サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

ぐるなびや評価や食べログの評価 / 口コミは味覚オンチのためにある

こんにちは。

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 本日はぐるなび×はてなブログの「グルメブログ応援企画」なるものに嫌がらせ。とはいってもブログやインターネットを通じた物事のレビューやランクなどに、以前から持っていた違和感などについて書かせてもらいたいと思います。

r.gnavi.co.jp

tabelog.com

 

 

僕たちの食べているものは料理でなく情報である

 皆さんお馴染みの、料理店のランク検索サイト「ぐるなび」に「食べログ」。実際にこれらのサイトは便利で、僕自身も何度かお世話になっております。そのうえで皆さんに質問したいんだけど、これらを使って外食に出かけ、料理を食べた時にふとイヤになるというかウンザリした気分になることってありません?僕はあります。それは僕が店で食べようとしているのが料理ではなく情報であることにふと気づくからです。

 例えばだけど今、あなたは空腹で近くに飲食店でもないかな?とキョロキョロ見て、ラーメン屋を2件見つけたとする。そのうちの1件は何の変哲もない普通のお店。もう1件は有名な店らしく、壁には取材を受けた雑誌の切り抜きなどがベタベタ張ってあるお店。お金を払うならうまいもんを食わせる店を選びたい!と考える人間の心理としては雑誌切り抜きを張りまくった店をついつい選びたくなるのが人情です。そして暖簾をくぐったあなたはお店のカウンターに「東京ラーメンベスト100」とか書いてある雑誌を見つけ、そのお店の情報を見つけるためページをめくります。とりあえず注文は雑誌に書いてあるお薦めメニューを選択。頼んだ品がテーブルに来るまで、記事でお店とメニューについて予習しながら待ち、その頭に叩き込んだ情報を反芻しながらテーブルに運ばれたメニューを食べる。或いはページをめくりながら麺をすすったり、食べたメニューと店の名前を覚えて後日、ラーメンの専門サイトや雑誌をたよりに再検索。そうやって自分が食べているもの、食べたものの「旨さ」の根拠を他者の情報に求める。

 

 こんな経験、ありません?僕も以前、ふらっと立ち寄ったラーメン屋においてある雑誌のラーメン特集をめくり、その店についての情報を見つけて読みふけりかけていたのに気づき、すごくむなしくなった記憶があります。

 

みんな、味が分からない。だからこそ情報にすがる 

 別にそういうことを批判したり、否定したりするつもりなんてありません。情報の量が多ければ多いほど選択肢も広がり、的確に物事を選べます。情報化バンザイ!だけど同時に僕はやはり、この情報の多さっていうやつにうんざりするんです。料理の感想なんて「旨い」「まずい」「ふつう」の三択だけで充分だろう?食ったもんが旨かったら「旨い」というだけでいいのに、どうしてその旨さの理由まで求めてしまうのか?その理由は極めて単純。世間には味に対して明確な基準を持つ人が少ない。もっと具体的にいうと世間は味の分からない「味オンチ」が圧倒的に多いのである。ということです。「麺は〇〇産の小麦粉のみを使用」だとか「スープは良質の〇〇から組んできた湧き水を使っている」とか「芸能人の〇〇が常連」とかそういう味覚とはかけ離れたところにある情報の多さに疲れている自分に対して「僕はグルメマンガの主人公や彦摩呂じゃないんだから、口にした料理の感想を『旨い』だけで留めておいて深追いしないほうが幸せだよな」とつくづく思うのです。

 

お店選びで失敗をしたっていいじゃん 

 googleで「食べログ」を検索すると「お店選びで失敗したくない人のためのサイト」とあるけど、失敗したっていいじゃん。そういう失敗だって貴重な体験だよと思うのです。そんな、ひねくれ者な自分はわざとぐるなび食べログで低ランク評価をつけられたお店を選び、そんなお店で飲み会とかを企画してみたい。

 

matome.naver.jp

tabelog.com 

 

 こういうサイトを読むと人の評価っていうのは相対的であり、多くの人が「ダメ」とレッテルを張ったものにも光るものがあったりするということに僕は希望を抱きたくなります。今後も食べた料理の旨さに理由を求めたがる「味オンチ」のためにグルメブログやお店検索サイトはあり続け、高ランクの店は重宝されることでしょう。僕もその味オンチの一人ではあるけど、たまにはそういったお店や料理のランクを気にせず、飯を食うっていうのも案外、気楽でいいよ。

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 


 

※今回はぐるなび食べログの口コミで低ランクのお店を応援したくて書きました。いやマジでそういうお店の中にも意外とダイヤがあったりするもんだよ。

 

 

子どもが産まれてから、僕が最も変わったことについて

こんにちは。

 

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 世間はもう夏休み。日中、電車でお得意様先を回って企業LANのメンテなどに勤しむサラリーマンな僕にも数十年前、一ヶ月以上学校を休んで遊びまくった時期があったんだよなと思い出しながら、80年代の子ども向け番組「パオパオチャンネル」の人気音楽コーナー「ピッカピカ音楽館」でオンエアされていた「ナルケマレバンガカピカッピ」という名の曲が頭をよぎったりします。この曲の主人公は大人になったのび太とその息子。息子の抱えている悩みを聞いたのび太が「このナルケマレバンガカピカッピというおまじないを唱えてパパは頑張ってきたんだ。そして僕も大きくなって、君のパパになったのさ」と優しく語るこの曲の作詞を手掛けたのは藤子・F・不二雄先生。大人になった時その歌の味わいが分かる名曲なんだけど、いまひとつ知名度が高くないのがさびしいところです。

 

buzz-plus.com

 

 さて本題。大きくなってパパになり3年になった僕ですけど、子どもが産まれる前と後で大きく変わったことがあるのに最近、ふと気づきました。それはなにかっていうと「横断歩道の信号をどんな時も守るようになった」ということ。みんなコレをたいしたことないと思うでしょう?だけどこれってすごい大事なことだと思うんですよ。

 

 娘も3歳になって、ひとりで歩いたり走ったりできるようになった頃、僕は手をつなぎながら娘に「赤のおじさんが立っている時は道を歩いたらダメ。青のおじさんが歩く絵になったら道を渡るんだよ」と教えました。それを覚えた娘はどんな時でも実直に、そのルールを守っています。ふざけて僕が「今、赤のおじさんの絵だけど渡っちゃおうかなぁ」というと娘は僕にまじめな表情で注意してきます。その実直さを目の当たりにした時、やっぱり父親としては「子どもだけはダメで大人はオッケー!みたいなウソを教えるわけにはいかないな」という確固としたモラルみたいなものが産まれたのです。いや、それ以前にもモラルはありましたよ。だけど、ここまで自分以外の誰かのために模範を示す大人であり続けるためルールを守ろう。っていう明確な動機を持ったものはありませんでした。以来、どんなに急いでいても僕は青信号が点滅したら渡るのは辞めるようになったのです。

 

 そんなふうに子どもの生真面目さに応えるため、ウソをつかずに交通ルールをきっちりと守るようになった僕ですけど、皆さんはいかがですか。お前にいわれるまでもなく交通ルールを守っているって?そりゃ、結構結構。だけど僕が大人をやっている社会はそんな子どもの実直さ、真面目さをどこかで笑ってバカにしていませんか?政治も、経済も。

 

企業による犯罪事件の一覧 - Wikipedia

 

news.nifty.com

president.jp

 

 一介のサラリーマンと政治家や企業のお偉いさんは立場が違う?そりゃそうですよ。偉くなりゃなっただけウソをつかなきゃいけない場面もあることは承知しています。僕も業務都合で小さなウソをつくことだってあるからどんな時もウソをつくなとはいえません。だけど、せめて罪悪感くらい持ってもらいたい。お偉いさんらの謝罪にはそれが感じられません。つまり基本ができていないのです。皆さんも先述した不祥事の謝罪会見などを見ていて「いくら頭下げてもどうせこいつらおなじことをやるだろうな」と思いませんでしたか?

 

 コンプライアンスどうこうなんて難しい議論はいらないから、まずはみんなで「子どもが見ているから交通ルールを守ろう!」からもう一度、この国をやり直しませんか?

 

ryo-nf3000.hatenablog.com

 

 まずは僕らがルールを破る奴らを憎むヒーローになりましょう。お互いに。

 


 

杉田水脈の発言で何が問題かを、僕のLGBT差別体験から考える。

こんにちは。

 

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 本日のテーマは「LGBT」。LGBTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの頭文字をとって作られた言葉であり、セクシャルマイノリティーを指す総称として広まっています。

 

tokyorainbowpride.com

 

 これは軽く取り上げていいテーマではないことを承知しながらも、今こさこのブログで扱うべきものであると考えました。それは学生の頃に体験した、ある同性愛者団体との出会いが現在の自分の思考に大きな影響を与えていることを語っておきたいという思いが常にあったのと、最近「杉田水脈」という国会議員が雑誌で性的マイノリティの立場にいる人に対して「生産性」という言葉で殴りつけていたことに強い憤りを感じたからです。詳細については以下の記事を引用。

www.buzzfeed.com

"問題となったのは、「新潮45」2018年8月号(新潮社)に掲載された杉田議員の寄稿記事「『LGBT』支援の度が過ぎる」。

LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうかーー」と持論を展開した。"

 何よりも尊重されるべき生命に対して「生産性」なんていう工業品みたいな無機質で温もりのない単語を当てはめられるこの人の考えには同意できませんけど、偉そうなことをいっている僕もまた以前、性的マイノリティーの人を無知から差別したことがあります。

 

 20年ほど前のことです。この頃、大学生だった僕はゼミで短編映像を作っており幾つもの脚本を書きまくっていました。そんなある日。僕は担当教授に自分の脚本について「君の脚本はゲイ差別にあたると思う」と思いがけない評価をもらったのです。内容としてはエロ本を本屋に買いに行けない気弱な青年が、昔、街角によくあったエロ本の自動販売機を見つけ、逡巡を繰り返しながら勇気を振り絞って購入する。ところが販売機から出てきたのは同性愛専門雑誌の「さぶ」「薔薇族」で・・・という他愛のないプロローグから始まる物語でした。脚本の面白さやつまらなさだったらともかく「君の脚本は差別的」という思いがけない評価に僕は驚き、「僕はエロ本=女性のヌードという固定概念を打破する目的で書いただけなので、差別の意識はなかった。その評価に納得いきません!」と抗議。ただ、教授の「差別」という重い単語は脳裏を離れない。そこで当事者の人は僕の脚本をどう考えるかを知りたくなり、大学の公開授業で同性愛者団体の人を招いていたことのある別の教授に事情を話してその団体の連絡先を教えて貰い、アポを取って会いにいったのです。

 

www.occur.or.jp

 

 僕はその団体の人に脚本を読んでいただき、自分の脚本は差別にあたるかどうかを、直接訪ねました。その人は「差別と受けとる人もいるかもしれませんね。」といったようなことをオブラートに包むような口調で語りながら「誰かが誰かのことを傷つけないギャグって難しいのかな」ということも口にしていたように思います。その頃の僕は、今より物事をわかっていないクソガキ。わかったふうなことを偉そうに語ったり、浅い考えで質問したり反論したりしていたでことでしょう。それでも団体の人が僕に怒らなかったのは「無知な子どもだけど知らないことをバカなりに理解しようと思ってやってきた」僕への思いやりだったのか、やっぱりこいつには何を語っても通じないな。という諦めだったのか。現在でもわかりません。

 

 そして帰りの電車の中。取材費のかわりに購入した同性愛者の実態を綴る本を読み、その本に掲載されていたある少年の悲劇に愕然とさせられたのです。同性愛者だった少年は男性のヌードに興味があったけど、男性専用のヌード雑誌を買えなかったため本屋で万引き。少年は万引きが見つかり、本屋に「親に連絡するぞ」と言われて同性愛が親や周囲にばれるのが耐えられず高所から飛び降りたというエピソード。これはまさに自分の脚本のテーマそのものじゃないか。この少年の背中を押したのは自分じゃないかという思いでひどく落ち込んだのを今も覚えています。
 

 世界には、自分と立場や考えの異なる人が大勢いる。その人たちのことを考えずに、自分の価値基準だけで物事の「正しさ」についてを断言してはいけない。こんな当たり前のことを、こんな苦い体験を通じてでなきゃ理解できなかった自分。つくづく、自分のバカさがイヤになる。そして政治家という立場にいながら、そんなことさえ理解もできていない国会議員がこの国で偉そうに幅を利かせており、それを批判さえできない政党が国の権力を握っている。昔も今もバカで無力だけど、少なくとも自分は「差別」という単語を突きつけられて「誤解させたのなら謝る」という定型文で逃げたり、この卑怯な議員を庇おうと奴らより自分の知らない世界を知ろうとした分だけ、まっとうであると思いたい。

 

 ついでにいうとその本にはナチスが同性愛者の人を生殖の面で「生産性なし」としてピンクの三角形のマークをつけさせ、迫害していたことについても書かれていました。さすが、憲法改正の手段、手続きについて「ナチスに学べ」といった麻生や選挙の対策をヒトラーのメソッドから学ぼうというコンセプトで書かれた「HITLER(ヒトラー)選挙戦略」という本を絶賛した高市早苗がいる自民党ですよ。杉田もヒトラーが同性愛者を迫害していたことをを知っていたからこそ「生産性」という言葉をわざわざ使って貶めたのでしょう。実に勉強熱心だ。

 

 何度でもいってやるぞ。こんな奴らのトップであるバカ総理の掲げる「美しい国」構想なんて僕はご免こうむる。

 

lite-ra.com

news.nifty.com

 

 揃いも揃って、単なるクズの巣窟になったな自民め!! 

追記: 政策どうのこうのじゃない。こんな人権意識の欠けた奴らに権力与えるな!

 

 


 

 

  

3DO REALなど、プレステに敗れた負け組ゲーム機について

こんにちは。

 昨日はすっかりゲームを卒業した自分にとって、今でも印象深いファミコンソフトについてダラダラ語らせてもらいました。

 

 

 

arrow1953.hatenablog.com

 

パナソニックの「3DO」など、プレステに負けたゲーム機の数々 

 1983年発売の「ファミリーコンピュータファミコン)」の普及によって、家庭用のゲーム機開発競争はその後さらにヒートアップ。ライバルのセガカセットビジョンを販売していたエポック社は撤退)ほか、パソコンでおなじみのNECや家電メーカーのパナソニックMSX2パソコンも出していたっけな)なども競争に加わり、その結果ゲーム機の性能は大きく向上しました。80年代~プレステ発売となる90年代中盤まで、ほぼ任天堂の独占状態だった日本ゲーム市場。その中でも印象深いハードを本日は紹介。この頃発売されたゲーム機をすべて網羅するような詳細一覧みたいなのはまとめサイトとかにでもお任せして、僕の紹介するのはゲーム機のCMやソフトなどの観点から、僕の独断と偏見で忘れられないものを集めてみました。

 

1、3DO REAL(パナソニック

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 パナソニックが発売したゲーム機。「3~D~O~リア~ル~♪」のコーラスの響く中、CGのアインシュタインがユーザーに語りかけるCMが印象的でした。ゲームの感想・・・殆どなし。ただ、後に劇作家の鴻上尚史さんが主宰する劇団「第三舞台」の「朝日のような夕日をつれて‘97」のセリフで パナソニックの社員でさえも、作った事を忘れている3DO!」というのがありました。

 

2、PC-FXNEC

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 PCエンジンの後継機でプレステ、セガサターンと同時期に発売。上記2ハードと三つ巴になるかと思いきやあえなく自然消滅。このハードの大きな特徴はポリゴンを使えないこと。つまり、アニメ表現に特化したゲーム機という点がウリでした。実際にフルアニメ表現された対戦型格闘ゲーム「バトルヒート」とかいうのもあったけれどあの頃はゲームとアニメ表現の融合をユーザーは求めておらずあっさりと撤退。

www.youtube.com

 

3、プレイディアバンダイ

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 94年に発売されたゲーム機でこれまたプレステの同級生。小学生をターゲットとしたハードだったのでゲームの印象はほとんどありませんが、安達祐美とドラゴンボール孫悟空のコラボCMがこのハード機最大のウリなのかも。とはいってもこのCM覚えている人ってたぶん少ないだろうな。

 

立体ゲームは人類の夢? 

 そして、現在も発展し続けているゲーム機において技術進歩の著しいVR(バーチャル・リアリティ)。リアルなグラフィックに身を置くことで、自分がゲームの世界に入ったような不思議な気分を味わえるのが魅力ではありますが、技術や開発環境の乏しい80~90年代にも「仮想現実の実現」を目指して作られたゲーム機があります。

 そのゲーム機の名はバーチャルボーイ 

1、バーチャルボーイ 

 

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 任天堂が開発したメガネ型のハードで、覗くと画面が立体に見える!だけど画面が「赤黒」なので、いまひとつそのありがたみを味わえない、非常にキワモノなハードでした。

 

www.youtube.com

 両目で異なる映像を映し出して、その錯覚で立体にみせる仕組みなので、映像で立体感が伝わりにくいのが最大の欠点。このためゲームのCMを見てもゲームの魅力がほとんど分からない。さらにゲーム画面を実機で覗いても、赤黒の画面なので映像自体に面白みがない。というのが致命的な欠点でした。ただ、この3Dゲームというジャンルは皆さんが思っているよりも、歴史があるジャンルだったりします。ファミコンディスクシステムでDOGっていうメーカー(旧スクウェア・エニックスのディスク部門)が発売した「とびだせ大作戦」とか。

 

www.nicozon.net

 このゲームは当時、別売りの立体メガネがあり、それを使うと3Dゲームとして遊ぶ事ができました。別にその別売りメガネを使わなくても平行法、交差法という目の使い方で、ゲーム画面を立体でみる事もできます。

詳細は、以下のホームページ。

 

立体写真の見方 / 交差法

 

 ちなみに僕もこのホームページを通じてゲームを立体視できましたが、練習に20分前後使いました。あと、忘れちゃダメなのが、タカラトミー(旧TOMY)が1982年前後に発売した立体ゲームシリーズ。 

2、立体ゲームシリーズ

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 右下の写真にあるとおり、双眼鏡のように覗いて遊ぶタイプのゲーム。

www.youtube.com

 

 周囲に持っている子がいなかったので憧れのゲーム機材でした。この立体ゲームは現在も引き継がれているけど、そんなに立体ゲームって魅力的なんでしょうかね?っていうか映画やTVなどを含め3Dってユーザーから魅力あるコンテンツに思われていないんじゃないかな?と思うんだけど。

 

 

 

 

高度成長期以降の日本史をゲームで振り返るのもおもろいかも

 

 

  今週のお題「ゲームの思い出」

ゲームに飽きて卒業した大人も再び遊びたくなる、おすすめゲームを紹介。

こんにちは。

 

 本日のブログのテーマは「ゲームとわたし」。

 

 

 

大人になってゲームに飽きた!

 社会人となり20年近くになりますが、現在はプリキュア大好きな娘と遊ぶためのプリキュアゲームアプリ以外のゲームを卒業していることもあって、手にコントローラーを握ってRPGのレベルを上げたり、ボタンやレバー操作を駆使した対戦格闘ゲームで相手をフルボッコすることに、ムダな情熱を傾けていた日々からは遠ざかっています。たまにテレビでおもしろそうなゲームの宣伝やハード機のCMなどを観て興味が湧くこともあるんだけど、なによりゲームという非生産的なことに時間を割くということそのものが「めんどくさい」っていう思いの方が強くなった自分を振り返っては「僕も大人になっちゃったんだなぁ」と、センチメンタルな感情が込み上げてきたりもしている今日、この頃です。

 

ゲームを卒業した大人におすすめベスト5(タレントゲーム編) 

 っていうところでそろそろ本題。今の僕はゲームで遊ぶよりも、80年代のコンシューマーゲームを知る仲間たちとの「ゲームの思い出語り」のほうが面白かったりするんですが、やはり盛り上がるのは「金をドブに捨てる」ようなひどい出来ばえのゲーム。遊んでいてつまらない、クリアできないほど難しい、おもしろそうなパッケージに騙された、などユーザーからの酷評を受けまくったいわゆる「クソゲー」たちの思い出。

 

 特に有名人をゲームキャラに有名人を起用して、その知名度にあやかってメーカーのゲームソフトを売りたいという思いで作られた「有名人キャラゲーム」は売ることだけが目的でゲームのおもしろさなんてのは二の次とでもいいたげな作品も多く、ユーザーがお金を払ったことを後悔させるクソゲーの宝庫といっても過言ではありません。中には吉本タレント総出演ながら物語が意外とシリアスでしっかり遊べる「さんまの名探偵」みたいな名作もあるけどね。

 

 ってなことで今回は別に遊びたくはないんだけど話のタネになるキワモノゲームを集めました。

 

第5位 光GENJI ローラーパニック(ディスク)

www.youtube.com

えーと・・・なんでポートピア連続殺人事件の「ヤス」が7人並んでいるんでしょう。

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 ゲーム内容はLIVEを控えた光GENJIの7人全員が商売道具のローラースケートを盗まれてしまう。本番までに7人全員のローラースケートを探せというアドベンチャーゲームだそうです。ちなみにこのゲームはディスクシステムの最大のウリである500円でのゲーム書き換えが不可だったため定価で購入しなければゲットできないというアコギな商品でもありました。ほんとにジャニーズは汚い。ゲームとしての評価はローラースケートを探さないで買ってこい。っていうところでしょうか。はい、次。

 

第4位 田代まさしのプリンセスがいっぱい

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 夢の中でフェアリーな女の子の会話から始まるこのゲーム。たぶんまだ田代の頭からクスリが抜けていないんでしょう。薬物障害ってほんとこわいね。

 

第3位 ゴルビーのパイプライン大作戦

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 旧ソ連ゴルバチョフ大統領を主人公にした、購買層が分からないパズルゲーム。もっとも驚いたのは制作した会社が「ぷよぷよ」で有名になったコンパイルだったこと。もしかしたらゲームとしてはおもしろいのかもなぁ。

 

第2位 舛添要一の朝までファミコン

www.youtube.com

 

 国際政治学者(当時)の舛添要一から、クイズ形式でビジネスの心得を学びながら進めるアドベンチャーゲーム。これも購買層が見えず誰が買うんだろう?と思いながらデパートのおもちゃ売場でまったく売れる要素もないくせして異質な存在感を放っているのが印象的でした。ふと気づいたらお店のショーケースからこのソフトが消えていたので「あぁ、どうにか売れたんだな」と思ったけどもあまりにも売れなくて返品されたのかも。このゲームについては以下の記事でくわしく紹介。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

第1位 オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ

www.youtube.com

 

 実はこのゲーム、先日まで知りませんでした。最初にベスト5を選んだ後、他にもインパクトのあるタレントゲームはないかな?と思って検索しまくってたら「オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ」なる単語にぶつかり、なんじゃいそりゃ?と調べていたら、ラジオ番組「オールナイトニッポンの放送20周年企画でリスナーのプレゼント用に作られた特別なスーパーマリオがある事を知って驚き。市販版との大きな違いはゲームタイトル。動画をみるとわかりますけど、「SUPER MARIO BROS.」の左に「オールナイトニッポン」と書かれています。

 

 他にもゲームのキャラに注目。おなじみ雑魚キャラ「クリボー」などが、その当時金曜日のパーソナリティだったサンプラザ中野に変わっており、救出キャラのキノピオが他の曜日のパーソナリティだった石橋貴明ビートたけしなどになっています。詳細はこちらをどうぞ。

オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ - Wikipedia

 

 そして忘れてはいけないのが人気漫画、アニメなどを題材に作られたゲームいわゆる「キャラゲー」。先日、週刊少年ジャンプの創刊50周年記念で、ファミコンソフトになったジャンプ作品のゲームを集めたニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョン」が発売されて、ちょっとした話題になりました。

 

 

www.nintendo.co.jp

 

ゲームを卒業した大人におすすめベスト5キャラゲー編) 

  多くのゲームが乱立する中で「キャラゲー=クソゲー」みたいな公式は一般論としてあります。メーカーもある程度の売上を見込めるし、ゲームの購買者も殆どが作品のファンだからコレクターズアイテムみたいな感じで買うので、面白さは二の次!みたいな心理も働くためか、キャラゲーの出来については皆さん、比較的寛容な印象もありますけど実際に遊んでみて面白いゲームも多くあります。そこで、僕の独断でそんなゲームを集めました。

 

第5位 ウルトラマン ー怪獣帝国の逆襲ー 

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 ウルトラマン好きな僕には外せない名作。ハヤタがフィールドで小さな怪獣を倒してエネルギーを集めまくり、変身。ウルトラマンとなって強敵怪獣を倒しながらウルトラマンジャック、エース、タロウを救出後、宿敵の巨大ゼットンと対決するアクションゲームです。変身できる時間は3分間だけで基本攻撃はチョップにキック。残り1分になるとおなじみのスペシウム光線やウルトラスラッシュも使えますが、ラスボスのゼットンでさえチョップだけで倒せちゃう、ロマンもクソもないゲームバランスが最高。

 

 

第4位 忍者ハットリくん

www.youtube.com

 名作の横スクロールアクションゲーム。動画の上にあるアイコンは忍術を表しており、それを選んで使うことで足が早くなったり、空を飛べたりするなど、操作の幅が広くなるのがおもしろいゲーム。ちなみにこの画面の上部に見えているのは隠れキャラの高橋名人

 

第3位 グーニーズ

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 80年代の傑作アドベンチャー映画を、ゲーム化した作品。主人公のマイキーという少年が、フラッテリー一家アジトに乗り込み、人質となった仲間を救出していくアクションゲーム。ゲームとしてもおもしろいけど、シンディー・ローパーの歌うテーマソングを忠実に再現したBGMが最高。

 

第2位 キン肉マン マッスルタッグマッチ

www.youtube.com

 普通に考えたら駄作。だけど遊べば遊ぶほどその味わいにハマるゲーム。ゲームプレイヤーはキン肉マンテリーマンなどおなじみのキャラを二人選び、タッグマッチ形式で対戦。だけどこのゲームは操作性が最悪なのでお互いの間合いは詰められないわ、詰められたとしても技をうまくかける事ができず、非常〜にストレスがたまります。勝負を決めるのはミート君が投げるボール。これを取るとそれぞれのキャラクター特有の技を使えるようになるのですけど、技の使い勝手も大きな差が。相手の背後に回ってAボタンを押さなきゃ使えないキン肉マンのキン肉ドライバーに比べ、ただAボタン連打だけで使えるブロッケンJRの毒ガス攻撃にウォーズマンスクリュードライバーは対戦相手には何よりの脅威だったためブロッケンとウォーズマン禁止ルールはどこでもみられました。んでもってお互い使いづらいキャラで対戦してはその操作性のひどさに悶えたもんです。

 

第1位 ドラゴンボール3 悟空伝

www.youtube.com

 文句抜きにおもしろい傑作。孫悟空の少年時から青年時のピッコロまでの戦いを描いたRPGです。このゲームの戦闘システムはユニークで悟空と敵がお互いの持っているカードを出して、左上の星の数(星の多い方が攻撃できるだけでなく、技の威力も反映)右下にある漢数字(防御力)を比べあって戦います。このシステムはピッコロ大魔王との闘いを描いている「大魔王復活」で確立されており、ラディッツベジータと闘うサイヤ人編の「強襲!サイヤ人」などのシリーズにも使われました。

 

www.youtube.com

 強襲!サイヤ人以降はキャラが立体的に画面の中を動き回りますけど、僕はあくまで平面でグラフィックを描いている悟空伝のほうがファミコンぽくって好き。機会があったらぜひ、遊んでみて下さい。

 

 

 

ボクはファミコンが欲しかったのに

ボクはファミコンが欲しかったのに
価格:1,296円(税込、送料別)

 ※っていうタイトルの小説。僕のクラスにもいたなぁ、そういってセガをもってた奴。うわー、このマリオの事を周囲に広めたい!!

 

今週のお題「ゲームの思い出」 

 

オウムの本質は「カルト」でなく「サブカル」であり、それは今この国を覆っている

こんにちは。

 

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    本日は毎月数度ある夜勤のLANメンテナンスのため、朝、気だるさを引きずり帰宅。さて、ベッドで寝るか。と思ったところにツイッターでオウムの教祖、麻原彰晃のニュースを知りました。原則的にこのブログは人に楽しんでもらうために書いており、直接的な人の生命についてどうのこう書こうとも思っていませんし、極刑についても簡単に是非を問えるような軽い問題でもないため、この件について考えを述べるつもりもなかったんだけど、サブカルを扱うブログならば「オウムこそサブカルの本質を突き詰めた団体」という点について書いておきたい。という思いもあったので、仮眠から覚めたボーッとする頭であれこれと考えながら、キーボードを叩いてます。

 

 

 オウムのサブカル的特徴について

 さて本題。平成以降産まれの若い世代には「オウム真理教」を知らない人も多くいるだろうと思いますので概略について、簡単に説明させていただきます。

 

 麻原彰晃 (本名・松本智津夫) が 1984年に始めた新しい宗教。麻原はヒマラヤで修行し,86年に最終解脱を達成したとし,89年東京都で宗教法人の認証を受けた。インドのヨーガや仏教の教えに麻原独自の解釈を施して教義とし,シバ神を主神として崇拝,その教えに通じた教師の指導によって,すべての生き物を輪廻から救うことを目指すとした。静岡県富士宮市の総本部道場のほか,全国各地に道場を開いていた。

 後に教団と信者家族を巡るトラブル対応に当たっていた坂本弁護士家族拉致事件ほか松本サリン事件、東京23区を張り巡らせている地下鉄の車両でサリンをまき、重軽傷などを含め6000人の犠牲者を出したテロ「地下鉄サリン事件」を引き起こしたことで知られています。この犯罪の規模やこの団体が宗教団体だったことから世間にはオウム=「カルト」「テロ集団」という認識が広がっていったと思いますけどもそれは違う。オウムの本質は記事のタイトルでも述べた通り、あくまでも「サブカルチャー」「サブカル」であると、僕は考えています。そのことを具体的に指摘したのは漫画原作者であり評論家でもある大塚英志で、大塚は2000年に角川書店から出版した「戦後民主主義リハビリテーション」でオウムについてこう述べています。

 

 

"さてそれでは、そもそも僕が問題とするオウムの人々の歴史認識とはどのようなものなのか。それはひとつには「陰謀史観」として括りうる歴史観であり、もうひとつは「ハルマゲドン」の語に象徴される終末思想である。それらの歴史認識は無論、オウム独自のものではない。それぞれに相応の出目と歴史を持つものである。しかし80年代消費社会を経て、オウムの中に沈殿していったこれらの思考は、その時点でサブカルチャー化してしまっている。ここでサブカルチャー化というのはその事象が本来、出目として帰属していた大文字の歴史から切り離され、消費社会の中で情報として集積され、引用される事態をいう。

(中略)

  オウムの人々の歴史認識の危うさは、陰謀史観にせよ、終末思想にせよ、その前提となる大文字の歴史を決定的に欠いており、その空白をサブカルチャーが代行してしまっている点にある。"

大塚英志 戦後民主主義リハビリテーション角川書店)より

 

この国の本格的なサブカル化を考える 

 以前このブログで、僕は日本にもはや土地や風土、生活習慣などに根差した「文化」などはとっくに存在しておらず、その代わりにあるのは「国歌」や「日の丸」、「外国人向けのガイドブックにありそうな伝統文化」など、人々のリアリズムから分断された「シンボリックなサブカルチャーとしての概念」でしかないと述べました。 僕がこの本を手に取ってそろそろ20年。現在のこの国について考えた時に、大塚のオウム批評は20年近くを経て、この国に広く薄く広まっていったんだなとため息をつきたくなるのと同時に、この前述したオウム的な空気が、この国でいよいよ先鋭化してきたことについて危機感を感じています。

 

 現実に対して空虚さを抱えた人々を強く引き付けたオウムの教理が前述されたオカルト的な価値観だけでなく、アニメの設定や各宗教の価値観などを切り貼りして編集を行い、独自の世界を構築していきながらその世界を守るため世間と断絶を図り、結果的に先鋭化の道を突き進んでいく。この光景は同じく現実社会に対する閉塞感に目を背けるために、youtubeで周辺国や現政権の批判者を「反日」などと罵るデマや不正確な情報を切り貼りして作った映像を観て敵意むき出しのネトウヨ共が増殖したり、英国BBCのドキュメントで人権意識にひどく欠けたコメントを得意げに吐いて悦に浸る自民党議員を生み出したりしているこの国とどこが違うというのか。その風潮を良しとせずに批判する人を「サヨク」「パヨク」などと嘲り、議論することもせず自説をつらつら述べ、それに答えるまえに「はい論破!」といって粋がるネトウヨや国会の質問に誠実に答えずニヤニヤ笑うだけのバカなこの国の首相と、同じく教団の批判に対してディベートには長けていたが、オウムの本質には全く触れることのなかった嘗てのオウム広告塔「上祐史浩」と何が異なるのか。この両者は僕にいわせりゃまったく同じであり、だからこそこの国は本格的にオウム化しているといわざるを得ません。

 

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 これどういうニュースかっていうと、西日本の大雨で各地に気象庁からの避難指示をまったく気に介さず、自民の議員たちが集まり、大宴会を行っていたという批判が多くなってきたため竹下総務会長が会見で「正直言ってこれだけ凄い災害になるという予想を私自身は持っていなかった」と釈明。7/5のツイッターには自民の議員が集まってお酒を飲みながら旨いものを食って大はしゃぎ!という様子が投稿されていました。

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 皆さんも暇だったら、片山さつき議員と西村やすとし議員の7/5のツイートをご覧になってみて下さい。本当に、自民の議員は和気あいあいで楽しそうです。

 

 このニュースが報道されても、未だこの内閣の支持率が40%近くある現実に、僕は少なからず失望しています。参加議員らの「7/5の時点でこんな災害になるとは思っていなかった」などという釈明も、まず大雨で苦しんでいる人が大勢いるというのにこんな無神経なツイートをした議員たちがいたことをどうして詫びない?コイツらには人の痛みを理解しようとする想像力を働かせる感性がないのか?そもそもこんな行為をどうしてを誰も咎めないのか?という疑問や、憤りしか湧いてきません。

 

この国の政府はオウムと変わらない

 みんな、ほんとにこんな政党がいいのか?「自民以外に政権を任せられない」「安倍以外に総理を任せられない」と思っているなら、それこそほんとにカルトだぞ。でなけりゃ暴力を受けながらも「私にはこの人しかいないのよ!」と思い込まされているDV被害者だ。僕だったらこんなバカの集う政党と、その政党が政権を担っているこの国を「下劣」に思う。そしてこんな下劣な政党には退場いただき、別の政党に国のかじ取りを任せたいと思う。経験もない政党に不安がないかといったらウソになるが、それでも人間性が腐っている奴らに権力を委ねるよりよっぽどマシだ。野党が頼りにならないというんだったら新人育成のつもりで使い続けながら鍛えてやる!ぐらいの気概がなくてどうする!といつも思うのです。

 オウムも、この政権と積極的 / 消極的を問わずこの政権を支持する人たちが醸しているオウム的な空気も突き詰めていくとその本質は「正しい認識を持っている自分たち=特権を持つ者」であり、その特権の所有者がこの国を動かすことで国全体を強大にすることを望んでいるというファッショな性質であるということは大声で言っておきます。だから今、大事なのは「日本はひとつ」的な幻想に抗ってまずは自分の足で立つこと。とあるバンドの「HINOMARU」に涙したり、youtubeの出所さえも分からない「日本、日本人ってすごい」というプロパガンダ映像に高揚することでもなく、現在の生活というリアリズムを大事にして、そこから自分を語るための言葉を探す努力を怠らないことです。

 

サブカルチャーについてはこのブログ記事で詳しく書いてます。よかったらどうぞ。

 

 

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サッカーW杯。日本代表の応援ボイコットでこの国のバカさが分かった

こんにちは。

 

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 先週からロシアでいよいよ始まったサッカーW杯。にわかサッカーファンの僕自身も非常に楽しみだったんですけども、今回は日本代表の応援をボイコット。強豪国であり前回のブラジル大会で敗北を喫した南米のコロンビア戦もテレビをまったく観ず、報道で結果だけを抑える程度に留めて「あ、日本勝ったんだ。へぇ。」程度で感情を抑えています。正直言って決勝に進もうが、予選敗退になろうがどうでもいい。その応援ボイコットのきっかけとなったのは今さらいうまでもありませんがこの事件。

 

 

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 別に西野監督や選手にはこれといって恨みもないんだけども、僕は日本サッカー協会のこの仕打ちを絶対に許せません。解任理由も「選手と監督のコミュニケーション不足」みたいな説明をしているけど、だったとしても予選を勝ち抜いてW杯出場のキップを手に、これから並みいる世界の強豪を相手に戦ってやるぞ!と意気込んでいるだろう監督からその権利を奪うなんてあんまりだし、こんな道理の通らない話はありません。W杯をハリルホジッチ体制で戦うつもりが最初からないんだったら、どうして事前の強化試合の指揮をとらせたのか。いきなりの決定だったこのハリルホジッチ解任は多くのサッカーファンも疑問を呈しており、本選前の監督交代について多くの人が不満だったはず。コロンビア戦直前までの下馬評も日本代表の評価は低く「決勝に進出?ムリでしょう」という声が圧倒的だったのに終わってみれば手の平返しで「感動した!」のオンパレード。この「結果がよけりゃぜんぶオッケー!」みたいな空気に僕はひどくイラついています。

 

 コロンビア戦勝利の余韻に日本全国で浸っているなか、こんなブログを書いている僕は本当に根性曲がりだろうな。とも思うけど、これはサッカーだけの話ではありません。コラムニストの小田嶋隆さんは今回のハリルホジッチの解任について、こう語っています。

 

business.nikkeibp.co.jp

以下、コラムの引用

"何回か前の当欄で簡単に説明した通り、私は、現代表チームのメンバー構成やチームとしての正当性に疑念を抱いている。よりはっきりとしたところを申し上げるなら、私は現代表チームならびに、その選考に当たったJFA日本サッカー協会)の首脳を信頼していない。

(中略)

 理由は、以前書いたことの重複になるが、前監督であったハリルホジッチ氏解任の顛末に納得できていないからだ。また、西野監督に後任を託した理由と経緯についてJFA日本サッカー協会)ならびに西野監督本人がなにひとつマトモな説明をしていないからでもある。"

 

こう語ったうえで、更に続けます。

 

"「いまさらグダグダ言っても仕方がないじゃないか」「過ぎたことを蒸し返してどうなるものでもないだろ?」「とにかく今目の前で戦っている自分たちの代表を応援するのが、普通の日本人としての唯一の現実的な態度だとオレは思うわけだが」てな調子で、当初は不満を持っていた人々も、時間の経過とともに、順次わだかまりを水に流しつつある。こんなふうにすべてを水に流して忘れてしまうことが、善良な日本人としてのあらまほしき上品な振る舞い方だということを、われわれは、子供の頃からやんわりと教えられ、そうやって大人になっている。

(中略)

 われわれの多くは、不満たらたらで通っていた職場にも、そのうちに馴れてしまうタイプの人間たちだ。してみると、どんなに無茶な人事であっても、いかにデタラメな状況説明であっても、事態を掌握している側の人間が中央突破で押し通してしまえば、最終的にはどんな無茶でもまかり通ることになっている。月日のたつうちには、誰もが抵抗をあきらめてしまう。われわれが住んでいるのはそういう国だ。つまり、既成事実の積み重ねが人々を屈服させるということの繰り返しがこの国のこの千年ほどの歴史の主要なストーリー展開であったことを踏まえて考えるなら、JFAの排外クーデターもモリカケの強弁も、最終的には「現実としてこうなってしまっていることについていまさら何を言っても仕方がないじゃないか」てなことで、不問に付されるに決まっているのである。"

 

 世間的にみたら、たかがサッカーという話だけど、この一連の騒ぎは結局のところ、権力を持っている人間たちが物事を勝手に決める横暴を繰り返すことで「その他大勢」である僕たちに道理に合わない手続きを「もう決まったこと」と諦めさせるという点で現在の政治や経済を突き動かしているものと本質的に同質のものです。つまり、僕らは力を持っている奴らに「どんな横暴もあいつらは時間さえ経てば忘れる」「目の前の結果というエサをくわせりゃ、あいつらは喜んで尻尾を振る」とナメられているのです。

 たかがサッカーではありません。今回のハリルホジッチ解任は「森友学園」や「加計学園」疑惑、自衛隊の日報の隠蔽、日大アメフト部の不祥事、企業の会計不正などと同質構造による「筋の通らない権力の横暴」であり、それらはみんなひとつに繋がる話なのです。たとえ日本がW杯で決勝トーナメントに進もうが、ベスト8になろうが、優勝しようが僕はその協会の「道理を弁えない振る舞い」を許そうとは思っておりません。皆さんはどうぞ心ゆくまで存分にサッカーのW杯をお楽しみ下さい。あ。ちなみに今大会で日本代表が決勝トーナメント進出を決めたらサッカー協会は結果を出したことになるのかという問いには「NO!」と答えておきます。それは結果ではなく単なるまぐれあたりだからです。

 

「マネジメント」第26章の「組織の精神」で、ドラッカーはこう語っています。 組織の焦点とは成果に合わせなくてはならない。 ここでいう成果とは何なのか?ドラッカーいわく「成果とは長期のもの(つまり継続性のあるもの)であって百発百中ではない。 百発百中は曲芸である。」と語っています。この話を僕は以下のように解釈しています。 百発百中の曲芸。これは僕らがふだん考える「理想の結果」です。だけど、これらは言うまでもなく一過性のものであり続く事はない。服の売り上げ100万円だって29日間売れなくても最後の1日でお金持ちが100万円分買ったら達成される。あるいは想定の2倍の量が毎日売れて200万円UPになる月だってあるかもしれないし、逆にまったくダメで売り上げ-100万円DOWNの月も存在しうる。 このように先が見通せない中で、百発百中の曲芸を思わせる「理想の結果」を短絡的に求めて一喜一憂するのは不毛である。だったら毎月100万UPに達せなくても、その目標に近い金額を達成できるプランを立てて継続的に実行させていく。たとえ、そのプランで達成できなくてもその「失敗」という弱みに臆せず、売上100万円アップを目指して、新しい事に積極的態度で継続的に取り組んでいくことこそ、成果である。 こんな感じでしょうか?

ドラッカーを読んでいなくてもできる、店舗売り上げアップ作戦を紹介 - サブカル 語る。

  マネジメントの著者、ピーター・ドラッカーは「結果」を上記のように語りました。ドラッカーの言葉に当てはめると、日本サッカー協会は98年以降、毎回日本代表をW杯に出場させているという意味での結果、成果は出しています。そこは認めます。ただ、ここから先の日本サッカーが目指すべきは継続的なW杯決勝トーナメント出場常連となるチーム作り。単発的にベスト8やベスト4に入ったり、優勝をしたところでそれはまぐれでしかありません。だからこそ、4年ごとの結果に一喜一憂しないで継続的な代表強化を続けてもらいたい。そうやってサッカーを日本の文化に育ててもらいたいと思っているからこそ目先の結果だけでハリルホジッチを解任したサッカー協会を、僕は許せないのです。

 

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 ※実話に基づく記事。アパレル業界に努める知人(高卒)が月に100万円の売り上げアップを会社から求められた時の奮戦記。大学で経営学を学んだという本社から来たマーケティングの専門家が達成できなかった目標を、高卒の店員が創意工夫で挑み、痛快な結果になるまでを語ったイチオシのエピソード。読んで損はさせませんので、ぜひ!!

 

 


 

 

 

 ※サッカーって選手が鍛えた技術を競い合うのが前提だけど、向かい合って戦っている監督同士の戦術ってのも本で読むとスゴイ。フィールドで行う将棋といっても過言じゃない。