてどうなるやら。

 

追記:アニメ版のプロモーション。特撮版の視聴情報。全12話を見た感想

www.youtube.com

 見た感想としては本来の持ち味であるB級のニオイが漂っていないのが気になるけど昔のマイナーな作品がこうやってリメイクされて次世代に引き継がれるっていうのは、作品としては幸せなことなんだろうなぁ。また、huluでは特撮版グリッドマン全39話を視聴できるキャンペーン中だそうな。

www.happyon.jp

  

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

 このブログを読んで興味を持たれた方がいたら、アクセェーッス!フラーッシュ!!(グリッドマン変身時の掛け声)

 

ryo-nf3000.hatenablog.com

saya1988.hatenablog.com

 

僕以外にも今回のアニメ版グリッドマンに注目しているブログも紹介。いやほんとに、この作品根強いファンが多くて驚きだ。ただ、公式抱き枕。テメーはダメだ。

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

 

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※特撮版グリッドマンで特筆すべきなのはOP/ EDテーマと戦闘BGMのカッコよさかな。今聞いてもいい歌なんだわ。

日本のドラマ史上、最もひどいエピソードタイトルについて

こんにちは。

 2年程前に書いた「東京ラブストーリー」に関わるブログ記事へのアクセスがやたら増えており、どうしたのかと思って調べたら今、フジテレビで再放送中であることを知りました。

 

www.oricon.co.jp

 

 ドラマの視聴率、今昔物語

 東京ラブストーリーとはフジテレビの月曜夜9時放映ドラマ、別名「月9」の代名詞であり90年代の東京を舞台に描く男女の新感覚な恋愛模様は多くの支持を得て視聴率も平均20%。最高30%を記録というとんでもない作品。そのドラマがフジテレビで月~金の15:50~再放送中とのこと。当時を知る人、知らない人を含めて話題になりましたが、さすがに平日夕方だけあって視聴率10%越えはキビしく、1~2話放映時点ではせいぜい2~3%だそうな。現在はリアルタイムで放映中のドラマも視聴率が10%を越えたら成功とされる時代。30年前との数値のギャップに、テレビドラマの視聴率30越え%がさほど珍しくなかった黄金時代を懐かしく思ったりします。

 

news.nifty.com

 このドラマで主演を務めた織田裕二鈴木保奈美が、20数年ぶりに主演タッグを組むドラマが来月からフジの「月9」で放映されるため、その布石としての再放送企画なんでしょうけど、その効果はいかに?っていうところです。

 

ドラマにおけるインパクトは視聴率だけじゃない 

 さて本題。東京ラブストーリーみたく視聴率30%越えを果たしたドラマもスゴイけど作品のスゴさというのはなにも視聴率がすべてではありません。物語の緻密さやインパクト、演出の妙、設定のリアルさ、その他の要素で視聴者に「コレすげぇな」と言わせる作品は数多くあります。その中で異色なのは、ドラマのエピソードタイトルだけで「コレ何?」と思わず眉をしかめさせる作品。そんなドラマが80年代にはありました。それはTBSの金八先生系学園ドラマ「東中学3年5組」。歌手の南こうせつが主役を務めております。

 

 南こうせつの演じる新任教諭の平井晋作(理科担当)と学校の管理教育に押さえつけられた生徒たちとの心温まる交流を描いた作品ではあるのですが、この平井の口癖は「変態」。おたまじゃくしが蛙へと変態するように、生徒も大きく成長してほしいとの意味で使っている口グセなのだそうな。

東中学3年5組 - Wikipedia

 

 この設定をさすが理科の先生!と思うかどうかはそれぞれだけど、この当時小学3年生だった僕はこのドラマのサブタイトルを新聞のテレビ欄で観て目が丸くなりました。

 

①ヘンタイのススメ 

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 ドラマの設定はともかく、変態を「ヘンタイ」としてエピソードタイトルにつけるという理解不能かつシュールな光景。教員に真顔で「変態(ヘンタイ)はいいぞぉ!君たち」なんて言われたってなぁ。ってなぐあいにこのドラマはやたらエビソードタイトルでまさかの「ヘンタイ」」推し。第4話のエピソードタイトルは「ヘンタイ適齢期」。

 

②ヘンタイ適齢期

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 そんなもんに適齢期もクソもあるのか?さらにラストを飾るエピソードタイトルは

 

南こうせつも激怒なエピソードタイトル

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 TUBEを率いる前田耕陽は90年代に「サヨナラ湘南My Love」と歌いましたが南こうせつは80年代にドラマで「ヘンタイ先生」扱いされてサヨナラ。

 

 全9話のうち3話で「ヘンタイ」という単語を使う、この偏愛っぷりはまごうことなき「ヘンタイ」ともいえます。今だったらBPOや視聴者から厳重注意やクレームで叩きまくられていただろうなこの番組。っていうかよくこんなタイトル通ったよな。と、逆に感心さえさせられるこのドラマですが、かなり前に再放送があった程度でビデオやDVDなどになっていないため、観ることができません。このブログを見て興味が湧いた方はTBSに再放送のお願いなどをしてみてはいかがでしょうか。案外、再放送で人気出たりして。ウケを狙ったエピソードサブタイトルだったのか、あるいは単にこのドラマの制作陣が「南こうせつのことを嫌いだった」のか。どっちだったんだろう。だけど普通、こんなエピソードタイトルをつけようとしたら常識ある人がそんな暴挙を止めると思うんだけどもなぁ。

 

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『響~小説家になる方法~』をつまらないと思った理由。

こんにちは。

 

 本日のテーマは女子高生小説家が主人公の漫画「響~小説家になる方法~」。

 

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響ってどんな物語? 

 小学館ビッグコミックスペリオール」で連載されており、マンガ大賞2017で大賞受賞後、その年には実写化。今回はその「響」の感想について。

 

 物語はある出版社の文芸誌編集部からスタート。出版不況で年々下がる文芸、小説の売り上げにため息をつく先輩社員たちが現状を散々愚痴った後「応募規定はインターネットによる文書データのみ。募集要項を守らない時点で価値なし」と、ゴミ箱に放り投げられた新人賞応募作品を若手の女性編集者「花井」が手に取ったことで始まります。原稿用紙に刻まれた文字は花井が感心するほど達筆だったが本名かペンネームかも分からない「鮎食響(あくいひびき)」という名前以外は住所、職業、電話番号、年齢など作者の情報は一切なし。だが、その原稿用紙の漂わせる雰囲気から花井は作品を熟読。この作品こそ文芸の時代再来を担う小説だ!と惚れ込んだ花井は作者の情報集めと応募規定に外れた「お伽の庭」をなんとか世に出そうと決意します。

 その頃。入学式後のある都立高校では文芸部入部を決めた少女が部室に屯している不良といざこざの真っ最中。胸倉を掴まれて凄まれても不敵に笑い、制服のネクタイをつかむ不良の指をへし折った後、ボールペンを構えて上級生の目を狙う視線に少女の異常性を感じとった文芸部員と不良たちは撤退します。この異常な雰囲気の少女こそ文壇デビューを今、まさに果たそうとしている「鮎食響」だったのでした。

 

 という具合に、ざっくりと物語のプロローグを紹介させてもらいました。この高校一年生の少女「響」の性格の異常性が引き起こすトラブルが物語のポイントだけど、この響、まぁよく人を殴る、蹴る、関節を折るという「一人総合格闘技野郎」。しかも脛で鼻を狙うなんてプロの格闘家もエグくてやらないぞ!

 

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出典:響~小説家になる方法~ (柳本光晴)_小学館

 

 

 こんな具合に、納得できないことや自分が「美しくない」と思うものはたとえ著名な作家でもキックを顔面にかましたり、政治家でも殴ったり。そういう異常性を天才性と読者に読み替えさせることで成立する作品のため読者によっては「響=天才」であるというこの漫画の大前提について、どこが?と疑問に思う人もたぶんいるでしょう。

 

「響」がつまらない理由

 実際、作中には花井が絶賛した「お伽の庭」についての描写もほとんどなく、その小説の凄さの根拠になるものが「お伽の庭を読んだ人たちの表情や感想」だけなので小説家としての技量を示せていない。従って響のキャラは勢いや瞬発力に頼った「動的エキセントリック」なものになり、それを天才ゆえの破天荒さと読者に思わせることで作品を成立させているというのがこの作品の人気の秘密でもあり欠点でもあります。確かに響の勢いある行動は面白く爽快感もある。だけど、それはいつも読者に向けて畳みかけられてくるため、読者も息継ぎができず窮屈さを感じるのです。変わった雰囲気の女子高生がいきなり文壇デビューという設定が薄く説得力もない。

 響の文芸における才能の裏付けがないからこそ、キャラ作りを派手にしなくてはいけないという背景がこのマンガを支えており、逆説的だけど話のつまらなさや設定の陳腐さがキャラの行動の派手さを際立たせ、読者に爽快感やおもしろさを与えている。ただその刺激はいつか、読者の息を詰まらせるでしょう。いっておきますが別に響をディスってるわけじゃありませんよ。このようなキャラの即興的な勢いだけで読者を楽しませられるのも漫画の魅力だというのもまた事実です。

 

対極の天才を描いた作品 

 この作品についてのブログを書いててふと思ったんだけど、2017年度のマンガ大賞受賞作がこの「響」だったなら、2018年度マンガ大賞にはこの作品と対極にある「アクタージュ-act-age-」という作品が案外受賞するかもしれません。

 

アクタージュ act-age - Wikipedia

 

 このブログでも以前紹介したこの作品は、高校生ながら家庭環境によって子どもの頃から孤独を感じていた少女「夜凪景(よなぎけい)」が自宅の押し入れにあった大量の名画ビデオを繰り返し見続けているうちに現実と物語の境界を自由に歩けるような危うい感性を身に着けた。その特異な才能を若手監督に発掘されて、景は女優の道を進んでいく。という漫画。連載当初はあんまり注目されていなかった印象ですが地道に読者の人気も集め、現在は掲載雑誌の「週刊少年ジャンプ」でも掲載順が上位になることも少なくありません。

※最近作者はananの取材も受けているそうな。

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 この「景」という少女も自分と他人や虚構世界との境界の無さに起因する感性からトラブルを起こしまくっているんだけど(そういやこの子もオーディションで飛び蹴りをやったな)、その中でもロケで出会った俳優の素顔や脚本の解釈、監督の指示などを通じて自分なりに「演技」とは何かを考えて作品や共演者に対して、真摯な態度で演技の技術を向上させていくというのは景の持つエキセントリックさを飼いならすプロセスであるともいえ、天才という存在についての表現はこちらの方が勝ってる印象でした。ただ「響」ほどの勢いや瞬発力はないため読後の爽快感については響の方が上。ゆえに瞬間風速的な大ヒットはないかもしれないけど、息の長い持続力のあるヒット作になると思います。

 

 エキセントリックな行動や言動で社会を引っ掻き回しながら、小説という静かな世界で作品を書き続ける響。一方、大人しめで物静かな風貌や性格の奥底に秘められたエキセントリックな内面を「演技」という動的な表現に昇華させる景。このタイプの異なる二人の天才の物語。暇だったらぜひ読み比べてみて下さい。

 

csbs.shogakukan.co.jp

 

www.shonenjump.com

 

 

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