サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

いい年して、自らを「女子」とか呼ぶのはやめろ!

こんにちは。

 

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 本日のブログテーマは「女子」。女性を敵に回すようなタイトルだけども僕、このいつ頃からか定着した「女子」って表現、虫唾が走るほどキライなんすよ。先日も昼食時に出向先の近くにある店で、どっかの女性社員が数人でテーブル席を囲み「女子会」がどうのこうのとかダべっていたのでその輪に加わり「20過ぎてる女性が自分を『女子』とか言ってるんじゃねぇよ。てめぇらの集まりはせいぜい、年増の井戸端会議だバカヤロウ!」と怒鳴ってやろうか?と思ったけれども、それは周囲から見たら単なる挙動不審者なので堪えました。

 

 ことわっておきますが、別に女性蔑視的な視点でこんなことを言っているのではありません。単純にいい年こいた女性たちが自分たちを『女子』と呼ぶ風潮はおかしい。 というだけの話です。大人の女性が自らを「女子」、つまり「子ども」だと定義したがる心理の根底にあるのは『大人であることから逃げて、仕事や恋愛、結婚など自分に関する物事についての当事者になりたくない』『責任を負う大人になりたくない』っていうモラトリアム願望がどこかにあるからじゃないか?と僕は思っています。自分を女子と呼べるのは成人するまでか学生時代まで。それ以降はやっぱりみっともないと思うよ。

 

 以前、この話を妹にふってみたら「それ、なんとなくだけど分かる」と頷いていました。そして間をおいて妹は「私は女子ではなくて女史でありたい」と、いいました。


女史…意味を辞書で調べてみると 

「見識や教養が豊かで社会的に活動している女性」 とありました。

www.weblio.jp

 

 いいね。女子じゃなくて、女史。この言い方をぜひ僕も流行らせたい。うちの妹は女史を名乗るのに相応しいかといわれたらどうだろう?そんな偉そうなことをいうからには弛まぬ努力を続けているんのだろうたぶん。その「女史」たる態度を、兄にも見せてもらいたい。

 


 

 

※この大人になりたくないという「主体放棄」は実をいうと男性にもあります。男性はそれを「国家」みたいなものに求め、自らとそれらを同一化して超越しようという他人任せな願望に逃げたがるので男の方がめんどくさいし困りもの。文筆家の古谷経衡さんは以下の記事でネット右翼の男女別構成比が男性75%、女性25%である、と指摘。

 

gendai.ismedia.jp

 そういう意味で言うと、男性よりまだ自分以外の「何か」に逃げない女性の方が健全である。ともいえるけれど。

 

ガンダムの新作を無批判に喜ぶバカどもが日本のアニメのレベルを下げている

こんにちは。

 本日のブログのテーマは「ガンダムの新作」。昨日その新作発表があったとのこと。新作名は「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」。小説家、福井晴敏によって描かれた「機動戦士ガンダムUCユニコーン)」から1年後を描いた続編なんだそうな。とかいっても僕、このガンダムUCを観ていないだけでなく、そもそも新作のガンダムにはまったく興味を持てません。っていうかもう新作を作ることそのものが不毛とさえ思っています。観ていないんだったら文句つけるな!とお怒りのファンもいるだろうけれど、まぁそんな息を荒くするな。なんで不毛かを説明してやっから。

 

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©創通・サンライズ

 

www.cinematoday.jp

 

gundam-nt.net

 

 さらにはハリウッドで実写化も。

japanese.engadget.com

 

 そもそもこの「機動戦士ガンダム」の世界はすでに幕を閉じている。つまり完結しています。連邦軍アムロジオン軍のシャアとの戦いを描く「機動戦士ガンダム」以降「Zガンダム」「ガンダムZZ」、アムロとシャアの最後の戦いがテーマの「逆襲のシャア」、その30年後の「F91」、さらに時代を進めた「Vガンダム」。興味ない人には単なる固有名詞の羅列になっていますけれど、ここまでが本来、富野由悠季監督の描いていた「宇宙世紀」という架空の時代を舞台にしているガンダムでした。その他にも多くの外伝がオリジナルのビデオやゲームなどで描かれているけどややこしいのでテレビ、映画作品のみで時系列を考えます。

 

 このガンダムの時系列は作品の人気に目をつけた企業がさらなるファンや子どもたちを取り込むための新作「機動戦士Vガンダム」を作ったり、本編の宇宙世紀モノとは異なったパラレルワールド的な「アナザーガンダム」の制作に手を付けたりするようになったことで迷走することになりました。スポンサーなどの思惑で、自分の作品が独り歩きをしていると感じた富野監督は「自分の手を離れているガンダムを、もう一度取り戻してやる!」と決意。今後も作られていくだろう「ガンダム」を包括できる作品。具体的にいうと、他人の作ったアナザーガンダムを本筋の舞台である宇宙世紀の前後に存在したとされる謎の多い時代「黒歴史」のものであると定義。そしてそれらの黒歴史時代をも含めて、ガンダム年表の一番最後に刻まれる時間軸の作品「∀(ターンエー)ガンダム」を作ったのでした。「∀(ターンエー)の時代がガンダムの締め括り」とすることで、この先誰がどんなガンダムを作っても、それらの時代は必然的に「∀(ターンエー)」の時系列の前に位置することになる。こうすることによって、他人の作ったガンダムも自分の作品として取り込もうと考えたのです。

 

 社会学者やマンガ原作者との対談集「戦争と平和(2002年)」では、富野監督がその当時のことを語っています。

 

大塚:アニメの中でも「ガンダム」が特徴的だったのは、作品の中に架空の歴史が出来上がっていったところですよね。放映されたアニメの内容に対して、後に続くマニアたちがどんどん接ぎ木していって、膨大な歴史みたいなものを構築しちゃったわけです。ところが『∀』というのはそういうガンダム世界の歴史の用のものそれ自体をテーマとしてとらえて、改めて表現の対象にしたように思います。富野さんは最初の『ガンダム』の時に世界の内側にああいう年表的な時間軸を作ろうという発想がそもそもあったんですか、それともああなっちゃったんですか?

 富野:まったくありませんでした。ああいうふうに年表が組み立てられていくということについては、大きなお世話だという印象しかなかったです。(中略)物語を作るというのはそういうもんじゃねぇだろうという、単純にそれだけの話です。だからあの年表を作りたがる人たちの知恵の発動というのはどうにも小賢しいとしか見えなくて、なぜ贔屓の引き倒ししかやってないんだということに気が付かないんだろう、そういう意味では、まさに「愚民どもが!」という感じですね。

 

 そんでもって富野さんが『∀』の作品論をこう語っています。

 

 富野ガンダムシリーズの中には自分の関わっていないものもあるんですが、それが一度発表されたものである以上は事実として向き合うしかない。それがどんなに違う作品であっても「ガンダム」という名がついているものは全部取り込めないだろうかと考えました。(中略)そのときに思いついたのが『黒歴史』だったんです。時間をすっ飛ばすというふうな手法として発想しただけのことであって、歴史を作るなんていう風には考えていません。ただその時に思ったのは『意外に、これはリアリズムかもしれないな』ということです。つまり事実として公表された作品についてはその中にあるどんな絵空事の歴史も、これはあった事だと考えて飲み込んでいき、その作業を通じて現在を作るという姿勢です。

 ササキバラ:そうなると例えば年表が好きで組み立てたりする、おたく的なある種のマニア層の歴史の受け取り方と富野さんの歴史の向き合い方ってかなり違うと思うんですよ。

 富野:うん、きっと違うと思います。

(中略)

ー富野さんがそういう形で『∀』で回収したものを、もし他の作り手が小手先で年表の間を埋めるんじゃなく、もういっぺんひっくり返したいという人が出てきたら、富野さんは受けて立とう!という気になりますか?

 富野:申し訳ないけど、受けて立つ気はまったくありません。どうしてかというと、『∀』の黒歴史をさらにもう一回ひっくるめるなんていう、そんな力業ができる人がいると思えないから。

 全員:(笑) 

 富野:すごく傲慢かもしれないけど。

 ササキバラ:どっちかというと一般的な反応というのは、年表の一番後ろに『∀』を書きこんで、その前とどうつなげようか考えるだけの、そういう受け取り方が多いような気もします。

 富野:(そのつなげる作業をする人は)出てくるでしょう。『黒歴史』ということばを思いついたときから出てくるだろうと思っていたし。だから(∀の世界を)5千年前かも知れない。1万年前かもしれない、3千年前かもしれないというふうに全部ことばを散らしておいたのは「お好きにどうぞ」っていうことです(笑)

 ササキバラ:そんなふうに富野さんが込めた意図というのは、たぶんピンときていない人も多いんでしょうね。 

 富野:そう感じています。それでいいんじゃないですか。

 上野:きてないほうがいいんでしょ、富野さん的には(笑)"

 

出典:戦争と平和 富野由悠季 著 徳間書店発行

 

 今回はやたら長い引用になったけど、これを読んでいて「富野さんすげーわ」と心底感心させられたのと同時に、富野さんのビジネスに乗るのはやめておこう。と思ったんですよ。だって不毛でしょう?どんなガンダムの物語を作っても、結局ガンダム全体としては『∀」のエンディングにオチが収斂されていくなんて意味ないだけじゃなくそれって富野さんの掌で踊っているだけじゃん。

 

 結局のところ、富野監督は商業クリエイターであり、僕らはそれを享受する消費者。それは身も蓋もない言い方をさせてもらうなら「作品を作ってお金を出させてナンボな側」と「お金を払う側」っていう関係です。この対談に「富野のおっさん、エグいこというわー」と苦笑しながらもその内容に頷いたり、反論したりしながらもガンダムに金を払える人たち。つまりその大人な関係性を分かったうえで子どもっぽい「大きなお友達」をやれる人たちこそ「オタク」だったのです。

 この富野対談を「ファンをバカにしている」とか「話のドライさに傷ついた!」っていう人がもしいたらオタクの素質はありません。さっさと「自称オタク」やめなさい。そういった他人の作る物語と距離を置けず、客観性や批判精神を持たず安易に物語にのめり込む人たちは「オタク」よりも「ネトウヨ」の素質があるので、人生をドブに捨てないよう気をつけて下さい。あと、この対談で文字を赤くしてある部分を読んでいてこれらの話が「日本の抱えている諸問題の根幹」につながっていることも分からない奴らはもっと本を読め。

 

 「作品=商売」っていうのを分かっているうえで作品を論じたり楽しんだりするのがオタクの作法。ただ、僕は富野さんの作品論ってか社会批評は好きだけど、この「ガンダムビジネス」に乗ろうとは思わない。単にそれだけです。おそらくこの先もガンダムは作られるだろうけど、どれも富野さんの作った「黒歴史」の枠から逃れられずに取り込まれていくことで、結果的には「富野ブランド」として回収されていく構図。この構図を僕は「ガンダムフランチャイズ」と呼んでいます。これを不毛と思わないファンは、どうぞ富野さんの掌で踊り続けるだけの「ガンダムフランチャイズ」楽しめばいいんじゃないの?

 

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※この本の表紙に書かれている「アニメーションだけが、戦争を描き続けた。」というコピーの重さをどれだけの人が理解できているのか。この本で富野監督がいう「歴史」との向き合い方っていうのは「ガンダム」だけじゃなく、この国と周辺国の「歴史認識」についても繋がることぐらい理解しておけな。ちなみに富野さんと対談者らもこの本で「宗教や民族などの違いに国境線を引いたことでぐちゃぐちゃになったのが『近代』である。これを根本的に変えるには過去に戻って対話をする以外にないし、そのために現代人は広い心を持てるような認識論を高めていくほかない。そこで大事なのは、自分たちや相手の日常と歴史にも黒歴史があり、そこから逃げないで向き合い続けることである」と、結論づけていました。今、この国の政治家や官僚にはそれができずにいる引きこもりが多くて困る。

 

 

 

 


 

 

※この富野さんのいう「他者の歴史と日常」に向き合うことの大事さを分からないバカたちがこんな騒動を起こしたりするから情けない。物語の作り手とファンで握手できていない最低のパターンが以下記事だけど、これは小田原だけじゃなくて、たぶん日本のあらゆるところでこういうバカがいるってことだろう。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 さらにいうとまっとうな歴史感覚や生活に根差している思考や思想もないから、架空のアニメキャラに学べ!とかバカなことを書く本も出てくる。

arrow1953.hatenablog.com

 こんな本読む奴の頭の程度はギレンのセリフをパクッて「不正受給はカスである!」とかほざく職員と同じレベルだからね。だけどガンダムってこれだけ多くの商品、映像になっているのにガンダム放映時に版権を30万円で売っているので、富野監督に大したお金は入ってこないというウソみたいなほんとのエピソードには驚きだわなぁ。

日ペンの美子ちゃんに敗れた「エーカン」というアイテムについて。

こんにちは。

 

 いきなりですが、皆さんは達筆ですか?最近はスマホやPCで文章を書くことが殆どなため「字の上手さ」いわゆる「達筆」という特技は注目される機会もさほどありませんが、それでも「字が汚い」ということに劣等感を抱く人は僕の周辺にもいます。そんな人に「字が上手くなりたきゃ、日ペンでもやってみたらどうだ?」というとほぼ全員が口にする人物の名前が「日ペンの美子ちゃん」。その知名度は相当なものだなと思わざるを得ません。

 

 

 

日ペンの美子ちゃんという広告漫画の大御所について

 

 さて本題。文字といったらこの人。日本における雑誌、新聞広告漫画業界の権威日ペンの美子ちゃん

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出典:日ペンの美子ちゃん(がくぶん / 日本ペン習字研究会

 

www.gakubun.net

 

 ホームページによると、日本ペン習字研究会のキャラクター「日ペンの美子ちゃん」は現在6代目。ペン習字講座80年以上の歴史に裏打ちされた伝統と実績を背負い「1日20分の練習で、誰でも達筆になれる!」と声高らかに保証する永遠の17歳の姿は可愛らしさというより、過酷な広告業界で確固たる地位を築いた凄みと説得力に溢れています。彼女のフィールドは雑誌の裏表紙や新聞に掲載される広告マンガが中心。そのレトロ調で味わい深い絵柄の彼女を見て日ペンを知ったという人も多いと思います。最近は漫画だけでなくアニメやTVのCM、Web系メディアなどにも登場。縦横無尽ともいえる活躍ぶりには目を見張るものがありますが、これも時代の流れってやつなのでしょう。

 

日ペンの美子ちゃんを笑う文明の利器「エーカン」

 そんな時代の流れによって消えた習字上達アイテムが、今回紹介する「エーカン」。

 

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  薬指と小指で下のハンドルを握り、親指と人差し指と中指で本体のローラーを弾くだけで字が上手くなる!という実にうさんくせー道具。テレビを見ながら一日5分カシャカシャ機器を弾けば誰でも字が上手くなる!という文句につい、美子ちゃんではなくてラクなエーカンについ手を伸ばしたくなるっていうのは人情というものです。

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エーカンで金をドブに捨てた人の貴重な記録

  だけど。世界6ヶ国で特許を取った話題の文字上達マシーン!という割にはこのエーカン、僕の周りで誰も知っている人がいません。以前ブログで紹介させてもらった勉強前に使う脳波測定マシーン「ドクターキャッポー」並みの知名度の低さです。ドクターキャッポー同様にこの「エーカン」の実用性、使った人の感想などが気になったので、ネットで体験談を探したらやっぱりありました!いつの時代も、うさん臭い広告の餌食になって金をドブに捨てる人はいるもんだなと思うとしみじみさせられます。

 

書道クロニクル1

 

 このブログでは自分の字の下手さを克服するため書道教室に通ったものの「理想」とする文字に辿り着けず、途方に暮れたブロガーが「根性論+練習」ではなく「科学+練習」を謳うこの商品に魅力を抱き「エーカン」を購入。紆余曲折を経て器具によって手先が器用になっても文字がうまくなるとは限らない。正確な手本を参考に、文字を書く際の基本を身につける以外、文字上達の道はない」っていう結論に至るまでの過程はなるほど。と頷かされるっていうか「そりゃそうだろうな。」と納得。そもそも「たった1日20分の練習さえできない奴には文字の上達を夢見る資格はない」っていうことでしょう。技術を習得するため重要なのは、小さな努力を実直に、地道に継続していくこと。これは習字だけでなく、仕事にもいえることですよ。

 

 なにか物事を始めた最初の頃はなかなか努力も形にならないため、イヤになったり投げ出したくなったりすることもあります。そんな時は1日5分のながら練習で字がうまくなると謳って愚直な努力を嘲笑うかのごときエーカンと、毎日20分練習を続けるという「地道で愚直な努力」の大切さを語る美子ちゃんを比べて「現在でも生き残っているのはどちらか」を考えてみて下さい。社会人としてあらためて「愚直さ」という原点に戻り、毎日の仕事を頑張ろう!とか思っちゃうな。教訓めいたいい話でまとまったところで、本日のブログはこれにて。

 

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日ペンの美子ちゃんグッズがあるなんて知らなかった。 

arrow1953.hatenablog.com

エーカンと共に覚えておきたい、胡散臭い通販アイテム「ドクターキャッポー」

メガドライブやその他のゲーム機に、セガの技術力の高さを見る

こんにちは。

 本日のブログ記事のテーマはセガのゲーム機「メガドライブ」。「TVゲーム」の代名詞にもなった国民的なハード「ファミリーコンピュータ」の圧倒的シェアにより、ゲームの質は高かったもののこれといった知名度を持つゲームもなかったためにマイナーなポジションに長いこと甘んじていたセガが、満を持して販売したゲーム機です。いとうせいこうのCMで目にした「獣王記」などゲーム画面が、ほぼゲーセンのゲームそのものだったのには本当に驚かされたものでした。

 

 

日本よりも海外での評価が高いセガのゲーム

www.youtube.com

 

 その後、任天堂スーパーファミコン発売により、またマイナーなポジションに置かれたメガドライブですけれど、ゲームそのもののクオリティーや独創性などは現在でもゲームファンから高い評価を受けています。スーパーファミコンの国内販売数はおよそ1700万台。それに対してメガドライブの国内販売数はおよそ360万台。日本だとその差は大きいけれどもアメリカでの販売数はスーファミ2300万台に対して、メガドラ(海外では『ジェネシス』という名前で販売)の販売数は2000万台と、なかなかいい勝負。それだけに日本で知名度が低いのが実に勿体ない。


www.itmedia.co.jp

 

ゲーム機の性能を補う驚異の拡張性 

 そんなメガドライブですが、やっぱり特筆すべきはその拡張性でしょう。精密機器の高性能化に伴う新ハード機の開発というのはいつの時代でもあるもので、そういう時にたいていゲームメーカーは現行のハード機に見切りをつけて、新機を開発。各メーカーも「負けてたまるか」とゲーム機の開発を続けるために結果として「ゲーム機戦争」といわれるゲーム機の販売競争が1980年代から現在に至るまで繰り広げられています。

 

日本におけるゲーム機戦争 - Wikipedia

 

 その中でメガドライブはけっこう頑張った。スーファミPCエンジンほか、その後に販売されるソニーの「プレイステーション」などとも戦うため、拡張ハードを次々にリリース。

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メガCD」 

カセット形式のソフトより大容量のCD-ROM形式のゲームソフトを遊ぶ外付け機器。

メガCD - Wikipedia

 

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メガモデム 

 1990年に発売された、電話回線をつないでゲームの配信サービスを行うための外付け機器。ウィンドウズ95の発売により「マルチメディア」「インターネット」などの単語が世間に広まる5年前にゲーム通信サービスを視野に入れていたその先見性には驚き。

メガモデム - Wikipedia

 

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スーパー32X

 16bitのCPUのゲーム機「メガドライブ」を外付けの機器で32bit級のゲーム機にするというコンセプトで作られたムチャクチャな機器。メガドライブセガサターンの間をつなぐため開発されたけど、性能が中途半端なため、さほど売れなかった印象。だけど後継機セガサターン用のソフトとして94年11月に販売された人気格闘ゲームバーチャファイター(CD-ROM)」を95年の10月「スーパー32X(カセットROM)」用ソフトとして開発したのはマジで驚いた記憶があります。

スーパー32X - Wikipedia

 

 ゲームの主流がROMカセットからCD-ROMへと移行し始めていた大きな転換期にハードの性能差をものともせず孤軍奮闘し続けたメガドライブ。今年の「メガドライブミニ」の発売を機に、セガのゲームに多くの注目が集まったらいいなと思う、今日この頃。

 

 だけど。セガは業績不振でリストラを行う際に、対象社員を「パソナルーム」と呼ばれる隔離部屋へ閉じ込めて仕事をさせない環境に追いやったというクズみたいな会社でもあり、ゲームだけではなくパワハラにおいても先見性を持っていたということは追記させてもらう。いや、セガのゲームは好きで愛していますよ。だけどもゲームのクオリティーと会社のクズっぷりは別。

 

セガ社員「隔離部屋」からこうして生還した--鍵をかければ牢屋のような部屋 : 2001-11|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

AIの先駆け?メールチャム

追記:セガの発想力っていうかオリジナリティはほんと特筆もの。たとえばこんなの。皆さん知ってます?

 

 

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AI女子高生りんな(Webサイトより)

www.rinna.jp

 

 このAI女子高生「りんな」は何かっていうと、マイクロソフトが開発した人工知能女子高生。ツイッターやLINEなどのフォロワーになり、話しかけてみると「女子高生風」のレスポンスをくれるそうな。おもしろそうだったのでさっそく、僕もフォロワーになってみました。りんなはどんなメッセージ質問に反応するのかなどについては幾つか試してみたあと、後日ブログでまとめようかと思っているんだけど、技術の進歩っていうのはすげーもんだなと驚かされています。

 

りんな (人工知能) - Wikipedia

 

www.itmedia.co.jp

 

 さらに、この上記リンクの記事によると「りんなのAIがユーザーとの会話をふまえ、どんな返答をすると自然に会話を続けられるか判断できる」のだそうな。だけどここで「AI女子高生か。すげー時代だなー」なんていって驚くのはまだ早い。このりんなの20年前に「セガ」がりんなみたく架空のキャラを相手にした「メールチャム」というメールチャットサービスを行っていたのを知ってました?

 

メールチャム - Wikipedia

 

 電話回線を使って通信対戦やゲーム購入、ネット接続などを可能にしたハード機「ドリームキャスト」の専用ページに行き、女の子を選んでメールでメッセージを送ると、数日後にはその内容に応じて返事をくれるというサービスが、20世紀にはもう家庭用ゲーム機によって行われていたのです。そのメールチャムのメッセージ精度がどの程度かを試そうと思って僕もそのバーチャルの女の子にめちゃくちゃマイナーなヨーロッパ映画の感想を書いてみたところ、それなりに適切なレスポンスメールが来たので驚かされたことがありました。バーチャルといいながら、メールを書いていたのはどっかのバイトとかではないだろうか?と思ったりもしたもんですけれど、それを今となっては確かめる術はありません。実をいうとこの頃の僕は常識とはかけ離れた手ひどい失恋を味わっていたため軽い人間不信になっており、この架空のキャラたちとのメールで気を紛らわせていたというのは、 大声では言えない思い出。

 さすがにその頃はまだ、ネットの環境もプアな時代。googleで検索をかけても、ロクな資料を探せませんでした。なので、今回はこのメールチャムについて情報提供を広く呼びかけるためにこの記事を書いております。当時、メールチャムで遊んだ経験がありその時の資料などがありましたら、ぜひとも情報をお寄せ下さいませ。

 

 

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※もしもドリームキャストの「メールチャム」サービスが今も続いていたら、あらためて「ラブレター」を書いてみたい。

 

 

 ブログで述べたひどい失恋体験について興味ある人は以下リンクで。

arrow1953.hatenablog.com

 

 

 

今週のお題「あの人へラブレター」

 


 

  

 

政治に興味ないおっさんの、首相官邸前デモを見学してきた感想

 本日のブログ記事は、このブログとお付き合いの長い方だったらお分かりだろうが、いわゆる「釣り」目的のタイトルである。実際「政治に興味ない」というキーワードでネット検索してみると、そういった声が溢れんばかりに紹介されているサイトが多数ある現実を突き付けられて頭を抱えたくもなる。

 

girlschannel.net

www.buzzfeed.com

 

 とはいっても嘆いてばかりもいられない。なんだかんだいってこの国はまだ民主主義であり、国民の直接投票で政治に意向を反映できる要素はある。ただその「投票」だけでは不十分なのも事実。自分が票を投じた議員が、公約という約束を反故にしたら?大多数の票を得た与党が驕って権力をタテにやりたい放題の政治を始めたとしたら?

 

 そんな時はまた投票の機会を待ってじっと我慢する。うん。確かに間違ってはいない。だけど権力はそれを許さないかもしれない。うまくもっともらしい理由をつけて、国民から選挙権を奪ってやろうと考えるかもしれない。それは決して空想ではないと、古今東西の歴史が雄弁に物語っている。だからこそ、僕らは常日頃から政治に対して「お前らを見張っているぞ」といった態度を示すべきだ。その手段のひとつがデモなのだ。「政治に興味ないよ」「誰が総理になっても結局なにも変わらない」「安倍首相のほかに政治を任せられる人がいない」。そんなことを普段思っている人にもできるだけそれを伝えたくて、今回のブログ記事は釣りのタイトルを使ってみた。本日4/14、国会前で大規模デモが行われる。現政権に対して批判する立場をとっている自分も行きたいところだが、あいにく抱えている業務が多くあるため、本日は会社に休日出勤になってしまった。そこで本日は現在首相官邸で数度に渡って行われているデモを帰宅中に遠回りして数度に渡り、見学してきた様子や感想を書こうと思う。

 

3/12(火)

 3/2に朝日新聞森友学園の国有地取引の際、決裁文書を財務省が改竄していたというスクープによって政権への疑念や批判が高まっているのを受け、総理官邸前でデモを行うというツイートが流れる。以前、共謀罪への反対デモを直接見に行った僕は前回と今回で、デモに変化があるかを知りたくなったので、帰宅途中に国会議事堂前で降りてデモを見学。出口の前には安倍政権の対応について不満をぶちまける黒板があった。

 

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 共謀罪反対デモの時と同じく、手にプラカードを持って「安倍は辞めろ!」と叫んでいる人々の列を往復する。正確な人数は分からないが、先述したデモの時に比べ同じか少々少ない。だいたい2~3000人前後あたりだと思う。デモの人数にはさほど大きな差を感じなかったが、そこに漂う空気は異なっていた。共謀罪の反対デモには多数決の横暴になす術がないことを知りながらも黙って見過ごせない!という切羽詰まった空気や悲壮感のようなものも国会前に漂っていた。だけど今回は公文書改竄の報道を受けてかデモの参加者の雰囲気には力強さと自信を感じた。「俺たちは間違っていない!社会のルールの根幹を破る奴らを絶対許さない!その怒りは社会のルールを守って生きている多くの人に必ず届く!」といった、負い目のない自信が見えた。ただその勢いも一過性のであって、数日後に報道の勢いが衰えたらまた萎んでいくんじゃないかという疑問もあった。この国はいくら与党に怒っても数日後にはまたその怒りを忘れていき、結局は何の反省もない自民を勝たせる。そんなことのくり返しが続いてきたのだから。

 

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8:30~9:00頃まで見学後、帰宅。

 

 3/16(金)

 次回のデモが3/16という話を知り、先日見てきた怒りが一過的のものかどうか気になってはいたものの、また失望するのも嫌なのでいこうかどうか迷っていたがメディアの政権批判報道が連日続いているのをみているうちに空気が変わってきている印象を受けた。その感覚があっているか確かめるため、国会議事堂前駅に足を運ぶ。この日は雨。小雨が降った程度のことで選挙の投票率が大きく下がるこの国で、デモのために多くの人が来るとはとても思えない。先日の怒りが一過性のものだったことを再確認させられるだけだろうな、と考えながら国会議事堂前駅で下車。改札口を出た途端、空気の物々しさに気づく。周囲には警官がおり、出口に向かう人を誘導している。首を傾げながらも外に出ると、前回と時と比べ物にならない程の人数。

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 そして前回と比べるとデモの参加人数だけでなく、警官も圧倒的に増えており壁を作っている。

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3/16(上)

3/12(下)

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 角度は異なるが、これは同じ場所から撮った写真だ。3/12と比べると、3/16の異常な物々しさは一目瞭然。デモ参加者と警官の間が狭くて人数を図ることも簡単ではない。密集の度合いを考えると1万人近くはいたんではないだろうか。この日もだいたい20:30~21:00前後まで見学をして帰宅。

 

3/23(金)

 森友疑惑のカギを握っている一人とされる佐川宣寿氏の証人喚問を控えた週末。人数に大きな変化などはないが、官邸前にいる警官の物々しさがさらに増していた。官邸前の歩道に沿う形で専用車両をズラッと配置。

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 道路を挟んだ対向の通路ではおよそ1万人を超える人たちが鳴物を叩き叫んでいる。

「安倍は辞めろ!」
「麻生も辞めろ!」
「公的文書を改竄するな!」
「説明責任しっかり果たせ!」
「国民を舐めるな!」
「ウソをつくな!」

 それと比べて、官邸側の駅出口は封鎖されていたため通路に人は殆どいない。まるで
権力側の人間にデモを見せないように車両で壁を作ったみたいで、その不自然さにぞっとさせられた。また同時に「官邸もデモを嫌がっている」ことを感じた。デモがこわいからこそ壁を作るのだろう。普段偉そうなくせに臆病な連中だ。この日も、だいたい20:30~21:00で帰宅。

3/30と4/6

 3/27に行われた証人喚問でだんまりを続けた佐川氏の報道を受けて、自民のお偉方が
「疑惑をどうにか乗り切った!これで騒ぎも収束するだろう!」と声明を発表。さて、それはどうかなとほくそ笑みながら、国会議事堂前駅に向かう。

 

自民 総務会長 佐川氏喚問で事態収束に期待 | NewsHub

 

3/30 20:30~21:00

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4/6 20:30~21:00

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 3/26は前週、前々週ともに雨だったのに対して晴れていたのもあって、予想どおりの人数増。甘いよ竹下。さっきも書いたけど小雨で投票率が下がるこの国で、週を追うごとにデモ参加者の人数は増えていた。安倍の顔色だけ伺って媚びへつらっているお前らには分からないだろうよ。これは最早、森友云々(でんでん)がどうこうといった話を越えている。今、この国は権力を持つ者の都合に合わせて公文書を好き勝手にいじって事実とウソを書き換えている。それは好む好まざるを別にして、社会のルールを守って生きている僕らの冒涜だ。お前たちはそこを、まだわかっていない。

 

 さらに4/6には加計学園獣医学部設立が「首相案件」として扱われていたことを、朝日新聞が大々的に報道。

news.nifty.com

 

www.asahi.com

 世論や野党の追及を受け、関係者を国会招致する方針を自民党は発表。偽証罪が適用される証人喚問ではなくて、適用されない国会招致で。

 

 与党がそうやって足掻き続ければそれほど与党の醜い本性が露になっていく。そうやってそのみっともなさを晒し続けていろ。その体たらくが各省庁のリークをさらに誘発させていくだろうし、世論も厳しくなっていくだろう。毎週30分前後だが、デモを見学していてつくづく思った。

 

メディアのスクープを受けて、デモで権力批判を続けることでメディアも勢いづいた。デモは確実に政権の力を削いでいる。

 

 今の政治や政権に納得いかないけど、デモをやったところで何も変わらないんじゃないのかとか思っている人がいたら、ぜひデモに行くべきだ。公文書の改竄や権力者たちによる政治の私物化。政権にとって不都合な情報の隠蔽に、更には事務次官によるセクハラ。もう何もかもがこの国は壊れている。その崩壊を食い止めるのは、デモに加わったあなたの声ということだってありうるのだ。何度でもいうが、もう政権担当能力がどうこうの話ではない。この国を成り立たせているウソをやめさせること。この国の政治からウソを払拭させる。これは大人である僕らの責任だろう。今、怒らずいつ怒る?くどいだろうが何回でも呟いてやる。

 

 デモは確実にこの国を変えている。この国が間違っていると少しで思っているなら、今日であってもなくてもその思いをぶつけるべきだ。

 

追記:本日のデモ参加者数3万人。

mainichi.jp

 

www3.nhk.or.jp

 

  こちらは名古屋でのデモのリポート。これはもう森友、加計どうこうの話じゃない。公文書偽造なんて行為をさせている政権に統治能力を認められないからやめろ!っていうだけ。

 

www.watto.nagoya

  


 

 

小野田紀美(自民)やゆずの歌うネトウヨ的で「HINOMARU」な愛国

こんにちは。

 

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 昨日おとといと僕のツイッターにフォークデュオの「ゆず」についての批判がやたら多く流れているので気になり、情報をネットで集めてみたら彼らの新曲「ガイコクジンのトモダチ」の詞が「美しい日本」「靖国の桜」など、ネトウヨが感涙にむせぶようなフレーズに溢れており、ファンがひどく困惑させられているそうな。

 

ゆずやエセ保守な小野田紀美(自民)の口だけ愛国

www.j-cast.com

 

「ガイコクジンノトモダチ」

http://j-lyric.net/artist/a000614/l045c95.html

 このブログ記事で歌詞を引用するとまたJASRACがうるせーのでどんな内容か簡単にまとめてみます。

 

 お箸をうまく使えるけど納豆は食べられない外国の友達ができた。その友だちに「私、日本のこととても好きです!あなたはどこが好き?」と質問され僕は戸惑った。この国で生まれ育った僕らは知らないことばかり。国歌もこっそり歌わなきゃダメ。この国のことを誇って胸を張ることさえもダメなのかな。国旗はタンスにしまおう。

平和で美しい日本チャチャチャ。

 

 そもそもゆずの曲を僕はまともに聞いたこともないので、この曲についての批判とかするつもりもないけれど、どうもこの数年サブカルの中で「愛国推し」みたいなものがひどく強まっているような状況に僕もまた困惑させられています。ゆずの曲だけでなく、先日はとある国会議員がインターネットのテレビ番組に出演。

 

abematimes.com

 

 ゲームオタク・腐女子を自称する、この小野田紀美という議員さんはゲーム制作会社を経て政治家に転身。番組では左手の薬指を見せて「見えません?ここ(薬指)に日の丸が。国と結婚しておりますの」と愛国っぷりを熱弁。おそらく裸の王様みたくバカは見ることのできない日の丸なのでしょう。申し訳ないけど僕には全く見えませんまた映画「君の名は。」の主題歌も務めているグループ「RADWINMPS(ラッドウィンプス)」も新曲「HINOMARU」の歌詞が「ひどく右傾化している」として物議を醸したそうな。どんな歌詞なのかを細かく引用したりするとまたJASRACがうるせーので、概要を紹介。

 

古来より風にたなびく旗(日本の国旗)
意味もなく込み上げてくる、僕のこの思い。
胸に手を当ててみると血潮が高鳴り、

その高鳴りに誇りを感じる。
さぁ行こう!日出づるこの国の下に。

 

HINOMARU

http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l0469f5.html

 

 だいたいこんな感じ。この歌が戦前の軍歌を想起させるという理由で、RADWIMPSのライブ会場で抗議集会を行おう!とかいう呼びかけもツイッターで行われたことで、ちょっとした騒ぎになりました。

 

www.j-cast.com

 

結局自信がないから、奴らは愛国を叫ぶ

 なに?いつもの僕のブログの論調から「抗議集会に賛成だろう?」って?いいえ。むしろやめておけ。と思っていますよ。どうせ大声で反対を叫んだって届かないから。ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」という歌についても同じだけど、こういう「国旗」みたいなシンボルを使ったメッセージってすごく分かりやすい。そのためいくら抗議をしたところでライブに来ている客には「自分の生まれたこの国を愛することは当たり前だ。どこが問題なんだ?バカじゃないのかお前ら」と言われたら反論できません。僕もできない。今、大事なのはこの曲をRADWIMPS歌わせないようにすることではなく「国旗」などのシンボルに頼る、分かりやすい愛国の危うさや脆弱さなどを時間をかけてでも語り、伝える言葉ではないかと思うのです。

 

 その役を本来、担うべきなのはネットで「パヨク」「サヨク」と揶揄される人たちではなく寧ろ「保守」を自称している人たちだった筈。昭和の保守の代表格とされる文芸評論家の江藤淳は戦後の日本を「日本人の生活に根差していた本来の伝統や文化が失われたフェイク」であるというような評価をしており、シンボライズされたモノに頼る愛国心を「ニセモノ」と呼び、ひどく嫌っていました。現在、この国で広く流通している「愛国心」は僕にいわせりゃまさに、生活からにじみ出る感情ではなく「国旗」などのシンボルにを使って煽ったり煽られたりする「ニセモノ」でしかありません。だからこそ「自分の生まれた国を愛することは当たり前だ。どこが問題なんだ?」といった疑問に正面から答えるための言葉を構築することが遠回りだけど最も重要であり、それを保守が怠っている限りシンボルに頼った安くて弱い愛国心はこの先もこの国を覆うことになるでしょう。

 

日の丸や国歌に頼らない愛国

 べつに主義、主張は各々の自由なので誰が愛国を語ろうがどうでもいいんだけど、なぜそこまで「愛国」をアピールしなきゃいけないのか。昨今の「日本文化、伝統スゴイ」を強調しまくるテレビ番組の乱立と相まりすごく鬱陶しい。以前もブログで書いたけど日本の文化や伝統なんて、もはや現実生活と乖離している観念でしかありません。その観念的シンボルである国旗や国歌を持ってきて愛国云々を語られてもひどく空虚で噴飯モノ。お前笑わせるなよ!!という感じだし、こういった声高に愛国を叫んでいる人たちは「愛国」を叫ばなきゃ生きていけない弱者だと思うと哀れみを感じます。お前には愛国心はないのか!って聞かれたら「みなさんに誇るような愛国心なんて持っていませんよ」と僕は答えます。だけど日本で生まれ育ってきた自分の歴史、子どもの頃から現在にいたるまで生活の拠点になっている「多摩地域」という土地に愛着はある。わざわざ他人に語らずとも、自分の現在と未来はこの多摩地域への愛着と深くつながっている実感を持っている。だから僕は地に足をつけてこの地域で生きていく!というだけのこと。ゆずも小野田議員も「日本スゴイ!」というナショナリズムに縋っている人も僕から見たら「愛国でなきゃ生きていけない!」という強迫観念に追い詰められているみたいで、彼らがどれだけ笑顔でも僕には、痛々しく見えるのです。

 

 「軍歌みたいな曲を歌うな」ではなく愛国心は大いに結構。この曲の評価についてもどうこういいません。あなたがいい歌だと思っているなら、その思いは大事にしたらいい。だけどこの曲で語られている『国を愛する気持ち』というものは国旗などのシンボルがなくては成立しないような弱さがあると思います。国旗で愛国心を鼓舞するよりもっと生活に根を張って自分の人生を大切にしてみたらいかがでしょう。あなたの使う言葉や口にする食べ物、箸の上げ下げなどの風習やその風習を育むこの国の風土、あなたの立っている土地やそこにいる大事な人たちに思いを馳せて蔑ろにせず、意識を働かせていれば曲に頼らずともこの国や自分の生活を愛する気持ちが沸き起こるよ」というメッセージを届けることで、大地に丈夫な根っ子を張った思想をゆっくりでもいいから育てていくこと。メディアなどで最近増えている「日本ってすごい」という手前味噌な自画自賛や他国文化を貶める罵詈雑言はその努力を怠ったからこその結果であり、それはもう限界だということをこの国は認めるべきだろうな、と僕は思います。今後、日本では学校で「愛国心」を重視していく方針だと報道で知りました。僕みたいな愛国心にすがらなくても生きていける強者としては大きなお世話でとても迷惑な話だと思い、量産されるだろう表層的な愛国フレーズを考えるだけで憂鬱だし、これとは別で90年代になってからこの国で顕在化したサブカルナショナリズムの融和についてもここから話題を進めていきたいんだけど、それはまた別の機会に。

 

 

※以下の記事では安倍総理のマリオコスプレについて述べさせて貰いました。コレはマリオみたいなゲームや漫画、アニメなどのキャラ(いわゆるサブカルチャー)が「日本文化」としてリアリズムを持ったためメイン的なポジションに置かれることとなり、逆に日本人の風習として生活に根差していた本来の「日本文化」と呼ばれるべきものが、観念的な「サブカル」になっちゃったことを表す現象で、本日の記事とも繋がってくる話です。日本の文化に対してリアリズムを持っていないため、安倍もゆずも小野田議員もサブカルを通じて「愛国」を叫ばなきゃいけないというわけです。だからこそ保守はサブカルによる表面的な「愛国」に拍手とかしているヒマがあるなら、本来あるべき日本文化はどうやってサブカルからリアリズムを取り戻すべきか考えるべきなんだけど、あいつらほんとにその辺を分かってないからなぁ。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

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海外の新聞の一面記事で報道された僕の知人について

こんにちは。

 いきなりですが、皆さんは自分の親しい知人が新聞の一面をでかでかと飾ったことはありますか?例えばだけどサッカーW杯で勝利に貢献できた選手、オリンピックやパラリンピックのメダリストなどが友達にいて、そういった人が新聞のトップを飾ったりすると自慢したくもなるし、逆に、森友関連の公文書改竄疑惑で証人喚問を受けた佐川さんや失言で騒がれた政治家などが自分の知人にいて、そんな人が批判めいた記事と共に新聞の一面で掲載されたら「馬鹿野郎!」と呆れたくなったりもすることと思います。

 

 

サモア共和国で話題!「何者だ?」 

 さて、本題。この間、僕の知人が海外の新聞の一面でトップを飾りました。

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 これは南太平洋に属する小国「サモア共和国」の新聞で掲載された一面記事になります。記事の見出しは「A samoan superhero or what ?(サモアのヒーロー?コイツは何者?)」

 

サモア - Wikipedia

 

笑いを求めて世界を回る兄貴分 

 この全身タイツ男は別にスーパーヒーローでもなんでもありません。日本のお笑い芸人です。中学生のころに僕は「WAHAHA本舗」演出の喰始さんから直接ギャグの基本を教わっていたことがあるんですけど、その頃から僕が兄貴分として慕っている人の所属するグループ「3ガガヘッズ」の活動風景写真です。

 

3ガガヘッズ公式HP 3GAGArT〜3ガガァート

 

 2009年からこの3ガガヘッズは「勝手にワールドツアー」と称して、現在までおよそ30ヶ国を周って、数百回を超えるライブを行っています。訪問国もアジア、アメリカ、ヨーロッパと幅広く、まさに地球儀俯瞰のライブ。っていうか、世界規模のドサ回り。

 

ドサ回り - Wikipedia

 

以下は訪問実績。

アメリ
イギリス
フランス
中国
韓国
カンボジア
ベトナム
タイ
マレーシア
シンガポール
南アフリカ
ケニア
タンザニア
マラウィー
コートジボアール
ベナン
インド
ブラジル
アルゼンチン
チリ
ペルー
コロンビア
ネパール
バングラデシュ
サモア
バヌアツ
オーストラリア
台湾
フィリピン
インドネシア

 

 世界各国で全身タイツに身を包み、独創的なパフォーマーとして高い評価を受けているだけでなく、外国人タレントの「ゾマホン」で有名になったアフリカ「ベナン共和国」ではその功績が高く評価されて「日本&ベナン親善大使」に任命されたりもしている、なんともワールドワイドなお笑いグループ。先ほどの記事はサモアでの路上ライブ中の光景を撮影されたものだそうな。世界各国を現地の交通機関を使って回る世界規模のドサ回りで会場を探しては学校の体育館や路上、時には国賓扱いを受けて国のVIPを前にパフォーマンスを敢行。そんな各国での活動報告を交え、日本でも不定期で凱旋ライブを行っています。そこで見られる知らない国々の様子はじつに興味深く、思わず「へぇ!」「なるほど」と、唸らせるものばかり。その都度、僕は月並みな表現だけど世界にはたくさんの「知らないこと」や「モノ」がまだまだ数多くあり、自分の認識なんて単なる「世界の破片」でしかないことを思い知らされるのです。

 

 笑われるのではなく、笑わせに行くヒーロー

 今回のブログで紹介したサモアの新聞記事は見出しで3ガガヘッズを「A samoan superhero or what ?(サモアのヒーロー?コイツは何者だ?)」と紹介していましたけど、世界の各地を周ってライブを続け多くの人たちを笑わせている僕の兄貴分は自分にとって、まごうことなき「ヒーロー」である。といいたい。少なくても偏狭なナショナリズムに染まり「日本スゴい」と、叫び続けるこの国は「お笑いに国境なんてない!」と自らの足で海外の懐に飛び込んでいく3ガガヘッズの姿勢に学ぶべきものは多いと思います。

 

 そんな3ガガヘッズですけど今月、国際協力機構「JICA」のイベントに出演。

 

ワハハ本舗所属コメディパフォーマンスグループ「3ガガヘッズ」 THE BODY TIGHTS MEN SHOW -笑顔で繫がる世界- | 展示・イベント情報 - JICA地球ひろば

 

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日時 :2018年4月7日(土曜日) 
時間    :14時から15時会場
会場    :JICA市ヶ谷ビル 2階 国際会議場
対象    :ご興味ある方ならどなたでも
定員    :100名(先着順)
参加費:無料 

 

興味ある方がいらっしゃったらぜひ、どうぞ。

 

 


 

 

 ※あ、ちなみにサモアの雑学をここで紹介。サモアには10月中旬~11月初旬の満月から8~9日後の夜明け前後の時間にしか現れない「パロロ」という珊瑚虫が「珍味」として珍重されており、その日にはサモアもお祭りさわぎとなり、みんなで海に出たり浜辺を歩いたりしてパロロの収穫に励んで、珍味を味わうそうな。3ガガの皆さんも食べたのかな?

samoan-life.at.webry.info

「太平洋のキャビア」とも称される珍味。食べてみたい。