サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

自民の改憲漫画「ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに」の間違いが酷い

こんにちは。

 本日のテーマは自民党が発行した憲法改正漫画。その話に触れる前に先日、25年後の東京ラブストーリーを掲載した事で話題になった週刊漫画誌が「日本国憲法」を特集。人気作家が憲法とそれを柱とした現在の日本の風景をイラストで表現するのだそうな。

 

 

日本国憲法は幸せに生きるためのガイドブック 

 さっそくこの号を買って日本国憲法の「前文」から第三章の「国民の権利及び義務」を熟読。それ以降の第四章「国会」、第五章「内閣」第六章「司法」〜第十一章「補則」については勉強が足りないため、時間をかけて読もうと思っています。

 

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 知識不足を承知の上であらためて日本国憲法を読んでいて、僕は日本国憲法とは「この国で僕らが、幸せに生きていくためのガイドブック」だったんだなという感想を抱きました。この国の憲法は僕らに、こう語っているように思えるのです。

 

「この国の主人公は、この国で暮らしている皆さんひとりひとりです。皆さんは性別や人種、物事についての考え方、生まれ育ちや社会的な地位で差別されません。皆さんは各々『幸せ』が何なのかを考えて、それを追い求める権利を持っており、国はそれをサポートする義務があります。たとえそのプロセスで道を誤っても、この国は皆さんの生きる権利をできる限り支えますので、困った時にはお気軽に声をかけて下さい。

※国におんぶにだっこっていう意味ではなくあくまで自助努力が前提だけど。

 

 皆さんは独立した思想や考えを持っている『個人』であり、公共の福祉に反しない限りその個性は最大限尊重されるべきです。

 

※他の個性の考えている『幸せ』と衝突した時には議論によって両者の落としどころを探しましょう。まかり間違ってもその個性を暴力や権力などで捻じ曲げるようなことがあってはいけません。このように、この国では最大限、皆さんの自由を妨げません。国民の皆さんがこの国でどう生きるべきか、この国をどうしたいかを、一所懸命考えて下さい」

 

 国民の権利、義務について述べている第三章を自分なりに解釈させてもらうとこんな感じかな。これらはすべて憲法前文にあるとおり

「政府の行為に拠って再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し、ここに主権が国民に国民に存ずることを宣言」するために明文化されたもの。

 つまり、戦争中はコレとは真逆のものがまかり通っていた事になる。 現在の憲法とは逆の価値観だった戦時中、最も苦しみを背負わされたのは人権、家族、友人、自由な考えなど人が人として生きていくため欠かせないものを奪われたこの国の人々でした。その反省から、国家<人の尊厳を明文化した憲法が生まれたというのが、僕の理解です。そういう意味で「国家」を自らのアイデンティティと捉える人たちが現行憲法をおもしろくない!というのもまぁ、わからなくもありません。

 
だけど、甘いよね。

 

 この国の憲法は国民に自由と生きる権利を保障するけど国民、かくあるべし!みたいな具体的なモデル像を提示しません。モデル像があったほうが何も考えずに生きていくだけでそっちのほうがラクなのに、現行の憲法はそれを僕らに許さない。ただ「貴方の幸せは、貴方のものでしかありません。だから自分で自分の幸せを考え、自立して生きなさい」と穏やかに語り、国に拠ることを許そうとしない。憲法改正派の人たちは現行憲法を「お花畑」などと揶揄したりしますけれどそんなことありません。むしろ逆で、「国家から自立なさい」と語っているように思えるのです。

 

 いやほんとにこの国の憲法って考え方によっては国民を甘やかさない厳しい憲法だと思う。以下のマンガは自民党のホームページ経由でダウンロードできる日本国憲法改憲についてのマンガだけどもツッコミどころ満載。全編ざっと読んでほんとくそつまんねーマンガで、これについては徹底的に批判したいんだけどここだけは今、ツッコませてもらいたい。

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※経済でも防衛でも喜んでアメリカに尻尾降ってる連中がどの面下げて?そもそも現行憲法GHQの押し付けだと言う人がいるけど、日本人の憲法学者などで集まって発足させた「憲法研究会」の憲法草案要綱GHQが参考に策定したのが現行憲法であって、そういう意味ではGHQって押し付け者っていうより監修者なんだけどもね。つまりこの憲法の押し付け論っておもに左派で集まった憲法研究会の草案が気に食わなくて、その経緯を無視しているだけ。

押し付け憲法論 - Wikipedia

  

この辺りを踏まえてやっと本題。

 

漫画に見る自民の「女性」の扱いのひどさ

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  物語の登場人物はどこか頼りなさげな夫、ささいなことですぐにキレる妻。物心ついたばかりの息子、それを諭すおじいちゃんとひいおじいちゃん。物語はとある休日の昼下がりにいきなりブチギレる妻の怒鳴り声からスタート。

 

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 でもって何の脈絡もない憲法論議に突入。そんな情緒不安定な妻をなだめるのが自分たちにとって都合のいい憲法=GHQの押し付け説だけを語り、さもそれを事実だといわんばかりにお説教を始める老害。自民お決まりの構図ってやつです。

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※実際には、日本人の憲法学者などが集まって発足した憲法研究会の憲法草案をベースに作ったという説もあるので、必ずしも押し付けではありません。このブログ記事のメインはこの漫画の批判なので憲法論についてはブログでコレ以上触れずそろそろ本題。

 

 さて。漫画の描写で気になる点を羅列していきましょう。

 

①曽祖父、祖父、夫、妻、息子で曾祖母、祖母、娘がいない。
②感情的にいきなりキレる無知な妻。
③それを諭す曽祖父。

 

 この3点を統合して考えていくと自民の考えている家族のビジョンとは女性というのは無知で感情的なために、男が威厳を持って女性を「教育」するべきっていうものなんだろう。また、この家族に娘がいないのは「女性は、跡取りを生むためだけの機械」であると思っているからじゃないのか?そういやちょうど今から10年ほど前に、こんなことを言っていた大臣がいましたっけ。

 

「15-50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」

 

柳澤伯夫 - Wikipedia

 

 その発言の後でひどく炎上したため、この人、見苦しくいいわけをしていたけれど、この漫画を見るかぎり「女性は子どもを生む機械」っていう考えって自民党の共通認識なんだろうと思わざるをえません。どちらにしても、この歪な家族構成を見るかぎり、この人たちの根底にあるのは男性優位な発想であることは間違いなさそうです。同様の指摘はこの18歳向け選挙啓発漫画でも当てはまります。

 

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 話は横道にずれるけれど、せっかくだからどんな漫画なのかみてみましょうか。まずパンフレットのタイトルがダメ。これは椎名軽穂センセの作品「君に届け」のパクリなんでしょうか?「君に届け」は寡黙なため、周囲から「コワイ」と誤解を受けているけれど誰より周囲に優しくて誠実な女の子「爽子」が自分自身の殻を破っていきながら、クラスの人気者男子「風早くん」との恋を育てていくプロセスがおっさんにはまぶしい少女漫画。その作品とパンフレットに掲載されているマンガを比べたら雲泥の差。
 

 冒頭からげんなりさせるクオリティにボルテージだだ下がりだけど、漫画のページを見てみましょう。では最初のページ。 

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「軽いノリじゃダメですか?」 

 

 ダメに決まってるだろう!と怒鳴りたくなるのを抑えてここで疑問。いや別に軽いノリでもいいんだけど、あんたら(自民)そういうわりにどこの選挙区も党員総動員じゃないっすか。学生のそんな軽いノリで、決められてもいいの?と思うとこの言動不一致さもよろしくありません。そういや僕が学生だった頃に、ある選挙区の演説で候補者が「〇〇を男にして下さい!!」とうるさく繰り返しており、その喧しさに腹を立てた友人が「男にして下さいって、お前童貞かよ!」と野次って周囲の爆笑を誘い、候補者を言葉に詰まらせたシーンを生で見ましたけど、その友人みたく会話において頭の回転が早くて機転が利く人材こそ政治家にふさわしいんだろうなと思います。

 

 いまソイツがナニをやっているか分からないだけに非常にもったいない。漫画本編ではこの遅刻少女を鼻で笑ういけ好かない少年が登場。この少年、地元の議員の息子だそうで。もう、こういうところにも鼻につく選民意識が漂っており、読者の反感を買うことは必定。政治家の息子で生徒会長=サブカルの世界観では「嫌われ者のデフォルト」だっていうことを知らないんでしょうか?

  

 次。さてさてそんな優等生で政治にも興味ありそうな生徒会長くん。同級生との帰宅時になにやら政治談議。

 

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「人口が減っていくと経済にも影響が…」
「僕たちも何かしなきゃね」

 

 なにこの薄さ。あんたらの世代だったら「教育の機会均等」とか「景気に左右される雇用」とかいった語るべきテーマも多くあるだろうに!そんな表面的な大人の口真似の政治議論なんて誰の心にも響かねぇって!せめて「そういやあの甘利って人、どうなった?」「よく分からないがテレビで見ないね」程度のことは言ってみろといいたい。こういった「自己批判」できる勇気と懐の広さを見せつけてやるのが政権与党の心意気だろ?って思うんだけどもそういうのをちっともやらない。そういうところに現政権の器の小ささが見えちゃっているので気をつけてもらいたい所です。
 

 そして物語のクライマックス。この人間性がな薄っぺらな生徒会長と仲良くなりたい女の子は一緒に選挙にいけば仲良くなれるチャンスだと思い、投票所にいこうと決意。そんでもって、選挙当日。このイヤミな生徒会長は主人公の女子に「誰に投票するかを決めた?テキトーに?」と変わらず偉そうな態度。女の子はその問いに「私なりに理念とか志とか調べたもん!」と頬を膨らませるけれど、義務教育の公民で習うことさえもろくに知らないバカ扱いをしてきた彼女にどんな理念が理解できるというのでしょう?

 

 先ほどの自民議員の「子どもを産む機械」発言や義務教育で得られる知識さえロクに理解できていないバカ扱いされた女子などを見てもやっぱり自民党は女性を男性よりも劣ると見下しているのは明らかであり、その態度は性差別を許さない日本国憲法の精神に反していると思うのですが、憲法の改正の動機にはおそらく女性が社会に進出したことで肩身が狭くなっている男の威厳を回復させるため女性に対して男性を優位に立たせたい!という、みっともない嫉妬めいた願望があるんじゃないか。少なくても僕はそう感じました。

 

個人の権利を嫌う自民 

 そしてここからがさらに重要。何度も言わせてもらいますけれど、自民党はともかく「個人の権利」をひどく嫌っています。

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 この老害どもが偉そうな態度で語っている主張は大ウソ。「公益=みんなの利益」だけを意味しません。公益とは「社会一般(大多数)の利益であり公共の福祉とは「お互いの自由と人権の公平性を保つための原理」も含んでいます。
 

公共の福祉=大多数の権利ではありません

 もしも、この公共の福祉が公益のみを意味するものだったらどうなるか。例えばあるコミュニティーで僕がヘビースモーカーだとします。20歳を超えた成人だったら僕にはタバコを吸う権利がありますが、その一方で僕の周辺には「タバコのにおいや煙がイヤなので、私の近くで吸わないでもらいたい」っていう人たちが大勢いて、僕みたいな喫煙派が少数だとする。公共の福祉が公益だったら僕のタバコを吸う権利が認められません。この場合、喫煙という行為は「大勢の利益に反するから」です。それとは逆に嫌煙家が少数派でヘビースモーカーが大勢な状況なら「タバコ吸われるのはイヤなのでやめてほしい」といえません。この場合「喫煙できる環境」こそ公益となるためです。
 

 このように両者の(幸せを求める権利)が対立する場合には、お互いの持つ権利を最大限尊重して解決策を模索する。上記のケースならオフィスに「分煙室」をつくるという妥協案あたりが現実的な解決策になるでしょう。この辺の議論はたいへん難しくて、現在でも多くの憲法学者が意見を戦わせています。ただどちらにしても公共の福祉=公益だと簡単に断言できる問題ではありません。

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 それをやってしまったら公共の福祉=公益=国(権力)の利益という三段論法も成り立つため、国は公益を理由にいくらでも国民に負担を強いることもできるようになる。そのため、この日本国憲法では「国より人の尊厳」という前提で作られているのです。
自民はこの個人の自由というものがキライなので、こんなメチャクチャなことをいってきます。

 

基本的人権があるからって何してもいいという話じゃない。
②今の日本の憲法はとっても個人主義
③日本じゃ、国の安全に反した行動もOKなの!?

だから、個人の自由は制限されるべきなのである。

 

・・・なにこのヒドい三段論法。

 

 つまり「個人の権利」をひどく嫌っている自民の改憲案っていうのは、個人主義が蔓延するとロクなことがない。だからこそ個人の権利を社会(国家)により制御する必要がある。個人の権利をうまく制御することで家族や地域、そしてさらにその延長上にある「国家」の威厳を回復できるといっている。そういう願いが根底にあるというのが僕の認識です。だけど、この個人の制御によって復活できる「国家」なんて女性というのは無知で感情的になりやすいため男性に「教育」される存在であり、「跡取りを生むためだけの機械」であることを堂々と語るだけでなく、公共の福祉=公益=国(権力)の利益という三段論法を成り立たせる事で公益を理由にいくらでも国民に負担を強いることを目的とするろくでもない国家だろうけど。

 

国に家族のあり方をどうこう言われたくない! 

 さらに次。自民党改憲案が重視するもののひとつに「家族」というのがあります。「婚姻」について定めている現行の第24条にわざわざ「家族」を付け加えて、「理想の家族」のあり方をくどくど書くくらいのこだわりです。

第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)

 

①家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

②婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

③家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 お前らにわざわざ家族のあり方のモデルまでどうこう言われたくない!ってのが僕の感想だけど、なんでそこまで「家族」にこだわるのだろう?その答えは以下のコマにあります。

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改憲の根底にあるのは自分たち「七光り」の肯定 

※物語のクライマックスで語るのは「個人の自由の強調で女性が社会進出したための家族の絆の希薄さ」の嘆き。いい年の大人がほんと情けなくてみっともねぇ。

 

 自民党がやたら家族を強調する理由。それは自民の議員たちって誇れるものが「家族」だけだからじゃない?以下のサイトによると自民の議員の4割が世襲安倍内閣にいたってはなんと5割が世襲だそうな。

 

blogos.com

 

 この「権力を握る人たち」が議員になれたのはいうまでもなく親や祖父母の七光り。つまり、自分の力ではない。従ってこの人たちのアイデンティティーは嘗て、この国の権力を握っていた家族や親戚。だからこそ、現在の自民党議員にとって「家族の絆」というものの否定は自分たちのアイデンティティーの否定に他ならないから「家族」の重みを復権させたいのじゃないだろうか。違う?

 

日本国憲法って長々書いてきた通り、国民に国家との同一感に甘えるな!あなたの幸せはあなたで責任を持て!と語っている厳しい憲法だよ。これをできない奴らが改憲についてどうこういうな!

 

constitution.jimin.jp

 

 これ読んでみたらドン引き。

 

FC東京サポのいう「戦う」って、誰と何に対して戦ってるという意味なのかを知りたい 

こんにちは。

以前、FC東京についてこんなブログを書きました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

この記事については賛否両論で、サポーターっぽい人達にはそうとう頭にくる記事だったみたいだけど、現在も僕はFC東京から距離を置いています。万年中位だったFC東京を昨年4位に躍進させたイタリアのマッシモ・フィッカデンティ監督退任後、城福浩監督が就任。監督交代でイタリアのセリエA仕込みの戦略的な守備から、縦横無尽のパス交換による攻撃的な戦術に変更した今シーズンは性質も全く異るため序盤はまた中位になると思ってました。でも、たとえ中位になっても2つの戦略を融合させるのは難しいことなのでそれはやむを得ない。サポーターとしてはそこはだまって選手の戦いをみていこうと思っていたけれど、東京は現在11位。攻撃的なサッカーを標榜する割には15得点18失点の−3点。ちなみに昨年の1stでは2位で24得点18失点の+6点。流れるような美しいボールのパス交換もなく、まったく得点もできない。チーム失点数はほぼ同じだけど、以前と比べて詰将棋みたいな戦術性のある守備でもない。

実際に戦っている選手たちも監督も勝ちたいと思っているはず。だけどもその結果が伴わない。昨年の成績を思うとさぞや辛い心境なのでしょう。そんな彼らに罵声やブーイングを浴びせる気にはなれないだけでなく、そういうのも聴きたくない。かといってチームを結果的にめちゃくちゃにしたバカなフロントを許せない。そういった感情が渦巻くので距離を置きたいのです。

最近はJリーグの試合後、上の記事にアクセスする方も増えています。検索ワードを調べてみると

FC東京 城福 解任
FC東京 魅力ない

などのネガティブなものが多かったので気になってチームの掲示板をのぞいたところ、監督の悪口のオンパレードだったので僕もいやな気分になりました。

現在のFC東京には魅力を感じないのでサポーターを辞めたい。そう愚痴を漏らしたら同僚に「辛い時こそ共に戦うのがサポーター」などとエラそうにいわれたんですけど 監督の悪口いうのがあなた達のいう「共に戦う」なのか? そんなに城福監督がイヤだったら、なんで監督の交代を受け入れたんだ?と思うのです。

僕はマッシモ監督の続投派だったので今も今回の監督交代に納得いっていません。フロントの決定事項なので、もうどうにもできない。だったらその決定を見守ろうと思っていました。だけど考えたらコレって「戦い」を放棄していただけだった。そんなに納得いかないんだったら、僕も署名でもなんでも行動するべきでした。

サポーターも監督の交代を知った時点で、「城福監督でチームが強くなるとは思えない。そのフロントの一方的な決定には承服できないので観戦をボイコットさせてもらう」ぐらいのことをいって味スタをガラガラにしてやるぐらいのことはやれた筈なのです。

はっきりいわせてもらえば現在、ブーイングしている人たちの多くも城福監督就任を間接的に承諾したのです。監督や選手はオファーを受けてチームに合流して、結果を出すため努力しているだけの話。そんな人たちにブーイングだの辞めろだのきたなくて乱暴なことばを浴びせている人たちにもチームを停滞させた責任はある。もちろん僕にもある。そこに目を向けずフィールドで戦っている人たちを罵倒するのはあまりにも無責任じゃないでしょうか。FC東京って、いいチームだなと思いながらその「いいチーム」を守るため、バカなフロントに異議を唱えて戦わなかった。だから僕はサポーターじゃなく「にわかなファン」でいい。

FC東京サポーターを名乗る人たちに僕は聞いてみたい。ふだん、あなたたちの語る「戦う」とは誰となにに対しての戦いですか?と

 

※クラブ弱体化の責任はサポーターにもあると思っているけどそれをどうとるべきかはまた、難しい問題なんだろうな。

「日本すごい」「日本人を褒めろ!」という愛国ポルノにうんざり。

こんにちは。

 本日のブログのテーマはたまたま電車に乗っていた時、目に入ったこの雑誌の表紙。

 

 

日本すごい」のキモさにうんざり 

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日本語と日本文化が世界を平和にする。
なぜ日本人は毎年ノーベル賞をとれるのか。

 

 よくもまぁここまで臆面もなく自分たち日本人はすごい!といえるもんだ。筋肉少女帯のCD「日本印度化計画」より質の低いジョークだし、読者がジョークとか思わず本気でこの記事を受け取っていたら笑い話にもなりません。最近はテレビでも「こんなに辺境な海外にいる日本人!」みたいな番組が増えてきて僕自身、うんざりだけども考えてみたらあの手の番組って国の経済や政治事情が思わしくない外国にわざわざ出向き、そこで現地のために長年活動している日本人をフィーチャーするというのが基本構成。だけどこういうのがウケるっていうのはたぶん、僕らの心の奥に「先進国である俺達日本人の仲間が、あなた達みたいな貧乏で政治・経済が不安定な国のため活動しているのをありがたく思え!」という思い上がりがあるためだろうと思います。

 

日本すごい!」の横柄さにうんざり

 日本スゴイ!の自画自賛番組もひどいけど更には以下のようなひどい番組も。

 

www.tbs.co.jp

 

 世界各国に広まっている「ニセクールジャパン」「ニセ日本文化」を本場の第一人者が成敗!!つまり海外に広まり、異なる形となった日本文化を日本人があざ笑うという番組。先日アフリカのモロッコで日本のものと異なる剣道を教えている先生のところに日本の有段者が道場を訪ね、この先生をメタクソにするという企画があったそうな。日本自体が中国などを含むアジア圏、明治〜戦後はアメリカの文化を亜流に変化させてきた歴史を持つくせに海外の「ニセ日本文化」とやらを笑う資格がそもそもあるか?と。また、文化というものは互いに混合し合い、新たな形になって互いを高め合う事だってある。もし本来ある原型だけを認めるというならアメリカに「ニンジャ」を広めたショー・コスギや、物理的法則お構いなしな忍者漫画「NARUTO」の作者もニセモノの日本文化伝承者だ!になる。僕自身、合気道という日本文化?(この?の意味はいずれ書きます)に30数年ほど続けているので自分なりにこの国の風土の育てた文化に愛着を持っており、自分達の知る原型と異なった海外の日本文化を目にする時はやはり戸惑い、思うこともあるでしょう。だけど文化というのは生活習慣や風習によって育つもののため他国では形も異なっていきます。情報や人材が国境を越えて凄まじい早さで行き交う現在、僕らは自分たちの文化の固有性にこだわるか?原型とは異なる形になった文化を認め、楽しめる懐の広さを育てるか?のどちらかを選ぶだろうけれど発展的でかつ建設的なのは後者だと僕は思っており、わざわざ他国に出かけて日本と異なる形に発展した文化を笑いものにするのは極めて無礼な振舞いと言わざるを得ません。

 

日本すごい」≠「俺すごい」の思考にうんざり

 このような雑誌やテレビなどの「日本人フィーチャー」特集がそれなりに売れているとしたら、それはこの国全体がみんなで虚勢を張っていることの証左だろうなと僕は思うのです。まだ日本が好景気だった80年代、僕らは「経済」というものに自信や誇りみたいな感情をもっていました。「経済大国ニッポン」という響きには子どもだった僕もなんとなくだけど「自分も経済大国の一員。つまりお金持ちで勢いのある国の子ども」なんだなと思っていた時期もありました。たぶん多くの大人たちもそうだったんでしょう。だけど90年代になってからこの日本の経済=日本人の誇りの拠り所はどん底になって、今でもなお低迷中。日本人が経済に誇りを持てなくなっている現在、次にこの国の歴史や文化というモノに自分の自信の根拠を求める人が増えているように思えてなりませんがくだらねぇ。そんな他人の褌で相撲をとる人生なんてまっぴらごめんだ。だから現在の政府や保守を名乗る人たちが語る「この国に自信が持てる、自信をもとう」といった言説が、俺は大キライ。こういう馬鹿な奴らが「日本スゴイ!」「日本人を褒めろ」と叫ぶ「愛国ポルノ」を世間に広めることでこの国の足を引っ張っているのが本当に腹立たしい。

 

 こういった愛国ポルノなどを通じて「誇りと自信を持てる国を作ろう!」なんていうのは自分にとって大きなお世話なんだけど、僕はそもそもこの国の何について「誇りと自信」を持てというのかピンときません。この国の歴史か?文化か?現在に生きる何らかの偉業を成し遂げた人物の存在か?どれでもいいんだけどそれらが他国の賞賛を受けるほど素晴らしくても、そうでなくても「だからナニ?」って感じです。他人の物語にのっかることで手にするプライドなんて、みっともないったらありゃしない。それってなんの取り柄も持たないさえないヤツが自宅の家系図を持ってきて、自分の家柄を偉そうに自慢して周囲から失笑されるのに似ている。周囲はそういう人たちにこう問いかけるでしょう「ふーん、家柄スゴイんだ。そんで、アナタ自身はどこがスゴイの?」と。ポルノというからには興奮させてほしいんだけど僕、インポテンツなんすかね?

 

日本すごい」という自画自賛の先にある衰退 

 人生におけるエクスタシーっていうのは自分の人生の中にのみある。「愛国」に踊らされて、ふと気づいたらその「誇るべき国のため」という大義で国に財産や生命を搾取されても不満を抱かない、誇りなき家畜になり下がるよりもぜんぜんマシだ。権力が「誇り」などという力強い単語を口にするときは、国が国民を「国家」を維持するためのコマにしてやろうと目論んでいる傾向が強いのは古今東西の歴史が物語っています。 どうぞご注意を。


 

 他人に同化する仲間意識より、どこにも交わることのない自分自身の「芯」というものが僕は欲しかった。他人に寄りかかる事で得られる自分への自信より、誰とも違うことのできる自分を手にしたかった。現在でもその欲求は滾っており、未だ手放せません。自他ともに認める「いい年した中二病」です。だけど。小さな自分のプライドのために他人を貶めたり、他人の成功や功績を同化させて自分のプライドを保ったり、歴史を自分の都合のいいように捏造しなきゃ自分を保てない人たちよりはマシだ。今後もブレることなく中二病でありたい。

  

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※日本人リスペクトのメディア情報を単純に喜ぶ人にいってやる!

 「お前ら病んでるぜ」。そして現実ってこんなもんだよと自覚すべき。

www.stay-minimal.com

 

toyokeizai.net

 

日本なんてすごくなくていい。それでも胸を張って生きていけ!って啓蒙するのが本来大人の役目なんだけど、大人がそれに浮かれているっていうのが情けないわ。

学生の頃、就職活動で企業に賄賂を贈ったらこうなった

こんにちは。

 

先日から続いている就職活動の面接編。

 

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結果はどうあれ面接の機会を得るためには

エントリーシートで目に留まらなきゃダメ。

ってなことで、本日の記事テーマは

エントリーシート。ぶっちゃけ

以前書いた記事のリライトになります。

この記事を書いた頃はまだそんなに

読者も多くなかったので、読者が増えたら

またあらためて書いてみたい話でした。

昔からこのブログを読んでくださっている人は

「その話だったら知ってる」というエピソードだけど

なにとぞ、ご容赦を。

 

さて本題。

僕が学生だった頃は日本は真っ只中の不況で

多くの企業が新卒採用を渋ったため、

就職氷河期などとも言われていました。

学生の殆どが不安を抱えながら

企業を回り、履歴書を書いて面接に挑むなか

映像業界だけに就職先を絞っていた僕は

正社員採用でひっかからなきゃ

アルバイトからという道もあるさと

周囲も呆れるほどのんきでした。

秋から始まる採用に備え、

春と夏の間はてきとうな企業を受けて

リハーサルでもしておこう!

みたいなノリで面接を受けたり、履歴書を書いたり。

その中でも僕が好んで受けていたのは

自由記述欄、つまり「エントリーシート」を

重視するという企業。会社のホームページに

 

エントリーシートは皆さんから私達に向けられた

ラブレターです。どうぞ皆さんの個性をぶつけて下さい。

とか書いてあった会社を率先して受けました。

 

会社に受かるためではなく、勝負するために。

 

どういうことかっていうと僕自身は昔から個性を

「人とは交わらないオリジナリティ」と定義しており

 

会社の面接やこういう書類は、僕にとって

「人間の個性」がどうこうと語っている連中に

他の人たちが絶対やらないこと、思いつかないことを

相手にぶつけてその反応を確かめるための

思考実験を行える、絶好の機会だったのです。

 

shukatsu-news.jp

daikore.com

 

現在でもエントリーシートの「自由記述欄」に

何を書くべきかは多くの意見があるけど、

記述もイラストも誰かがやっているので

本当の個性とは言えません。20年近く前の僕は

誰もがやらない事を追求してこそ、真の「個性」と

本気で考えた結論として自由記述の枠に

大きな矢印をひいて「賄賂」と書き

当時の僕にとっては大金の一万円を

のりで貼って企業に贈ってみたのです。

 

※ついでにいうとこの頃の日本では多くの企業が

食品偽装やお金に絡む不正を行っていた事が

社会問題にもなっていたので、その空気を

この手で風刺してやりたいという思いもあったりした。

 

 

さてさて、企業はどう出るか。

 

結果:不採用の通知のみで、

お金も戻ってこない結果に。

 

せめて領収書くらい送ってほしかった。

 

googleで調べてみたけど現在も

エントリーシートにお金を貼って贈った

学生はあまりいないようなので、

今やったら案外、うかったりしてな。

   

 

 

※だから現在はマジメな社会人やってるって

「出張ホスト」は経験的に最もお金を稼げるアルバイトだった

こんにちは。

 先日から学生の頃の就職活動についてブログ記事を書き続けているけど、皆さんこのエピソードを面白がってくれているのか、地味ながら読者も増えてきました。

 

arrow1953.hatenablog.com

  

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 こういったエピソードでよけりゃいくらだってありますので紹介させてもらいます。本日は社会人編。昨日もブログ記事で書いたけども、僕の本職は東京や日本各地を回ってLANネットワークの構築などを請け負っているネットワーク屋です。前職はアニメ制作だったり、タウン新聞の社員ライターやフリーライターをやったり、まぁ根無し草だった時期も長くありました。その頃に多くの職業を経験させてもらい、そういった経験が現在の業務に活きているのか?といったら微妙ではあるんだけど「社会人」としての足腰を鍛えてくれたんだな、という実感だけはある。そんな幾つかのお仕事でも印象に残るのは短期間だけ体験できた「出張ホスト」でしょうか。

 

 このお仕事のきっかけになったのはフリーライター時代に執筆したあるインタビュー記事。30歳前後だった頃に東京を取材エリアとするフリーペーパーでライターを務めた僕は都内でユニークな仕事に就いている人の取材記事を担当。そこで出会ったコンパニオン派遣の社長さんにお誘いを受けたのです。その会社では女性企業家対象のセミナーの後などに行う懇親会専門の男性コンパニオン派遣を行っていて、どうせだったら取材を兼ねてあなたもやってみたら?というお話に。同時にその会社には若くてキラキラした男性しかいないので、もっと地味目の文系なキャラが欲しいともいっていて、そんな僕はその風貌もピッタリだったそうな。

 

 んでもって取材当日。その社長に「AMちゃんにも源氏名あげる」といわれたので、どんな源氏名なんだろうと思っていたら「ダザイ(太宰)ちゃんかオウガイ(鴎外)くん、どっちがいい?」と、社長は僕の想像を超えるものを提案。僕は「できたらハルキくんとかヒトナリくんがいい」といってみたところ、その社長は「村上春樹辻仁成キライ!!」とにべもない回答。しょうがないので僕の心の底にある自虐のナルシシズムをくすぐるダザイちゃんを選んで、いざ実践とあいなりました。

 

 出張ホスト(コンパニオン)になり「ダザイちゃん」という源氏名をもらった僕は女性社長たちの集うセミナー後の懇親会へ。周囲にいた男性コンパニオンはグラスの空いた女性を見つけては手にボトルを持ってお酌しに回っていました。僕はというと気楽に料理をつまみ、お酒を飲みながら話を聞いているだけだったけど、懇親会の出席者に誰とも交わることもせずにひとりでお酒を飲んでいる女性を発見。せっかくの取材なんだからホストっぽいことのひとつもやろうと声をかけてみたのです。

 

 女性は当時50代で、30代前半の頃に周囲の反対を押し切り会社を設立。多くの苦難をのりこえて年商10億近くまで会社を育ててきたのよと僕に語ってくれました。年商10億っていうのはすごいのかどうか僕にもわかりませんけれど。そしてその女性は、自嘲気味にこう笑いました。

 

「30代から遊びたいのを我慢して女だということを忘れて働いてきた。その努力のおかげでお金に困る事がない今がある。だけど、もっと『女』を満喫したかった。自分はそんな後悔をどこかで引きずっているからいい年して、こういう場所で張り切ってつい、着飾っちゃう。みっともなくて情けなくて笑っちゃう。」

 

 そんなことをいってため息ついていたので励ましてあげようと思い、僕は即興でこう言いました。

 

「みっともないとは僕、思いません。この世に生まれてきた女性は誰でも自らの美を保って守る義務と権利があります。ご自身の『美』にこだわりを持つ事は女性である貴女の義務でもあり権利なんです!」 

 

 このセリフのポイントは権利の後に義務という単語を持ってくること。そうすることで「あなたの気持ちは女性の義務なんだから恥ずかしい事じゃない」と女性の些細な女心を全面的に肯定できるから。コレは即興のセリフだけれど、アドリブながらよくできたなと今も思っています。実際に取材に誘った女社長も「あんたそのセリフをアドリブでいえるんならとんでもない才能だわ!」と僕をベタ褒めしていました。

 

 さて。僕にそういわれた女性は「そんなことを男の人に言われたのは初めてよ!」と僕を抱きしめて左右に強く揺さぶってきたので、僕はその衝撃を受けながら「適当な発言にそこまで感動されてもなぁ」とただただ困惑。その後、その女性からの直接のお誘いで一度歌舞伎か宝塚を一緒に観にいき、ディナーをごちそうになっただけでなくおこづかいも3万円いただきました。あ、こりゃいい商売だなとも思ったけれどその数日後「マジっぽい」メールを貰ったことで後々、めんどうなことになるだろうなと思い、そのコンパニオン会社の社長に相談後、女性に教えていたフリーメールを廃棄。

※今思うと僕も迂闊だった。

 

 携帯の電話番号は教えていなかったのでその後その女性はどうなったか。また、その派遣コンパニオンの会社もどうなったかわかりません。ただ、いくら口がうまくても性格的に僕はホストにはなれなかったとは思う。

   

 

就職活動の面接で下品なことをいったらこうなった

こんにちは。

 

先日のブログのテーマは就職活動。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

ブログにも書いたけど、映像制作会社を

希望していた僕は秋の採用シーズンに向けて

多くの企業を受けて面接練習に励んでいました。

前回のブログでは電話で内定を貰ったときの

お話を紹介していますが、面接の回答によって

面接の会場を追い出された事も。

 

ある企業を受けた時のお話になります。

誰でも知っている有名企業なので三流私大の

自分じゃ相手にもされないだろうと思いながら

エントリーシートを郵送したところ、

どういうわけだか面接を受けることになって、

ビビりを抑えて僕はその企業へ行きました。

 

企業に行ってみるとそこにいたのは

殆どが「一流国立大・私立大」の面々。

面接時に学生が大学名を名乗り

それをだまって聞いているだけで

「ほんとうに自分は場違いな所に来たな」とか

他人事っぽく思っている間に、自分の番。

 

「TK大学出身、AMネットワークです」

そう名乗ったら周囲が笑いやがったのです。

「TK大?なんでお前みたいな奴が来てるの?」と

でもいいたげな空気を学生も面接官も漂わせており

アウェーな環境に置かれた僕は

受ける気もない会社だったけど、やたら腹がたち

コイツらに復讐してやることを決意。

 

※昔はこういった露骨な学歴差別があったのよ。

 

俺を笑ったことを心底後悔させてやると

心に決め、僕は質問に無難な回答をしながら

その場の空気を乱せるタイミング、

機会を狙っていました。

 

そして面接官が学生に趣味を尋ねる場面。

ここを「絶好のチャンス」と捉え僕は

「私の趣味と特技はSEXです」とさわやかに

明るい笑顔で答えてやりました。

 

その時の周囲の見せた反応は今でも覚えています。

僕の両隣の学生たちは瞬間に僕のほうを

「コレどっきりカメラだよね?」とでも

いいたげに僕の表情を見つめ、動揺していました。

面接官たちもそういう回答が想定外だったのか

身体を硬直させていました。それをきっかけに

面接官の質問にツッコミを入れたり、学生の応対に

「その回答、リクナビで読んだぞ!」と

揺さぶってやったりやりたい放題。それにペースを

乱された学生たちは頭の中が真っ白になったのか

ろくな回答もできずしどろもどろに。

なんだ、エリートって意外に脆いんだなと

思っていたら、面接官に

「あなたは当社の求める人材ではない。

お引取りいただきたい」とのこと。

 

ああ、上等じゃん。と僕は思って

「お騒がせ致しました」と頭を下げて退室。

 

ドアを閉じて数十秒後にまたドアを開け

「とめたってムダだからな」と捨てゼリフ。

またドアを閉めた瞬間に会場は笑いで沸きました。

 

そんな具合だったけど、結果的に僕は

その場の空気を完全支配できた事に

自信を得たのでご満悦。そのカン違いで

20~30前半までえらい苦労をする事に

なったんだけども、その話はまたあらためて。

 

だけど、今、思い出してもほんとに

学歴差別って腹がたつな。

 

xn--1kr69rl7h0yh.com

 

あーそういうのってまだあるんだね。

ただ人事担当が応募者全員の経歴を

みられない実情ってのもあるだろうから

なんともいえないけど。

  

※こういった苦い経験があるから

僕は絶対に経歴で人を判断しない。

そういった意味でいい経験でした。

「社畜になりたい」と就職活動の面接で語った思い出について

こんにちは。
本日のブログの話題は「就活塾」っていう塾について。

 

 

toyokeizai.net

 お金を払って模擬面接や就活のノウハウを教える「就活塾」というものがあり、その塾と受講生の家庭でトラブルが増えているとのこと。就職活動に備える準備のはずが、いつのまにか塾での模擬面接で高評価を得ることほうが目的になって留年をするはめになった学生さんの証言や塾に勧誘されて、断ってもしつこく誘われて困ったという話も多くあります。

 

 

この記事と前後して最近、大川総裁の就職活動論を読みました。

www.asahi.com

 僕もリンク先にある大川総裁の考えに賛成。面接も突き詰めたら結局人と人の相性。そこで気に入られたいからとマニュアルに頼ったところで、どうせうまくいきません。もっと自分が何をしたいのか?自分の価値観を発揮できる会社はどこか?会社に自分を選んでもらうというよりもいい意味での自分本位で会社を選べばいいのに。とも思うけど、現実にはなかなかそういうわけにいかないのでしょう。

僕はやっていたけどね。

そのおかげで20~30前半までは苦労しまくりました。

この辺の話についてはいずれ語らせてもらうとしてさて本題。

 

社畜になりたい!」と面接で語ってみた

 現在、企業LANの設定やトラブル対応などを請け負っているネットワーク屋として首都圏で勤務しています。学生の頃は映像製作や脚本の執筆を専攻していたため就職活動も希望先を映像制作会社に絞り、他の職業を考えてもいませんでした。実写映像の制作会社を受けて内定を貰えなかった僕は秋から始まるアニメ制作会社にターゲットを絞り準備。(大手だとだいたい秋が多かった)夏休みとかは面接に備えてさほど興味のない会社を受けまくっていました。いってみりゃ模擬面接です。

 いくつか面接を受けた中で覚えているのがあるメーカー企業。募集時には明るくて雰囲気いい写真でめいっぱいPRしていましたがいざ、エントリーシート通過後に面接で訪れたら、その社内や社員から漂う空気やボロボロなビルの概観が労働基準法違反」を具現化した会社であることを雄弁に語っていました。面接のため集まった僕ら全員が、「ここやべぇ会社だ」と感じながらも面接はスタート。当時は就職氷河期で、多くの学生はどんな企業でもいいので内定が欲しいという思いで企業の面接を受けていました。その中で僕だけは「ぜったいにこの会社には入りたくない」との思いで面接に挑んでいたためひどい回答で面接に落ちることだけそ考えていました。

 面接の順番が回ってきて、面接官に「面接が通って入社となったら、この会社であなたはナニを目指しますか」と質問された僕は「どこに出ても恥ずかしくない社畜です」と回答。面接官の表情顔が曇ったのを見て安堵した数日後、社長直々のラブコールが電話に。 これはびびりました。

 

社畜になりたい!」から受けたラブコール

本来あと2、3度面接がある筈がその社長に「ぜひAMさんには当社に来ていただきたい!」とアツい誘いをいただいたのです。僕は丁寧にお断りさせていただき、その会社の電話番号を着信拒否。ただ、これはひょっとしたら社長が回答を個性と捉えて直々に誘ってきたもので、僕を社畜にしようと思っていたんじゃなかったのかも知れない。ブラック企業というのは思い込みで実は社員のユニークさを尊重するいい会社だったんじゃないのかとその選択を後悔したこともあったけど20年後にインターネットでその会社を検索しても出ないところを見るとやはりブラック企業だったのかな。現在はいい会社にめぐり会いチームの人間関係も好きなのでたのしく社会人やってますけどね。学生の頃のしょうもない思い出でした。

 

shachiku-festival.com

社畜って言えば最近こんなブログを作ったヒトデさん。いやいや社畜道も、甘くないぜ!!

 

 

※ブログに書いたようなおふざけはモラトリアムの学生の間だけと決めていたので、現在はマジメな会社員をやっています。