サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

オウムの本質は「カルト」でなく「サブカル」であり、それは今この国を覆っている

こんにちは。

 

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    本日は毎月数度ある夜勤のLANメンテナンスのため、朝、気だるさを引きずり帰宅。さて、ベッドで寝るか。と思ったところにツイッターでオウムの教祖、麻原彰晃のニュースを知りました。原則的にこのブログは人に楽しんでもらうために書いており、直接的な人の生命についてどうのこう書こうとも思っていませんし、極刑についても簡単に是非を問えるような軽い問題でもないため、この件について考えを述べるつもりもなかったんだけど、サブカルを扱うブログならば「オウムこそサブカルの本質を突き詰めた団体」という点について書いておきたい。という思いもあったので、仮眠から覚めたボーッとする頭であれこれと考えながら、キーボードを叩いてます。

 

 

 オウムのサブカル的特徴について

 さて本題。平成以降産まれの若い世代には「オウム真理教」を知らない人も多くいるだろうと思いますので概略について、簡単に説明させていただきます。

 

 麻原彰晃 (本名・松本智津夫) が 1984年に始めた新しい宗教。麻原はヒマラヤで修行し,86年に最終解脱を達成したとし,89年東京都で宗教法人の認証を受けた。インドのヨーガや仏教の教えに麻原独自の解釈を施して教義とし,シバ神を主神として崇拝,その教えに通じた教師の指導によって,すべての生き物を輪廻から救うことを目指すとした。静岡県富士宮市の総本部道場のほか,全国各地に道場を開いていた。

 後に教団と信者家族を巡るトラブル対応に当たっていた坂本弁護士家族拉致事件ほか松本サリン事件、東京23区を張り巡らせている地下鉄の車両でサリンをまき、重軽傷などを含め6000人の犠牲者を出したテロ「地下鉄サリン事件」を引き起こしたことで知られています。この犯罪の規模やこの団体が宗教団体だったことから世間にはオウム=「カルト」「テロ集団」という認識が広がっていったと思いますけどもそれは違う。オウムの本質は記事のタイトルでも述べた通り、あくまでも「サブカルチャー」「サブカル」であると、僕は考えています。そのことを具体的に指摘したのは漫画原作者であり評論家でもある大塚英志で、大塚は2000年に角川書店から出版した「戦後民主主義リハビリテーション」でオウムについてこう述べています。

 

 

"さてそれでは、そもそも僕が問題とするオウムの人々の歴史認識とはどのようなものなのか。それはひとつには「陰謀史観」として括りうる歴史観であり、もうひとつは「ハルマゲドン」の語に象徴される終末思想である。それらの歴史認識は無論、オウム独自のものではない。それぞれに相応の出目と歴史を持つものである。しかし80年代消費社会を経て、オウムの中に沈殿していったこれらの思考は、その時点でサブカルチャー化してしまっている。ここでサブカルチャー化というのはその事象が本来、出目として帰属していた大文字の歴史から切り離され、消費社会の中で情報として集積され、引用される事態をいう。

(中略)

  オウムの人々の歴史認識の危うさは、陰謀史観にせよ、終末思想にせよ、その前提となる大文字の歴史を決定的に欠いており、その空白をサブカルチャーが代行してしまっている点にある。"

大塚英志 戦後民主主義リハビリテーション角川書店)より

 

この国の本格的なサブカル化を考える 

 以前このブログで、僕は日本にもはや土地や風土、生活習慣などに根差した「文化」などはとっくに存在しておらず、その代わりにあるのは「国歌」や「日の丸」、「外国人向けのガイドブックにありそうな伝統文化」など、人々のリアリズムから分断された「シンボリックなサブカルチャーとしての概念」でしかないと述べました。 僕がこの本を手に取ってそろそろ20年。現在のこの国について考えた時に、大塚のオウム批評は20年近くを経て、この国に広く薄く広まっていったんだなとため息をつきたくなるのと同時に、この前述したオウム的な空気が、この国でいよいよ先鋭化してきたことについて危機感を感じています。

 

 現実に対して空虚さを抱えた人々を強く引き付けたオウムの教理が前述されたオカルト的な価値観だけでなく、アニメの設定や各宗教の価値観などを切り貼りして編集を行い、独自の世界を構築していきながらその世界を守るため世間と断絶を図り、結果的に先鋭化の道を突き進んでいく。この光景は同じく現実社会に対する閉塞感に目を背けるために、youtubeで周辺国や現政権の批判者を「反日」などと罵るデマや不正確な情報を切り貼りして作った映像を観て敵意むき出しのネトウヨ共が増殖したり、英国BBCのドキュメントで人権意識にひどく欠けたコメントを得意げに吐いて悦に浸る自民党議員を生み出したりしているこの国とどこが違うというのか。その風潮を良しとせずに批判する人を「サヨク」「パヨク」などと嘲り、議論することもせず自説をつらつら述べ、それに答えるまえに「はい論破!」といって粋がるネトウヨや国会の質問に誠実に答えずニヤニヤ笑うだけのバカなこの国の首相と、同じく教団の批判に対してディベートには長けていたが、オウムの本質には全く触れることのなかった嘗てのオウム広告塔「上祐史浩」と何が異なるのか。この両者は僕にいわせりゃまったく同じであり、だからこそこの国は本格的にオウム化しているといわざるを得ません。

 

president.jp

 これどういうニュースかっていうと、西日本の大雨で各地に気象庁からの避難指示をまったく気に介さず、自民の議員たちが集まり、大宴会を行っていたという批判が多くなってきたため竹下総務会長が会見で「正直言ってこれだけ凄い災害になるという予想を私自身は持っていなかった」と釈明。7/5のツイッターには自民の議員が集まってお酒を飲みながら旨いものを食って大はしゃぎ!という様子が投稿されていました。

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 皆さんも暇だったら、片山さつき議員と西村やすとし議員の7/5のツイートをご覧になってみて下さい。本当に、自民の議員は和気あいあいで楽しそうです。

 

 このニュースが報道されても、未だこの内閣の支持率が40%近くある現実に、僕は少なからず失望しています。参加議員らの「7/5の時点でこんな災害になるとは思っていなかった」などという釈明も、まず大雨で苦しんでいる人が大勢いるというのにこんな無神経なツイートをした議員たちがいたことをどうして詫びない?コイツらには人の痛みを理解しようとする想像力を働かせる感性がないのか?そもそもこんな行為をどうしてを誰も咎めないのか?という疑問や、憤りしか湧いてきません。

 

この国の政府はオウムと変わらない

 みんな、ほんとにこんな政党がいいのか?「自民以外に政権を任せられない」「安倍以外に総理を任せられない」と思っているなら、それこそほんとにカルトだぞ。でなけりゃ暴力を受けながらも「私にはこの人しかいないのよ!」と思い込まされているDV被害者だ。僕だったらこんなバカの集う政党と、その政党が政権を担っているこの国を「下劣」に思う。そしてこんな下劣な政党には退場いただき、別の政党に国のかじ取りを任せたいと思う。経験もない政党に不安がないかといったらウソになるが、それでも人間性が腐っている奴らに権力を委ねるよりよっぽどマシだ。野党が頼りにならないというんだったら新人育成のつもりで使い続けながら鍛えてやる!ぐらいの気概がなくてどうする!といつも思うのです。

 オウムも、この政権と積極的 / 消極的を問わずこの政権を支持する人たちが醸しているオウム的な空気も突き詰めていくとその本質は「正しい認識を持っている自分たち=特権を持つ者」であり、その特権の所有者がこの国を動かすことで国全体を強大にすることを望んでいるというファッショな性質であるということは大声で言っておきます。だから今、大事なのは「日本はひとつ」的な幻想に抗ってまずは自分の足で立つこと。とあるバンドの「HINOMARU」に涙したり、youtubeの出所さえも分からない「日本、日本人ってすごい」というプロパガンダ映像に高揚することでもなく、現在の生活というリアリズムを大事にして、そこから自分を語るための言葉を探す努力を怠らないことです。

 

サブカルチャーについてはこのブログ記事で詳しく書いてます。よかったらどうぞ。

 

 

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