サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

こち亀をつまらないと思い始めた理由について、深く考えてみた

こんにちは。

 昨日はこち亀について書いた記事に多くの反響をいただきました。

 

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 僕自身、このマンガが大好きでしたし40年も連載を続けてきた功績についてはもっと賞賛されるべきだけど、やっぱり現在のこち亀についてはさほど面白いとは思えない。これは僕の率直な感想です。いただいたコメントの中に「最近は面白いエピソードも増えているのに」というのもあったけど、これはもう読者の価値観の違いなので「おもしろい」「つまらない」の議論をするのは余りに不毛。ただ「最近おもしろい話も増えている」といった意見を読んで「なんで自分はこち亀をつまらないと思うようになったのか」を考えこんでしまいました。そして、自分の記憶の中にある80年代の両津と現在のジャンプで描かれている両津を比べていて 「両津って大人になったんだなぁ」と思ったのです。 

 僕の記憶にある80年〜90年代前半の両津って以下三点において非常に子どもでした。

 

①金に汚く、小銭程度の金額にも飢えている。
②トラブルメイカーである。
③自分のひらめきに忠実な行動派である。

 

 ①〜③は現在でもそうじゃん。って感じる人も多いと思うのでここで具体的に語っていきましょう。

①金に汚く、小銭程度の金額にも飢えている。

   昔の両津って、常に金にうるさいキャラでした。警官の業務を続けながらはしご車を使ったカレー屋をオープンさせたり、勤務中にパチンコや競馬に興じたり、道に落ちているお金に過敏に反応したり、ひどいのになると葛飾署の署員旅行の幹事を務めた際に限界以上に予算を値切り、その余った金を着服しようと目論んだり。もう、ひどいひどい。この頃のこち亀を読むと「両津&金」という描写がやたら多いんですけど、それも年月を経ていく毎に減っていったような印象があります。つまり、昔ほど強引に「お金」を求めなくなっているのです。続いて②。    

 

②トラブルメイカーである。

 これはどういう事かっていうと、両津自身を起点とする大きなトラブルなどが前より少なくなっているっていうことです。ざっと思い出せるだけでもこういったものが以前多くありました。

 1、中川の態度に金持ちの驕りがあるとして、中川財閥の中心で大暴れをした結果、たった一時間でおよそ1兆円の損害を与えたあげく、お金の一部を持って香港に高飛び。

2、魔法使いの力で動物にされたりした事を根に持って逆襲。

3、台風の時期を狙って格安で屋形船で宴会を企画。その結果、葛飾署員全員が大きな被害を被る事になる。

 以前はこんな感じに常に自分がトラブルメイカーになり、ひどく周囲を振り回すエピソードが多く見受けられました。ところが最近の傾向としては両津じゃなくて、周囲の人間の起こす騒ぎ(大阪の通天閣署の面々など)に巻き込まれたり、金持ちで遊び人の大学教授「ジョニー」に連れられて南国のバカンスに出かけていたりなど、行動が以前よりも落ち着いたものになっています。そのためにトラブルメイカーたる条件であった両津の超人的な体力の描写なども小粒になったような感じでスケールが小さくなったと感じました。現在も、竹の束で月までのエレベーターを作って登ろうとする話など体力自慢をテーマとするようなオチの話もあるにはあるんだけど、対人比較ではないためあまりピンときません。昔みたいに体力を元手に野球、ラグビーチームなどの助っ人を掛け持ちしてお金を稼ぐ!みたいな話があったらいいんだけど。そして③。 

③自分のひらめきに忠実な行動派である。 

 僕の知っている80年代の両津は非常にアイディアマンであり、クリエイティブ方面でもアクティブでした。自作のマンガ「拳銃(ハジキ)が俺を呼んでるぜ!」を描いて新人賞に投稿しようとしたり、使い捨てカメラの「写ルンです」ヒットに乗じて自らもオリジナルの使い捨てカメラ「てめぇ、じたばたしていると写すぞ!」を作り近所の中古カメラ屋を抱き込んで売り出したり、独自に漫画スクールを経営して漫画雑誌を創刊させたり、とってもアグレッシブな起業家でもあったのです。だけどこれも最近はクリエイターというより、作中で流行に便乗させた二次作品みたいなものをプロデュースしてお金を得ようとするエピソードが増えたように思います。その結果として熟練の職人並な両津の器用さという特徴も説得力を持たなくなっていたように感じていました。

 

 こういった比較から、僕は両津を「以前より落ち着いた」「大人になっちゃった」と評したのです。80年代の両津勘吉はお金に汚いが人情家という性格を持っていて、アグレッシブな言動で周囲の人間を騒動に巻き込む人物でした。僕みたいな「こち亀80年代傑作説」論者はそんな人物がいないと知っていながらも、両津みたいな大人がいたらという期待や憧れを「こちら葛飾区亀有公園前派出所」というギャグ漫画に込めていた。だからこそ、現在の落ち着いた両津に対してのさびしさが、上記の説の根底にあるんじゃないかと僕は思う。
 両津は永遠の35歳。本来だったらコレ以上大人になることはありません。だけども現在の行動や言動には明らかに「両津の老い」を感じさせるものがあります。どうして物語の世界で年齢が固定化された両津が「老いていく」のか。おそらくその理由は、両津の漫画の世界が僕らのいる現実世界と「モノ」を通じてリンクしているからでしょう。

 漫画の世界っていうのは僕らのいる現実世界と異なり、時間軸という概念が曖昧のため、物語の人物はその世界観の都合によって歳をとったりとらなかったり様々です。ドラゴンボールの悟空のように年齢を重ねていったり、ジョジョの奇妙な冒険のように長い年月を経て主人公が代替わりをしていく作品もあれば、漫画のサザエさんコボちゃんみたく物語の登場人物が原則的に永遠に歳をとらないっていう作品もあります。こち亀という漫画は全編通じた「物語」ではなく、その日その日の出来事をつづる短編のため原則的にはサザエさんに近い作品です。
 この「歳をとらない」という特徴は、キャラが漫画内において永遠に老いる事も尽きる事もない永遠の肉体・生命を持っている。ということでもあるのです。だから両津は何があっても不死身でいられる。高層ビルから落っこちてきても、トラックにぶつかっても、ロケットランチャーの爆発に巻き込まれても「いてて・・・」だけで済み、次の場面にはそれらで生じたケガもすっかり治って元気に走り回れる。いってみれば両津は「不老不死」なのです。
 

 だけど。確かに両津は固定化された35歳であり、上述したように不老不死なんだけど両津の周囲の時間は僕らの時間軸に近い速度で動いている。30年前には勤務中にファミコンソフトの「ファミスタ」や「チョロQ」「ゾイド」、特撮「電脳警察サイバーコップ」のおもちゃ「サンダーアーム」で遊び、その10年後はファミコンからプレステに変化。周囲にはパソコンや携帯電話が並び、ソレに合わせて両津の趣味もアナログからデジタルに移行していきます。さらに両津の知人がいるような商店街は大手のショッピングモールなどに押されていてどこも経営難。冬の名物だった両津のボーナス争奪戦で激しく争っていた元気なプラモ屋のおやじの居場所はもう漫画にも現実にもありません。また、現在も35歳の両津が昭和30年代に生まれているはずもないので「お化け煙突」や「勝鬨橋」など少年時代の大事な思い出たちとも切り離されることになる。それは思い出として両津の中にあるはずのものだけど、両津の年齢の整合性を考えるとそれもキャラから遠ざけざるを得ない。つまり連載が続けば続くほど両津は肉体と記憶が釣り合わなくなっていくという宿命を背負っているキャラであるといえます。

 

 人間っていうのは周囲の環境に合わせて内面も変化して老いていくもの。現実の人間であれば肉体もそれに合わせて老いていきますが漫画の世界の住人である「両津」は肉体が35歳のまま内面を変化させていき、そして老いていくことになるのです。そう考えた時、ふと思ったのが両津の又従姉妹にあたる女性キャラの「纏」、その妹「檸檬」という幼稚園児のキャラでした。僕はこの姉妹の出現こそが「両津のキャラをワケ分からなくさせて、漫画をつまらなくした」だと思っていましたけど、この3人が出た時の物語をあらためて思い出すと

 

両津=普段だらしないけどやる時はやる父。
纏 =しっかり者の母。
檸檬=父のだらしない性格に呆れながらも、本質的な父の優しさを尊敬する娘。

 

 こんな構図が見えてきます。これは作者である秋本治さんが意図していたかどうかわかりませんが、破天荒さが抜けて老いを見せはじめた両津の内面と、老いていくことのない肉体のバランスを保つために用意した擬似的な「家族」だったんじゃないか?と、思うのです。つまり、この「纏」「檸檬」の登場をターニングポイントに「こちら葛飾区亀有公園前発出所」はメチャクチャなお巡りさんのギャグ漫画ではなく、ほのぼのとした「人情コメディー」に移行したのではないか?逆に言うとそれは老い始めていた両津では昔みたいなギャグ物語をいつまでも続けるという事が厳しくなっていたという事なのかもしれません。だから「80年代傑作論者」にとってはこち亀をどう評価するべきかむずかしい。
 

 僕としてはやっぱり昔みたいな骨太の絵柄でG・Iジョーやマニアックなおもちゃの知識を披露する両津の物語を読みたいけど現在の「人情コメディー」っぽくなった作風が好きという読者はたぶんそれを望まないのでしょう。40年間も作品が続くというのはそういうことなのです。

 

追記:2017/9/16
※そして本日発売の週刊少年ジャンプで、1年ぶりに両津が帰ってくる。  

 

mantan-web.jp

※やっぱりこち亀は僕にとって思い出の漫画なんだなぁ。

 

 

※僕の少年時代は確かに、「両津勘吉」と共にあったんだ。それは間違いない

最近のこち亀を「ただのつまらない老害」だと思っていたのは僕の認識が甘かった。

こんにちは。

 

先日はこち亀について、こんな記事を書きました。

 

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 こち亀ギャグマンガとして本当に面白かったのは1980年代〜1990年代の前半あたりまでで、それ以降についてはまったくおもしろくない。ただ長期連載しているだけでその分、他の連載枠をムダに使うだけの老害な作品っていう認識でした。

 だけど。いざ、連載が終わるとなると、やっぱり淋しさが込み上げてきます。たぶんこの感情は僕だけではなく、同じく「こち亀80年代傑作説」を唱える他の人も同じなんではないでしょうか。 

 そもそも僕はどうしてこち亀を「つまらなくなった」と考えるようになったのか?幾つかの理由を考えてみました。 

①漫画にそぐわないモブの絵が雰囲気を壊している。

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 絵の上手、ヘタについては好みもあるので簡単にいえないけど、本来こち亀は劇画に近いタッチだった漫画なので違和感アリアリ。

 

②キャラの迷走

 両津って初期の「常識知らないメチャクチャ警官」から、80年代になって「体力自慢で職人並に手先の器用な雑学王」という流れでキャラを変化させてきていました。実際にマンガでハスブロー社の「G・Iジョー」やリカちゃん人形、駄菓子屋にあるお菓子の知識やプラモ・ジオラマ作りのノウハウなどを知り「あぁ!こんなのあったな!」「へぇ!そんなのあったんだ!」と雑学方面の知識欲を満たすことも多かった。この頃こち亀っていうのは僕にとっての「サブカル 語る。」だったのです。(言い過ぎかな)。

だけどそれも90年代中頃にギャルゲーにハマった警官の登場あたりから、両津が情報発信者というかたちのオタクではなく単なる情報消費者というかたちのオタクになっていき、さらに超有名な寿司屋の親戚が出てきたことで寿司屋も兼ねる事になり、両津のキャラそのものがワケのわからないものになっていった。さらに後輩の中川や麗子も狂った金銭感覚を全面的に前に出すようになったためかやたら言動が鼻につくし、(初期はメチャクチャな性格だったけど)、上司の大原部長も感情的にキレるキャラになって鬱陶しい。そういったこともあってこの漫画に魅力を感じる事も減り、つまらなくなったこのマンガがにイラついていました。この作品を辞めることでジャンプの新陳代謝が活発になり、黄金期がやって来るんじゃないの?と思っていたりもしました。

 ただ、もう最終回も近くなってくるとやはり淋しい。普段ジャンプを買っていて、最後に読んでいたこち亀。今週も面白くないな、まだ続くのかよと思っていたこち亀。昔は面白かったけど現在はただの老害漫画だと思っていたこち亀

 ごめん。認識が甘かった。漫画の面白さ云々は別として、この作品は週刊少年ジャンプを支えている屋台骨そのものであり、40年という長い連載の歴史のなかには自分の少年時代も含まれていることを考えてみた時、こち亀は自分自身のクロニクルでもあるといえます。 なんだかんだいってもこのマンガ、僕は好きだったんだな。

 

 

 

※昭和から平成の時代と風俗を知るという意味で、歴史資料的なマンガとなるかも。

 

 

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続き。

こち亀の歴史40年でもっともおもしろい単行本は51巻である。

こんにちは。

 

本日のブログのテーマは週末にいきなり飛び込んできた「こち亀の連載終了」の話題。実は最近、ジャンプの連載作家が最も好きなエピソードを厳選して編集した40周年記念号のムック本「こち亀ジャンプ」を買ったのでその感想でも・・・などと思っていた矢先でもあったので出鼻を挫かれた思いもあります。

 この長期連載作品の感想については多くの意見もあるでしょうけれど、僕は今まで発行されたコミック本全199巻の中で傑作ぞろいの巻数を紹介。独断と偏見だけど、それはずばり第51巻。

 

  

 50巻の節目を越えて、自らの歴史を背にする両津が渋い表紙です。僕も多くの人が考える通りこち亀が最も面白かったのは1980年代後半論者ですが、その中でも珠玉のギャグエピソードが満載。以前ブログで紹介した両津の道楽党の物語「道楽党起つ!!の巻」も、この51巻に収録されています。

 

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 この51巻で最もおすすめなエピソードは「ハワイアン・パラダイス(前編・後編)」やや物語のネタバレになっているので注意。

 

 物語は両津/本田の二人組が仕事をサボって海水浴に来た所から。本田の何気ない話で両津は中川と麗子が上司の大原部長の無欠勤勤続を祝うため、ハワイにでかけている事を知り激怒。自分だけのけ者にされた悔しさを晴らそうと「無謀だ!」と叫んで嫌がる本田と白バイを手作りのいかだに積み、海水浴場からハワイ目指して大海原へ漕ぎ出します。ハワイの方角は全然わからないが海流は日本から太平洋に向かっているため問題ないと語る両津ともめる本田。その騒ぎで買い込んだ食料を海に落として、サメに食われる非常事態も発生して絶体絶命のピンチに陥ります。

 

 水や買い込んだ食料を失ってさすがの両津も「冗談抜きにこのままくたばるかも」と弱気になった時、近隣の海を航海していた小型のヨットに発見されて危機を脱出。小型ヨットはフィジー諸島に向かうとの事だったけどハワイの近くに連れて行くことを約束。その間に海図の見方を本田に帆の操作を両津に教えます。

 

 遠ざかるヨットをみつめ「ハワイは船で2ヶ月かかる。この話は最初からムリあるんだ」とグチる本田を「子どもの読者は知識が少ないからしらんぷりしていりゃいいんだよ!」と殴る両津。そんな二人の前にみえてきたのは重くて暗い雲。危ないので避けましょうという本田を「心配するな。名スキッパーの技術を見せてやる!」といって無謀にもその雲へ突っ込み、その結果、大嵐に巻き込まれる事に。「何が名テクニックですか!嵐のど真ん中じゃないですか」と泣き叫ぶ本田に必死の形相で 「こんな波の中で練習してない!運のを天に任せるしかないぞ!」と帆を操る両津。二人の運命はどうなるやら・・・っていうところまで前編。後編含めておもしろい物語なのでぜひどうぞ。

  

※俺が独断で選ぶ名作エピソード10やろうかな。

アイスキャンディーの棒がプラモになるアイスってあったの、みんな覚えてる?

こんにちは。 

 気づいたら本日は8/30となり、夏ももう終わり。ただ、暑さはまだ続いているので冷たい飲み物やアイスなどはまだ手放せません。先日この記事をブログに書き、「懐かしい!」「知らなかった!」といった反響を読者からいただきました。

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 僕が小学校に入学する前後の昭和50年代中期には、最大で3本当りという太っ腹なアイスキャンディーがあったっていう話なんですが、実はこの頃にはもっと変わったヘンテコなアイスもありました。ブログの題名にも書いていますがアイスキャンディーの棒がプラモになるアイス。その商品名は「ぷらもで〜る」。

 正確な商品の発売時期は明確に覚えていませんけど、こども心にCMを見て「何だこりゃ??」と大きな衝撃を与えた僕にとっては幻の商品です。コレ欲しかったんだけど近所のお菓子屋さんを幾つか回ったものの置いている店がなかったため結局買えず。さらに商品自体もマニアックなためか誰も知らない。友人に「ぷらもで〜るっていうアイスを覚えてる?」と話を振っても

「何それ?」
「お前の記憶違いじゃないか?」
などと、どれもこれも僕の記憶力を疑う発言のオンパレード。なにせ4歳前後の記憶だからなぁ・・・勘違いなのかな・・・とか思いながらググってみたら

 

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 ありました!!!!!!

 久々に、僕は僕に対して「俺の記憶力をナメるな!」と勝ち誇りました。
写真によるとバーにはめ込み式パーツがついていて、それをくっつけると数センチのプラモになるといった商品だったみたいです。この商品、再販されないかなぁ・・・。

  

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※プラモデル製作がヘタだったので、この教科書であらためて勉強したい!

オリンピックの聖火を守った蕎麦屋のある発明物語

こんにちは。

 なんだかんだで今年のリオデジャネイロオリンピックもあっという間に閉幕。テレビで競技を見たのはたまたま見た2種目程度なので、巷の熱狂に身を委ねる事もないある意味でさびしい夏でした。っていうか正直言って日本のオリンピックのメダル数とかどーでもいいんですけどもね。正直言って4年後の東京オリンピックもそんな感じになるんだろうと思います。

 

 さて本題。2020年にオリンピック開催地となる東京は、52年前の1964年にも大会の会場となりました。本日のブログは、その大会で東京オリンピックの「聖火」を守ったある蕎麦屋さんについて。物語の舞台は昭和中期。その当時の日本の蕎麦職人は調理担当の職人のほかに、出前を専門とする職人がいたそうな。

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 全盛期だった昭和の初期から中期頃までは、一回の出前で100食近くのそばを担いでお客さんの家に運べる職人も多くいたということです。ただ、その職人の活躍できる場所は車やバイクの普及で交通量が増えてきた高度成長期の前後で大幅に減少。交通事故に巻き込まれる職人が年々増え続けていることに心を痛めたある蕎麦屋の主人が、バネや空気の力でそばを置く台を安定させる仕組みを作り、自転車に取り付ける形式を考案しました。それが以下の「出前機」。

 

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 外を歩いていて見かけることも多い「街の風景」っていうやつです。さて、このそばの出前機が、オリンピックとどうつながるのか?オリンピックで行われている「聖火リレー」は松明に燃えているものとは別に何らかのアクシデントなどで炎が消えたという事態に備えて「予備の炎」を準備しています。この頃の日本は道路がまだ未整備な地区も多かったため、聖火の予備がランプの運搬中の振動によって消える事態もおおいに考えられた。そこで白羽の矢が立ったのがこの出前機。オリンピックの予備になる炎を灯したランプはこの出前機に取り付けらる形で車の座席に搭載。日本全国7000㎞を走って、大切な聖火をみごと守りぬいたのでした。この出前機を発明した蕎麦屋さんもオリンピック開会式に招待されており、点火された瞬間に自分の発明が思わぬかたちで大役を果たせた事に、いたく感激したそうな。

 

 その東京オリンピックを支えていた出前機は現在、東京の秩父宮スポーツ博物館で大切に保管されているとのこと。長い年月を経て、再び東京にやってくるオリンピック。世界で最も大規模なスポーツと平和の祭典を人知れず守った出前機は今、ひとり何を想うだろう。

 

※本日のブログネタ、この漫画のうけうり。

 

終戦の日に大人が「反戦」「憲法改正反対」を語らなくてどうする!

こんにちは。

 昨日は8月15日。戦後、71年目の日でした。本日のテーマは「反戦」。このブログ記事を通じて僕は「戦争はイヤだ!」と語りたく思います。

 そんなことを思ったのは、この記事を目にしたことがきっかけ。

lite-ra.com

 女優の吉永小百合さんが、自らパーソナリティーを務めるラジオ番組で憲法9条の重要性を訴えたとのこと。吉永さんは護憲派として多くのメディアで持論を語っており、女性週刊誌でもこのように話しています。

以下は記事の引用。

 最近の吉永が最も危惧しているのはその「護憲」「反戦平和」を口にすることすら難しくなっているという時代の空気感だ。現在発売中の「女性自身」(光文社)8月23・30日合併号に、吉永と政治思想学者・姜尚中氏の対談が掲載されている。
 冒頭、吉永は自身のこんな体験を語っている。「私は若いころ、母に『なぜ戦争は起こったの?反対はできなかったの?』と質問したことがあるのです。そしたら母は、ひと言『言えなかったのよ……』って。言えないってどういうことなんだろうとその時には理解できなかったけれども最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると息苦しい感じがして」

 この発言を読んで、「大げさじゃないの?」とか思う人もいるでしょう。だけどこの記事を読んでいると吉永さんの危惧を「杞憂」とは笑えません。

lite-ra.com

 コメントの中には「式典の妨害をすりゃ当たり前」との意見もあるだろうけど、わざわざ警察が出るほどのものなのか?記事にも書いてあるけど、このテのヤジなどは以前からあったもので、今回わざわざ騒ぎ立てるようなものでもなかったという話でした。さらにいうとこのヤジをぶつけた人は別に首相に近づいたわけでもなく、首相のスピーチを邪魔してもいない。首相があいさつのために、演台に向かっていた際に批判を投げただけ。
 百歩譲って近くにいたお巡りさんがその人に近づき「式の最中にヤジはおやめなさい!」と注意するとかいうのだったらまぁ分からなくもありません。だけど数人の警官がその人を取り囲んで事情聴取ってそれはやりすぎじゃない?って思っちゃいます。

 なぜ戦争は起きたのか?その戦争に反対できなかったのか?という吉永さんの問いに

「反対できなかった」とだけ答えた吉永さんのお母さんの発言。それを見て僕は10年以上前に読んだある本を思い出しました。

  

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 サブカルチャー反戦論 大塚英志

 漫画原作者として活動しながら、サブカル表現や世相などについての評論活動を続ける作家、大塚英志さんの語る「反戦」本です。大塚さんはこの本で、こんなふうに語っています。

「現在」は「戦時下」にある。

 このフレーズはすごく重要なものだと僕は思っています。この本の出版当時、日本は小泉政権。9.11以降、日本政府や国民がアメリカの政策に追随する事が当たり前だ!みたいな雰囲気が漂っていた時期です。大塚さんはこの時期について「有事や戦争の不安をあおる声が大きくなり、気がついたら『有事』『戦争』に備えろという意見が論議の前提になっている。まったく逆のことばが極めて発しづらくなっている事態を『戦時下』である」と指摘。さらに「アメリカが日本に求める立場について異を唱える意見が『失言』だとか『謝罪対象』になり、小さなタブーになっていくようなこの空気を僕は『戦時下』だと考えるのと同時におそらく、現在から数十年前のこの国の人々が体験した『戦時下』もこういった空気だったのだろうと想像する。太平洋戦争時代に人々が戦争への異議を唱えなかったのは軍の統制のためだと思っていた。だけど実際は人々は自らの手で自らの中にある『異論』を封じていたと実感する」。

 人々は反戦を弾圧されたのではなく自らの手により「自らの中にある反戦」を弾圧したのだと大塚さんは訴えているのです。こういった空気の中で大切なもの。それは「国益」「国防」などの声をでかく発するネトウヨ的な空気の中でお花畑などと揶揄されても

「戦争は嫌だ!」
「国と国との間でトラブルが怒ったら交渉でトラブルの解決を図ろうとするのが政治だろ!」と、小さな声でもいいから呟く勇気だというのがこの本のメインテーマなんだけど僕もこの意見に同意します。

 だから今日は僕も、叫んでやろう。

この国に漂う「戦争美化」の空気はおかしい! 
人権を否定する自民党憲法草案は戦争に繋がりかねないのでイヤだ!

 

arrow1953.hatenablog.com

 ※「国益」「国防」とかいう単語が好きな人って自分がその中に巻き込まれることはないという驕りが見えるんだけど、そっちのほうがよっぽどお花畑だろう?とか僕は思う。

 

昔のアイスキャンディーは「最大3本当たり」くじつきだったんだぜ!

こんにちは。

 毎日、暑いっすね。僕も出勤時には駅のコンビニでキンキンに冷えた烏龍茶を買い、そこでがぶ飲み。この間は女子大生っぽい店員さんを前に名曲「およげ!たいやきくん」の替え歌でまいにち、まいにち僕らは鉄観音!」と歌い、その場で苦笑されました。そんな話なんてどうでもいいや。

 

 

庶民の味方、ガリガリ君の値上げ 

 さて本題。夏の暑い日に恋しくなるのは冷たい飲み物とアイス。だけどアイスキャンデーについてはどの店舗もほぼ赤城乳業ガリガリ君が独占の状態であり、選択の幅も狭い印象。

 

www.akagi.com

 

 その庶民の味方であるガリガリ君も、昨今の不況や材料費の高騰でガリガリ君が25年ぶりに値上げを決定。その値上げについてお詫びした赤城乳業の話題がニュースになる現在。いや~世知辛い、世知辛い。

 

www.j-cast.com

 

 多くのユーザーはその値上げを受け入れたみたいでしたけれども、僕としては1本100円にしてくれてもいいのでアイスの当たりを最大で3本にしてくれないかな?とか思ったりもします。いや、昔はあったんですよ。当たりが出たら最大で3本もらえるアイスキャンディー。

 

 

立たされん坊というアイス、みんな覚えてるかな?

www.youtube.com

「もうしません」の文句で3本当たり。
「ごめんなさい」の文句で2本当たり。
「気をつけます」の文句で1本当たり。

 

 最大で、アイスが3本当たるという太っ腹な商品でした。その他にも映像や写真では今回、発見できなかった雪印(現:メグミルク)の「スロットアイス」やフタバ食品の「1、2、3」など、30年ほど前までは3本もらえる当たりつきのアイスって結構あったんですよ。その頃を知っている自分としてはアイスキャンディーを食べていてあたりが出ても「1本当たりってケチくせぇな」と思ってしまう。

 

 

 ※当たりが出たらもう1枚!とかないかな?